157 知りたくなかった
カレンはフィオナをじっと見ていた。
さっと顔を上げたフィオナが立ち上がる。
「ペトラさま、シャーリンさま、わたしは、わたしは自分が何をしたのかわかりませんが、おふたりに大変なことをしたのではないかと思います。すみません、記憶にはないのですが」
それからペトラに向き直り頭を下げる。
「ペトラさま、わたしは……国主さまのことに関わっているのでしょうか? わたしは何も覚えていないのですが、きっと……何かしてしまったに違いないです。……大変勝手なことで申し訳ありませんが、お暇をいただきたくお願いいたします」
フィオナは再度深くお辞儀をしたが、その目からぽとりと涙が落ちて床に広がった。
「ペトラさまにはこの身を死から救っていただいたにもかかわらず、こんなことになってしまって申し訳ありません」
「フィン? あのことに関係あるの? シャルの一件にも?」
フィオナは苦しそうに声を振り絞った。
「わからないのです、わたしには。それに話すこともできない……口を開くと体が燃えるように熱くなって……すみません、わたしにできることは一つだけです」
「フィンはわたしが物心ついた時からそばにいてくれた。それなのに、それなのに、どうして?」
自然と声がきつくなっているようだ。
これはだめよ、ペトラ。
フィオナは突然ソファの後ろをよろよろと歩きだすと扉に向かった。
できることが一つ? カレンはさっと立ち上がった。フィオナに声をかけようとしたが思いとどまる。
歩き出したところで立ち止まりザナのほうを向いた。
「ねえ、ザナ、どうにかならないの?」
ザナは首を横に振った。
「一度強制を受けた人のそばにオベイシャを置くのは危険よ」
フィオナはすでに部屋をあとにしていた。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「さっきも言ったけど、つながりを断つことはできないの」
ザナの言うことは正しい。正しいけれど……。ペトラを見る。
「ペト、いいの? このままで?」
ペトラがこちらを見上げた。その顔にあるのは怒りなのか、恐れなのかはっきりしない。
「フィンが強制者を引き入れた。それに、シャルが酷い目にあった」
「フィオナとは限らないでしょ。だいたい、彼女はまだ誰のオベイシャなのかもわかっていないわ」
「それでも……彼女かもしれない」
「……一度失ったものは決して元どおりになることはない。ペトは自分の大切な一部を失うことになるの。それでいいの?」
「でも……」
「ペトラ、こっちを見て! よく聞きなさい。フィオナはあなたが小さい時からずっと仕えてきた。パメラさまとの約束を守り、その身を犠牲にしてあなたを守った。きっと抗うのはとても苦しかったはず」
あの時、フィオナは自分の命を主にささげた。
「自分の大切な人をここで見捨てていいの?」
「わたしは、フィンのことは好き。彼女を失うのは耐えられない。でも、シャルやメイが受けた苦しみを思うと……」
「ペト、わたしのことはどうでもいい。自分のことだけ考えて」
ペトラは涙目でシャーリンのほうを向いたものの、そのまま動こうとしない。
「切り捨てたきずなを取り戻すのは、苦しくて辛くて時間がかかって大変なの。フィオナはあなたのことだけを考え、去ろうとしている。でも、あなたとのきずなを断ちたいとは思っていないわ。……いっときの感情に流されてはだめ」
ペトラはこちらをちらっと見たが、シャーリンに目を戻す。しばらくして、またこちらに目を向けやっと首を縦に振る。
「……うん」
さあ、後悔しないように急いで。
ペトラは立ち上がると走るように部屋を出ていった。
ペトラが去るのを心配そうに見ていたザナがこちらに目を向けた。
「さっきも言ったけど、オベイシャはたいていずっと放って置かれる。オベイシャを通して力を使うのは大変だからね。それに、四六時中オベイシャを見張っているわけでもない。その時が来るまでは気にする必要はない」
「それでも、いろいろなことがあったし、まだ終わっていないわ」
「そう。彼女がオベイシャである以上、いつか干渉してくる、間違いなく」
「どうすればいいのでしょう?」
「うーん、対抗者がいれば、オベイシャが活動すればすぐわかるし、影響も排除できる。あとは……」
考え込むザナを見ながら向かいのソファに座る。
「カイルじゃないかと思います」
「どうしてそう思うの? 普通は同性を選ぶのだけど」
「あそこで、エレインの家でカイルが言ったんです」
あの時カイルが言ったことを思い出して、できるだけ正確に説明する。
シャーリンが口を挟む。
「そのメダンで何があったの?」
「ペトラから聞かなかった?」
首を振るシャーリンにメダンで起きたことを説明する。
「そんな大事なこと、どうして黙っていたの?」
「そう言われても、ずっと別々だったし、てっきりペトラが話したとばかり……」
シャーリンは何度も首を振った。
「フィオナは何かを感じて、自分で解決しようとした可能性があるわ」
そう言うザナのほうを向いて聞く。
「やはり、わかるんでしょうか?」
「いや、わかってはいても、強制者のすることに介入はできない。でも、もしかすると頑張ってものすごく大変なことをしたのかもしれない。自分の身を犠牲にすらできるだけの抵抗力があるのかもしれない」
「助けられてよかった」
シャーリンがぽつりと言った。
「彼女はそう思わなかったかもしれないな」
そうつぶやくザナに、シャーリンは異議をとなえた。
「どうしてですか?」
「苦しみから逃れる唯一の手段だから」
フィオナはあの時と同じ選択をしようとしている? それは大変。腰を浮かしたところでザナに引き止められた。
「ペトラにまかせておきなさい。これは彼女がすべきことだから」
ハッとして椅子に腰を落とす。確かに、わたしがお節介することではない。それでも……。
***
ザナが静寂を破った。
「ということは、それ以外もカイルの仕業か?」
「執政館では、あの時は、イオナの力しか感じなかったと思いました。もうひとりいたのに全然気づかなかったので。でも今では……自信が持てません。もしかすると……。ただ、エレインの家でメイとシャーリンを支配したのがカイルなのは間違いありません。あの時、イオナはただ傍観していただけでした」
ザナの顔には怪訝が浮かんでいた。腕を組んで考え込んでいる。
シャーリンが言いにくそうに声を出した。
「あとは、ウルブ1に行くムリンガの中で襲われた時。あれは、わたしとディード」
「えっ? どういうこと?」
「空艇から見られたんだ」
「だから、どうして?」
「ごめん、甲板に出て……」
「全然わからないわ。どうして相手にわざわざ姿を見せるのよ?」
「それは、成り行きで何となく……」
シャーリンは体を縮こまらせた。
「まあ、いいわ。でも、空艇からだとするとどっちかわからないわね」
シャーリンは思い出すように言った。
「黒いやつだったからカイルのだと思う」
ザナが顔を上げた。
「空艇から見られただけなら大丈夫かもしれない。シャーリンは両方に長い間支配されている。メイはカイルに。ペトラは大丈夫。ディードは正直わからない。そういったところか。ダンはここにいる限りまったく問題ない」
少し考えたあとザナは続けた。
「つまり、もし、フィオナがカイルのオベイシャだと仮定すると、問題はシャーリンとディード」
「わたしはフィオナに近づかなければいい」
「それだと、シャルはペトラに会えなくなるわ」
「フィオナと顔を合わせなきゃいいんでしょ?」
シャーリンはそうザナに尋ねた。
「一応そうなる。オベイシャは相手に知られていないことが利点だからね」
「ああ、そうか」
シャーリンがひとり納得の声を上げた。
「えっ? なに?」
「あの、エレインの家に行くと決めた時、あの部屋にフィオナもいた。もしかして、あの時、強制下に入って行き先を……」
「それはないわ、シャル。あそこで強制力は感じなかったから」
ザナが静かに言う。
「聞いた可能性はある」
「えっ?」
「オベイシャの聞くものを得られる。たまたまかもしれないが」
「聞かれるだけですか? 見られたりとかは?」
「まあ、カイルだとしたら、せいぜい聞くくらいだろうね。でも、イオナなら目を使われるかもしれない。これは要注意だ」
カレンはブルッと震えた。
「それ、とても恐ろしいことですね。フィオナがかわいそう……」
「本人は何も知らないから大丈夫」




