132 もう少し待って
カレンは続き部屋に顔を出した。
大きなベッドにサイドテーブルが二つ。奥には作り付けの戸棚。入るまでもなかった。そこはやはり寝室だった。
部屋が薄暗い。窓の日よけが閉められたまま。その前には机。
これ以上陰気くさいのは耐えられなかった。
部屋を明るくしようと思い、窓に向かったが途中で、ベッドの向こう側のテーブルに写真立てが置かれているのに気がついた。
また急に動悸が激しくなってきた。窓はやめてベッドの後ろを回って反対側に急ぐ。近づいて手を伸ばし写真立てを持ち上げる。
ドサッという音が耳に届き我に返る。
手を滑らせてベッドの上に落としてしまった。
ゆっくり拾い上げると両手で挟むように持ってぐっと対面する。
そこには女の子がふたり並んでいた。
見たところそっくり。茶色の同じ短い髪型、同じ服。心臓が早鐘を打ち鳴らし、耳の奥で雑踏のざわめきがどんどん大きくなる。
これは……わたしなの? いや、そんなはずはない。
誰もがわたしはケイトにそっくりだと言っていた。ステファンも。確かに、このふたりは見分けがつかない。
カレンは写真立てを持ったまま、再びベッドの後ろを回って、ほとんど走るように窓に向かった。
日よけをしゅるしゅると上げて部屋の中に光を入れる。それから太陽の光の下で写真を検分する。
すぐに気がついた。ふたりの目の色がわずかに違うことに。
何と説明していたっけ、シャーリンは?
ケイトはわたしとうり二つだけど目の色が薄い。
もちろん、この左のほうがケイトだわ。それで、こっちはわたしなの? でもそんなはずはない。
写真を横から角度を変えて見る。二枚の写真が入っているようには見えない。
何を考えているの、カレン? だいたい、このふたりは手を取り合っているじゃない、もう。
写真立てを机の上に置くと、ベッドの上にドサッと座った。どういうこと?
突然いろいろな場面と言葉が洪水のように押し寄せてきて頭の中が翻弄された。
ケイトの家で見つけたよ、ケイトとカレンの写真。
おぼれなかったのは時縮のおかげ。
記憶がないの。
君には三つある。
あと二年。
そして、向こうの医務室にある、わからない用途の装置。
ドクンドクンと頭の中で響き渡る音が大きくなる。ふわふわと浮き上がる自分を見下ろしているような非現実感。
そんなこと、ありえない。ケイトは、ミアとメイの母親。生きていれば、きっと三十台半ば。
ちょっと待って。そうすると、わたしは十六年間もここにいた? いやいや、そんなことは不可能だ、いくらなんでもありえないわ。
そうだ、あの帳面、あれをもう一度見なければ。あそこにちゃんと答えがあるはず。全部読まないと。エレインもそれを見越しているはず。
もしかして……。
急いで立ち上がるが、しばらく目まいがした。
治まるまで手をベッドについて待つ。落ち着くとすぐに隣の部屋に移動した。机の上に置きっぱなしだった筆記帳を取り上げる。
その時、カレンを呼ぶ声が遠くから聞こえた。カレンは開きかけた帳面を閉じるとそのまま両手で胸に抱えた。
「シャル、こっち」
声が不自然に上ずり自分のではないみたい。
「カル? この中なの?」
すぐにシャーリンの顔が入り口に現れた。
「ここは何?」
「たぶん、ここに住んでいた人の部屋だと思うけれど」
「おばあちゃんの部屋?」
一瞬ためらったが、こくりとうなずく。
シャーリンが部屋の中を見回しながら話し続ける。
「ねえ、カル、あれはちゃんとした空艇だったよ、すごく小さくて、数人しか乗れないんだけど、今でも飛べるらしい」
メイがきょろきょろしながら部屋に入り話を引き取った。
「不思議なのは、席の配置なの」
「えっ? どういうこと?」
「どうやら、ひとりでも飛ばせるみたい」
つまり、生成と破壊が同時に使える人が飛ばすってこと? 陰陽による操船。
「きっとあれであちこち旅をしていたのかもしれないわ」
「旅? 誰が?」
カレンの疑問には答えずに、メイはシャーリンのほうを向いた。
「お姉ちゃんが言っていた。おばあちゃんはいつも旅行に出かけていたって」
「でも、エレインの歳を考えると、飛ばしたのは違う人でしょ。あれを飛ばすには、他の人が必要だよ。誰が……」
「お母さんとか?」
「ちょっと待って。ケイトだとしても……」
「そうだわね。なら、飛ばしたのはかなり前のことかも」
「ケイトは陰陽なの?」
「えっ? どうだったっけ?」
メイはちょっと考え込む表情を見せたが、すぐに続けた。
「でも、作用力は同時には使えないのよね。やはり、ふたりいないと無理。ねえ、そうでしょ?」
なぜかこちらを向いて聞かれた。
慌てて首を縦に振る。陰陽の力覚者なら、可能性はあるけれど。
シャーリンは肩をすくめたあと、別の話を始めた。
「それからね、いくつかよくわからない機械がいっぱいあった。測量用の機械とか。何に使ったのかなあ」
「その旅行の目的は、地図を作るとかだったのかしら」
そう言ったメイは椅子に腰掛けると、歩き回るシャーリンに目を向けた。
シャーリンが寝室に向かうのが見えた。
あの写真を窓際の机に置いてきたことに気づいた。
シャーリンが写真立てに吸い寄せられるように近づく。
ああ、どうしよう。心の準備がまだできていない……。もう少し待って。お願い。
シャーリンは、写真立てを手に取り、しばらくじっと見たあと、こちらを向くのを目の隅で捉えた。じっと見つめる視線を感じる。
覚悟を決めた。
顔を上げてシャーリンと向き合う。しかし、見たところ、シャーリンは拍子抜けするほど落ち着いていた。
「これ、カレンだよね。こっちはケイト」
手の中の写真を指差す。
「ふたり並んで写ってる」
「うん……」
さっと立ち上がって早足で近づいていったメイに、シャーリンは写真立てを渡した。
メイが息を呑む音が聞こえたような気がする。顔を上げたメイが無言でこちらに顔を向けた。見開いた目が日の光を反射して青く光る。
誰にでもわかる。わたしとケイトが双子だということが。
メイが何か言いかけたが、シャーリンの声のほうが大きかった。
「つまり、カレンはケイトと姉妹だから、いや双子だから、わたしたちの姉妹じゃないことになる。でも、それだと歳が合わない……」
そうよ。そうなのよ。ああ、どうしよう。シャーリンとの距離が急速に離れていくのを感じた。
戻ってきたシャーリンが椅子にドサッと座った。黙って見つめ合う。
無言の空間が広がった。
しばらくしてメイが写真立てをシャーリンに手渡した。
その時、窓の外を黒い影が横切った。
メイが声を上げる。
「船だわ。ほかの人たちが来たみたいよ」
シャーリンはほっとしたように椅子を回して立ち上がり、窓に近寄って外を見た。写真立てを窓際の机に伏せて置く。
ちょっと、こちらを見たあと、何も言わずに部屋を出ていった。
「シャル……」
小さい声は彼女まで届かなかった。
「待って、シャーリン」
メイが足早にあとを追った。
カレンはまだ胸に抱えていた筆記帳に目を落とした。シャーリンのことはあとで考えよう。今はこちらのほうを何とかしないと。
再び、中を開いて、最初から大急ぎで目を通す。
トランサーに対する記述が大半を占めている。ところどころにほかの国のことが書かれている。
気になる言葉があり、手が止まった。
どういうことだろう? トランサーが思考を共有する? やはり、トランサーは何か意志を持っているのかしら?
大群と向き合った時の感触を思い出そうとする。
また、かすかに震えが走った。それを必死に押さえ込みながら考え続ける。
突然、大勢の作用者の気配を感じた。
顔を上げて急いで感知力を広げる。




