141 ケタリ
左手を足にそっとあてがい医術を施すペトラを眺めながら、ザナは昔のことを考えていた。難しい顔をしながら作業する様子に、知らず知らずのうちに笑みが浮かんでくる。
ペトラが手を離してこちらを見上げた。
すぐに笑顔を引っ込め、まじめな顔を作る。
「ザナ、いま何を考えてたの? 笑っていたでしょ」
「そーお? ちょっと、子どもの頃のことを思い出してね」
「ザナの子ども時代? 何か想像できないなあ」
そう言いながら頭を戻すとテーブルの上から診断器を持ち上げ準備を始めた。
「小さい頃にね、喧嘩をして傷を作って帰ってきたことがあってね。その時、今のペトラと同じように一所懸命治してくれたの。ペトラが同じようにしてくれるのが懐かしくて」
「ふーん、そうなんだ」
誰が、とは聞かれなかった。
代わりに近況を教えてくれる。
「ロメルの人たち、ああ、つまりメイのとこの厳つい人たちね。彼らが昨日の夜にここに来たんだよ。今も厨房でせっせと働いてる。あとで、ごちそうを持ってくるね。それに、壊された玄関もあっという間に直してくれた。みんな手際がいいの」
「そいつはすごい。そんな便利な人たちをこっちに置いていくとは……何というか、それだけ、メイは信頼されているってことだね」
「うん、驚いた」
ペトラは診断器をかたづけながら言う。
「順調です。特に問題はないようです。ほっとしました。痛みはどうですか?」
少し動かしてみる。
「昨日ほどじゃない。すごいね、ペトラは」
「えへへ。よかった。さっき、アレックスと話をして、明日迎えの空艇を送ってもらえるようにお願いしておきました」
「ありがとう、ペトラ」
「どういたしまして。わたし、図書室にいますので何かあったらそこの呼び鈴で呼んでください」
「図書室?」
「そうなんです。見たことがない古い本がいろいろあって、作用力のこととか、あと、技術書がたくさん、それに医術の本も何冊もあって、ここで暮らしたいくらい」
「へーえ」
エレインの図書室か。
***
ぼんやり考え事をしていると、ガラスに人影が映るのが見えた。扉を引いて入ってきたのはカレンだった。
その姿を見てハッとする。目の前の服に見覚えがあった。
じっと見ていると、カレンが言った。
「これ、いいでしょう? どうですか?」
体をくるっと回すと薄手の服の裾が翻り、空中に薄い緑と橙の軌跡が描かれた。
こちらを探るようにじっと見つめる目に心が揺さぶられる。
カレンにしては見え透いている。どうやらここで、いろいろと発見があったらしい。記憶に進展があったのだといいけれど。
素直に感想を述べる。
「すてきな服」
「ええ、これを着れば、昔のことを思い出すかと思ったのですけれど、残念ながらそれはありませんでした」
あまりにもあっさりとした答えが返ってきた。
がっかりしたのが顔に出ないように努力する。
やはり、だめだったのか。賭けは失敗だった。とても残念でならない。母の予想どおりだった。
また、初めから築き上げるのは少し悲しい。その時間も足りない。
「あのー、お聞きしたいことがあります」
こちらをまっすぐに見る。少しだけ期待が高まる。
「以前にこのあたりに住んでいたこと、ありますか?」
えっ? そっちのほう?
「たとえば、ウルブ6の街中とか?」
「そうね。子どもの頃にしばらく下に住んでいました」
「そうですか……」
「それが、どうかしたの?」
「シャーリンの母親は誰ですか?」
「突然、何を言いだすの?」
「つまり、あの娘の母親のことです」
「……答えられません」
「つまり、知っていたのですね?」
「あのね、カレン。前にも言ったと思うけど……」
「はい、わかっています。でも、いいんです。答えはわかりましたから……」
しばらく黙り込む。他に何を発見したのかしら?
「わたしは……力覚者なのですか?」
「ええ、そうよ」
ハルマンだけでなくイリマーンにも知られてしまった。
「もし、わたしが力覚者なら……」
「そう。力覚者は子どもを力覚できる」
「どうやれば……力覚するんですか」
「親とつながれば自然と道が開かれるの」
「わたしは親ではないですけれど、双子なら同じように……」
首を横に振る。
「わたしもそう思っていた。カレンはシャーリンやメイとつながって力を使ったでしょ。でも、ふたりとも力覚したようには見えない」
「どうしてですか?」
「わたしにはわからない。双子だとしても違いはあるのかもしれない。あるいは時間とともに何かを失ったのかもしれない」
カレンは思案顔のままゆっくりとうなずいた。
「ケタリって何のことですか? ケタリシャのことですか?」
誰に聞いたのかしら。
「カイル?」
カレンは首を横に振った。
「イオナです。ケタリなのかどうか見にきたと言われました」
「そう……」
彼女はカレンに対して何もしなかった。
もともと、イリマーンが確保するのを手伝うとは思えない。彼女もまた確保しようとしているのか。それとも、ひとつもちのケタリに疑問を持っているのかしら?
「教えてください」
「ケタリシャというのは、普通は特に強い作用力を持つ人たちのことを指す。権威ある者もそうね。中でも強い感知者は特別なの。感索者とも言われる。相手の精華を見極められる」
「精華? つまり相手の力の度合い……」
「それに、承氏と継氏もわかる」
「でも、それは両親の……」
「とは限らない。実子でない場合は権威ある者の見立てが必要よ」
「それではケタリというのは……」
「ケタリはケタリシャのことではないの。どうやらちまたでは同じだと思われている節があるけど」
カレンが理解できないというように首を傾げた。
「西の国でケタリと言えば、同調者のことよ」
「同調者?」
「ええ、同調者はほかの人の作用力に介入できる」
「えっ?」
「カレン、あなたはひとつもちに見られているようだけど、実際は、ほかの作用を制御できるでしょ。たとえば、ペトラに二つ目の作用を誘導できた。ほかの防御者に力を注げた」
「ちょっと待ってください、ザナ。それ、どういうことですか?」
「別の作用者と連携できるということ」
こちらをじっと見るカレンは、しばらくたってぽつりと言った。
「ケイトもケタリだったのですか?」
「ええ」
「あの、これ、見てもらえますか?」
突然、カレンは小さな筆記帳をこちらに差し出した。
「それは?」
「ここで見つけました。たぶん、エレインの……記録です」
「見てもいいのですか?」
カレンはうなずいた。
「これには、エレインたちが考えたトランサーに対抗する方法が書かれています。でも、わたしは、エレインの考えを台なしにしてしまいました」
カレンは口をぎゅっと結んだが、すぐに話を再開した。その声にはわずかに震えが混じっていた。
「わたしたち四人が……」
カレンを見上げ手を振って制する。
「ちょっと待って。まず、この中身を読ませて。話はそれからにしましょう。どこに書いてあるの?」
「そうでした、すみません」
カレンは帳面をパラパラとめくって広げるとこちらに差し出した。
「ここです」
「それじゃあ、突っ立っていないでそこに座ってちょうだい。目の前で見下ろされていると気になって読めない」
カレンはおとなしく壁際の机の前に座り、備品棚を調べ始めた。
手の中の資料に意識を集中する。




