旅行計画
皇室会議の決を携えたヴァイオレッタ・マリア・スズキ大統領が、今上皇帝陛下御夫妻と共に地球へ戻り、最高議会に皇太子治定の承認を求め、また最高議会も速やかな議論の末、賛成多数により東西両院で可決・承認されると、ムリーヤ国の政局は俄かに慌ただしくなっていった。
皇太子に治定されたことにより、彗依は「ムリーヤ・ノ・ホシヨリ」に、美雪は「ムリーヤ・ノ・ミユキ」にそれぞれ公式な名前を改めることになった。
帰路の船内で譲位の内意を伝えられたヴァイオレッタ内閣は、代替わりへ向けた諸々の準備を始め、程なくその動きを察知したマスメディアによって、次代の皇帝である彗依と美雪、ナディの親子三人への取材攻勢も再び過熱し、宮内省特別高等警察はパパラッチの検挙に躍起になっていた。
「地球に、世界平和の鐘を鳴らしに行きましょう」
と言い出したのは、美雪だった。
ナディがこの時代にやってきてから二ヶ月。彼女の言が正しいとするなら、残り一月程度しかナディと一緒には居られない(何時になるかは不明だが、何れまたナディはやって来ることは理解っているが)。
その間に、家に閉じ籠もっているだけではなく、もっと印象に残る思い出を作りましょう、と彼女は言ったのだ。
序でに、マスメディアに話題を提供してやれば、彼ら彼女らも多少大人しくなるだろう。という目論見もあった。
さて、ここで「世界平和の鐘」なるものについて言及しなくてはならない。
これは今は亡き国際連合に、第二次世界大戦の敗戦後、まだ国際連合への加盟を許されていなかった時代の日本のある篤志家が、世界中から集めた硬貨やメダルを溶かして鋳造し、広島と長崎の土と一緒にしてニューヨーク国際連合本部に寄贈した釣鐘(当時。現在は月にある国際連盟本部へ移転している)のことを指す。
この釣鐘にはレプリカが多数存在し、各国元首に贈呈されたミニチュア版のものや、日本地方は近畿道大阪府の、西暦一九七〇年万国博覧会記念公園にある実物大のものが比較的有名であるが、美雪が指して言ったのは、それら「日本の平和の鐘」と纏めて呼称されるそれの親鐘と言われる、日本地方四国州愛媛県宇和島市に所在する寺に存在するものである。
ムリーヤ国建国時に初代皇帝ムリーヤ・ノ・チカコ一世陛下が定めた、ムリーヤ国の標語である、
「世界絶対平和万歳」
の言葉は、実はそれら一連の鐘に、「世界絶対平和萬歳」と刻まれたものが典拠になっている。
第三次世界大戦の最終解決策として、当事国らを合同させムリーヤ国へと生まれ変わらせた、平和の使者たる初代皇帝ムリーヤ・ノ・チカコ一世陛下は、そうした先人の、世界平和への願いや祈りと形容されるそれを知っていて、自らもそれを引き継ぎ、またムリーヤ国に対し斯くあるべし、と定めたのだ。
話を戻すと、美雪は知識としては、第四代皇帝であるナディーヤ・ワカコが、今も国民から崇敬の念を向けられる賢帝の一人であり、そう育つことを知っているが、敢えてナディがそうなる一助になるような強い思い出作りをしたくて、そんなことを言い出したのだった。
「なるほどな」
と彗依は頷いた。
「ナディが初めて未来に行って、戻ってきた時、「マーマとゴーンして、ナムナムしたのよ」って言ってたが、何のことか分からなかったんだ。
ただ、それから随分と、「世界をどうしたら平和になるの?」みたいな質問をするようになったから、何か大事な思い出を作ってきたんだろうな、とは思ってたんだ」
「まあ、そうだったの?」
そうとは知らぬ間に、何やらナディの人生に重大な寄与をする提案をしたのだと知り、美雪は目を丸くした。
「だったら、尚の事、地球に行かないと。あと、広島、長崎、マリウポリ、ハルキウ、キーウにもお参りしたいわ」
何れもムリーヤ国内の、大量破壊兵器の実戦使用か、最も最近凄惨な地上戦が行われた地名であり、歳の割にはかなり聡明で理解力のあるナディを連れて行っても、解説してやれば理解できるだろう。と思った二人は早速、関係各所に連絡を取り始めたのだった。
※いわゆる「日本の平和の鐘」は実在していますが、この物語は飽く迄もフィクションであり、現実の人物、団体等とは関係ありません。




