107 アリシアからの依頼
部屋の外でざわざわと話す声がすると思ったら、両開きの扉を押して何人か入ってきた。カレンは慌てて腰を上げると、すでに立ち上がっていたフィオナの隣に移動する。
「お待たせ、カル」
手を大きく振ったペトラは、フィオナが隣にいるのに気づいて少し驚いたようだった。
「フィン、ここで待ってる必要はなかったのに。部屋に戻って休んだほうがいいと言われなかった?」
「ご心配いただきありがとうございます、ペトラさま。でももう、まったく普通ですので」
ペトラは疑い深そうに、フィオナの頭のてっぺんからつま先まで、じろじろ見た。カレン同様、問題にするようなところは発見できなかったようで、肩をすくめたものの何も口にしなかった。
クリスのあとから少し遅れてきたのはアリシアだ。
その後ろから見知らぬ女性が部屋に入ると扉が閉められた。その容貌に思わず目を見張ってしまう。
長く白っぽい金髪は後ろにきっちりとまとめられ、あたりを探るようにくるくると動く大きな目は部屋の灯りを映し出す緑色。
とてもかわいらしい顔立ちが彼女を若く見せているが、強い作用力を感じる。アリシアの側近だろうか。
ふたりは、まっすぐにカレンに向かって歩いてきた。アリシアがペトラの隣に立ち止まると、カレンは丁寧に挨拶をした。
金髪の女性はアリシアの後ろで姿勢を正したままで、こちらをじっと見る目にはおもしろいものを発見したような好奇心が踊っていた。
その女性から目をそらすと、アリシアの満足そうな顔と向かい合った。
「カレン、任務ご苦労さまでした。ペトラもフィオナも大変お世話になったようで、感謝しています」
「アリシアさま、もう少しで取り返しのつかないことになるところでした。わたしが注意を疎かにしたばかりに。ペトラが無事なのはすべてフィオナのおかげです」
「あなたには何の責任もないわ。このペトラがやらかしたことよ。起きてしまったことは気にしてもしょうがない。それに、大変な責任を押しつけてしまって、かえって申し訳なかったわ。……それにしても、とても驚きました。ペトラが会議に出席すると言いだした時は。これもカレンのおかげかと」
そう言うアリシアは笑顔を浮かべて、ペトラをちらっと見た。
フィオナと同じことを言っている。本当に何もしていないのに。
「わたしのほうこそ、今回の旅の同行者に指名いただきありがとうございました。おかげさまでいろいろな方に出会い貴重な経験を得られました。それに、ペトラはとてもすばらしい活躍をしました。フィオナのことも、すべてはペトラの類い希な力のおかげで……」
ペトラが慌てたように口を挟んだ。
「アリー、わたしは、カレンにずっと一緒にいてもらいたいの。格上げしたいわ」
「格上げって、何のことですか?」
「ただの役割のことよ」
「ねえ、ペトラ、そうなると言ったはず。とにかく、わたしの目に狂いはなかったようで安心した。カレンはあなたに最適の相事となるだろうし、内事フィオナ、衛事のクリスにディードとそろえば、この先わたしも安心」
相事が何かを聞こうと思った時には、ペトラが話題を変えていた。
「それで、シャルのことは?」
「国都での事件についてのことね。とりあえず反体制派は退けたし、治安もほぼ回復した。設備のいくつかはまだ使えないままだけど、雪が積もるまでには何とかなりそう。幸いなことに、わたしが今すぐ国都に戻る必要もなくなった。シャーリンが国主襲撃に関与していないことも明らかになったからそちらも大丈夫。強制者の影響を排除するのに、かなり時間がかかったけど。そういうわけで、すぐにも帰国できます」
「それじゃあ……」
アリシアは手を上げた。
「ちょっと待って。シャーリンはせっかくウルブ7にいるので、少しお役目を果たしてもらうつもり」
ペトラが怪訝な表情をする中、アリシアは部屋を見回した。
「ペトラにはわたしの名代として、ウルブ7に行ってもらうことになったけれど、シャーリンにはペトラの補佐をしてもらいます。まあ、実際のところ、あなたよりシャーリンのほうがずっと的確に仕事ができるでしょうし」
そうか。マヤとエリックが未成年の間は、ペトラの次席はシャーリンか。準家なのに大変なことだ。
ペトラは素直にうなずく。
「そうね、シャーリンはこういうこと得意だからね。わたしが補佐でいいんだけど……」
「それはありません。補佐する人は、される人より優秀でないとだめなの。わかる?」
「はいはい、わかりました。わたしも精進いたします。それで、これからの予定は?」
「ちょっとその前に、先ほどの話の続きを」
アリシアはまたこちらを向いた。
「カレン、申し訳ないけれど、この先もペトラの力になってもらえるかしら? ウルブ7に同行してペトラを助けてもらいたい」
「はい、わたしにできることでしたら。お約束しましたから……その、国主と」
「頼りにしています……お姉さま」
ペトラを見たアリシアは笑顔で軽くうなずくと振り向いて、後ろに控えていた女性から何かを受け取るとこちらに差し出した。
「あなたをペトラの相事とする任命符です」
「先ほどもおっしゃいましたけれど、相事とはどんな役割をするのでしょうか?」
アリシアの顔には一瞬だけ驚きが見えたが、すぐに少し首を傾げた。
「ペトラに対する助言者といったところかしら」
「わかりました」
受け取った任命符を巾着の中にしまった。
川ですべての荷物を失い困ったのを教訓に、その後は大事なものを常に身につけるようにしている。
続いて、先ほどの女性が小さな箱を差し出すと、アリシアはその箱を左手にのせて蓋を開いた。中から取り出したのは小さな指輪がひとつ。
「権威ある者による作用者認定が延期されたままなので、先にこれを」
「すごい……」
ペトラがつぶやいた。
そういえば、アリシアの副官が身分証を作ると言っていた。でも、目の前のものはそれとは違う気がする。
アリシアの手のひらにある指輪を見たあと顔を上げる。
「これは何でしょうか?」
「これはイリスの符環で、あなたが力軍に所属している証しにもなります。あなたの身分を示すものがないとこれからは不便でしょうから。認定がいつになるかわからなくてごめんなさいね。シャーリンが戻ったら適当な時期に、ご苦労だけど、ふたりでまたミンまで出かけてちょうだい」
「はい、わかりました」
そう答えたものの、受け取った指輪をどの指につければよいのかわからず逡巡した。すぐに、横からペトラの手がすっと伸びてきて、右手の第四指をつかんだ。ペトラの同じ指にも指輪がはめられている。
「ありがとう」
そうつぶやくと、はめた指輪をあらためて眺める。ペトラのつけている指輪のような凝った細工は施されていないが、もっと濃い青色の石で覆われていた。
どうやらオリエノールは青が基調となっているらしい。
指輪のサイズがぴったりなのに驚く。目を上げるといつの間にかアリシアの後ろに控えていたフィオナと目が合う。なるほど。
あらためて見ると、符環がうっすらと光を放っていた。ペトラのと同じような明るい青に変わっていて驚く。これはどういうことかしら。
満足そうにうなずくペトラに声をかけようとしたところで、アリシアが次の話を始めてまたびっくりする。
「ロイスにも衛事をつけます」
アリシアが振り向くと、箱を持っていた女性が進み出て、腕を交差させ膝をつくとさっと頭を下げた。
「シャーリンさまとカレンさまの守り手を拝命しましたエメラインです。全身全霊をもって護衛の任を全うする覚悟です。よろしくお願いいたします」
その気迫にたじたじとなり、助けを求めてあたりを見回す。クリスが苦笑しているのが見え、これが彼女のいつもの立ち居振る舞いなのだと理解する。
エメラインから視線をはずし隣のアリシアに向ける。
「わたしには必要ないと思いますけれど」
「シャーリンとカレンが他国に滞在するためには必要なことです」
「ああ、確かにシャーリン国子に警護は必要ですね」
アリシアがぐっと眉を上げた。
「どちらかというとあなたに必要でしょう。シャーリンは自分の身は一応守れるだろうし」
アリシアとペトラはそろって何度も首を横に振っていた。
どうやら防御も攻撃も持っていないわたしは誰かに守られなければならないらしい、ペトラのように。
エメラインの意気込みを目にすると、今後の自由が奪われそうな予感がした。
「わかりました。よろしくお願いします、エメライン」
「たいていの人は、エムと呼びます」
「はい、エム」
「エメラインはクリスと同じく参謀室を兼務。筆頭はクリスのままです」
アリシアは満足そうにうなずくと、クリスのほうを向いた。
「クリス、三人でペトラ、シャーリン、カレンの護衛を命じます。カイがマイセンより戻って、新しい川艇を準備しているから、その船で行きなさい。彼とその直属隊は、形式上はペトラの指揮下になるけれど、実際にはあなたに全部まかせる。警護も彼らとうまく分担してちょうだい」
「はい、承知しました」
次にアリシアはフィオナに顔を向けた。
「フィオナ、もう少し養生するよう医師に言われたと思うけど。わたしの記憶が正しいならね」
「アリシアさま、わたしの体はもう元どおりです。ペトラさまに同行できます」
「それはわかっています。あなたの献身も、数々の能力のことも。確かにペトラはこれからも、あなたなしではやっていけないでしょう。それでも、ペトラがウルブから戻るまではここで休養を取るように」
「でも、アリシアさま、わたしの仕事は……」
アリシアはため息をつくと手を上げた。
「これは命令よ。でも、そうね、ここセインにペトラの宿舎を新しく確保したから、ペトラが戻ってくる前に、そこで皆が生活し寝泊まりができるように、家の準備もろもろの監督をお願いするわ。それでどう?」
「はい、かしこまりました、アリシアさま」
アリシアは再びペトラのほうを向いた。
「ウルブに派遣する隊はすでに移動を開始しました。到着は明日の夜明け前になるけれど、あなたたちは、今夜中に向こうに移動して受け入れの準備をするように」
アリシアはまた全員の顔を順番に見た。
「クリス、四軍司令官が到着するまでは、ウルブやインペカールとうまく調整してちょうだい。それから、カレン、ペトラの監督をお願い。暴走しないようによく見張っておいてね」
すかさずペトラが何か言いかけたが、アリシアはしゃべり終わるなり、くるっと向きを変えると足早に部屋から出ていった。
抗議しようとしたらしく、開いた口をそのまま閉じたペトラがこちらを向いたが、カレンは肩をすくめるしかなかった。
アリシアが退出すると、ペトラは大きなため息をつくなり椅子にドサッと座る。クッションを一つ取っておなかに抱え込むと、腰をじりじりと前にずらして半分寝たような格好になった。
そのだらしない姿にカレンが眉をひそめながらじっと見ていると、ちょっとだけ憤慨したような、それでいて、諦めきったような口調でペトラはぽつりと言った。
「だから、政治には関わりたくないと言ったのに……」
「なぜ?」
「部隊をウルブに派遣することに決まるまでの長い議論に加えて、面倒くさい手続きの数々。もう、うんざり」
思わずカレンは微笑んだ。
そうは言うものの、何となく満足げに見える。
「なに?」
ペトラが鋭い目つきを浴びせてきた。
「何でもないわ。貫禄がついてきたなと思って……」
飛んできたクッションを両手で受け止めると前に抱えた。
「それに、外交はさほど不得手ではなかったでしょう?」
ペトラはまたため息をついた。
視線を感じて顔を上げると、エメラインの熱を帯びて潤んだ目と合い、思わず体を引いてしまう。




