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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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169 外出

 翌日、目が覚めた時にはすでに日が高くなっていた。

 眠っている間にテーブルに置かれたらしい簡単な朝食(あさしょく)を急いでおなかに入れ部屋を飛び出す。

 まっすぐ入り口のホールに向かい、外服(そとふく)を着込んだイオナとその兄たちが話をしているのを見いだした。


「ああ、カレン、ちょうど部屋に顔を出そうかと思っていたとこよ。わたしたちはこれから主家(しゅけ)のところに出向いて、いろいろ説明しなければならなくなってね。少し留守にするから好きなようにしてちょうだい。何かほしいものはある?」


 急いで考える。行動の自由はあるだろうか。


「ここに来る前に見えた町に行ってみたいのだけれど、出かけるのは?」

「ああ、そうね。あなたの向学のためにも出歩くのは非常にいいことかもしれないわね。でもさすがに、右も左もわからない場所にひとりで出かけるのはまずい」


 イオナはホールをぐるっと見回し、反対側の壁際に集まっていた人たちに向かって呼びかけた。


「ミゲル! ちょっと来て!」


 すぐに一団の中から初老の男性がこちらに歩いてきた。


「ご用でしょうか、イオナさま」

「カレンに港の近くの下町を案内してあげてくれる? ああ、カレンは自分の土地からほとんど出たことがないから、細かく面倒を見てちょうだい」

「細かく……ですか? かしこまりました」




 ミゲルはさっとこちらを向いた。


「カレンさま、すぐに出発されますか?」


 昨日着ていた服はすでにきれいになって戻ってきていた。羽織はまだ返ってこないが、こちらは暖かいので昼間は必要なさそうだ。


「はい。着替えが終わればすぐに出かけられます。でも、仕事でお忙しいのでは?」


 背後からイオナのあきれたような声が覆い被さってきた。


「カレン、ねえ、カレン、そんなに遠慮する必要はこれっぽっちもないんだよ。カレンはもうただの客人というわけではないのだから。アデルの者たちは全員そのことを理解している」


 イオナが皆にとんでもない誤解を与えているような気がしてならない。


「それはどういう……」

「ああ、悪い。カレン、もう行かないと。昼過ぎには戻るから」


 そう言い残すと、イオナは兄たちを追って風のように去っていった。




 これはまずい。

 厳粛な顔を崩さないミゲルとふたりきりになってしまった。

 ……寝坊してしまったせいだわ。そっとため息を漏らす。


 それでも、これで買い物ができるかもしれない。そう考えたとたんにわくわくしてくる気持ちを抑えられない。


 ミゲルに着替えてくると言い残し、急いで部屋に戻り畳まれていた服を手に取る。あれ以来、この祭り着はお気に入りの一着になっていた。まあ、手ぶらで来たからこれ以外に選択肢はないけれど。


 着替えてから姿見を(のぞ)きふと思った。少し派手かしら。このようにはっきりと模様が入った服は少なくともオリエノールではあまり見ない。



***



「ミゲルさん」


 たちまち言葉が返ってきた。


「ミゲルとお呼びください。まもなく車が参ります」


 反射的に言葉が出てしまう。


「歩いて行くのではないのですか?」


 ミゲルはまじめな顔を崩さずに答えた。


「町まで相当な距離がありますので、歩くのは控えたほうがよろしいかと」


 余計なことを言ってしまった。確かにあの小高い森中を歩くのはだめね。


「あのー、ミゲル。……こちらでは、買い物をするにはどうしたらいいですか?」


 一瞬、ミゲルの顔がゆがんだ。


「はい?」

「その……品物には値札がついているのでしょうか?」


 答えがない。たぶん、あきれているのだろうな。でも、知らないことだから聞くしかない。


「値段のとおり支払うのでしょうか? それとも……そのう、いちいち交渉するのでしょうか?」

「それは場合によります」


 続きを待ったが答えはそれで終わりだった。

 まあ、いいか。実際に買い物をするときにもう一度聞いてみよう。




 車の中ではミゲルと向かい合わせに座ることになった。

 走り出してすぐに、昨日上から見た森のほうに向かうのではないのがわかる。別の道があるのかしら? 確認する。


「大きな川港のある町に向かうのですよね?」

「そうです。国都で下町といえばそこになります」


 もうひとつ確認しておく必要があった。

 ロイスから唯一持ち出してきた巾着から支払い用の符証(ふしょう)を取り出して見せる。


「これですけれど、オリエノール以外でも使えるのでしょうか?」


 ミゲルは少しの間こちらを見つめた。何も知らないばかかと思われているに違いないわ。


「ごめんなさい。変な質問ばかりで。きっと、頭のおかしい人に付き合わせられていると思っているでしょうけれど。……実は一度しか買い物をしたことがなくて」


 ミゲルの目が心なしか少し大きくなったような気がする。


「ああ、いや、そういう意味ではなくて、つまり、今まで田舎に住んでいて町にはほとんど出かけたことがなくて……」


 ミゲルから返事がない。ため息をつく。

 結局、とどめの言い逃れを放つ。


「実を言うと、わたしは記憶喪失でして」


 かなり嘘っぽい響きだが、これなら誰でも納得するしかないわ。




 ミゲルはすでに普通の顔に戻っていた。

 何事もなかったかのように説明を続ける。


「これで支払いを済ませるには、相手の出す支払い用の装置に触れるだけで終わりですよね。それはわかっています。それで、これで払えるかどうか確かめるにはどうすればいいのでしょう?」

「支払いできるかどうかは、残額を出して見ればよいのです」


 ん? 残額が表示されれば払えるということかしら。装置に触れる前でも表示されるの? ……わからない。


「どうやって?」

「お見受けしたところ、お持ちの符証は作用者用のものです。それを両手で持って、表面のこことここに同時に触れると残りのディールが表示されます」

「こうですか?」


 言われたようにすると、長い数字の列が浮かび上がった。


「まあ、すごい。今まで誰も教えてくれなくて……」


 そう言い訳したものの、きっとこのやり方は前に教わったに違いないのだ。

 たぶんロイスに来てからの数か月の間に。何度かセインにも行っているはずだし、もしかするとあそこで何回も買い物をしたかもしれない。


 繰り返し一から同じことをしている気分になり、思わずため息が出る。




 その時、向かいのミゲルが身を乗り出した状態で硬直しているのに気づいた。


「どうかされましたか?」

「カレンさま、老婆心ながらひとつご忠告申し上げてもよろしいでしょうか?」

「はい、何でしょう?」

「その符証には鎖をつけて常に身につけておいたほうがよろしいかと存じます」

「えっ? 今までもこれに入れて持ち歩いていましたけど」


 そう言いながら巾着を見せる。

 まあ、その前は旅行かばんに入ったままだったけれど。おかげで、一度船と一緒に沈んだことがあるからうかつに反論はできない。

 ミゲルがため息を漏らす音が聞こえたような気がする。


「まあ、落としても盗まれても誰かに使われることはありませんが、きっと二度と戻ってこないでしょう。それに、膨大なディールをお持ちなことをほかの人には知られないほうがいいかと……。くれぐれもその表示を人前でお見せになりませんように」

「あっ……はい、心します」




 しばらく無言のまま、窓からの景色を眺めた。

 谷間を抜けると下り坂になり、すぐに遠く町並みが見えてきた。それからは、両側にどんどん家が増えてきたかと思うと、目の前におなじみの都会の風景がぱっと広がった。

 いくつもの高い建物、公園らしき場所、交差する道、そして多くの車と人が行き交っている。


 よくよく見ると、色使いはあまり多くないようだ。どちらかというと灰色っぽい建造物がほとんどだ。

 目の前を過ぎていく光景に目を奪われていると、前方の小窓を少し開いて運転者と言葉を交わしていたミゲルが振り返った。


「カレンさま、まもなく到着します。ここからは車を降りて歩くことにしましょう。それが、イオナさまからのご指示のようですので」


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