120 目覚めのとき
廊下からメイの挨拶が聞こえた。
ちょっとして声の主が部屋に入ってくる。
「いらっしゃい、メイ。大丈夫?」
「ええ、シャーリン。ただ、ひとりでいると何だか寂しくて、ここに来ちゃいました。カレンがまだ目覚めないのにごめんなさい」
「そんな、とんでもない。メイが来てくれて、カレンだってきっと喜んでるよ」
メイはベッドのそばの椅子に腰を降ろした。
しばらくして彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
こちらに滞在しているロメルの人たちについて、リンモアの船銘板をもとに戻したこと、お別れ会の予定など。
シャーリンはただ黙って聞いていた。
カレンがかすかに動いたのを目の隅で捉え、さっと顔を向ける。
驚いた。これはいい兆候に違いない。何たって、そろそろ目覚めてもいい頃合いだ。
そこで気がついた。ザナはカレンの手をずっと握っていた。
ああ、そういうことか……どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。
メイがうれしそうな声を上げる。
「カレンが戻ってきた」
目をゆっくりと開いたカレンはすぐにまぶしそうにした。それから頭を回して、こちらを見る。
「あれ、シャルなの? わたし……」
カレンが起き上がろうとしたので、慌てて肩に手を伸ばして制する。
「だめだめ、まだ動いちゃだめ」
「わたし……あ、気を失って……」
それから頭を戻すとそのまま左に回した。そこで初めてメイがいるのに気づいたようだ。まだ、力は戻ってきていないのか。
カレンはメイの顔をしばらく凝視して固まっていた。
そのあとカレンは一度ブルッと震えた。
「メイ……ごめんなさい。取り返しのつかないことをしてしまった。許してはくれないでしょうけど、それでも、謝るしか……」
メイの秋空のような薄花色の目がたちまち潤んできた。カレンの左手を取って両手で包み込むなり、言葉が流れ出た。
「いったい、何を言っているの? カレン、どうして謝るの? カレンはわたしを、わたしたちみんなを助けてくれました。もう何と言ったらいいかわからないくらい感謝しています。あんなにすごいの初めてです。だから、何にも謝ることなんかこれっぽっちもないわ」
一気にしゃべるとメイは大きく息をついた。その目から涙がこぼれ落ちる。
「でも、ミアが、あなたの大事なお姉さんが……。わたしがレオンに楯突いたから、彼は……」
「いいえ、カレン。それは違います」
きっぱりとした声。カレンから手を離すと両手で涙を何度も拭った。
「お姉ちゃんは自分の意思でレオンのもとに行ったんです。カレンが原因ではありません」
「それでも、わたしがレオンの言うとおりにしていれば、早く彼の要求を受け入れていれば、もっと……」
メイは首を激しく振った。
「違うの。お姉ちゃんは最初から決めていたの。きっと、ずーっと前から。でも、なんで、あんなやつが好きになったんだか……」
「好き? レオンが?」
メイは首を縦に動かした。
カレンの手を握り直したメイはさらにしゃべり続けた。
「わたし、カレンと姉妹になれて、こんなにうれしくなったの本当に久しぶりなの。あなたは、とてもしっかりしているし、こんなにすばらしい。それにすごく強い……」
「メイ、もうやめて。恥ずかしいわ。わたしはとてもそんないい人じゃないし……」
「いいえ、そんないい人です」
メイは大きく首を縦に動かし、カレンを見つめた。
「わたしは一番大事なものを失ったけど、代わりに得たものはこんなにすてきな姉妹」
こちらを見てにっこりする。
「ふたりにはとても感謝したいの」
うん、そうだ。ひとりぼっちでないのはとてもいい。自然と勇気が湧いてくる。
「それでね、お願いがあるのだけど……」
「何でしょう?」
「これから、わたしの話し相手、相談相手になってもらえますか? あ、あらためて言うと、何かすごく照れくさいわ」
話し相手か? だって、姉妹なのだから当然。でも、メイはロメルの次の当主、唯一の跡継ぎでしかもやり手だ。相談する相手は大勢いるはず。あの有能なフレイとか。
カレンは首を振りながらも少し笑っていた。多少は元気になってきたようで安心する。
「わたし、変なこと言いました?」
カレンはまた首を動かした。
「やっぱりあなたとミアは双子なんだなあって」
「どういう意味ですか?」
「内緒です……」
「わたしはね、カレンはお姉ちゃんの代わりだと思います」
「えっ? わたしはとても……」
「あ、ごめんなさい。何か代用品みたいな言い方になっちゃって」
メイは慌てたように手を激しく振った。
「そういう失礼な意味ではなくて、つまりね、このところずっとひとりみたいなものだったから、とにかく新しいお姉ちゃんと妹ができてとってもうれしいの」
そこで、こちらを向くと急いで付け加えた。
「ああ、気を悪くしないでね、シャーリン。あなたはどちらかというと……」
「はいはい、どうせわたしはできの悪い妹ですよ。うん、その自覚はあるよ。ずっとカレンのことを妹だと見なしてたけど、実際は逆で、わたしはカレンに頼りっぱなしでさ……」
「シャーリン! もう、いい加減にしてよ」
シャーリンはまじめな顔を作って言う。
「カレン、わたしのこと、これからもよろしくお願いします。わたしの相談にものってください」
「あきれた。何、のんきなこと言うの? おかしいわ、シャル。あなた、今日はとても変よ」
それはわかっている。実はロイスを出てからずっと変なのですよ。
「今のこれが本当のわたし」
カレンは、さらに何か言おうとしたみたいだが、諦めたように口を閉じた。
突然思い出したようにカレンが訴えてきた。
「おなかがすいた……また倒れそう」
あれだけの力を使ったのだから、間違いなく空腹のどん底だな。
「ああ、ごめん。何か取ってこよう。その前にソラにも教えてあげないと。きっと、びっくりするよ」
「どうして?」
「この前も同じようなことがあったから、今回もすごーく気になってるみたい。どうやらカレンの異常さにもとっくに気づいているようだし」
「どうしよう。これ以上ソラがわたしを変人だと思ったら……」
「わたしが知ってる以外にも、まだ何かしでかしたの?」
「えっ? それは……」
「やっぱり、あるんだね?」
「ああ、違う、違う。他には全然ないわ。わたしはいつでも普通よ」
慌てて否定するカレンはとても怪しい。どんなすごいことをやらかしたのだろう?
「それより、食べるものをお願い。本当に気を失いそうなんだから」
そう涙目で訴えてきた。
「はい、はい」
立ち上がろうとすると、メイが手で制止してきた。
「シャーリンはここでカレンとおしゃべりしていて」
「でも……」
「いいから、休憩して。それより、シャーリンもおなかがすいていない?」
「うん。そういえば、気がつかなかったけど、もうこんな時間か……」
「実はわたしも朝にちょっとつまんだだけなの。だから、わたしがソラのところに寄って話をして、そのあと、食事をたっぷりと用意してくるから」
そう言うなりメイは部屋を滑るように出ていった。




