5章 第9話N 国家運営なのじゃ
私とヒデオがこの世界に来て、二十年が経った。
いろいろあったけど、やっと何の心配もなく平和に暮らせるようになったよ。
とはいえ国の代表として、やらなきゃいけないこともそれなりにある。
国家運営とか。
そして今日はその国家運営会議がある。
ほとんどの事案はアルトとリューン・イライザ主導で用が足りるし、私は後で報告書を読んで終わりってのが多いんだけど、今回は私から説明することが一件あるのと新たに加わる人もいるから、久々に顔を出さないといけない。
よりによって今日、とは思うけし、さっさと終わらせたいけれども、仕事はちゃんとしないとね。
会議室に入ると、今日から運営会議に加わる事になった女性が、緊張した顔で立ち上がってスカートの端をつまみ、優雅な礼をした。
「冒険者ギルド本部長のカーリー・アレクト、招集に応じ参上致しましたわ。お招きいただき誠に光栄にございます」
「久しぶりじゃのう、カーリー。そんなに緊張するでない、もっと気楽にして欲しいのじゃ」
「そうは申されましても……わたくしのような他国の貴族が、魔王様の施政に意見を述べる機会を与えられるなど、考えも致しませんでしたので……」
これは本気で困惑している様子だなあ。
私の頭の上でカーリーと同じ金髪縦ロールを付けたミニスライムが、ぴょんぴょん跳ねて存在をアピールしているというのに、一切ツッコミを入れる気配がない。
無理もないか、この世界では君主制の政治が常識だもんね。
「参加してみればわかると思うのじゃが、この国は魔王国と名乗っておるが、正直言うとわしはただの象徴でのう、政治にほとんど参加しておらぬ。多くの案件はわしを通さず、代表者達による多数決で決めておるのじゃよ」
「魔王様が決裁しておられるのではないのですか?」
「ほとんど事後報告を受けるだけじゃ。アルトが民主政治に興味を持っておっての、議会政治を経てゆくゆくは民主政治へと移行する下地作りじゃ」
まだまだ当分先の話なんだけどね。
カーリーは何のことかわからず首を傾げてるけど、ちゃんと説明するには少しばかり時間が足りないかな。
他の会議参加者も来たようだし。
それと何も言われなくて悲しいから、ミニスライムに付けた縦ロールは解除してスライムに戻しておく。くすん。
「ナナ様、おはようございます。ミンシュ政治って何ですの? わたくしも興味ありますわ!」
「おはようございます、ナナ様」
「おはようなのじゃ、シアにレーネ。聞いておったのか」
二人の後ろにはオーウェンとジルの姿もあり、知りたそうな顔をしているけどオーウェンにはきっと理解できないだろうな。だって熊だし。
「時間もあれじゃしケモノでもわかるよう簡単に説明してやろうかのう。物事を決める際、大まかに言うと独断か衆知の二つしか無いのじゃ。これはわかるの?」
「独断が俺の国やフォルカヌスのような王政ってことか? だが親父だって宰相や他の貴族と話し合って物事を決めてるし、完全に独断ってわけじゃねえぞ?」
「あら、ティニオンの熊さんは察しが悪いですわね? 比率や決裁権を考えますと、王政は独断寄りの政治ということになりますわ」
相変わらずシアはオーウェンに対抗心燃やしてるなあ。最近構ってなかったから、今度一緒に甘いものでも食べようかな。
「シアの言うとおりじゃ。独断で進める政治の極端なものを独裁政治と呼び、皆で話し合って決める政治の極端なものを民主政治というのじゃ。この国の現体制も独断寄りじゃが、ゆくゆくは国民が決めた代表者をこの場に加え、その比率を増やす予定なのじゃ」
「国民が代表者を決めるのか? ……よくわかんねえが、そうしたら嬢ちゃんやアルトはどういう立場になるんだ?」
「引退しますよ。僕もナナさんも為政者という立場には、それほど興味はありませんからね。道筋は立てますが、僕たちが将来自由になれるよう国民には自立してもらいます」
いつの間にかアルトだけじゃなく、他の参加者も全員集まってるな。
関係ないやつも混じってるみたいだけど。
「まだ一般の国民は知識も教養も乏しく、代表者を選ぶ権利を与えることはできません。ですが魔物の驚異も減り平和を身近に感じられるようになりましたので、五十年もすれば政治の大半を国民に委ねても良いのではないかと思います」
「引退するって言っても姉御とオレ達四人だけで、リューンやイライザ達は残るんだよね!」
「私は教育担当の代表から降りてナナちゃんと一緒に行くけど、孤児の世話は続けるわよ~」
セレスを子供と触れ合わせるのは危険な気がするけど、今の所は実際に手を出したという報告もないし、信じよう……。
そして残る予定のリューンとイライザが、私に向かって恭しく頭を下げた。
「私とイライザは、ナナ様から教わった政治や経済の概念を元に、ナナ様が求める『文化』というものを発展させ、ナナ様がお戻りになられる場所をより良くしていこうと思っています」
「政治体制のバランスだけではなく、経済についても教わらなければいけないことがたくさんありますから、ナナ様にはこれからもご教示お願いいたします」
「どっちもわしが教えられる事などそう多くはないのじゃがのう、可能な限り頑張るのじゃ。ロックが」
え、俺? みたいな顔でこっちを見るな。
私と同じ知識を持っているだろう、働け。
「経済とはお金のことだな。テテュスも勉強しているのだ!」
「何でテテュスも当たり前のように混ざっておるのじゃ、全くもう……」
テテュスの隣ではバツの悪そうな顔をしたダグが、わざとらしく私から目をそらしてふんぞり返っている。
スライムぶつけてやろうかな、けっ。
それにしても……気がつけばシアとレーネ、リューンとイライザ、ジュリアとニース、オーウェンとジル、ダグとテテュス、ロックとアネモイが、それぞれ並んで席についていた。
……何なんだこいつら。爆発してしまえ。
「じゃあいい機会だから会議の前に、政治と経済について全員の意識のすり合わせしておこうか」
私の『爆発しろ』という怨念が伝わったのか、ロックが頬を引きつらせながら立ち上がった。
「民主政治は知名度だけで代表を選んだり、自分たちの利益のためだけに代表を選ぶような馬鹿が一定数出てくるから、より多くの国民に政治について学んでもらい、国家の将来について真剣に考えて貰う必要がある。そのために大事なことが教育だね。そして教育を充実させるには、まず国民の生活を一定以上まで引き上げないと、学ぶ時間を取る余裕が生まれない。そこで経済が重要になる」
そしてロックは、プディングの現状について説明し始めた。
ここにいる者ならほぼ全員が知っていることだけど、今日はカーリーにテテュスもいるからね。テテュスが理解できるかどうかは別として、念の為の説明だろう。
この国では国民が土地を持つことを禁じている。土地はすべて国のものとして管理しており、家や農地が欲しい者には貸出の手続きをし、広さに応じて税金という名目のレンタル料を徴収している。
なんでこんな事をしているかっていうと、農家などの『家業』を制限するためだ。
農家や商売をする者の家に生まれた子供が、幼い頃から家業の手伝いをさせられるのは、この世界だけでなく地球でもよくある話だ。私がいた頃の日本ならともかく、世界的に見れば農家の子供は貴重な労働力としてカウントされるなんてよくある話。
そんなんじゃとてもじゃないけど、子供が学ぶ時間なんて取れるはずがない。
だからこの国では個人農家は全くと言っていいほど存在しないし、それに加えて十二歳未満の労働を禁止しているから、家業を手伝わされる子供はほぼいない。
そもそも国営施設で働けば、家族四人程度を十分に養えるだけの給料を得られるようにしているんだから、普通に親がいる家庭なら子を働かせる理由がない。
今は大半の労働力を国が買い上げ、利益を労働者に分配する仕組みにしている。
これは共産主義や社会主義寄りの経済体系と言えるけど、現状では最適だと思っている。
そして国営施設以外の個人経営の商店や宿泊施設なども、従業員には十分な給与が支払われている。
そうじゃないと労働者がみんな国営施設に流れちゃうからね。
中には商会として規模が大きくなりつつあるものもあるようだが、これは各商店が出資しあって協力し作られたもので、株式会社の概念に近いものがある。
こっちは資本主義寄りの経済体系だ。
共産主義とは私財を持たず、全てにおいて皆が平等であるべきという主義だ。
この場合財産は為政者側が管理することになる。
資本主義とは私財を成し、働きによって公平であるべきという主義だ。
こちらは各個人がそれぞれの財産を管理することになる。
行き過ぎた共産主義は無気力を生み、行き過ぎた資本主義は経済格差を生む。
現状この国では国営の労働環境が過剰とも言えるほどにあるからこそ、民間側もそれなりの給与が支払われないと従業員が集まらない。
競争は大事だけど、過度な競争は価格の低下から利益低下に繋がり、それを補うため過剰な労働や給与の低下につながる。
そこまでしないと生き残れないようなら、早々に潰れてしまったほうが良い。
ま、欠点としては……ティニオンやフォルカヌスに比べると、生活必需品の物価が高いことかな。
逆に贅沢品の部類に入るものは、両国より遥かに安く手に入るんだけどね。
「そもそも『機会』は平等であるべきだけど、『結果』は平等にしちゃいけない。この国では頑張ったものが報われて欲しいし、努力した者が馬鹿を見るようにはなって欲しくない。だからもしも今以上に経済活動を国で管理して共産寄りに移行させるなら、その点だけは気をつけて欲しい」
全くの同意見、ってそりゃそうだ。ロックだし。
地球だと共産圏は国民の暮らしが貧しい国が多いけど、為政者が私腹を肥やさなければ豊かになれた国もあったかもしれない。
少なくともこの国では、まずは国民が平等に教育を受けられる機会を得られる状態に持っていく。
全てはそこからなんだ。
「国側で管理する経済と、民間に任せる経済か。どっちかに比率が傾きすぎると、ろくな事はねえってことか」
「そういうこと。じゃあそろそろまとめようかな? より良い政治を行うためには、教育が大事。教育を充実させるのには経済、経済を発展させるには政治が大事と、この三つは切り離せない。政治と経済は今はこの場にいる俺達で取り仕切るとして、最優先でやらなきゃいけないのは教育だ」
本来国家として最も大事なのは国防とか安全保障だけど、そこは今のところ優先度が低い。
だって私はもちろんリオやセレスだって、一人で一国を滅ぼせるだけの武力があるからね。それにほぼ維持費のかからない軍用ゴーレムもいるし。
将来私達が引退する前に、改めて議論すればいい。
「さて、オーウェンですらおおよそ理解したようですし、そろそろ会議を初めましょうか」
オーウェンの筋肉でできた脳みそで政治と経済が理解できるかどうかは別として、優先順位くらいは理解できただろう。
じゃあそろそろアルトの言う通り、会議を始めようか。
「うむ、よろしく頼むのじゃー」
国家運営会議は、アルトを議長としてリューン・イライザが副議長、軍からダグとリオ、教育機関からセレス、神殿からガッソーとファビアン、各研究所の所長、そして外交官のジルとティニオンからオーウェンが、フォルカヌスからステーシアとおまけでレーネハイトが集まって開催されている。
農業研究所は森人族の元族長ジョシュア、服飾研究所はアラクネのジュリア、魔導研究所は狐獣人のニース、そして食品研究所と医療研究所はフォルカヌスから派遣されてきた文官、製造技術研究所はプロセニアから連れてきた地人族とバラエティに富み、初めは正直なところ私ですら、他国の人間の多さに驚いたくらいなのだ。
そしてそこに冒険者ギルド長のカーリーが加わり、更には私とロックとアネモイとテテュスという、普段参加しないメンバーも加わったせいで、今日は会議室が狭く感じるくらいだ。
将来的には自国の人間だけにする予定だそうだが、今は移民だらけだしティニオン・フォルカヌスとの良好な関係もあり、この面子になったとアルトから聞いている。
会議はいつも通りアルト進行で始まるようで、アルト以外の全員が席についた。
「まずプディングの人口ですが、昨日の時点で6万5695人となりました。主な内訳は農業・漁業従事者が約2万5千人、土木業従事者が約1万5千人、服飾・魔道具等の製造業従事者が約8千人、そして専業兵士が約3千人、その他約3千人、最後に十二歳未満の児童が約1万2千人となっています」
あれ。プロセニアに宣戦布告する前は、人口が2万人ちょっとだったような。
そのあとプロセニアからたくさん連れて来て、倍の4万になったところまでは覚えているんだけど、いつの間に6万超えたんだ。
それと子供が多いのはガッソーが原因だと思うけど、プロセニアの孤児を根こそぎ連れてきたんじゃないだろうな。
「港湾都市ヴェールに移住して来た水棲亜人種の協力もあり、フォルカヌスとの航路確立計画が進んでいます。またティニオン・フォルカヌス両国の領内に隠れ住んでいた蟻亜人種と蛇亜人種も保護、それぞれ主に採掘と狩猟に従事しています」
私のために説明してくれたみたいだね、ありがとうアルト。
しかし水棲亜人種はまだしも、蟻に蛇かー。
近いうち会いに行ってみようかな。
その後は農業都市マロンで栽培する穀物・野菜と飼育する家畜の話や、港湾都市ヴェールで建造中の中型船と漁獲量の話、ティニオンとの道路が開通して舗装中という話や、各製造系の研究所からは魔道具や衣服等の成果物の話が始まった。
個人的に嬉しいのは酒造りが始まったこととかな。
酒は果実などを醗酵させたスパークリングワインのような物が多く、この炭酸が国民にうけているそうだ。
ただ今の技術では魔術に頼らずに炭酸を保持したまま輸送する手段が無く、将来の輸出を考えて技術研究所が頑張っているらしい。
そしてこの技術研究所には、ティニオンやフォルカヌスで働いていた職人が多く集まっことで急速に技術が発達し、いろいろな物が作られているという。
最近だと私の移動椅子をヒントにしたキャスター付きの椅子や家具とか、アサルトライフルのハチをヒントにしたクロスボウなんかも作られたそうだ。
たまにダグを撃ってたところを見られていたらしい。
そしてそれぞれの国内での販売額と輸出額についての話になり、一通りの報告が済んだところで、今度はそれぞれから問題点の提示となった。
ほぼ全員に共通しているのは、人手が足りないということだ。
「嬢ちゃんの国に移住したいって者もいるんでな、道路も開通したしこれからどんどん増えるだろうよ」
「フォルカヌスとしてはナナ様のためでしたら、いくらでも人は送れますわ」
「来たい者は拒まぬが、わざわざ連れて来ずともよいのじゃ」
それに増えすぎるとこっちはこっちでまた食糧難になるかもだし、両国とも税収や人材が減って大変だろうに。
既に相当の人が移住してるようだし人材も奪いまくってるし、これ以上は控えたほうが良いんじゃないかな。
「その両国とつなぐゲート以外の交通手段について、問題があるようです」
「問題じゃと?」
頭上のミニスライムを「?」の形にしてアルトを見る。目を逸らすな何か言え。
ティニオンの最寄りの街までは陸路で片道およそ六十日、フォルカヌスの最寄りの街までは海路で片道およそ九十日もかかるらしいが、この世界の人にとっては常識的な範囲だ。
「陸路となる道路周辺で、多数の魔獣目撃情報が寄せられています。また海路予定の海にも大型の魔獣が徘徊し、危険であるという報告も寄せられています」
活動が弱くなったとはいえ、全くいないわけじゃない。
それに獣寄りの熊とか狼とか巨大ザメとかは、魔素の影響をほとんど受けてないからね。
「陸路の警備なら、俺の方で人を回すぜ。それと土建技師も何人か寄越せ、道中に休憩所をいくつか作ったほうが良いだろ」
「ダグだけじゃ心配だし、オレも見回りに行くよ! ついでに姉御のくれた魔狼型ゴーレムで、久々に思いっきり走ってこようっと」
道に沿って魔狼ゴーレムを走らせれば、大抵の魔獣は怯えて近寄ってこなくなるだろうな。
「それでしたら今農業研究所で預かっている、ジェヴォーダンとシャストルもお連れになってはいかがでしょうか」
「ん? なんじゃジョシュア、羊追いはもうよいのか?」
「先日ニース様が下さった魔道具で、人の力でも問題なく仕事がこなせるようになりました。おかげでジェヴォーダン達がいなくても、仕事は回せる状態です」
なんでもニースに渡した魔物避け魔道具が、いつの間にか出力を弱めた動物避け魔道具に生まれ変わっていて、その試験運用として農場に数基預けられたらしい。
3メートルサイズの羊も移住当初に比べてかなり増え、ジェヴォーダン達の負担が大きくなっていたことから、ロックが仲介し話をまとめたそうだ。
「それにジェヴォーダンもシャストルも、思いっきり駆け回れなくて可愛そうだと思ってたんです」
「農場は広いが、あの二頭には物足りないじゃろうのう」
戦闘能力だけ見れば私が毎晩ベッド代わりにしている白虎のぱんたろーには劣るが、ダグやリオ達に騎乗用として渡した魔狼ゴーレムとほぼ同等だ。
ただ完全生体だからね、運動不足になってなきゃ良いなぁ。
とりあえずこの二頭はリオに預け、一緒に駆け回ってくることになった。
「なら海はテテュスに任せるのだ。本来の姿で航路とやらを二往復もすれば、テテュスの縄張りだと察知した魔物は二度と近寄ってこなくなるのだ」
「おお、テテュスも手伝ってくれるのじゃな、それは助かるのう」
「ただではないのだ。テテュスも『給料』というものが欲しいのだ」
バイトか。
それで良いのか最強生物。
ポンコツしかいないのか古竜。
そして羨ましそうな顔をするなアネモイ、お前はロックにたかってろ。
「もちろん働いていただくわけですから、給与はお支払いしますよ」
アルトがダグを見てニッコリ笑うと、ダグが諦め顔で頷いた。
つまりダグの給与からテテュスに支払おうってことか、アルトも悪よのう。
まあ私を始めアルト達四人とロックは、給料とか報酬の類は受け取ってないからね。
一応プールしてるけど、ほとんど国庫に返してる。
そこからの支払いだし、別に問題ないか。
「さて、あらかた話は済んだの。ではわしから今日の会議の本題じゃ」
このために珍しく私も会議に参加したんだからね。
前に出て、冒険者ギルドマスターのカーリーに視線を送る。
「実はブランシェ近郊にダンジョンというものを作ってのう。その管理を冒険者ギルドに委ねたいのじゃ」
「……は?」
抜けた顔したら美人が台無しだよカーリー。
くすくす。




