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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第5章

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153 買い物

「ここを曲がると、お店が見えてくるはずです」


 振り返ったフィオナの顔を見つめる。


「ありがとう。とても助かったわ」

「カレンさまはいろいろと変わった品物をお求めなのですね」

「あら、そうかしら?」

「はい。今どき、隠避帳(いんぴちょう)を扱っているところはオリエノールでは二軒しかないそうですから」

「そうですか。その一軒がセインにあったのはとても幸運でした。国都に行かないと手に入らないと諦めていたので」


 自分のほしい物をフィオナに説明するのは、カレンにとっては非常に大変だった。

 それに、フィオナはさらりと言っているが探すのに苦労したはず。彼女はあらゆる面でとても有能な内事(ないじ)だ。フェリシアもフィオナのもとで修業すればきっと一流になれると思う。


「わたしが倒れている間にいろいろやってもらって、フィオナにはとても感謝しています。今日も面倒なことに付き合わせてしまって、本当にありがとう」

「いいえ、これは仕事ですから。それに、カレンさまに付きっきりだったのはエメラインですから」

「はい」


 こくんとうなずく。エメラインには新しい命をもらったようなものだ。


「場所さえ教えてもらえれば、ひとりで来たのに」


 すぐに後ろからあきれたような声がした。


「ひとりで出歩くなどとんでもないことです」


 驚いて振り向くと、射抜くような深緑の目に見下ろされた。


「セインでは何もないと思うけれど。それに、ここは軍の敷地のすぐそばでしょう?」

「カレンさまは複数の人から狙われているのです。ひとりで外出など論外です。本当ならもっと護衛が必要なくらいです」

「そんな……ちょっとした買い物にぞろぞろと行くのは印象が……」

「印象の問題ではありません」


 即座に否定されては返す言葉もない。



***



「着きました。ここです」


 フィオナが引いてくれた戸をくぐり抜けて店の中に入った。雑貨店とは聞いていたが、広い店内をぐるっと見渡すと、ほとんどの品物がガラスケースの中にきちんと並べられている。どちらかというと、一点ものを扱う高級店のような気がする。


 入り口の近くで品物を見ながら待っていると、店の人と話していたフィオナが振り向いた。


「こちらだそうです」


 示されたほうにすたすたと近づくと、店員が何冊かの小さな本を後ろの棚から取り出して、手前にあるガラス製の陳列棚の上に並べているところだった。


 胸が高鳴る。


「触ってもいいですか?」

「はい、どうぞ」


 最初に目を引いた一冊を取り上げる。表紙は少し硬めの布張りで繊細な木の模様がうっすらと描かれている。あそこの扉のようだ。

 開くと中はかすかに青みがかった少しつるつるした紙。開き加減も柔らかく良好で大きさも手頃。これなら小さくて常に持ち歩けそう。




「使い方を教えてもらえますか?」

「こちらは、メデュラムを鍵として使います。作用者であればご自分の作用を登録するだけで隠避(いんぴ)することが可能です」


 登録手順を教えてもらう。あの日記帳のような特別の機能はないが、わたしの用途にはこれで十分だ。

 使い方がわかったところで、ほかの品を順に手に取って確認するが、初めに手に取った品に勝る感動は得られない。結局、木の模様の描かれたものを選ぶ。


 顔を上げると、店員がいろいろなペンをガラスケースの上に並べるのが見え、慌てて聞く。


「セットになったのはありますか? 持ち歩ける小さいのがいいのですが」

「それでしたらこちらになります」


 そう言って取り出してきたのは、くるくるっと巻いた薄い布に包まれ中央を(ひも)で結んだものだった。

 太さの異なる二つの束から紐をするするっとほどくと、ぱらりと広がった布の上に短い色とりどりのペンが整然と並んだ。

 十二本のセットと二十四本のセット。その細身のペンの繊細さに引きつけられた。


「こちらをどうぞ」


 そう言いながら、別の一本を差し出され、試し書きする。


「ああ、これです。想像していたとおりのものです。こちらにします」


 さっと見てから数の少ないほうを指差した。


「かしこまりました」




 フィオナが黒い布の上に広げられた色ペンをじっと見つめているのを確認して声をかける。


「これ、きれいでしょう。持ち歩くのにぴったり。フィオナもいかが?」

「すばらしいですね。でも、こんな高価なものを使う機会はないですから」

「フィオナは絵が上手ですよね」

()くのは大好きです」


 ガラスケースの上のペンをせっせと戻している店員に声をかける。


「すみません。こちらの多いほうのセットもお願いします。それと、あちらの画帳を二冊」

「カレンさま、わたしは……」

「絵を()くなら色数が多いほうがいいのでしょ。これは、いつもお世話になっているお礼です」

「でも、わたしのほうが……」

「いいから、受け取ってちょうだい。その代わりに、わたしに絵の()き方を教えてください。ほら、わたし、ペンに触るのも今日が初めてだから。それに、フィオナの描く絵をもっと見てみたい」


 見て触った瞬間にこれだと思ったけれど、それ以上は何も感じなかった。色ペンを使用したことがあったとしても、その記憶も使い方も永遠に戻ってこない。

 このようなときは一から学習するしかないことが短い経験上わかっている。

 黙ってフィオナの返事を待つ。


「はい」


 そう答えたフィオナの声は少し震えていた。




「それで、もう一つのほうは?」


 顔を上げて店内を見回す。

 フィオナはハッとしたように顔を起こした。


「あちらだそうです」


 示された一角に移動すると、陳列棚の端に遠視装置が並んでいるのが見えた。この店には何でもあるようだ。その向こうに並んでいる単眼鏡を見ながら言う。


「こちらの小さいのを見せてもらえますか?」

「少々お待ちください」


 店員は後ろから布張りのトレーを取り出すとその上に棚から取り出した単眼鏡を置いた。

 かがんで目を凝らす。見た感じはクリスやディードの持っているものと似ているが造りがやや質素に見える。


「試してもいいですか?」

「もちろんです」


 振り返って少し離れたところで店内を歩き回っているエメラインを手招きした。


「この単眼鏡をどう思いますか?」


 エメラインがトレーに置かれた品に目を凝らした。その目がキラキラしている。


「手に取って確認してちょうだい」


 エメラインは単眼鏡を持ち上げると慣れた手つきで細部を確認し、それから目に当ててぐるりと店内を確認する。そのあと、入り口のガラス戸のほうに向けてしばらく調整したあと、トレーの上に戻した。


「問題ありません」


 そう言いながらも、トレーを少しずらしてガラスケース内のほかの品に目を向け始めた。




 どうやら、特に良い品というわけではなかったようだ。


「別のがいいかしら?」


 エメラインが奥のほうにある角張った単眼鏡をじっと見ているのに気がついた。ちょっと他とは形が違ってごついように思うけれど、実はあれのほうがいい品なのかもしれない。

 何にせよ、わたしは知識がないから自分では決められない。


「そちらの奥にあるのを見せてください」


 そう店員に向かって言うと、エメラインが体をピクッと震わせた。


 店員から渡された品を手に取り調べる様子は真剣そのものだ。目に当ててしばらく見ていたエメラインは長いため息を漏らすと品物をトレーに戻した。


「お客様はお目が高いです。こちらの品は特注品の一点ものでして」

「特注ですか?」




 エメラインがささやくように言う。


「力を注ぐと性能が上がるんです。わたしも触るのは初めてです」


 作用者用の遠視装置? もちろん初めて知った。どの力だろう? ものに作用させるなら生成か破壊のどちらかしかない。


「あなたには使える?」

「えっ? 適性はありますけど、なぜですか? こちらの品はカレンさまにぴったりです」

「あなたになのですけど」


 こちらに向けた顔をさっと横に動かすと言った。


「どうしてですか? 理由が思い当たりません」

「フィオナにもひとつ買ったので、あなたにもと思って。これ、だめですか?」

「いや、そうではなく、なぜ、何もしていないわたしにそれを買うのかという意味です」

「あいにくわたしには使えませんし、適性のある人に使ってほしいです」

「しかし、これは……表示がありませんが、きっとものすごい額ですよ」




「エメラインはわたしに命をくれました」

「えっ? いいえ。あれはわたしの仕事なので」

「代償を払うのは仕事ではないでしょう。それでは……これは賄賂です」

「賄賂……ですか。それでも理由になりません」


 かわいらしい顔がさらに(こわ)ばるのが見える。これでは、まるで(いじ)めているようじゃない。

 ちらっと店員に目をやると、完璧なまでに無関心を装っている。さすがにこの手のことに慣れているようだ。

 目を戻す。


「あなたはわたしを助けてくれました。それに、シャーリンとわたしの衛事です。それだけで理由には十分です。この品物は明らかに仕事用だし、あなたの任務に役立つといいなと思います」

「しかし……」

「これ、使い物になりませんか?」

「まさか。これほどのものを持っている人はほとんどいないでしょう」

「それでは、決まりね」


 一歩下がってじっと待っていた店員に顔を向ける。


「こちらもお願いします」


 ひとりで来なくてよかった。変なものを買うところだった。やはり、実際に使う人を連れてこないとだめよね。そっと記憶に刻み込む。




 いつの間にか、店員がかっぷくのいい男性に交代していた。


「当店の支配人のマックスです。他にご入り用のものはございますか?」

「いいえ、これで全部です。いかほどですか?」


 マックスは店員からメモ板を受け取ると、くるっと回してこちらに向けた。けっこうな額だ。やはり、あの特注品はすぐれものらしい。

 フィオナが耳元でささやいた。


「値切ってください」


 ぱっとフィオナのほうを見る。そうか、値下げ交渉をしないといけないのか。面倒なのね。


「お安くしていただけますか?」


 笑顔を取り繕って尋ねる。


「どれも、あまり需要のないものですし……」


 ちょっと白々しいと思いながらも、やや首を(かし)げて待つ。

 しばらくこちら側の三人を順繰りに見たあと、店の主人は店員から小さな書機を受け取った。わずかにためらったあと、何やら操作してこちらに向けた。


「こちらでいかがでしょう。思い切って勉強させていただきました」


 こちらが誰だかわかっているのかしら? さっき店員の前でべらべらとよけいなことをしゃべってしまったから、素性がばれたかもしれない。

 数字を見たあと、顔を上げてにっこりする。支払い用の符証(ふしょう)を取り出した。




 フィオナに心配そうな声をかけられた。


「こんなにいろいろと高い買い物をしてよろしいのですか?」


 フィオナの顔を見つめる。


「ええ。これで、全員、必要なものを手に入れました。わたしの初めての買い物です。ほら、国都で外出の機会を奪われたので」

「初めてなのですか?」


 エメラインが驚きの声を上げ、マックスがピクッとしたのが見えた。

 後悔しているかな? いや、原価はもっとずっと安いはずだ。大きくまけたように見えるけれど、実際には利益を十分見込んでいるのは確か。


「わたしの短い記憶の中では初体験です。それに、これはロイスに来た時に所持していたわたしの符証ですからご心配にはおよびません」

「お届け先はどちらになりますでしょうか?」


 そうマックスに問われ硬直する。ペトラの家の所在地を説明できない。その場で商品を渡してくれるのだと思い込んでいた自分が、本当に子どもの初めてのお使いのように思えた。


 まあ、確かに、わたしは子どもと同じくらいの日常知識しか持ち合わせていない。


 フィオナがいつの間にか手にしていた札のようなものをぱっと差し出し、代わりに控えを受け取るのを見て体の力を抜く。なるほど。


 マックスが札をちらっと見てほっとしたように息を吐くのが見えた。

 こちらに向けたマックスの目つきがいきなり変わったように見え、少し体を引く。


「今後ともごひいきのほどよろしくお願い申し上げます」

「はい。また今度、いろいろ拝見させていただきます」


 マックスの店はいろいろ掘り出し物がありそうだ。とても気に入ったわ。フィオナの目はとても確か。


 マックスと相手をしてくれたふたりの店員に入り口で見送られて店を出る。いつの間にかちらちらと雪が舞っていた。十の月も半ばらしい気候だ。


「急いで帰りましょう」


 空を見上げたエメラインに続いて歩き出す。


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