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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第4章

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117 持ちこたえられない

 これを始めてからずいぶんと時間がたったように思える。

 それとも、実はまだそれほど経過していないのだろうか? 時間の感覚が失われてしまった。


 カレンはそこに座ったまま動けないでいたし、それは彼女とつながったままのメイとシャーリンとクリスにしても同じだった。カレンが力尽きたらそこまで。

 単に、フィールドの崩壊を先延ばしにして、苦しい時間を増やすだけ。


 どういうわけか、シャーリンの手も腕も焼けつくように熱くなってきた。温かいをとっくに通り越して、まるで、たき火にじかに手をかざしているようだ。

 それに、始めたときと手の感触が違うような気がする。おかしいな。カレンのはこんなだったっけ?


 突然、手のひらを通して鼓動を感じることに気づいた。手を当てても拍動を感じることはないはずだが。いったいどうなっているの?

 それにやたらテンポが速い。まるで全速力で走っているみたいだ。


 こんなの、ずっと続けて大丈夫なの? その疑問はすぐに、最後の瞬間を迎えようとしているとの確信に変わった。




 足から伝わってくる地鳴りが急激に大きくなり、突然、何かが爆発するような大音響があたりに満ち(あふ)れた。足が揺さぶられるような、続いて、体がなぎ倒されるような感覚に襲われる。


 横に目をやると、先ほど渡ってきた溝の亀裂がみるみる広がり反対側の壁が遠ざかっていくのが見えた。それとともに、さらに大きな揺れに襲われた。

 目を戻すと、メイとクリスがその場に自由なほうの手を地面について踏ん張っていた。


 こっちもカレンが倒れないようにしっかりと押さえる。

 上を見るとフィールドが揺らいで色がついてきた。地面の亀裂はどんどん広がり、なぜか自分たちがぐいぐいと後ろに引っ張られていく感覚に襲われる。




 実際こちら側が崩れかけている。もう、どうしようもなかった。ミアを助けるのにも失敗して、さらに自分たちもこの台地の崩壊に巻き込まれていた。

 ちらっと脇を見ると溝の底がどんどん深くなっていき、そこから崖に向かって一気に黒い何かが走った。


 次の瞬間、溝から向こう側の台地が一気に崩れるのが見えた。そのあと亀裂が右に走り、台地の端、崖が轟音(ごうおん)を立てて崩れた。

 黒い流れが滝のように落ちていく。


 なぜか、黒い海にミアとレオンが飲み込まれたのを感じる。でも実際はずっと前に消えていて、きっと幻を見たに違いない。


 カレンがミアを呼んだように聞こえた。それも空耳だったとしか思えない。

 次の瞬間には、目の前に川と向こう岸の草原だけが広がっていた。思わずカレンに回した手が緩む。

 すかさず、フィールドが揺らめくのが見え、慌てて手を戻す。危なかった。反対側の手で目を何度もこする。




 上を向くと、負荷が軽くなり透き通ったフィールドを通して、空がどこまでも濃く青く広がっていた。その青色の中に黒い点が見えたかと思うとしだいに大きくなってくる。

 あれはたぶん……今度こそアレックスの空艇だった。


 灰色の物体がぐんぐん大きくなり、頭上からゆっくり降りてきた。来るのが遅かった。遅すぎる。

 目を閉じて大きく息をついた。


 船から大勢の人が飛び降りてきたかと思うと、攻撃者がそこら中をなぎ払い、ついでいくつもの防御フィールドが張られる。すぐに、メイとクリスがその場に背中から倒れこむのが見えた。


 シャーリンはカレンの体から(こわ)ばった腕を引きはがした。固まったように動きのない体に触れると氷のように冷たい。さっきまではかがり火のように熱かったのに。


 いきなりブルブルと激しく震えだしたカレンの前に急いで移動する。そこで見えたものから目が離せなくなる。すごい。道理で感触がおかしかったわけだ。

 やはりカレンは普通とは違う。あらゆる点で特別な、唯一無二の存在であることをあらためて確信した。それにしてもどうして……。


 いや、今そんなことを考えている場合ではない。

 急いでペンダントを服の中に押し込み元の位置に収める。肌衣と上服を引っ張り下げるのにかなりてこずったが、何とか身なりを整えた。


 こんな薄っぺらい服だと、外にいるだけで凍えてしまうよ。冷え切った体をぎゅっと抱きしめながらささやく。


「カル、もういいよ。終わったよ」




 そのままじっとしていると、カレンが意識を取り戻したかのように身震い一つしたあと、突如、立ち上がろうともがいた。

 慌てて手を離すと、手をつき足を引き寄せたあと、肩に(つか)まろうと手を伸ばしてきた。

 どうしたいの?


 急いで体を起こすと、カレンの手をつかんで引っ張った。なぜかすごく重い。何度か失敗したが、最後にはカレンも立てた。

 次の瞬間には、こちらの手を離すとよろよろと走り出した。


 シャーリンも急いであとを追う。

 彼女がまだ動けるとは思わなかった。後ろからエメラインの叫び声が聞こえたが、無我夢中でカレンを追って崩れた台地の縁まで走った。


 カレンの隣に並んでしゃがみ込むと同じように、新しくできた坂を見下ろす。


 崩れ落ちた崖の土砂は川の中まで達し、水の流れを少しせき止めていた。目を皿のようにして動くものがないか探す。


 しかし、眼下には岩と土砂が流れ落ち、新しく形成された斜面があるだけだった。さらにその上をトランサーの群れがしだいに覆い隠していき、坂は紫に、そして黒く染まり、その流れは川の近くで右に向きを変えて進んでいく。




 隣にメイがやってきた。振り返ると防御者たちがフィールドを張ってトランサーを食い止めているのがわかったが、それも若干押され気味だった。

 ここにいられる時間はあまりない。

 黒い流れは尾根に沿って流れ、かつて溝があった場所から新しい坂を下る。


「お姉ちゃん……」


 そうつぶやいたメイの目には何が映っているのだろう?

 眼下の川まで落ち込んだ土砂とその上をどんどん真っ黒に染め上げていくトランサーの他には何も見当たらなかった。


 目を閉じてじっとしていたカレンは、しばらくすると目を見開いて眼下の景色を(にら)みつける。

 メイの無言の問いにカレンはゆっくりと首を振ったあと空を仰ぎ見た。


 急にカレンの体がぐらりと揺れたかと思うと、そのまま後ろに倒れていく。


「カル、大丈夫?」


 慌てて近寄り頭が地面に激突する前に受け止めたものの、彼女の意識はすでになかった。


「わたしが運びます。シャーリンさまはメイさまをお願いします。すぐにここを離れるそうです」


 いつの間にかエメラインが隣に立ち目を細めて、膝の上にぐんにゃりと横たわるカレンの体を見つめていた。




 振り返ると、空艇のそばでクリスが船に寄りかかりながら通信装置で誰かと話している。


 シャーリンは立ち上がると、メイの肩に手をかけ引っ張り上げる。カレンを運ぶエメラインに遅れないようにメイの手を引きながら船に向かう。

 華奢(きゃしゃ)に見えたエメラインがカレンを軽々と運んでいるのに少し驚いた。


 無言のまま重い足取りで空艇に乗り込む。最後に攻撃者があたりをなぎ払うとさっと飛び込んできた。

 すぐに空艇は急上昇を開始する。

 クリスがニックと話しているのが見えた。船は、大きく形を変えてしまった崖の近くに浮いたまま、しばらく下を探索する。


 クリスがこちらを見て無言の問いかけをしてきた。カレンは何も感知できなかった。代わりに誰かが事実を認めなければならなかった。


 シャーリンはメイの両肩に手をかけた。こちらを無言で見上げたメイは、その場にふらふらと立ち上がるとクリスを見て一度だけ首を縦に振った。

 同じように頭を動かしたクリスは一言発した。


「出発」




 空艇は静かにその場を離れると川を飛び越え、向こう岸にいったん着陸した。


「クリス、これからどうするの?」

「とりあえず、こちら側に仮の防御線を築くことになった。やつらは、今は川に沿って移動しているが、尾根から下ってくる新しい坂は川に近い。あそこからこちらに飛んでくる可能性が少しでも残る以上、こちら側に防御チームを待機させておくしかない。全員を降ろしたら町に戻る」


 再び飛び立った船の窓から、川向こうの無残に崩れ形を変えてしまった丘、その斜面を覆っているトランサーを見つめた。結局、わたしたちは失敗した。

 レオンが不意に現れたため、ミアが裏切ったためと思いたいが、それ以前にわたしたちの力が及ばなかったのはまぎれもない事実だ。


 あの圧倒的な数のトランサーに対してこちらは身動きもままならなかった。あの場にミアが加わっていたらこの戦いはもう少し何とかなったのだろうか。

 そうかもしれない。今となっては、すべてがむなしくひたすら心が寒々としていた。


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