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手掛かり

 その夜、馬車がやって来る音に気がついた。そっと窓から覗いてみると、お城の門を二つくぐって玄関ポーチまで入ってきている。


 わざわざ門を開けているということは、彼らは強盗などじゃなく、招かれてここに居るということ。


 このままじゃよく見えない。私は音に気をつけて静かに窓を開けて、馬車を見た。出てきた二つの人影は、大人のように見える。シルエットは男っぽいけど、男装している女性かもしれない。


 階下へ行けば、私の存在がバレてしまう。そんな危険は冒せなかった。馬車が帰っていった後も、子どもの泣き声が今にも聞こえてきそうで、私は寝るに寝られなかった。自室のベッドでずっと耳を澄ませていたら、いつの間にか、空は白んで夜が明けていた。


「おはようございます、奥様」

「おはよう、アイビー」

「あの、お食事をこちらにお持ちしましょうか? 具合が悪そうです」

「大丈夫よ、ちょっと寝不足なだけ。今日は屋敷を案内してもらうんだったわよね、じゃあ、しっかり食べておかないと」


 無理に元気良く振る舞ってみたけれど、アイビーの表情は晴れなかった。マークが医者を呼ぶと言い出したので、旅の疲れが出たということにして、私は午前中を睡眠に費やした。


 まさかこんなことで心配をかけることになるなんて。誰かに聞かれたら「噂なんて真に受けて」と呆れられてもおかしくない。ううん、きっと呆れられる筈。


 お母さんを安心させるために、私はここで充実した生活を送らなくちゃいけないのに。結婚して幸せよって、手紙を送らなくちゃいけないのに……。


 ベッドの上に起き上がり、そんなことを思っているとお腹がくぅと鳴った。そうだ、こうしてばかりはいられない。まだ地下室の場所すら見つけていないし、この屋敷の人間から話も聞いていないんだから。


「まずは何か食べないと! 話はそれからよ」


 私はワードローブを開けた。見覚えのないドレスがいくつもかかっているのは、昨日のドレスメーカーから届いた普段着と外出着だ。どれも落ち着いたデザインなのに小花柄だったり刺繍が入っていたりして可愛かったり、優雅だったり。


「素敵……」


 本当はいただいた支度金で用意しておくものなのだけれど。でも、トランク一つきりでやってきた私を見たマークは、「買って済むものなら、すべてこちらで整えれば合理的ですね」だなんて。本来なら主人の無駄遣いを諌めるべきマークが、本心はわからないけれど、そう言ってくれたことでホッとしたの。


 さっそく新しいドレスを着て、身支度を始める。ベルを鳴らしてメイドの子を誰か呼べば良かったのだと気づいたのは、髪の毛も整え終えてから。一人で着られるタイプの服なら、ささっと身づくろいできてしまうのは、悲しくも誇らしい庶民生活の賜物よね。


 私は部屋を抜け出して、階段を下りていく。目指すはキッチンだ。そこなら、時間外でも何かしら食べ物があるに違いないから。それに、料理長のドーゼンとも話をしてみたかった。亜麻色の髪の毛を短くスッキリ整えた、長身で筋肉質な、まるで兵士みたいなドーゼン。タレ目がちだけど整った顔立ちと自信に満ちた表情は、女性の視線を集めるでしょう。現に、メイドたちは彼に夢中みたいだった。


 キッチンの場所を見当づけてウロウロしていると、ある一角から男性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。


「ぎゃああ! リオ、チシャをちぎるのは最後だって言ったでしょう!? すぐに変色しちゃうんだから!」


 リオというのは、ドーゼンの部下の男の子の名前だった。ということは、この悲鳴はドーゼンのもの、なのかしら?


「す、すみませんドーゼンさん!」

「んもう、シェフって呼んでちょうだいってば! もういいわ、魚の鱗を取る作業をしてちょうだい。簡単な物から手を付けるんじゃないの、仕込みには順番があるんですからね」

「はい、シェフ」


 返事をするリオの声は沈んでいる。当り前よね、あんなに叱られたんですもの。でも、私はドーゼンが正しいと思うわ。それにしても、こんなやり取りをしているということは、リオはここに来て日が浅いんだわ。簡単な作業を任される助手だけれど、こんな初歩的な失敗をするくらいだから。


「それで? そこでコソコソしてるのは誰? こんな時間に間食なんかさせないわよ」

「あ、ごめんなさい……」

「奥様!? やだ、こちらこそゴメンナサイだわ! 奥様にならもちろん、いつだってお望みのお食事を提供しますわ。もちろん、お時間いただきますけどね」

「シェフ、口調が戻ってないです」

「あらやだ」


 リオの冷静な言葉に、ドーゼンは茶目っ気のある答えを返す。その軽快さに私は思わず笑っていた。


「あはははは!」

「奥様、すみませんお騒がせしてしまって」

「あ、やだ、ごめんなさい。あなたのことを笑ったんじゃないの。学生時代を思い出して、つい。いつもの話し方で構わないわ、堅苦しいことはナシにしましょうって、今朝言ったでしょう」

「そう言っていただけるとありがたいですわ、奥様」


 あらためてキッチンに入ると、ニッコリ笑顔のドーゼンが優雅に胸元に手を置いて一礼してくれた。その後ろでリオもペコリと頭を下げる。きっと夕食の仕込みの最中だったんだわ。


「ちょっとお腹が空いてしまって、何か分けてもらえないかと思ったの。メイドを呼ばなかったのは、あなたたちと直接話してみたかったから。なので、彼女たちを叱らないでね」

「ふふ、メイドさんたちを叱るだなんて、ワタシにそんな権限ありませんよ、奥様。さ、何をお出ししましょう、食堂に運びますよ」

「でも、仕込みの最中でしょう? 本当に、あるものでいいの。それより、ここでの生活について聞きたいわ。ドーゼンは、ここは長いの?」


 私の意図を汲み取ってくれたのか、ドーゼンは私を追い出したりせず、作業に移った。ケトルを火にかけ、リオに奥から何か取ってくるように指示を出し、パン籠の中身をオーブンへ。


「あっ! ねぇ、リオは今、奥へ行ったでしょう。もしかして、ここから地下へつながっているの?」


 ドアの奥に消えたリオが、階段を下りて行った気配に私は思わず叫んでいた。ここがヒントなのかもしれない。私はドーゼンを問い詰めるつもりでじっと見つめた。

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