そして、次の時代が始まるのです。
前日は17時と23時に計2話投稿しております。
皇紀一〇〇〇〇年の二日目の朝、美雪と彗依は宮内省を通じて、第四代皇帝ナディーヤ・ワカコ陛下が、元の時代に戻られたことを発表した。
ムリーヤ国の人々は、あの愛らしい、僅か三ヶ月ほど現代に滞在した、世界平和の発端である皇帝陛下の突然の帰還を惜しみ、けれども彼女の真摯で純真な労りの心に概ね叛くことなく、「世界絶対平和万歳」の実現に向けて、未来を向いて歩みを始めた。
ナディの帰還後から、美雪はつわりに苦しむ様になり、一時は妊娠悪阻の診断が下り、皇宮内にある宮内省病院に入院して絶対安静を言い渡された。
「目に入れても痛くない」
ほど可愛い娘との別れは、彼女の気分を著しく塞ぎ込ませたが、夫である彗依は皇帝としての公務をこなしながら、彼女をよく支えた。
お腹の子供達の心音を聴いたり、順調に大きくなっていくその姿を知ったりするに連れて、彼女の体調は回復していき、安定期に入った頃に漸く退院を許された。
とは言え、次の皇帝になり得る双子の、しかも初産(※身体的には)の妊婦だったから、散歩一つにしても、絶対に夫の介助がなければ許されなかったし、大学も結局、復学の見込みが立たないことから退学し、通信制大学に入り直すことを選ばざるを得なかったが、彼女の方も愛娘を置いて逝くことになった反省から、今回はそうならない為にも、その様な扱いを甘んじて受け容れた。
男女平等・医療技術・社会的支援が格段に進んだ現代でも、出産は女性の側の負担が圧倒的に多いのだった。
「第四次世界大戦に係る一切の戦争状態の和平条約」の発効により、アメリカ合衆国と中華人民共和国は正式に、全部で十の国々に等しく分離継承された。
アメリカ合衆国は、カリフォルニア州周辺を母体とするアメリカ帝国、南部諸州を中心とするアメリカ連合国、中部諸州を中心とするアメリカ連邦、アメリカ独立当初の東部十三州から成るアメリカ第二合衆国(従前政体であるアメリカ合衆国とは区別される)の四つに分離し、中華人民共和国からは、煌帝国、福州国、チベット王国、東トルキスタン国、四川国が興って、山海関以西の河北地域はモンゴル国と合邦の道を選んだ。
また、ムリーヤ・イスラエル戦争の結果として、長い間ムリーヤ国の占領統治下に置かれており、野星講和会議にも、
「既に第四次世界大戦に関与していた従前政体は解体され現存せず」
として関与を赦さなかったパレスチナ地域の人々に対して、ムリーヤ国は同地域の最終的な民族間紛争の解決策として、宇宙への片道切符を用意した。
地上の大地に固執するなら他民族との協和を、自分の民族だけの国家に固執するなら新天地への移転を求め、もしそれを拒み、暴力により要求を達成しようと考えるのであれば、それは平和を破壊する行為であると見做して殲滅する、という最終解答を出した、と言っても良いかもしれない。
一万年近い時の流れで情け容赦なくテロリストを殲滅しても今尚、他民族を暴力的に追放してでも故地に国家を再建しようと目論む一部の人々に対し、愛想を尽かしたのだった。
ムリーヤ国は「世界絶対平和万歳」の実現に向けた努力を惜しまなかったが、一方で、暴力的解決を図る人々に対して、容赦することも無かった。
ただし、第四次世界大戦の正式な終結後、選択肢を用意することは怠らなくなったから、十分これは有情だったと言えるだろう。
根強いシオン主義の人々の意に沿っていたかどうかは兎も角として、だが。
これについて、彗依と美雪はもっと穏便に解決出来ないかと、当初理性的に擁護を試みたが、彼ら彼女らの側が激烈に拒絶し、またムリーヤ国民の側もこの件については激昂して聞く耳を持たなくなったので、以降、本件に関して二人は手出し無用となってしまい、二人の治世の最初の挫折になってしまった。
他民族との協和を選ばず、暴力的または独善的な行動を伴うが為に、太陽を挟んで地球と反対側の宇宙島への追放刑を受けた人々の数は、この年以降、相当な数に上り、その人々の地球への帰還を目指す運動は後年、
「追放刑で済ませてやった恩を忘れた馬鹿ども」
の意味で辭恩主義と呼ばれ、彼ら彼女らの執念を甘く見ていた人類社会を後年、心胆寒からしめる原因となるのだが、今この時としては、比較的穏当かつ現実的な解決策だった。
斯様な世界情勢の中で、美雪は無事、元気に元気な一女一男の双子を出産した。
第二皇女はヴィクトーリャ・スターリナ・ミカコと名付けられ、第一皇子はヴォロディームィル・ズヴェズダ・カズヨリと名付けられた。
二人の御子の誕生に世間は湧き、そして突然現れて、突然去って行ったナディーヤ・ワカコを思って、ちょっぴり寂しくもなった。
あの天真爛漫さに溢れた言葉が、世界を平和へと突き動かしたのに、それを本人に伝えたくても当の本人がこの世に居ないのでは、感情の持って行き場が無いというものだ。
遺伝の不思議で、三百六十代ほど代を重ねたというのに、生まれた二人の御子は、どこをどう取ってもあの第四代皇帝陛下の赤ん坊の頃の写真にそっくりで(それを言うなら、両親である彗依と美雪もそうだが)、人々は頻りに首を傾げたりもした。
そんな、美雪が初めての子育てに悪戦苦闘しながら、彗依が二度目の子育てに懐かしい思いを覚えながら、日々を過ごしていた、ある日のこと。
「パーパ、マーマ、ただいまっ!
パーパとマーマ、いもーととおとーとに、あいにきたよっ!」
と、成長して溌剌とした声が、皇宮に響き渡った。
そして、次の時代が始まるのです。
《「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました! 完》




