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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第5章

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152 変化する関係

 人の話し声がする。大勢いるようだ。ここはどこだろう?

 カレンはゆっくりと息を吐き出す。すぐに記憶が戻ってきた。トランサーの出所(しゅっしょ)を見つけて、それから、えーと、ペトラの力を借りて……。


 そうだ、彼女に大きな負担をかけてしまった。


 記憶の最後はあの声だった。レンと呼ばれて助けを請われた。断ち切るようにと求められたけど、出所(しゅっしょ)の破壊は助けになったのだろうか?


 周囲から聞こえる声に耳を澄ます。

 どうしよう? また、ザナに怒られるだろうな。それに、シャーリンとペトラにも。

 思わずため息が漏れた。

 エメラインにもたっぷり(しか)られそう。


 すぐにクリスの声が聞こえた。


「カレン?」


 しまった。クリスはすぐそばにいたらしい。

 おそるおそる目を開くと、格子模様の白い天井が目に入った。これは見覚えがある。ペトラの家の寝室だ。


 視線を下げるとペトラの顔があった。その大きな紫色の目はまさに怒っている時の表情そのものだが、唇は固く結ばれていて、言いたいことを必死に我慢しているのがわかる。


「ごめんなさい」


 開口一番、とりあえず謝る。




 一瞬の間を置いて発したペトラの声は少し震えていた。


「どうして謝るの?」


 ちょっとの間、こちらを(にら)んでいたが、急に両手が伸びてきて抱きつかれた。


「カルのばか。もう戻ってこないと思ったじゃない……ほんとに、もう……」


 びっくりして、目の前に突っ伏してしゃくり上げているペトラの頭を見つめる。あれから、どれくらいの時間がたったの?

 ペトラの頭を引き寄せ、肩を震わせてしゃくり上げている体に手を回して抱きしめる。左腕に違和感があると思ったら点滴のあとが残っていた。


「そんなに寝たままだった?」


 ペトラが何やら聞き取れない反論をしているので、クリスのほうに顔を向ける。


「あれから六日です」

「えっ?」


 思わず声が出てしまった。

 どうしてそれほど長い時間、こん睡していたのかわからず、意味もなく部屋の中を見回す。

 ペトラの後ろにいるシャーリンのぐるぐる巻きで膨らんだ手首に気がつき目が離せなくなる。


「シャーリン、ごめんなさい。無理をさせてしまって。その手は(ひど)い状態? 本当にごめんなさい、あの時はどうしようもなくて……」

「これは、しばらくすればまた元どおりになるってさ」


 そっと息を吐き出す。


「よかった」




「でもね、カレン。今度やるときは右にしてもらえるかな。左手の記憶はもう十分」

「わかった。次は右手にする」


 こくりとうなずく。


「いや、そこは、わかった、じゃなくて、もうしません、だろうに」


 頭を縮める。申し訳ないです。

 いつの間にか起き上がっていたペトラがちらっとシャーリンの手を見た。


「この手の傷は医術だと、あまり効果がないんだよね。作用が原因だとだめなのかな……」


 つまり、医師による手当てだけということ?


「わたしの巾着はあります?」


 メイが引き出しから取り出してくれた袋を開いて、マーシャにもらった薬を探す。ひとつ取り出してシャーリンに差し出す。


「ん? なに?」

「マーシャの特効薬。今度使ってみて」

「これを使う機会はないほうがいい」


 シャーリンはそうつぶやいたものの、すぐにこちらを見た。


「もっと早くほしかったな」

「ごめんなさい」




「あの……それで、トランサーはどうなりました?」


 クリスが教えてくれた。


「カレンのおかげで出所の破壊に成功したと思われます。しばらく変化はなかったのですが、トランサーの動きが低下しています」

「低下? 消滅じゃなくて?」

「いえ、そのままです。ただ、以前ほどは壁に群がってきません。だんだん活動が低下しているようにも見えるとか。空艇が壁の向こうに行き総出で調査しているので、すぐに何かわかると思います」

「そうですか」


 目的は達成されたの? わたし、ちゃんとできた?


「やっとロイスに移動する日取りを決められそうです」

「ザナは?」

「まだ、基地に残っています」

「お礼を言いたかったのだけど、基地にいるのでは無理ね……」


 クリスの後ろにいたエメラインが言った。


「カレンさまのお目覚めの件は、わたしから報告しておきます」


 報告? ザナの部下みたいな言いようだわ。エメラインの一見穏やかな顔を見上げる。


「あ、エム……」


 そう言いかけたが、クリスの言葉のほうが大きかった。


「ああ、頼む。シャーリンがアレックスとザナをロイスに招待したんだけど、アレックスは四軍司令官の立場上難しそうです。ザナはやっと取れた休暇を使ってロイスに来ると言っていました」


 クリスはことのほか上機嫌だった。


「それはうれしいです」




 メイが何やら言いたそうにしていたので、まずは謝る。


「メイ、本当にごめんなさい。もう、あんなことはしませんから」

「えっ? ああ、あのことは全然気にしていませんから。ほら、シャーリンと違ってわたしの手はもう完全に治りましたから」


 メイが手首を出してくるくる回してみせた。


「ありがとう」

「……わたし、カレンのことをお母さんと呼んではだめですよね?」


 思いもよらない発言に全員がメイを見つめた。


「はい?」

「ああ、すみません。やっぱりおかしいですよね。カレンはわたしのおばさまなのだし、それに、シャーリンと同い年だから。でも、カレンはお母さんとそっくりなので、つい、口走ってしまいそうで。いつかポロッと出てしまうと思います。それでも怒らないでくださいね」


 なぜかペトラが何度もうなずくと言い切った。


「お母さんと呼んでもいいと思うよ。ほら、メイのお母さんと双子なんだからまったく問題ないです」

「どうして、ペトラが許可するの? そんなへ理屈は通りません」


 部屋の奥から声が聞こえた。


「失礼します。シャーリン国子(こくし)、空艇の用意ができました」

「えっ? 出かけるの?」

「カレンが目覚めたから、わたしたちは国都に行くんだよ。当主就任の件とかもあるし。でも、その前に、引き継ぎをしないといけない」

「ああ、なるほど。やっと戻れるのね。あ、でも、ペトラがいるからいいんじゃないの?」

「それが、なぜかペトラも同行することになってね。ああ、カレンが目覚めたことはアレックスに話しておくよ。きっと喜ぶと思う。それじゃ、行ってくる」

「ありがとう。いってらっしゃい」


 何だかシャーリンも楽しそう。

 クリスがシャーリンを追いかけるように動き出した。

 エメラインの顔を見上げる。


「エムに……」


 クリスの声が割り込んできた。


「エム、行くぞ」


 エメラインが何か言いたそうにこちらをちらっと見たが、一言も発することなくクリスに続いて部屋を出ていった。

 お礼の言葉をかける暇もなかった。間が悪いとはこのことだわ。



***



「どうしてペトラが一緒に行くの?」

「カレンとシャーリンだけじゃ心配だから。それに、カレンはわたしの相事(そうじ)なんだからわたしも一緒に行動しないと」


 いや、それ、立場が逆でしょ。


「それで、どなたが残るんですか?」

「カティアが引き継いでくれることになってる。それに、ミンからサラとランセルがそのうち戻ってくると思うし」

「えっ? カティアはこちらに来ているの?」

「うん、北の壁は今となってはあまり重要じゃなくなったので、ウルブ7に来てこちらの海を押し返す作戦の指揮を執ることになって」




「ねえ、わたしもカレンのことをお母さんと呼んでいい?」

「何を考えているの?」

「わたしの母はもうこの世にいない。それに、カレンはわたしの後見人。となれば、カレンは母親。三段論法よ」

「その理屈、ちょっと違うと思うけど? それに、どうして、わたしがあなたの後見人になるわけ?」


 ペトラは右手の空色の指輪を指差した。


「これがどうかしたの?」

「その色はイリスを表すもので、その符環は銀で縁取りされてます。そちらはイリスの者の後見人たる(あか)しともなるのです」


 後ろからディードが説明した。


「ええっ? どういうことですか? アリシアさんはそんなこと一言も……」

「まあ、何か言うと拒絶されると思われたのでしょう」

「でも、アリシアさんにはアッセンで初めてお会いしたので、わたしのことは何も知らないはずで……」

「カルは国主とふたりで話をしたでしょ? その時に頼まれたと言ってたじゃない?」

「えっ? それは別にそういう話ではなかったわ」

「きっと、そのあと国主はアリーと何か話をしたんだと思うな」

「とにかく、カレンはペトラの後見人に指名されてしまったのです」


 ディードが締めくくった。


「これでわかった? お母さま」


 この言い方、どう考えても、不吉しか感じないけれど。


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