140 諦めきれない
カレンは、居間のソファに膝を折って後ろ向きに座ると背もたれに腕をのせて、しばらく荒れ果てた部屋を眺めた。
ようやく部屋の中に入る決心がつくと、足を下ろし立ち上がる。部屋の中に進みベッドの縁にまた腰を降ろした。かつて戸棚のあった場所や床に散らばる焦げた塊をしばらく見つめる。
どう見ても、この中にまともな物が残っているはずもなかった。涙が頬を伝うのが感じられる。繰り返しため息が漏れる。
こうやってじっと眺めているだけでは何も進展しない。しかたなく腰を上げると、床に散乱したものを一つひとつ調べ始めた。もちろん成果はない。
突然、後ろから声が聞こえた。
「これは酷い。何があったんですか?」
振り向いてクリスを見上げる。
「カレン?」
その声がかなり動揺している。
急いで涙をふく。心配そうな顔を見て答える。
「もう大丈夫です」
それにしても、もう出てきたんだ。追い出されたのかしら? また、ため息が出た。
「カイルという人がここを破壊して、その結果がこのありさまです」
クリスは部屋を見回したあと、こちらを向いて顔をしかめた。
「あいつのことか。やつは破壊作用を室内で使ったのですか?」
カレンはうなずくと立ち上がる。
「かたづけたほうがいいですね? この残骸は捨てますか?」
カレンはちょっとの間床を眺めたが、顔を上げると首を縦に動かした。
「それでは、道具を持ってきます。掃除もしたほうがいいですね」
そう言ったあと、クリスはまたもや顔をしかめて目をそらした。
「その前に、服を着たほうがいいですよ」
自分の体を見下ろし、上は肌衣だけだったのを思い出した。目を上げると、クリスはちゃんと上服を着込んでいた。
どこで代わりを見つけたのだろう? ああ、きっとメイが探してくれたに違いない、エレインの部屋で。
「すみません、忘れていました。少し涼しいとは思っていたんです……」
とんちんかんな答えになってしまった。
笑い声を残してクリスが出ていくのを見届けると、脇を向いて壁に並んだ戸棚を眺める。
立ち上がって近づき、いくつか開け閉めしたあと、服が並べられている棚を発見する。何着かを出し入れして普段使いの上服を見つけるとすばやく着込んだ。
扉を閉めようとしたところで、下のほうに見えた一着の外服が目にとまる。
引っ張り出したとたんに目が釘付けになった。日記に描かれていた服だわ。
手に取りベッドの上に広げたあと目を閉じて、あのページを目の前に蘇らせる。
お祭りのことが書かれていた脇に描かれていた。サキュストとかいう行事にこれを着ていったのだろうか。
もう一度そっと畳んで引き出しの上に置く。
クリスが戻ってきたので、一緒にかたづけを始める。
何度か往復してがらくたを外に運び出し、床を掃除してきれいに拭き取ると、いくつかの変色したあとを除いて、破壊のあとは払拭されたように感じた。
クリスが満足そうに何度もうなずいて部屋を出ていくと、カレンは新しい毛布を戸棚から出してベッドに広げ、その上に横になる。
すぐに眠ってしまう。
***
話し声に目が覚める。居間のほうからだ。
そのままじっとしていると、アレックスの声が聞こえてきた。
「シャーリン、ちょっといいですか?」
「あ、はい、何でしょうか?」
シャーリンの声が上ずっている。
「船の修理が終わったので、こちらに向かっています」
「よかったです。こんなことに巻き込んでしまって、大変申し訳ありませんでした。それに、ザナが大怪我してしまったことも、トランサーとの戦いの最中なのに、大変なことになってしまいました」
「ああ、それは大丈夫です。ナタリアがいますから。あなた方に責任はありませんから。これは、ザナが最重要だと考えた任務なので。それに、一連の事件と密接に関わっているはずで、今回の衝突はある意味、当然の成り行きだったと言えます」
「そう言っていただけるだけでとてもありがたいです」
誰かの足音が聞こえた。アレックスがまた話を始める。
「それで、ザナのことだが、ペトラが言うには少なくともあと一日は動かさないほうがいいそうだ」
「ええ、そう聞きました」
「わたしはすぐに戻らないとならない。明日はまた例の会議の続きがあるので」
「そうでした。こちらも誰か戻らないといけませんね。……それでは、ペトラにはザナを診てもらう必要があるから、わたしが……とクリスが帰ることにします。一緒に乗せてもらえますか?」
「もちろんです。では準備をお願いします。残りの人たちは、ザナを動かせるようになったら、迎えをよこしますので」
「はい、よろしくお願いします」
「ペトラ、ご面倒をおかけしますが、ザナを頼みます」
「はい、アレックス。ご安心ください。大丈夫です。毎日、様子を知らせますから」
カレンは体を起こすと居間に向かったが、顔を出した時には、アレックスはもういなかった。
シャーリンがクリスに話している。
「戻ったら、エムにきちんと説明してよ、クリス。きっとまた小言を言われる」
クリスがため息をついた。
「しょうがないですね。代わりに怒られるとしますか」
「それにしても、メイの船がつけられたのかな」
「それしか考えられないですね。向こうが現れたタイミングがよすぎます」
「シャル、少し話したいことがあるのだけれど」
声をかけると、シャーリンは慌てたように腰を浮かせた。
「ああ、カレン。えーと、これから、アレックスの船でウルブ7に戻るんだ」
シャーリンは立ち上がりながら話を続ける。
「ほら、明日の朝に会議があるから。ペトラは出られないし。だから、えーと、カレンが戻ってからでもいい?」
「ええ、もちろんよ」
まあ、ペトラが行けないならしょうがないわね。帰ってからにしよう。
シャーリンは、急いで部屋を出ていった。それをじっと見送っていたペトラがぽつりと言った。
「そんなに急がなくてもいいのに……」
クリスが心配そうにこちらを見ている。
「また、襲撃される可能性があるので、ここから出ないようにしてください。ロメルの人たちがここに滞在してくれるそうなので少しは安心できますが……」
「わかりました。気をつけます。大丈夫です」
クリスはまだ不安そうな顔をしていたが、一つため息を漏らすと部屋を出ていった。
医務室が見える反対側のソファに腰を降ろす。じっとこちらを見ていたペトラは、もそもそと立ち上がると部屋をぐるっと回って隣に来て座った。
「ねえ、疲れたんじゃないの?」
「ん? ああ、少しね。ちょっと、メイやシャーリンと話してたの」
「そう……」
それなら、もうペトラも全部知っているに違いない。しばし、沈黙が支配した。
突然、ペトラがつぶやく。
「シャーリンは照れているのよ」
「えっ? どうして?」
ペトラは頭を傾けて肩に寄りかかってきた。
「だって、一緒に暮らしていた他人が、ある日、妹だと言われ、今度は、実は妹じゃなくて……」
「そうね。でも、どちらにしても、わたしには記憶がないから……」
体を少し斜めにして腕を引き抜きながら天井を見上げる。
「きっと、シャーリンは怒っているわね」
「怒る? 少し違うような気がするけど。どちらかと言うと、戸惑ってる感じ?」
急にこちらを向いたペトラが、両手を腰に回してくる。頬を胸にのせて吐息を漏らした。しかたなくペトラの背中に両手を置きため息をつく。
「ああ、そうよね。どうして、こんなことになったのかしら? なんでわたしはこんなことを……」
そう口にしながらペトラの髪をいじる。
「カルは必要だと思ったことをしたんだと思う」
その声はこもってはっきりしない。
「とてもそうとは思えないわ。何のために……」
そこで思い出した。
「ステファンにも本当のことを知らせないと。何だか気が重いわ……」
しばらく声がなく、ペトラが寝てしまったのかと思っていたら、突然少しだけ顔を起こしてこちらを見上げた。
「でもね、わたしはうれしいの。カルがお母さんで」
「それって、わたしが年寄りだと言っている……」
「怒らないでね。ほら、前にアリーに言われたでしょ。あのとおり」
「でも……」
「これからもカルって呼んでもいい?」
「はあ……」
ため息が出た。
「シャルも、素直にこうすればいいのに」
そう言うとペトラは顔を戻し吐息を漏らした。
「あなたのように誰にでも簡単に抱きつくようなことは、普通の人はしないわ」
「どうして? とにかく、わたしはお母さんが、カルのことが大好き。わたしたちのことを忘れたとしてもね……」
最後のほうはほとんど聞き取れなかった。
「何を言っているの?」
返事がなかったので見下ろすとペトラはすでに寝入っていた。すぐに気持ちよさそうに寝息を立て始めたペトラの頭をそっと撫でる。
忘れないわ、絶対に。
わたしはどうすればいい?
そうだ、忘れていた。あの記録のことをザナに相談しなければ。そう考えながらも、いやおうなしにまぶたが下がってくるのを感じる。
誰かが来る気配にハッと顔を上げると、入り口でメイがこちらをじっと見ていた。彼女が静かに歩いてきて隣に腰を降ろすのを横目で見る。その顔には何とも表現しがたい微笑が浮かんでいた。
「いいわね、ペトラは。うらやましい。わたしにも少し分けてほしいわ」
目を閉じると急速に声が遠のいた。たちまち睡魔に引き込まれる。




