124 カレンの悩み
扉を押し開いたとたんにカレンの声が聞こえた。
「こんにちは、ザナ」
自然にわかるということは、すっかりもとに戻ったらしい。部屋を見回したが、シャーリンもエメラインもいなかった。カレンはベッドに上体を起こして座わり、こちらに笑顔を見せた。
「そろそろ来てくださるかと思って待っていました。とてもうれしいです、また、お会いできて」
「調子はどう?」
近くの椅子を引き寄せてベッドのそばに置く。
カレンは肩をすくめた。
「昨晩にはすっかり元どおりになってもう大丈夫なんです」
不満そうな口調で続ける。
「けど、ソラとシャーリンがもう一日休養するようにとしつこく言うので、しかたなく。午後には起きていいと言われました。ミアのお別れ会に出ないと……」
「ああ、今日だったわね。わたしも出席させてもらうよ」
「はい……」
カレンの顔は急に暗くなった。
「心配ごと?」
「……寝ている間にいろいろ考える時間があって……」
褐色の目が空中をさまよう。
「わたしはここで、何をしているのかなって……。わたしが存在する理由は何だろうって。自分でも、この先どうすればいいのかわからなくて……」
「ここに来たくて来たわけじゃないと」
「ええ。ただ、シャーリンのお仕事に合わせて、作用者の認定をもらいに国都に行き、ついでに初めての街であちこち見物する。ただそれだけだったのに」
さらに言葉が溢れ出てきた。
「今は別の国にいて、トランサーとの戦いを間近で見て、運命を思い知らされた。何をやっても失敗ばかり。自分の不器用さ、こんなにも無力なのかと。……結局、何もできなかった。それなのに、ここで何をしているのだろう……」
カレンの声はしだいに小さくなって、しまいには黙ってしまった。
「ねえ、カレン。以前、小さかったころに、ある人に言われたことがあってね。人は間違ったことをするのが本質だと。失敗しない人はいないし、だからこそ、人はひとりでは存在できないと。理由がわからずとも、他人と関わり、しなければならないことがある」
カレンはうつむいたまま。
「あることを成し遂げたと思っても、それは、知りようもない多くの人たちの、行動の結果であって、単にその最後の瞬間に立ち会っただけ。ことを成就させることができなかったとしても、それは、数多の行動の帰結であって、最後に手を添えた者に責任があるわけでもない」
自分に言い聞かせるように続けた。
「成功したのは自分の力のおかげと言うのは思い上がりだし、自分のために失敗したと言うのは、さらにおこがましい」
カレンはビクッと体を震わせこちらを見上げた。その目が光を反射して赤銅色に輝く。
「ああ、恥ずかしいです。そのとおりでした。わたしも……」
再びうつむいた顔に瞳と同じ色の髪がこぼれ落ち隠してしまう。
「わかっているような振りをして、偉そうな態度を取り……」
「あなたはとても素直で誠実よ」
「わたしは……とてもみんなに顔向けできない」
「みんな、あなたを信頼している。それがカレンなのだから。わたしもよ」
「……そんな、責任を押しつけないでください……」
「人には自分では知りようもない定めを持っている。不本意でも、その使命とともにあらねばならない瞬間があると思うわ」
カレンはこくりとうなずいた。
「わたしにも何か役割が与えられている。そういうことですね?」
「カレンは、先の戦いで自分の存在を示したじゃないの。それこそが今ここにいる最大の理由だと思うの。これからも、あなたの思うとおりに行動すればいい」
「わたしは、その場しのぎに流されて暮らしてきただけでした。確固たる信念もないし。何もかも記憶とともに失ったと思っていました」
「失われた記憶は何度でも作り直せばいい……」
「ああ、そうですね。……目的もまた作り直せる……」
頭の中で声がした。
幾多の記憶は失われてやがて再生する。その繰り返しで世界は成長し変化する。
シルにとってはそうだろうね。
「実は、他にもあって……」
「悩み?」
「最近、時々夢にうなされることがあって、昨夜も。気になって……」
「夢?」
「ええ、時々、同じような夢を見るんです」
「どんな?」
「目が覚めた時には、いつもすでにぼやっとしていて内容は曖昧で。でも、何かを探していて、それが見つからない……もうちょっとという瞬間に間違ってしまう。すごく後味が悪くて……」
カレンは優れた感知者だから、無意識に何かを受け取っている可能性はあるかしら? トランサーの影響かもしれない。それとも、ほかの人たち……に関係あるのかな。いや、それはない。皆すでに旅立ってしまった。
「疲れているせいじゃないの? あんまり気にしないことよ」
「はあ、そうですか……」
突然、カレンは右手を胸に当てた。
「ティア、お久しぶりです。お元気ですか?」
やれやれ、ティアもカレンには興味津々か。我慢できずに出てきたのかい? まあ、それはわかるような気がする。
ティアはこちらを非難するようにちらっと見上げたあと、わざわざ毛布の上をちょこちょこと歩いて、カレンに近づいた。
どう答えるのかと待ち構えたが、予想どおりだった。
「元気かと聞かれても、答えようがないのね。いつも変わらないから」
「ああ、そうですね」
ハッとしたように口に手を当てたカレンははかなげで危ういが、なぜか彼女は強い信頼感をみんなに与える。その仕草がいつもかわいらしいのは、彼女の持つ記憶があまりにも少ないせいだろうか?
そう考えたとたんに、ティアがまた振り向いた。まずい。聞かれたらしい。批判的な深緑色の目から視線をそらす。なぜか怒っているらしい。
「カレンは変わっているね」
「わたしが? 自分では変人の一員ではないつもりですけれど……」
カレンは眉をひそめて続けた。
「つまり、わたしは普通の人じゃないという意味ですよね。あなたから見るとそんなにおかしいですか?」
ティアはまじめくさった顔で首を縦に動かした。
「まさしく、そういうところが」
カレンの後ろから別の声が聞こえた。
「カレンはあたしの基準に照らしても普通じゃないよ」
カレンはピクッと体を震わせた。
「シア、あなたまでそんなこと言うの? それでどこが変なの?」
「長い間、あたしと付き合ってるのに、いまだに、あたしのことを人として扱ってるとこが、よ」
「でも、それ以外にどう対応すればいいのかわからないわ。幻精だって一応、生き物なのでしょ。違うの?」
カレンは本当に悩んでいるみたいだ。
「生き物の定義からすると違うね。あたしたちには食事も呼吸も必要ないし、人が持つ営みもない。人と同じように作られてるから、息はするし食べることもできるけどね。この姿だって、単に人に合わせてあるだけだし、どうにでもなるわ。ねこのほうがよければそうできるけど……。でも、そうすると今までの情報は抹消され、新たなお付き合いが始まる」
「えっ? そうなの? ……わたしは今のシアが好きよ。とてもすてき。でも、どうして、そんなにかわいい女の子になれるの?」
シアは少し黙った。
「これはかわいいのか。ふーん、それは……ありがと。この形態がカレンに好ましく思われていることはよくわかった」
シアはカレンの肩から滑り降りた。カレンが毛布をめくると、おなかの上にひょこひょこと移動する。
シアをじっと目で追いながら黙っていたティアが、突然、話し始めた。
「ついでに言うとね、シアもずいぶん変化した」
シアはティアを見上げて抗議した。
「えー? あたしが? あたしは前からまともだよ」
「そう言うところが。わたしの見たところ、シアは人の影響を多大に受けている」
「そんなことない」
小さな顔が激しく横に振られ、緑の髪が踊った。
「ほら、むきになったでしょ? それは人がすることよ」
「えっ? あたし、だめ? もうだめ?」
ティアは肩をすくめた。
「だめじゃない。単に変わったと指摘しただけ。もし、だめになったらこっちには来られなくなる」
「それは……とても困る。あたしは……カレンと一緒にいたい」
カレンはシアとティアを交互に見ていたがおずおずと口を挟んだ。
「ティア、わたしがシアをその……だめにしている……ということですか?」
「とてもおもしろい考えね、カレン。影響を受け入れるかどうかはシアが決めることであって、カレンがどうこうできることではないの。だから、全然気にする必要はない」
「そう。よくわかりませんけど、わたしもシアとずっと一緒にいたいわ」
「なぜ?」
「それは……友だちだからよ」
「友だち……それはおもしろい概念だ。幻精と人が友人関係を作れるのかどうか。友人というには、その関係が対等とはほど遠い。共通点もない。だから、明らかに不合理だ」
シアが口を挟んだ。
「ティア、あたしとカレンには共通点がないわけではない」
「どんな?」
「カレンはヒライシャ、あたしはレイの癒やし手。どちらも……」
「いや、それは全然違う。だいたい、カレンのヒライシャとしての力量はザナよりはましだとしても、回復者に比べればとても貧相」
「ヒライシャって何ですか?」
シアがこちらを見上げた。
「また記憶から漏れた?」
「ねえ、シア、わたしのことは知っているでしょ」
「ヒライシャは近しき者に回復力を与えることのできる者」
回復力か……。
詳しく聞こうとしたところで、シアが姿勢をピンと正すのが見えた。あらら……。
「あたしは、関係を調整することはできるよ。決められた範囲でね」
突然カレンは笑い出した。
「わたしは、シアのそういうまじめくさったところも好き」
シアは一歩後退した。
「いや、これは、きっとカレンから来てるんだろう……うーん」
シアは体の前で手を組み合わせると、カレンの上でいきなり横になった。
どう考えてもこれは人のすることだな。
その薄い緑の瞳が瞬きもせずに天井を見つめている。その姿は若草色のじゅうたんに横たわる女の子そのもの。夏の空のようにしっかりとした青色に変化した服がとても似合っている。実にかわいらしい。
ティアはシアのすることをじっと追っていた。
「ふーん」
そうつぶやきながら飛んで戻ってくる。
肩に座ったティアにそっと聞く。
「どうしたの、ティア?」
ティアがこちらを見上げた。
「あれは気持ちよさそうだ。わたしもあれをやってみようかな。もし、ザナがいやでなければだが」
びっくりしてティアを見つめる。
「そう驚くことはないでしょ。ただの提案だよ」
「別に……悪くない……歓迎するよ」
あれを間近で見られるのなら大歓迎。
ティアはちょっとひるんだように見えたがそっと伝えてきた。
「そうか。じゃあ、今度ね」
ティアも少し感化されている。
まあ、あれだけ仲のよいところを見せつけられると、闘争心が生じるのかな。いや、闘争心とは違うな。単に内なる欲求か。同じことを実践してみたいという願望か、学習か。
そのようなこと、幻精にはあるのかな?
まあ、とにかく幻精は詮索好きであらゆることに首を突っ込む。
それが彼女たちの存在の本質だし。……今、彼女と考えてしまった。これもカレンの影響かしら?
まあ、そもそも、こうやって二人の人と幻精二体が同じ空間を共有すること自体が尋常ではないのかもしれない。




