161 新たなる旅立ち
シャーリンは、フェリシアのためらいがちな声を耳にした。
「ちょっといいでしょうか」
「なに? まさかとは思うけど……」
「すみません。その、まさかです」
「どうして?」
「ほら、母に言われたでしょう。少しは内事の仕事を覚えなさいって」
「ここで、その話かい?」
そう言うドニの目が険しい。
フェリシアは隣のフィオナと顔を見合わせた。
「それがどう関係するの?」
「フィオナが行くのなら、同行させてもらうと、いろいろ仕事について教えてもらえると思って……」
そう言うフェリシアと隣のフィオナの顔をじっと見る。このふたり、いつの間に意気投合したのだろう?
「ああ、ちなみに、ムリンガで行くのでしたら、あたしが動かしますので。この前ここに来るまでに操船方法は覚えました」
「それはいいわね」
ペトラは上機嫌だ。
「ムリンガは目立つからほかの船がいいんじゃないか?」
ディードが言ったが、メイは反対した。
「ご存じのように、ムリンガはうちの最新型でいろいろ新しい装備があります。外見は少し目立つかもしれませんが、きっとお役に立ちます」
ああ、そういうことか。
「わかった」
エメラインのほうを見る。
こちらの目に気がついたようで、すぐに聞かれる。
「何でしょうか?」
「エムの専門は何なの?」
「えっ? 情報ですけど」
「いや、そっちじゃなくて、作用のほう。医術?」
「医術も多少使えますが、どちらかというと飛翔術のほうです。どちらにしても、参謀室にいる限り使う機会は訪れないですね」
それはいい。メイのほうに目をやると、笑顔で軽くうなずくのが見えた。
ウィルがひとり悲しそうな目をして姉を見ていた。
それに気づいたフェリシアが優しく諭した。
「ウィル? あたしがいない間に主事の仕事を覚えるのよ。わかった?」
ウィルはしぶしぶうなずいた。
ドニがほっとしたような安堵の表情を見せた。ウィルには春まで仕事がたくさんあるから残ってもらうしかない。
「そうだ、フェリ。前に、ほら、糸を作ってくれたじゃない。あれ、また作れる?」
「糸? ああ、メデュラム糸のことですか?」
「うん、あれを使って作った服を着れば、作用者からの影響を少しは防げるかなって考えてたんだけど。どうかな?」
「ええっ? あれを服にするんですか? あの糸は、表面こそ普通の糸と同じような感触だけど、しょせん金属だから服のような柔らかさは出ませんよ? それに、相当な分量が必要になりますし、作るのに時間もかかります」
カレンの言葉を思い出しながら慌てて言い直す。
「いや、外服じゃなくて、このあたりを覆うような感じ。レンダーのように体に触れると遮へい効果がなくなるだろうから、肌衣の上に重ねて着る。たぶん体にぴったり沿わせて密着させればいいんじゃないかな」
ペトラが必死に笑いをこらえているのが見え、その隣でフィオナは困ったように顔を赤らめている。
シャーリンは手で大きさを示しながら、ザナのほうをちらっと見る。ザナが笑いながらも軽くうなずくのを確認してそっと息を吐く。
「なるほど、わかりました。それでは、必要な材料と道具を船に積んで、途中で作ることにします。でも、あたしは裁縫がまったくだめなんです。服などとても作れません。ご存じだと思いますけど……」
「わたしが身につけるものですから、自分で作ります」
真剣な表情で言うフィオナを見てほっと息をつく。
「助かるよ」
シャーリンはペトラに目を向けた。
「それで、どこに向かうんだい?」
「とりあえずセインを通ってウルブかな。エレインの家に寄ったかどうかを確かめないと。最終的にはハルマンに行くことになると思う」
ペトラはそう言いながらザナを見た。
「そうね。ハルマンに行くのだったら、その前に母、ディオナのところに寄ったらどうかしら? ウルブ3にいるけど。いろいろ助言してもらえると思うわ」
ウルブ3は、ウルブの西端の海岸に位置する。西の王国に向かう前に寄港するにはちょうどよいところだ。
ペトラはうなずいた。
「ザナのお母さんならすごく頼りになりそう」
「それに、エレインの家に寄るなら、エレインの残した記録があるから見たほうがいいわ。それにはハルマンやイリマーンのことも書かれているはず。わたしも、もう少しちゃんと読んでおけばよかった」
「ローエンにも寄れるかもしれないわね」
そうつぶやくペトラにザナが首を横に振った。
あきれた様子のザナを横目で見ながら慌てて諭す。
「なに、のんきなこと言ってるの? これは観光じゃないんだよ。そう簡単に他国にほいほいと入れるわけじゃない」
「わかってるわ、シャル。でも、大丈夫よ。わたしたちが誰だかわかる人なんていないし……」
そこで、クリスがしかめっ面をしているのに気づいたのか、慌てたように言い直した。
「ほら、メイが交易のために訪れたことにすればいいでしょ? わたしたちはロメルの者って感じで。そう、メイの部下よ」
「はあ? あのね、ペト」
一緒に行くことになりそうな人たちを見回す。
「どうひいき目に見てもロメルの交易商人には見えないよ、わたしたち。ただの不審者にしか……」
「いい? お母さんを助けたいんでしょ? 違うの?」
「もちろん助けるよ。でも……」
「じゃあ、わたしの言うとおりにして」
ザナが笑いを必死にこらえているのが見え、シャーリンは何度も首を振った。
まあ、いつでもペトラがボスであるのは間違いない。
彼女の暴走を唯一止められるカレンはここにいない。
メイがおずおずと口を挟んだ。
「ムリンガはロイスのだから、差し出がましいとは思いますが、うちの者を何人か乗せてもらえれば、彼らに操船をまかせられます」
「そんなに大勢が乗って大丈夫?」
なぜかずいぶんな人数になってしまった。
「もちろん。ムリンガは大きいのよ。知っているとは思うけど。それに、交易を装うなら、シャーリンが指摘したように、それなりの商品と担当者を同行させないと怪しまれます」
「そうなの? ミアはひとりだったけど」
そうペトラが言った。
「お姉ちゃんを基準にされるととても困ります。あの大きさの船にたったひとりなんて……」
そう言い首を振るメイの目が光を放った。
シャーリンは慌てて同意する。
「そ、そうですよね。わかりました。よろしくお願いします」
「それでは、二、三人乗ってもらって、残りはこのまま帰します。先に帰ってもらい、ウルブ1で準備させます。途中でロメルに寄って商品を積みます。いいですね?」
***
「シャル……シャル!」
何度も呼ぶ声にしぶしぶ目をあける。
青い空を背景に勢いよく流れる雲が見えた。雪が降った名残はみじんもなく、この上なくいい天気だ。
「ねえ、そんなところで寝てると風邪を引くよ」
これはペトラの声だ。
確かに、羽織を着ていても少し寒いかも。でも日差しの温もりは感じられる。
冷たい風が頬を撫で、かすかに甘い香りが鼻の奥をくすぐる。下でチャッチャッと奏でるリズミカルでやさしい水音に包まれ、また眠りに引き込まれそうだ。
コツコツと足音が近づいてくると、ふわりと毛布が体にかけられた。目をあけて確認する。
「ありがとう、メイ」
メイの顔はすでに船先に向けられていた。
「とってもいい天気だわ。今夜は星が見えるかしら?」
「うん、きっと」
この先、何が待ち構えているのかわからないけれど、必ずカレンを助け出す。結局、わたしの母なのだから。そう、たとえ年下だとしても……。
失った時間は必ず取り返す。
(第1部 完)
◇以上で、第1部は終了となります◇
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