156 ザナが見たもの
食事が終わると団らん室に移動し、遅れて到着したザナと並んで椅子に座りみんなが来るのを待つ。ザナはサイドテーブルの上に積まれていた薄い本を手に取った。
「北の基地のほうはいかがですか?」
そうカレンが尋ねると、ザナは本を開いたまま小さなため息を漏らした。
「それが、いろいろとわからないことが多いの」
こちらを見て小声で続ける。
「壁から遠いところのトランサーは動きがほとんどなくなったんだけど、その色がどんどん白くなっているの」
「白く?」
「変でしょう? 脱色と動きが緩慢になるのが関係あるのかどうかわからないけど」
「ということは、壁はもう必要ないのですか?」
「いいえ。壁の近くではまだ活発よ。それに、全部が動きを止めたとしても、壁はそのままにしておくつもり。また、何が起こるかわからないでしょう?」
「はい、そうですね」
ザナがさらに声を落としたため、体を傾けて寄せる。
「気がかりなことは、オリエノールから偵察に出た空艇。そのうちの一隻が戻らないらしいの」
「えっ? 行方不明ということですか?」
あたりを見回しながらささやいた。
「まだ、わからない。単に通信機の故障なのか。それとも、どこかに不時着したのか。いま捜索中らしいわ。それに、他にもいくつか変な報告があるし」
ザナは軽くため息を吐いた。
「それは、とても心配ですね」
何となく胸騒ぎがするのは気のせいだろうか。
「ところで、その服をまた着ているのね」
「やっとここに帰ってこられて、皆に再会する。こんなうれしい日にこそこれを着るべきだと。まったく記憶にはありませんが、なぜかそうしたいと思ったのです。変ですか?」
「いいえ、カレンにはとても似合っているわよ」
ドニが何か薄い箱を持って近づいてきた。
「姫さま、昨日、新しい書機が届きましたよ」
ああ、よかった。注文しておいてくれたのね。お礼を言うために口を開いたところで気がついた。いま変な呼ばれ方をした。
「ドニ、いま妙な言い方をしなかった?」
「そんなことありませんよ。娘が言うには、こちらは最新型らしいです、姫さま」
「ありがとう、ドニ。でも、どうしてわたしをそう呼ぶの?」
ドニはため息をつくと、首を何度も横に振った。
「カレンさま、カレンさまはペトラさまの後見人となられました。ペトラさまはカレンさまを母親と考えているようなので、本当は上姫さまとお呼びするのが正しいのでしょうけど、わたしとしては、同じように姫さまと呼ばせていただきます」
視界にザナが笑顔で何度もうなずいているのが映った。どうして?
「わたしは……」
口を開きかけたが、目の前で腰に手を当てて見下ろすドニの貫禄にたじたじとなる。
でも違うと思う。もし、わたしがペトラの母親だとしたら、もはやシャーリンやペトラのような娘ではないでしょう?
「さあ、さあ、お茶にしましょう」
そう宣言すると、ドニはザナのほうを向いてお辞儀をした。
「姫さまもあちらのソファにお願いします」
ザナは一瞬ポカンとしたが、何か言う前にドニは向きを変えた。
「では、あたしはちょっと向こうの様子を見てきます」
カレンはクスッとした。
ザナのことを姫と呼ぶのはとても正しいわ。わたしは違うけれど。
全員がそろったのを見計らって、お茶を持ったアリッサとフィオナが現れた。
ドサッという音に横を見ると、ザナの足元に本が落ちていた。慌てたように本を拾ってテーブルの上に置くザナの視線は違うほうに向けられていた。
「ザナ、どうかしましたか?」
少し間があってこちらを向いたザナは小声で聞いた。
「フェリシアと話している人は誰?」
「えっ?」
振り向いて確認する。
「フィオナです。ペトラの内事ですが、彼女がどうかしましたか?」
ザナは周りをさっと見たあと、カレンの手をぐいっと引き耳に口を近づけた。
「オベイシャ」
傾いた体を起こし、フィオナのほうを見る。
オベイシャ? フィオナが? 首を振る。そんなはずはない。彼女はずっとペトラに仕えてきた。そう、ずっと……。
お茶をザナに差し出して笑顔を見せたフィオナの一挙一動を追っているザナの顔を凝視する。
フィオナはカレンの前にもお茶と茶菓子を置くと戻っていった。流れるように歩くフィオナの後ろ姿を、その背中で揺れる赤い髪をただ見つめる。
しばらく固まっていたようだ。気を取り直しザナを見て、ささやく。
「本当ですか?」
「彼女はいつからペトラのところに?」
「えーと、確か、パメラさまが亡くなられる少し前からだったかと」
「十年か、もう少しか……」
「イオナの……なんでしょうか?」
「それは、わからない」
「彼女は知っているのでしょうか?」
「自分が何者かということ?」
「ええ」
「はっきり自覚しているかどうかはわからない。ましてや、誰とつながっているかを本人は知りようもない」
「そうなのですか? それで、どうすれば……」
しばらく考え込んでいたザナは静かに口にした。
「ペトラはイオナに会った?」
「国主が撃たれたあの日、ほんの少しですけど」
「ああ、その時か。大勢いたとしたら、たぶん問題ないと思う。それ以外は?」
「えーと、ないと思います。あの丘には来なかったし、エレインの家にも……」
「それじゃあ、カイルのほうは?」
少し考えて、首を横に振る。
「そうすると、問題はシャーリンとメイとダンか」
「三人はフィオナを通して……支配される可能性があると?」
ザナはうなずいた。
「ああ、でも、ダンはロイスにいるし、メイはロメルだから、どちらもペトラの内事と接触する機会はほとんどない」
「ええ。問題はシャーリンですね? どうしたらいいですか?」
「落ち着いて、カレン。強制者は常にオベイシャとつながっているわけではない。普通は、必要な時が来るまで放って置かれるから」
「でも……」
ザナは手をカレンの膝に置いた。じんわりとした温もりが伝わってくる。
「シャーリンとペトラ、それに、フィオナを呼んで。別の場所で話したほうがいいわ」
首を伸ばしてシャーリンの姿を探す。
ペトラとシャーリンが書斎のほうから一緒に歩いてくるのを見て、立ち上がってぶらぶらと近づく。
「ふたりと話したいことがあるの。ここじゃないところで」
シャーリンはペトラと顔を見合わせると、こちらを見てうなずいた。
「じゃあ、わたしの部屋でどう?」
「わかったわ。先に行ってくれる?」
シャーリンの顔に怪訝の表情が浮かんだが、ペトラがすばやくシャーリンの手を取った。
「それで、シャルの部屋にはどこから行くの?」
「ああ、こっち」
ふたりが出ていくのを見届けたあと、ザナの姿を探す。こちらを見ているザナの顔を見つけ、わずかに手を廊下のほうに向けて動かした。
次は、フィオナを探しに行く。厨房で、アリッサと談笑しているフィオナを見つけると声をかけた。
「フィオナ、ちょっといいかしら?」
「はい、何でしょう、カレンさま」
「一緒に来てもらえる?」
廊下を戻り、ザナと合流すると先に進み、突き当たりの階段を上る。
シャーリンの部屋をノックして扉をあける。そのまま、ザナとフィオナを先に通す。
シャーリンとペトラはソファに並んで座っていた。
「ザナとフィオナもそちらに座ってちょうだい」
カレンは机の近くの椅子を持って扉に近い側に置くと腰を降ろした。
フィオナがそわそわしているのがわかる。彼女はどこまで知っているのだろう?
ペトラは集まった一同の顔を見回すと、最終的にザナのほうを向いて言った。
「それで、ザナ、どんなお話でしょうか?」
ザナは少しペトラを見つめたあと言った。
「フィオナはオベイシャだ」
「オベイシャ? フィンが?」
そう言ったペトラはフィオナを見たが、シャーリンからは疑問の声が発せられた。
「オベイシャって何ですか?」
ザナはシャーリンのほうを向いて説明する。
「オベイシャは強制者の作用を中継できる者のことだよ。強制者はオベイシャを通じてその場にいない人に強制作用を使える」
シャーリンはしばらく固まっていたが、突然理解したようだった。
「つまり、わたしは強制者に捕まったことがあるから、また強制者に支配されるということですか?」
「落ち着いて、シャーリン。しかるべき時にというだけで今は問題ない。強制作用が使われればわたしにはわかる。もちろん、カレンも」
シャーリンは浮かせた腰をすとんと下ろした。
その間も、ペトラはフィオナをじっと見つめていた。
「フィンがオベイシャ。オベイシャ……。最初から……」
その間ずっと、フィオナはうつむいていた。
カレンはザナの顔を見つめた。
「強制者とのつながりを解くことはできないのですか?」
「強制者とオベイシャのつながりはとても強固なの。どちらかが最後を迎えるまで結びつきが切れることはない」
「でも、ザナなら……」
ザナは首を横に振った。




