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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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162 追っ手

ここから第2部となります。

よろしくお願いいたします。

「もうすぐ見えます」


 長い静寂を破ったクレアがそっと息を吐き出した。カレンは首を少しだけ回して、感知者の険しい横顔を見つめる。

 先ほどから再び降り出した雪が彼女の髪に積もっている。次々と舞い落ちてくる白いものがその上に付着するなり、透き通った氷粒に変容していく。


 羽織の下から両手を出して、自分の頭からも雪を払いのける。

 びしょびしょに()れてしまった手を眺め、何度も振って(ぬぐ)う。その手で冷え切った耳を包み込んだ。

 顔を上に向けると、闇夜の中からいきなり現れる無数の淡く光るものが、次々と目に飛び込んできた。驚いて目とまつげに残ったみぞれを両手で振り払う。


 このような幻想的な光景を前にも、いや、毎年見ていたのだろうか。

 こういうふうに雪中に立った状況を探し求めて、記憶に入り込んだがむなしい試みだった。




 ひとつため息をついたカレンは、イオナとクレアが微動だにせず見つめる下流に向かって感知を開いた。

 この川艇は客用だが、その大きさの割には自分を含めて数人しか乗船していない。それに対して、下流から近づいてくる船には大勢の作用者が乗っている。


 しだいに正面からまともに吹きつけるようになった雪で視界がきかないが、この船も通過してきた曲がり角を回って、何かが接近してくるかすかな音が聞こえてきた。

 すっかり暗闇に慣れた目にも船影はまだ映らない。


 戦闘の気配は感じられないから、カイルのだという船を振り切って来たのは確かなようだ。ロイスに何事もなければいいが……。




 何も告げずにいなくなったことで、シャーリンたちは怒っているかしら。少し落ち着いたら、シアに詳しい伝言を頼むとしよう。


 そう考えながらぼんやりしていると、きしみ音に続いて目の前にぬっと船体が姿を現した。ガラガラという音が聞こえ足元が揺れた時には、すぐ隣に自分の乗る船よりも小さな川艇が小刻みに震えていた。


 それまでずっと黙ったままだったイオナがようやく口を開いた。


「カレン、乗り換えるよ。付いてきて」


 とっくにクレアはいなくなっていた。


 すでに歩き始めていたイオナを慌てて追いかける。

 舷側通路を進むころにはもう、隣の船との間にロープが渡されていた。船が引き寄せられ舷側を触れ合わせると、甲板が持ち上がるようにガクンと揺れ転びそうになる。


 何となくきな臭いにおいが隣の川艇から漂ってきてあたりに充満した。手で鼻を覆いながら考える。この異臭はいったい何だろう?




 向こうの船から差し出された手をつかむと隣の川艇にぴょんと飛び降りる。

 どうやら、乗り移るのは自分が最後だったようで、すぐにロープが解かれて二(そう)は離れた。

 先ほどまでの船がまず動き出し、少し距離を置いて大勢が乗った川艇が続く。


 イオナが手招きをしているのに気づき急いで近寄る。すぐにイオナとクレアは船尾に向かって歩き出した。


 いたるところに金属製の板が立てられている。その内側で人が寄りかかって作業をするのも見えた。

 しばらくしてからようやく気がつく。これは機械式の銃による攻撃を防ぐためのものに違いない。


 あらためて周囲を見回すが、どう見てもこの川艇は普通の貨客船だ。軍船とは思えない。




 イオナとクレアは、船尾に立って下流を監視しているらしい男性と話を交わした。急いで近くに寄って耳を澄ます。


「……それで、向こうの様子は?」

「三(そう)ともまだ健在です。多少の時間稼ぎにしかならなかったようで」

「それでいい。この先は川幅が広がるから、ここで何とかしよう。砲を使用する」


 うなずいて歩き始めた男性の背中に向かってクレアが付け加えた。


「テリー、この作戦は何度もできない。できるだけ引きつけて一度で決めないと。こっちの周りにもっと防御板を並べたほうがいい」


 テリーはわかったというように手を振ると中甲板に向かった。




 船の速度が落ちたので振り返ると、先行した川艇が見えなくなるところだった。

 カレンはイオナと向き直る。


「カイルの三艘の船とこれから戦うことになるのですか?」


 イオナは肩をすくめた。


「そうなるだろうね。あいつをかなり怒らせてしまったからね」

「わたしが……ここにいるから?」

「まあ、それもある。あいつはオリエノールの国主を撃った。わたしはそれを止められなかった。あんなことになって本当にすまない」


 あれは一瞬のできごとだった。カイルはどうしてシャーリンにあのようなことをさせたのだろう? しかもまたこの国にやって来て再び戦闘になろうとしている。

 イオナは自分に言い聞かせるように続けた。


「あれからあなたの行方を捜し、あの崖に行ったがまたも見失った。あいつが見つけ、確かめるために尾根の家まで同行した。あなたと話ができれば、もう彼と行動をともにする理由はなかった。……あなたはこっちにいるほうがいい。カイルに捕まったらイリマーンに連れていかれる」

「どうして、わたしを?」

「それはあとで話そう。やつらをここで足止めしてから」

「はい」


 わたしは、自分の命をすでにイオナに託してしまったのだから、今さら考えてもしょうがない。




 あらためて下流に探りを入れたとたんに体にブルッと震えが走った。

 かなりの人数だ。あのカイルには配下の者がこんなに大勢いたのか……。全員イリマーンから連れてきたのかしら。それともオリエノールで雇ったのだろうか。


 テリーが戻ってきた。


「あと少しで準備完了します」

「あっちはどれくらいだ?」


 イオナの問いに、クレアは即答した。


「五分といったとこ」




 カレンは中甲板の端に座って、そこで行われる作業を見ていた。

 目の前には、手を握ったくらいの径の筒をいくつか並べた装置が何列も置かれている。それぞれの円筒には角度の調整機構らしきものが付いており、一つひとつ調整されたあとに長いケーブルが接続される。


 食い入るように作業を見つめているとイオナに声をかけられた。


小臼砲(しょうきゅうほう)を見るのは初めてかい?」


 うなずいて顔を上げる。


「この川艇ですが、軍船ではないですよね?」

「他国に軍船で乗り入れることなどできないからね」


 イオナは肩をすくめた。


「ああ、そうですよね」


 ため息をついたイオナが続ける。


「船は無理だが空艇なら何とかなる。でも空から運べるのは移動式の軽い武器だけ。これで相手とやりあうなんて実に原始的だろう? 作用を除けば、物理銃と小臼砲、それに防御板。これが手持ちのすべてなんだから」




 そう言われても、カイの船を沈めた一方的な戦いを除けば、戦闘の場に居合わせるのは初めて。作用者の間で交戦がどのように行われるのかもまったく知らない。

 小臼砲というのが、物理弾を上空に発射する装置なのはわかる。


「どうして上に向かって撃つのですか?」


 イオナは黙って何度も首を横に振っていたが、逆に質問された。


「カレン、あなたの記憶には、軍隊に関するものは何もないの?」

「わたしはこの一年で、普段の生活に、人との関わりに必要なことは何とか覚えました。けれど、戦いについては必要ないので……」

「ああ、そうだろうね……」


 イオナは下流にちらっと目を向けてから続けた。


「わたしたちは、カイルもだけど、よその国に持ち込める武器は限られている。だから、とんでもないことになる可能性は低い。でもね、あなたをカイルに渡すわけにはいかない」


 それはありがたいことなのかしら?


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