4章 第38話N さよなら
世界樹から伸びる魔力線から、私を守る五つの魂。
アラクネ族の前族長、バービー。
私に二度目の生をくれた、ヒルダとノーラ。
そして……。
「何で……何でここにおるのじゃ……何でじゃ! ヒデオ!!」
考えたくなかった。
いや、意図的に、考えないようにしていた。
魂破壊の術式が発動したから、異界と地上が融合しようとしているんだ。
わかってた。
そんな気はしてた。
でも、認めたくなかった。
すると突然視点が低くなった。ああ、力が抜けて、私が座り込んだのか。
もう駄目。
何も、考えられない。
考えたく、ない。
二人のヒデオが降りてきて、私の頭に手を伸ばした。
もう、やだ。
もうやだよ……。
(ごめんな、先に逝っちゃって。エリー、サラ、シンディと子供達のこと、頼んだよ。愛してるよ、ナナ)
ヒデオの声が、頭に直接響いてきた。
「謝るくらいなら死ぬな! うわああああああ!!」
(ご、ごめんナナ。一緒に永遠を生きようって言ってたのにな……ほんと、ごめん……)
「う、うあぁ……ぐすっ、わしの方こそ、守ると約束、したのに……ごめん、ヒデオ……ごめん、なさい……ごめん……」
悪いのはヒデオじゃない、私だ。
(ナナさんは悪くない。それに、ヒデオ兄さんは幸せだったみたいだよ? ナナさんを抱けなかったのが、心残りみたいだけど)
(な、馬鹿レイアス、今はそんな事言ってる場合じゃ……)
顔を上げたら、もう一人のヒデオが私に手を伸ばしていた。
レイアス、なの?
(初めまして、ナナさん。とはいえ意識自体は少し前から目覚めてたし、ヒデオ兄さんの記憶も全部持ってるから、不思議な感じですね)
「レイアスの魂が、体に残っておらぬのは気付いておった……わしの勘違いであってほしいと願っておった……ヒデオが目覚めたらレイアスも戻ってくるのではないかと期待し、考えぬようにしておった……すまぬ……すまぬのじゃ……」
(良いんですよ。自由はありませんでしたが、本当なら五歳の時に死んでいる命でしたから。ヒデオ兄さんは気にしてましたけど、兄さんがいなくても僕の魔力が高いのは変わらないですからね。だから、ヒデオ兄さんとナナさんには、心から感謝しています。ちゃんと挨拶できなくてごめんなさい)
私の方こそちゃんと挨拶できなくてごめん。
会うのを楽しみにしてたのに、こんな形でごめん。
(ごめんナナ、そろそろヒルダさんがきつそうだから交代するよ)
上を視ると、ヒデオとレイアスが抜けた分、ヒルダが魔力線を防いでくれていた。
それに他にもいくつもの魂が、魔力線からの防波堤になってくれている。
どの魂も、見覚えがある。
ブランシェで亡くなった住民に、風竜山脈で会った避難民の代表の息子も居る。
みんなが、手を貸してくれている。
(愛してる、ナナ。……幸せに、なってくれ……すまない)
「ヒデオ……わしも、愛しておるぞ……」
ヒデオとの、最後の口づけ。
何の感触も無い。
けれど、温かい……。
ごめんね。ありがとうヒデオ。
私にはまだ、やらなきゃいけないことがあるんだよね。
「エリー達のことは……任せよ……」
優しげな顔で頷く、ヒデオとレイアス。
泣いちゃだめだ。笑顔で見送らないと。
入れ替わりに降りてきたのは、バービーだった。
私の前に来たバービーは、腕を組んだまま右前足を高く上げた。
『スカッ!』
(しっかりおし! アラクネ族を、異界から地上に出たみんなを……プディングの民を、頼んだよ?)
気合い入れのつもりだろうか、前足が私の体をすり抜けていった。
「ふふ、すまんかったの、バービー……おぬしの体で作った猫じゃが、ジュリアが大事に育てておるぞ。とても……元気な子じゃ……」
(そうかい、それを聞いて安心したわい。あとは頼んだよ? まったく、老人をこれ以上働かせるんじゃないよ)
それだけを言ってまた上空へ昇っていくバービー、憎まれ口のくせにもの凄い優しそうな顔だったね。
ごめんね。ありがとう、バービー。ちゃんとするよ。
そして最後に降りてきたのは、ヒルダとノーラだ。
ノーラなんか降りてきたと同時に私に飛びついてきて、すり抜けてしまって悲しそうな顔だ。
戻ってきたノーラとヒルダが、しゃがんで私の頭を両手で包み込んだ。
感触はないけど……温かいなあ……。
(ナナ! わらわ達の作った体を使ってくれて、ありがとうなのじゃ!)
(ほんとね。でもナナ、あなたが元々男だったなんて気付かなかったわよ。もっと早く言ってよね、この助平)
「う、ぐ……ヒルダよ、久々じゃというのに一発目がそれか……」
(あら、本当のことじゃない。それと私達はずっとあなたと一緒だから、久々という気はしないわね。いろんな景色も見れて、楽しませて貰ってるわ)
(うん、見てたのじゃ! きれいな景色も、この世界樹のてっぺんも!)
「なん、じゃと? もしかして、この義体の瞳を通して?」
(そうね。でも話ができるのは、これが最初で最後よ? できたとしても、これ以上はダメ。私達は死者よ。ナナ、あなたは生きているの。死者にいつまでも囚われてちゃダメよ)
(寂しいけど、だめなのじゃー。ハンバーグ、食べてあげられなくてごめんなのじゃ……)
「私、こそ……食べさせてあげられなくて、ごめんね……ヒルダ……ノーラ……」
(ふふ、ナナ。口調が変わってるわよ?)
(いつもと違うのじゃー!)
「ぐすっ。ちょっと、気が抜けただけ、じゃ……ぐすっ」
(ナナ……あなたは自由に生きて。私達の分まで、自由に、そして幸せになって)
(ナナなら大丈夫なのじゃ!)
「しあわ、せ……?」
(そう。幸せよ。……ナナ、世界樹に刻まれた術式の場所は、世界樹の幹の真ん中より少し上よ。……行きなさい、ナナ!)
(ナナ、大好きなのじゃ! ありがとうなのじゃ!!)
私の頭から、二人の両腕が離れていく。
嫌だ、もっと一緒にいたい。
もっと話していたい。
でもそんな笑顔見せられたら……我儘、言えないじゃないか……!
二人が私から離れて向かった先に、アネモイそっくりのツノを生やしたロックが一人立っている。
そのロックにヒルダとノーラが抱きついて一言二言会話をすると、二人はスーッと高く登っていき、大きく手を振った。
すると見えない衝撃波でも出たように、上から伸びてきていた大量の魔力線がかき消えた。
だけど同時に、ヒルダとノーラの姿も薄くなった。
泣いていたロックと顔を見合わせ、頷いて私達も翔び立つ。
「これ以上、死者に甘えるわけにいかないよね……」
「そう、じゃの……」
私とロックの少し先を、ヒルダが、ノーラが、バービーが、そしてヒデオとレイアスが、世界樹の魔力線から私達を守るように展開している。
それだけではなく、他の死者の魂からも私達を守ってくれているようだ。
その中は明らかに私であることを認識し敵意を向けてくるものもいくつかいて、特に強い敵意を向けてくる魂が二つあった。
どちらもヒルダの攻撃らしきものを受けて消滅寸前だけど、一つはヴァンとしても、もう一つは誰なんだろう。
気になるけれど、誰なのかよく視ている場合じゃないね。
ありがとう、みんな。
ごめんなさい。
私は、行くよ。
そして……生きるよ。
……さようなら……。
「ロック! 一気に行くのじゃ!!」
「ああ! しっかりついてこいよ!!」
先頭を飛ぶヒルダとノーラを追い越し、ロックは二人を真似た動きで魔力線と敵意を向けてくる魂を消している。
そのロックの目からこぼれる涙が、後ろを飛ぶ私の直ぐ側を落ちていった。
私もヒルダとノーラを追い越した時、二人の優しげで、そして嬉しそうな顔を見た瞬間、視界が大きく歪んだ。
……泣いてちゃ、駄目だ。
笑顔を、見せなきゃ。
間もなく目的の地点についた私は、魔力線を防ぐロックに背中を預けて術式の刻まれた場所とやらを探す。
……見つけた。
キューちゃん、ピーちゃん。力を貸して。
術式解析、破壊阻止の手段は!
―――術式が刻まれた魔石周辺からの反応に極度の遅延あり。現在発動中の破壊術式によるものと思われます。
―――破壊術式の無効化・・・失敗。解析・・・魔石内の魔力回路に破損あり。要修復。
魔力視……魔石内の魔力回路って……この辺りだけじゃない、全体が、破損?
くっ、目の前から片っ端に修復!
術式が刻まれた地点から伸びてきた魔力線が私に接続されたけど、防ぐのに力を使う余裕なんてない!
痛い、痛い、痛い!
でも、こんな痛み、何だ!!
バービーに任されたプディングの民を守るんだ!
ヒルダとノーラが綺麗って言った世界を守るんだ!
ヒデオの子が産まれるこの大陸を守るんだ!!
修復、してやる!!
……誰かの声が聞こえる。
何してたんだっけ……ああ、世界樹の魔力回路修復だ。
ん? ……もう、痛みは無いんだね。よかった。
世界樹も魔力過多症になるの? 変なの。
……え? 世界樹も生き物だから病気にだってなる?
それもそうだね、ふふふ。
え。探してたって、何で?
そっかー、話し相手なら私がなってあげるよ。
いいよ、それじゃ一緒に行く?
このままじゃ周りに濃い魔素が集まって、人が住めなくなっちゃうからね。
うーん、私も元人間だから、そんなに嫌わないで欲しいなあ。
そうだよ、人間なんてみんな勝手だよ? 私もそう。
でも、自分じゃない誰かのために何かができるのも、人間だけだよ?
その勝手さが、良いことなのか悪いことなのかの違いはあるけどね。
うん、いいよ。そしたら私の中においで。
一緒に世界を見ようよ。
それにしても、世界を知らない世界樹なんて、変なの。ふふふ。
「ナナ……ナナ!!」
「ひあい!?」
あーびっくりした。
……ん?
「ロック、わしは何を……それに、ここはどこじゃ?」
見渡す限りの土の壁。というか、穴の中。
さっきまで世界樹の中腹にいたよね?
それにロックが持ってる祠……ヒルダとノーラの……世界樹のてっぺんに括った奴だよ?
「やっぱり完全に意識飛んでたか。まず異界と地上界の融合だけど、遅延に成功したらしい。アルトからの情報からキューが計算した結果だと、完全融合まで約四日だ。これなら何とかなる」
「そうじゃったか……一安心じゃのう……」
「いや……ナナ、自覚ない? もの凄い勢いで、ナナの魔力が増えたり減ったりしてるよ? 一体どうなってるの?」
自分の中に意識を向けると、確かにとんでもない速度で魔力が減っている。
でも……同時に、お腹の中ある別の魔石から、どんどんどんどん魔力が供給されているよ? あれ?
「……あれ? キューちゃんがいつも入ってるところに、知らない魔石があるのじゃが?」
「……はあ?」
何があったんだっけ。えーと、世界樹の魔力回路修復だ。
魔力視を高出力で使ってたから何度も魔力が足りなくなって、その度にロックから供給されてたんだっけな。
魔力というか、竜の力が。
そういえばアネモイの姿が見えないのは、ロックに生えてるアネモイそっくりのツノと関係あるんだろうか。
ああもう、あとあと。
それで破壊術式を逆に無効化して、壊れてた異空間生成魔術の魔法陣を修復して、解除自体は止められなかったから魔力をひたすら送って遅延化させて、そんで魔力が足りなくなって……どっかから湧いて出た魔力を使って、今も遅延化を……。
あ。
「世界樹と、会話をしたのじゃ……内容は、よく覚えておらぬが……一緒に行こうと言った記憶が……あああ!」
「そうだよ、ナナが……世界樹をスライムで吸収したんだ。一本、丸ごとね……」
じゃあこのお腹の魔石って、世界樹の?
魔石に意識を向けてみると……ああ、夢の中で聞こえたのと、同じ声がする。
「この魔石……やはり世界樹の、じゃのう……」
「……とんでもないことになってる気がするけど、とりあえず……一旦ブランシェに戻ろう」
「そ、そうじゃの……ってロック、どっからアネモイを出したのじゃ」
気付いたらロックがアネモイをお姫様抱っこしてた。
いつの間に? あれ、ロックのツノも消えてる?
「それも話すと長くなりそうだから、あとでね」
ブランシェに戻って会議室から司令室になった部屋に行くと、アルトが通信機を前に各所へ指示を出していた。
合間合間に私達にしてくれた説明によると、プディング魔王国正規軍はその九割を異界に移動させ、地上界で都市や村などと重なる地点を、私が作った軍用ゴーレムのくまキャノンやカメタンクで、片っ端から大穴を開けていると言う。
あれはプディングの国外に出す予定は無かったはずと言ったら、異界は全域プディング国の領土だから問題ないと言われてしまった。
どうも異界側のブランシェがある地点は、以前ダグがカメタンクの主砲をぶっ飛ばし、私が特殊弾頭の実験で更地にしたおかげ? で、融合事故の心配が無いことからヒントを得たらしい。
何で大穴を開ける必要がと思ったら、ジースでは融合の影響で井戸が全て埋まったそうだ。
ブランシェや他の都市でも同じことが起こると予想されたため、辺り一帯を薙ぎ払うだけでなく大穴を開けることにしたそうだ。
しかし半透明から実体化までの時間が延長されただけらしく、ティニオンやジースの各地で軍用ゴーレムを見られてしまったことは謝罪された。
そしてダグ・リオ・セレスは主にジースとティニオンの国内へ、ペトラ・ミーシャは一部の元奴隷を率いて、異界のプロセニア地域に魔物狩りに出たらしい。
元奴隷からすると憎むべき相手だが、プロセニアの民だけでは処理しきれないような大物だけを狩ってくるつもりだそうだ。
いい気味だとは思うけど見捨てるのも気分が悪いし、この国の民として恥ずかしくない生き方をしたいと言った元奴隷の多くは、キメラ兵にされていた者らしい。
そんなに多くない人数とはいえ、ちょっと嬉しいな。
でも私も何か手伝おうとしたんだけど、いつもどおり拒否された。
「ナナさんとロックさんは、お二人にしかできないことをすでに終わらせましたよね? あとは僕達でもできることですよね? それなら配下を信じて休むのも王の役目ですよ?」
……反論できませんでした。
病室として使われている、ピーちゃんがいる部屋に入る。
エリーが、サラが、シンディが、そして……ヒデオが、いる。
四人ともスライムに覆われてベッドに横たわってる。
世界樹にいなかったエリー達三人は、きっと大丈夫なんだろう。
必ず、目を覚ましてくれるはずだ。
でも、ヒデオとレイアスは……もう……。
「う、うう……うあああ……あ、あああ……」
ごめん、やっぱり駄目だった。
抑えられない。
少しだけ、泣かせて。
ちゃんとエリー達とヒデオの子は守るから。
だから……。
「う……うああああああああ!」
ヒデオの、胸に触れる。心臓はピーが補助してるけど動いてるのに。
頬に触れる。まだ、温かいのに。
唇に触れる。こんなに、柔らかいのに。
「う、うあぁ……ぐすっ……うぅ……ヒデオ……愛してる……愛してるよ……」
触れていた唇に、口づけする。
ちゃんと、ちゃんと呼吸しているのに。
死んでいる、なんて。
「いやだ、よう……さよならなんて、いや、だ……う、うああ……」




