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からっぽのベッド

 気がつくと朝だった。

 ふかふかのベッドの上で目覚めた私は、久しぶりによく寝て、気分もサッパリ晴れやかになっていた。


 誰がベッドまで運んでくれたのだろう。まさか、旦那様? そんな筈ないか。


 それにしても起こしてくれれば良かったのに。初めての妻としての役割が……いや、ベッドを共にしない「白い結婚」だから必要ないの? でもそれは建前だと思っていたのに。


 とはいえ、初夜的なものがなかったことにホッとしている自分がいるのも確か。知識としては知っているし、恋した男の子とそんな関係になる妄想をしたことだってあったけれど。いざとなると怖くなる。そういうものでしょう?


「よし、切り替えよう」


 最初の夜は終わったのだ。ひどい目にあわされることはなかった。それで良しとしよう。次は伯爵本人と話す、そして噂を確かめる! もし本当に子どもを切り刻むような悪人なら、貴族法廷に訴えて逮捕してもらわないといけない。


 噂が間違いだったら、なぜ言われるままにしておくのか聞いてみよう。そしてできれば仲良くなって、本物の家族になれるよう努力しよう。お互いの幸せのために。


 そう、決意したのに、なんと肝心の旦那様が不在なのだった。


「もうお出かけになったの?」

「す、すみません、わかりません……」


 朝食の席でそう尋ねてみたらアイビーが泣きそうな顔で答えた。


「いいのよ、気にしないで。あなたのせいじゃないわ」


 どうしよう、昨日のマークの横暴のせい? どのメイドも私の前でだけギクシャクしていて、話すらマトモに聞いてくれそうにない。


 ひとまず、昨日できなかった顔合わせをすることにして、お屋敷にいる使用人たちを集めてもらった。メイドは全部で八人。リーダーはアイビー、他の子もみな二十歳以下でサラ、メグ、イオ、コレット、ベラ、アナ、リア。料理長のドーゼン、その部下のリオ。


 フットマンと園丁と馬番はいなくて、侍女も侍従もナシ。十人の使用人と、それをまとめるマークがこの屋敷の住人のすべてだった。


 私は食堂に集まった彼らの前に立って挨拶した。


「みなさん、私がここの女主人となるマリッサ・グロウス伯爵夫人です。私はここに来て一番日が浅いので、あなたたちから色んなことを教わりたいと思っています」


 不思議そうな顔、怯えている顔を見回す。……顔は見えないけれど不審そうな雰囲気を出しているのはマークね。


「私は、ここをあまり堅苦しい雰囲気の家にはしたくないの。だから、お客様の前以外では喋り方も気にしないわ。私だって、貴族のご令嬢や奥様が使うような言葉じゃないでしょう? 気づいてた?」


 私がニコッと笑って見せると、少しだけ空気が緩んだ気がした。


「ね? だから、緊張しすぎないで。失敗したからって、いきなりクビにしたりしないわ。何か気になることがあったら、どんな小さなことでも聞かせてほしいし、そうなるように私も努力します。みなさん、どうかこれから、よろしくお願いします」


 我ながら良い演説だったと思う。ほんの少しだけど、メイドの子たちの緊張が解けたから。それだけでも大収穫よ。なんて自画自賛している時間はあまりなかった。


 それからすぐに、屋敷にドレスメーカーの職人たちがやってきて、採寸に継ぐ採寸、生地選び、肌触りや色の好みの聴取と目が回る忙しさ。一度にこんなに詰め込まれたのは初めてだったので、終わってからは紅茶のカップを片手にボーッとしてしまったくらいだ。


「お疲れ様でした、奥様」

「マーク」


 今日は、労ってくれるのね。なんて少し意地悪なことを考えてしまう。マークはローテーブルの上のティーポットから勝手に紅茶を注いで、一口含んでため息をついた。


「冷めている」

「仕方がないわ。だって私、紅茶をいつ頼んだか覚えてないんだもの」

「それなら主人が言う前に新しい紅茶に取り替えるべきだ」

「クビにしないでね。私に任せるって言ったでしょ、昨日」

「…………」


 マークは黙って紅茶を飲み干した。もしかして図星……なわけないわよね。さすがに。


「明日、仕立て屋が外出着を届けに来ます。これで観劇でも演奏会でも出かけられるでしょう。茶会用のドレスも出来上がり次第、届きます。季節ごとに十五着ほど」

「そんなに? きっと必要ないわよ」

「なぜ? 貴族女性は茶会を開くものなのでは?」


 マークの素直な言葉が心に刺さった。いくらお金がないと言っても、うちだってお茶会の経験くらいはある。


 正絹で作る一回きりしか着られない華やかな午餐用のドレスとは違って、お茶会や読書会用のドレスなら何とか用意できたから。


 でも、それだって全部同じドレスで出るわけにはいかない。お母さんは実家ルルトーシェから季節ごとに贈られる一着のドレスを、レースを付け替えたり袖を付け替えたりしてやりくりしていた。けれど、それにも限界があって、お茶会に参加する頻度は低かった。


 成長期の私はなおさらで、お母さんと同じくルルトーシェ伯爵からいただいたドレスと、お母さんのお下がりと、新しくあつらえたドレスを駆使してやっとだった。しかもドレスは用意できても靴までは、毎回とはいかない。口さがないご令嬢たちの前で、幼かった私の心は完全にポッキリと折られてしまった……。


 いつからそういう集まりに顔を出さなくなったのか。思い出したくもない、十代のあの傷ついた日々。


 おかげさまで社交界デビューも大失敗で、貴族社会とは縁もなく、コネもなく。普通の子たちと一緒に商業ギルドの開いている学校に通って、ちょっとした経理を身に着けたのよ、なんて、そんなことどうやって言えるというの? この、若くして家令という男性使用人の頂点にいる人に向けて?


「奥様?」

「ごめんなさい、ちょっと疲れていて。それより、ちょうどよかった、マークに聞きたいことがあったの」

「何でしょう」


 私は話題を逸らすついでに、マークを捕まえてでも聞きたかったことを尋ねることにした。


「あの……昨夜、旦那様は帰ってきたのかしら」

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