152 変化する関係
人の話し声がする。大勢いるようだ。ここはどこだろう?
カレンはゆっくりと息を吐き出す。すぐに記憶が戻ってきた。トランサーの出所を見つけて、それから、えーと、ペトラの力を借りて……。
そうだ、彼女に大きな負担をかけてしまった。
記憶の最後はあの声だった。レンと呼ばれて助けを請われた。断ち切るようにと求められたけど、出所の破壊は助けになったのだろうか?
周囲から聞こえる声に耳を澄ます。
どうしよう? また、ザナに怒られるだろうな。それに、シャーリンとペトラにも。
思わずため息が漏れた。
エメラインにもたっぷり叱られそう。
すぐにクリスの声が聞こえた。
「カレン?」
しまった。クリスはすぐそばにいたらしい。
おそるおそる目を開くと、格子模様の白い天井が目に入った。これは見覚えがある。ペトラの家の寝室だ。
視線を下げるとペトラの顔があった。その大きな紫色の目はまさに怒っている時の表情そのものだが、唇は固く結ばれていて、言いたいことを必死に我慢しているのがわかる。
「ごめんなさい」
開口一番、とりあえず謝る。
一瞬の間を置いて発したペトラの声は少し震えていた。
「どうして謝るの?」
ちょっとの間、こちらを睨んでいたが、急に両手が伸びてきて抱きつかれた。
「カルのばか。もう戻ってこないと思ったじゃない……ほんとに、もう……」
びっくりして、目の前に突っ伏してしゃくり上げているペトラの頭を見つめる。あれから、どれくらいの時間がたったの?
ペトラの頭を引き寄せ、肩を震わせてしゃくり上げている体に手を回して抱きしめる。左腕に違和感があると思ったら点滴のあとが残っていた。
「そんなに寝たままだった?」
ペトラが何やら聞き取れない反論をしているので、クリスのほうに顔を向ける。
「あれから六日です」
「えっ?」
思わず声が出てしまった。
どうしてそれほど長い時間、こん睡していたのかわからず、意味もなく部屋の中を見回す。
ペトラの後ろにいるシャーリンのぐるぐる巻きで膨らんだ手首に気がつき目が離せなくなる。
「シャーリン、ごめんなさい。無理をさせてしまって。その手は酷い状態? 本当にごめんなさい、あの時はどうしようもなくて……」
「これは、しばらくすればまた元どおりになるってさ」
そっと息を吐き出す。
「よかった」
「でもね、カレン。今度やるときは右にしてもらえるかな。左手の記憶はもう十分」
「わかった。次は右手にする」
こくりとうなずく。
「いや、そこは、わかった、じゃなくて、もうしません、だろうに」
頭を縮める。申し訳ないです。
いつの間にか起き上がっていたペトラがちらっとシャーリンの手を見た。
「この手の傷は医術だと、あまり効果がないんだよね。作用が原因だとだめなのかな……」
つまり、医師による手当てだけということ?
「わたしの巾着はあります?」
メイが引き出しから取り出してくれた袋を開いて、マーシャにもらった薬を探す。ひとつ取り出してシャーリンに差し出す。
「ん? なに?」
「マーシャの特効薬。今度使ってみて」
「これを使う機会はないほうがいい」
シャーリンはそうつぶやいたものの、すぐにこちらを見た。
「もっと早くほしかったな」
「ごめんなさい」
「あの……それで、トランサーはどうなりました?」
クリスが教えてくれた。
「カレンのおかげで出所の破壊に成功したと思われます。しばらく変化はなかったのですが、トランサーの動きが低下しています」
「低下? 消滅じゃなくて?」
「いえ、そのままです。ただ、以前ほどは壁に群がってきません。だんだん活動が低下しているようにも見えるとか。空艇が壁の向こうに行き総出で調査しているので、すぐに何かわかると思います」
「そうですか」
目的は達成されたの? わたし、ちゃんとできた?
「やっとロイスに移動する日取りを決められそうです」
「ザナは?」
「まだ、基地に残っています」
「お礼を言いたかったのだけど、基地にいるのでは無理ね……」
クリスの後ろにいたエメラインが言った。
「カレンさまのお目覚めの件は、わたしから報告しておきます」
報告? ザナの部下みたいな言いようだわ。エメラインの一見穏やかな顔を見上げる。
「あ、エム……」
そう言いかけたが、クリスの言葉のほうが大きかった。
「ああ、頼む。シャーリンがアレックスとザナをロイスに招待したんだけど、アレックスは四軍司令官の立場上難しそうです。ザナはやっと取れた休暇を使ってロイスに来ると言っていました」
クリスはことのほか上機嫌だった。
「それはうれしいです」
メイが何やら言いたそうにしていたので、まずは謝る。
「メイ、本当にごめんなさい。もう、あんなことはしませんから」
「えっ? ああ、あのことは全然気にしていませんから。ほら、シャーリンと違ってわたしの手はもう完全に治りましたから」
メイが手首を出してくるくる回してみせた。
「ありがとう」
「……わたし、カレンのことをお母さんと呼んではだめですよね?」
思いもよらない発言に全員がメイを見つめた。
「はい?」
「ああ、すみません。やっぱりおかしいですよね。カレンはわたしのおばさまなのだし、それに、シャーリンと同い年だから。でも、カレンはお母さんとそっくりなので、つい、口走ってしまいそうで。いつかポロッと出てしまうと思います。それでも怒らないでくださいね」
なぜかペトラが何度もうなずくと言い切った。
「お母さんと呼んでもいいと思うよ。ほら、メイのお母さんと双子なんだからまったく問題ないです」
「どうして、ペトラが許可するの? そんなへ理屈は通りません」
部屋の奥から声が聞こえた。
「失礼します。シャーリン国子、空艇の用意ができました」
「えっ? 出かけるの?」
「カレンが目覚めたから、わたしたちは国都に行くんだよ。当主就任の件とかもあるし。でも、その前に、引き継ぎをしないといけない」
「ああ、なるほど。やっと戻れるのね。あ、でも、ペトラがいるからいいんじゃないの?」
「それが、なぜかペトラも同行することになってね。ああ、カレンが目覚めたことはアレックスに話しておくよ。きっと喜ぶと思う。それじゃ、行ってくる」
「ありがとう。いってらっしゃい」
何だかシャーリンも楽しそう。
クリスがシャーリンを追いかけるように動き出した。
エメラインの顔を見上げる。
「エムに……」
クリスの声が割り込んできた。
「エム、行くぞ」
エメラインが何か言いたそうにこちらをちらっと見たが、一言も発することなくクリスに続いて部屋を出ていった。
お礼の言葉をかける暇もなかった。間が悪いとはこのことだわ。
***
「どうしてペトラが一緒に行くの?」
「カレンとシャーリンだけじゃ心配だから。それに、カレンはわたしの相事なんだからわたしも一緒に行動しないと」
いや、それ、立場が逆でしょ。
「それで、どなたが残るんですか?」
「カティアが引き継いでくれることになってる。それに、ミンからサラとランセルがそのうち戻ってくると思うし」
「えっ? カティアはこちらに来ているの?」
「うん、北の壁は今となってはあまり重要じゃなくなったので、ウルブ7に来てこちらの海を押し返す作戦の指揮を執ることになって」
「ねえ、わたしもカレンのことをお母さんと呼んでいい?」
「何を考えているの?」
「わたしの母はもうこの世にいない。それに、カレンはわたしの後見人。となれば、カレンは母親。三段論法よ」
「その理屈、ちょっと違うと思うけど? それに、どうして、わたしがあなたの後見人になるわけ?」
ペトラは右手の空色の指輪を指差した。
「これがどうかしたの?」
「その色はイリスを表すもので、その符環は銀で縁取りされてます。そちらはイリスの者の後見人たる証しともなるのです」
後ろからディードが説明した。
「ええっ? どういうことですか? アリシアさんはそんなこと一言も……」
「まあ、何か言うと拒絶されると思われたのでしょう」
「でも、アリシアさんにはアッセンで初めてお会いしたので、わたしのことは何も知らないはずで……」
「カルは国主とふたりで話をしたでしょ? その時に頼まれたと言ってたじゃない?」
「えっ? それは別にそういう話ではなかったわ」
「きっと、そのあと国主はアリーと何か話をしたんだと思うな」
「とにかく、カレンはペトラの後見人に指名されてしまったのです」
ディードが締めくくった。
「これでわかった? お母さま」
この言い方、どう考えても、不吉しか感じないけれど。




