165 イリマーン
すぐにカレンはイオナの話に引き込まれた。
「この後の二百年間が作用者にとっては絶頂期だったらしい。いま使用されている作用の使い方、いろいろな技術の多くはこのころ確立されたと言われる。通信とか医療もそう。医術と飛翔術の発展。忘れていけないのは、マゴリアが作り出したと言われる空艇、イリオンが生み出した増幅術とそれを移動可能にした庇車なんかもね」
どれも、そんな大昔に使われるようになったものなのか。わたしはそのほとんどを知らない……。
「そして四九〇年前に、いわゆる大戦争が勃発した。最初は国境付近での些細な戦闘に過ぎなかったものが、数年後には全面戦争に発展した。その理由は諸説ありよくわかってない。現在わたしたちが持つ知識は生き残ったイスに残された数少ない資料によるのだから」
こちらに顔を向けたイオナを見る。その瞳がザナと同じであることに気づいた。月のない夜空のような濃い藍色。長さを除けばふたりの髪色も似ている……。
「まあ、とにかく、結果的に両国はお互いを破壊しつくした。地上の生き物は死に絶え、この世界の大地の大部分が損なわれることになった。何しろ海が大半を占めるガムリアでここが唯一の大陸だからね」
そういえば、お互いに破壊作用を行使したのではないかとペトラは推測していた。
「イスの南部に住む人々はかろうじて生き残った。大陸の大部分が不毛の地と化し、広大な森林が一気に失われたことで、大気中の精気は激減した。それが原因で作用者の力も大きく衰退したと歴史家は記している」
精気を作り出すのは、ほとんどが木々など植物の役割だ。それに水と光に大気。水がなく生き物の育たない大地が広がればどうなるのかは明らかだわ。
「残されたイスの大部分は、新しい国インペカールとして生まれ変わった。ほかの人々は、ウルブという新たな都市国家形態を造り上げ独自の文化を築いた。イスの南部にはいずれにも属さない人々が小さな国を興して再出発する。それがメリデマール。それでもなおメリデマールには、イスの核を担った世界で最も優れた作用者たちが残っていたという」
カレンは、イオナの語りをひと言も聞き逃さぬよう集中していた。
「一方で、ウルブは技術と産業を支配することで、インペカールとの交易を通してその存在を強固にした。東をウルブと接するインペカールも徐々に国力を高め、こちらは西を向いて再び領土をどんどん拡張した。激減した人口も少しずつ回復する。一方で、メリデマールには生き残った作用者が集まり、こちらも時間をかけて力を蓄えていった」
イオナはクレアが入れ替えたお茶を受け取ると口に運んだ。
「ここまでが、インペカールとイリマーンを隔てる大連峰アアルより東の地域の大ざっぱな歴史になる」
まだオリエノールが登場していないことに気づいた。最初の話からすると、たぶん、国力を回復したメリデマールが、東と西の双方に新天地を求めたのだわ。話の続きを聞けばわかるはず。
それにしても、メリデマールが生き残った作用者たちの拠り所となったのは、やはりそこにシルがあったからだろうか。きっとそうに違いない。
シアやティアはその大戦争の時代にも存在していたのかもしれない。そして、次々と誰かの相手をしては記憶を増やしていったのだろうか。
そう考えるとなぜか背中がゾクゾクしてきた。
「さてと、やっと出発点まで戻ってきた。小さいけれど力を持つ国となったメリデマールの人々は、ある者たちは東海岸に向かいオリエノールを建国し、別の人たちはインペカールの支配の及ばないアアルの向こうまで海を渡った。そして、彼らがイリマーンの礎となった。そういえば、来年は建国四〇〇年になる」
まだ、イリマーンしか登場していない。ほかの国はいつできたのかしら。
「イリマーンは移住者たちにより、長い時を経てしだいにその領土を広げ、やがてインペカールに次ぐ大国にまで成長した。イリマーンでは代々ケタリが国王となるのが習わしだった。それも、その時々で最も力量のあるケタリに王位を継承させることによって。つまり、ケタリによって国を支配する体制を長年かけて築き上げ、それゆえにイリマーンはインペカールと対抗し得る盤石な国家になったといってもいい」
イリマーンの成り立ちは普通の王国とは違うようだ。
「それは、イリマーンの王は世襲制ではないという意味ですか?」
「うーん、少なくとも最初の百年くらいは、最も力のあるケタリが王に就いたと記録は語っている。それこそ数年単位で次々と替わったこともあったらしい。でも、その後はかなり違う。嫡系から次の国王が選ばれるようになったからね」
優れた者が王になるのなら、誰もが納得できるはずと思うのに、ずいぶんと思い切った方針転換。どうしてそんなことをしたのかしら。
「それだと選択肢がかなり狭まる。だから、直系までと決められたり、血のつながりを持つ者まで継承者を広げたりしたこともあったらしい。結構いいかげんなもんだ。それでも、よそから見れば間違いなく、相当に独善的で非常に偏った継承が続いた」
「イリマーンには大勢のケタリがいるのですか?」
「……いいや。昔はけっこういたらしいが、近年は少なくなった」
「どうしてですか?」
何となく理由はわかったが、一応聞いてみる。
イオナはため息をついた。
「それは、血のつながりのないケタリを次々と排除してきたから。そして、少数の限られたケタリを中心にすべての物事は回り、直系のケタリを絶やさないことが最優先とされてしまった」
「でも、そこまでして……」
「別に不思議ではない。人は権力を握るとそれを手放そうとはしなくなるんだよ。できるだけ長く玉座に居座ろうとする。大戦争の前もそうだったという話だ」
「そういうものですか……」
「うん。それに、イリマーンでは過去幾度となく抗争が起きている。今も以前より厳しさは増していると言ってもいい」
抗争……。カレンには想像できなかった。身内で権力を求めて争うなんて、そんなことをしてどんな意味があるのだろうか。
「話を昔に戻すと、イリマーンの王となった者にとって、ケタリの種を見いだし彼らを確実に育て力覚させることが最重要だった。そのため、このような職務に専念する人たち、そして、ケタリたちを守る役割を作り出した。それが後に、いわゆるケタリシャと言われる存在になっていった」
自分の記憶にある知識と比較しても、オリエノールでの役割とはかなり違う。昔の話だからか、それとも隔たった地域の差なのかしら。
「特に早期にケタリを見いだす者は、ケタリシャの中でも権威ある者と呼ばれ、その役割は非常に重いゆえ特別視されていた。ケタリシャたちもしだいにそれぞれの基盤を固めていった。その長い功績に鑑みて、ケタリシャには各領地を独立国として治めることが認められた。それが、今のハルマンとローエンだ」
そこで、イオナは大きく息をついた。
つまり、ローエンもハルマンもイリマーンの一領地に過ぎなかったということか。
権威ある者といわれる人はオリエノールにもいる。ウルブにも、あのインペカールにだっているに違いない。それと、今の話のつながりが見えない。
こちらの戸惑いが伝わったのか、イオナは説明を始めた。
「もしかすると、権威ある者という呼び名には少し誤解があるかもしれない。わたしたちにとって権威ある者はケタリシャの中から選ばれる特別な存在で、かつては、王の後継者を指名する大事な役割を持っていた。今では、単に王に対する助言者に過ぎないがね。ケタリシャが作用者を求めて調べるという役割だけが世界に広まった結果、ほかの国ではケタリシャと権威ある者がただ作用者の力量を測る役目とされてしまった。たぶん、オリエノールでもそうじゃないかな?」
「はい、そんなところです」
「さて、ハルマンとローエン以外にも、東西の国境を守るためにニーランとハイネンに役割が与えられ、それぞれ独立した国となった。イリマーンとインペカールの間にはアアルと呼ばれる険しい山々が海岸から北の果てまで連なっている。だから、ニーランは海岸地帯と近くの島々に要衝を造り上げることで両国間の国境を維持している」
つまり、イリマーンの盾としての役割……。
「当然ながら、他国との交易は陸路ではなく海からになる。その交易を最初のころから集約させて一手に引き受けていたのが地の利に優れたミルドガで、ここも後に独立した国になった」
交易権を小国に委ねるとは、イリマーンは変わった国だわ。ウルブでは考えられないことね。
「今度、ミルドガの国都トマルに行ってみるといい。あそこは西六国にとって最大の交易拠点だから、珍しいものがわんさかある。たぶん、好奇心旺盛なカレンなら何日滞在しても飽きないと思うよ」
とてもいいことを聞いたが、ミルドガに足を伸ばす機会など、この先、訪れるのかしら。
たぶん、イオナがわたしに何を求めているか、それしだいの気がする。
「もちろん、五つの国は独立こそしたが、イリマーンに対する役割と誓約はそのまま残された。ハルマンとローエンもしかり。両国からはケタリシャが一定期間ごとに交替でイリマーンに派遣され、イリマーン王に対する誓約と責任を果たし続けてきた」
イオナは六王国についての話を次の言葉で締めくくった。
「その誓約も今の状況では意味をなしていない……」
「それはどういう意味ですか?」
「今のイリマーンの国王たるディランはケタリではない」
「えっ? 先ほど国王はケタリがなると言いましたよね?」
「そう。でも、もう三代続けてケタリでない者が王の座についている」
「ほかの……その、ケタリはそれに反対はしないのですか?」
「ほかにケタリはいないのだよ、今のイリマーンには。少なくともケタリシャはケタリを発見できていない。そこまで、あの国は弱体化している」
突然、あそこでイオナに告げられた言葉の持つ意味を悟った。
自分の体を抱え込むように両手を回し、寒くもないのに震えてくる足を椅子に押しつけた。青白い膝に目を落とし小さく息をする。
「どうして……」
「イリマーンでは過去幾度となく衝突が起きている。そのたびにケタリは急減したり、生まれにくくなったりした。おそらく新しい血が入らないことが原因だろうね。長い間ケタリの種を摘んできた報いが、今になって現れているとしか思えない。とにかくケタリが存在しない今、水面下で抗争は激しさを増している」




