3章 第78話H 命のやり取り
旧小都市国家群の都市跡テミロイに籠城して三日目の朝、ヒデオ達『紅の探索者』五人は都市防壁の上に立っていた。
この三日で降った雪が見渡す限りの景色を白く染めており、陣を敷くプロセニアの兵士たちを浮き立たせている。
西門方面に向いたヒデオ達の目には、およそ千五百人の粗末な外套を身に着け兜や覆面で顔や頭部を隠す兵士の姿が映っている。その中にはプロセニア正規軍の小綺麗な鎧兜に身を包む、弓を持った兵士の姿が点々と紛れ込んでいる。
ヒデオはその兵士たちの最奥に一際派手な鎧と外套を着けた五人組を見つけ、忌々しげな顔で睨みつけていた。
「あれがプロセニアの英雄チェイニーだな、オレ達と同じ剣盾持ちの近接型か。あとは槍持ちと弓持ち、それと術士っぽいのが二人見えるぜ」
オーウェンの言う通り、チェイニー達は俺達とほぼ同じパーティー構成らしい。術士と弓持ちはエリー達に任せて大丈夫だろう、エリーとサラの武器は魔術を迎撃できる代物だし、シンディは矢が無限に出る矢筒に加えて魔術もある。それに術式の詠唱が無い分、圧倒的に有利だ。
チェイニーと槍持ちは俺とオーウェンで戦うとして、問題は相手の仕掛けている罠だ。
正直どんな作戦で、どんな罠を仕掛けようとしているのか想像ができない。
「良いじゃない、ヒデオ。相手がどんな罠を仕掛けてようが、半端な罠でどうにか出来るあたし達じゃないわ!」
「問題なのは督戦隊かも! 奴隷兵を傷つけないように督戦隊だけ撃つのは難しいかな?」
「でもやる」
俺達はチェイニーとの戦闘が終わったあと相手が約束通り撤退しなかった場合は、味方兵と協力して督戦隊だけを討ち取るつもりだ。防壁上に弓の得意な兵士を二十人、テミロイ西門内の建物内に三十人を配置し、残りの兵士と自分達でテミロイ防壁内に誘い込んで攻撃を仕掛ける予定だ。
書簡を届けに来た狼獣人奴隷には、テミロイに入ったら可能な限り仲間を連れて都市の東へ一気に抜けるようにとだけ伝えて開放してある。彼の動きにも期待しよう。
南門側にもプロセニアの兵士が五百人ほどいるが、あっちは西門側が片付いてからだ。
正直なところ、ナナに助けを求めることも考えなくは無かった。だが頼るのと甘えるのは違う。それに俺達だってティニオンの英雄なんだ。自力で乗り越えられなくて何が英雄だ。
人を殺すかもしれないことにまだ抵抗はあるけれど、もしそうなったとしてもこれは戦争なんだ。殺さなければ自分が、仲間が危険なんだ。
それに……ナナが知っている苦しみを俺も知ることが出来るんだと思えば、どうってことはないさ。
「チェイニーがどれほどの実力かわからないけど、二千人の奴隷兵でどうにも出来ないほどの相手なのは確かだ。気を抜くなよ? それじゃあ、軽く腹ごしらえをしたら行こうか」
四人の真剣だが気負いは感じられないはっきりとした返事を聞き、一番気負っているのは自分じゃないかとすら思ってしまった。
人を殺す覚悟、か……。
正午が近くなったので西門を開け、足首まで埋まる雪を踏みしめながら、奴隷兵の最前列で待っている奇抜な色の外套を着けた五人組のところへまっすぐ向かう。
俺達のすぐ後ろには八十人の兵士がついてきている。彼らは相手が仕掛けてきたら、すぐにテミロイ西門内へ駆け込むようお願いしてある。その時は俺達が殿で、空間障壁を使って敵を足止めすることになっている。
チェイニー一行らしき五人組に近付くと、外套の奇抜さがより一層際立った。恐らく真っ赤な外套の中年男がチェイニーだろう。あとは赤地に金色の模様が付いた外套の巨漢男性が槍使い、金色の外套に赤字の飾りが派手に付いた目つきが悪い壮年男が弓使い、口元以外を全て覆面で隠した小柄な二人は金地に赤色の飾り模様が控えめに付いている。
「ハッ、お前がティニオンの英雄レイアスか。俺がチェイニーだ。聞いていた通り、甘そうな面構えしてやがんな」
「レイアスだ。それより約束は守られるんだろうな?」
「お前達が勝ったら軍を引き上げるって奴か? 当然だろ、光天の神々に誓うぜ」
薄ら笑いを浮かべたチェイニーが後ろに控えていたプロセニア兵に合図を出すと、奴隷兵が俺達を囲むように一斉に動き出した。味方兵が驚いて剣を抜こうとしていたが、奴隷兵が誰一人抜剣していないため躊躇したようで、その間に俺達は完全に包囲されてしまった。
「ハッ。そう慌てんじゃねえよ、戦いの舞台を整えただけじゃねぇか」
味方兵とも分断され数字の『8』のような、俺達とチェイニーを囲む大きな円と、ティニオン兵を囲む小さな円の二つの包囲網出来上がった。
俺達のいる円は野球の内野ぐらいの広さだが、弓や魔術は気を付けないと囲みの最前列に並ぶ奴隷兵に当たってしまいそうだ。督戦隊は囲みのだいぶ外側の方で隠れるように様子をうかがっている。
これでは督戦隊だけを倒すのは難しい、何とか手を考えなければと思っていたその時だった。
『シュバッ』
俺の右側を通過しようとした矢の中ほどを右手で掴む。射線上にいたのはエリー、矢尻には黒くぬるっとしたものが塗られているが、恐らく毒だな。督戦隊といい不意打ちといい卑怯な奴等だな。
「ハッ、よそ見していたくせに中々いい勘してるじゃねぇか! さあ、始めようぜ!!」
相手の弓使いが隙を突いて矢を放ったらしい。その男は既にその場を移動し、シンディが相手の足元に弓を射ながらそいつを追って行った。
一気に決着をつけるため身体強化術を発動し、剣を抜いてオーウェンと並んで真っ直ぐ突っ込もうとしたところに、複数の火の矢と目に見えない風の刃が殺到した。といっても魔力視で全部視えているので全て盾を掲げて打ち消したが、直後にチェイニーの剣が迫る。
『ガキンッ!』
「ハッ、俺の一撃を止めるとは、思ったよりやるじゃねえか!」
想像よりも遥かに重い一撃を盾で受け止めた俺の横では、オーウェンが槍による薙ぎ払いを盾で受け大きく弾き飛ばされていた。オーウェンも身体強化術を使っているのに、力負けしたっていうのか?
よく見るとエリー達も様子がおかしい。三人共一切回避せず、相手の魔術や弓を全て叩き落としている。しかも相手の術士も無詠唱、だと?
「ハッ、またよそ見とは余裕だな!」
「ぐっ!?」
チェイニーの前蹴りが腹に食い込み、一瞬息が詰まる。間合いが空いた瞬間、チェイニーが剣を足元の雪に突き刺し、盾の裏から出したナイフを三本こちらに投げてきた。一本目は大きく右に逸れているため、俺には当たらない軌道だが――
「ちっ!」
『キンッ』
右手の剣を大きく振って一本目のナイフを弾き落とす。俺にも仲間にも当たるはずのないナイフだが、俺の後ろには奴隷兵がいる。
「ハッ! やっぱりな、随分な甘ちゃんだぜ。奴隷を庇うとはな!」
顔と脚めがけて飛んできていた二本目と三本目のナイフは、辛うじて戻せた右手の剣と盾で弾き落とした。
エリーもサラもシンディも、避けると相手の攻撃が全て奴隷兵に当たるような軌道で術や矢を撃たれている。
やっとわかった。狼獣人の奴隷兵に書簡を届けさせた事自体が、精神的な罠だったんだ。狼獣人から奴隷の境遇を聞いたことで、奴隷は俺達に対する人質になってしまった。そして奴隷たちで作った囲みが、俺達の行動を縛る直接の罠だ。強く噛んだ奥歯がきしむ耳障りな音が、耳の奥に響いてきた。
人の命を何だと思ってるんだ!
「この、卑怯者!」
「ハッ、甘ちゃんらしい鳴き声だなあ! 良いことを教えてやるよ。俺達はな、お前らと違って奴隷の命なんて何とも思ってねえし、むしろ殺したくて殺したくてウズウズしてんだよ!」
そう言ってチェイニーが真っ赤なマントを、俺に見せつけるように翻した。
「こいつはな、元々金色のマントなんだよ。虫けら共を殺す度に赤い印を付けていったらよ、もう塗るところが無くなっちまったんだ、ふはははっ!」
虫けらども、と言った時にチェイニーがサラとシンディに一瞬視線を向けた。こいつぜってえぶっ飛ばす。べらべら喋ってる間に、真上から火矢の雨を降らせてやる。
「チェイニー!」
その時、相手の魔術師の一人が大声を上げた。その女の人の声に少し遅れて、囲みのあちこちから「うわ!」とか「ぎゃっ!」という幾つもの悲鳴が聞こえてきた。
「ハッ、危ねえ危ねえ。お前魔術も使えるんだったな。剣士なら剣士らしく『正々堂々と』剣で戦えよ、そうじゃないとまた督戦隊が奴隷どもに矢を撃つぜ?」
「くそっ! 正々堂々なんて、どの口が言うんだ!!」
こうなったら速攻で決めてやる。身体強化術の出力を増やして一気にチェイニーとの間合いを詰め、盾で力いっぱいかち上げる。
驚きで目を剥いたまま宙に浮くチェイニーの腹部目掛け、殺すつもりで剣を突き出す。しかしその瞬間、また聞こえてきた囲みからの悲鳴に一瞬気を取られ、必殺の突きはチェイニーの腹部を掠めただけで致命傷にはならなかった。
「くそっ!」
「ガハッ、畜生があああ!!」
出力を増やした強化術を発動したまま、着地したチェイニーに何度も何度も剣を振るう。
これ以上督戦隊に、奴隷兵を殺させる間を与えちゃ駄目だ。防戦一方で下がっていくチェイニーをどんどん押していき、魔力を通した剣がチェイニーの剣と盾を真っ二つにした時には、囲みの奴隷兵の生気の無い視線がはっきりと解る距離だった。
バックステップで更に距離を取ろうとしたチェイニー目掛け、体重を乗せた飛び込み突きを放つ。一刻も早くチェイニーを倒さなければ、そう思っての一撃だ。
『サクッ』
放った突きが胸に深く突き刺さり、肉と骨を断つ気持ちの悪い感触が右手に伝わる。
一瞬にして弱まり、止まっていく相手の鼓動まで右手に伝わってくるような感覚と同時に、自分の体の中心を胃液が駆け上がってきた。
「あ……なん、で……」
思わず口から漏れた言葉は俺自身が発したもののはずだが、たった今鼓動が止まった相手も同じ言葉を発した気がする。
どこか現実味のないその光景に、思考が止まった。
『ドサッ』
チェイニーの前に飛び込んできた一人の奴隷兵が力なく崩れ落ち、胸に突き刺さった俺の剣が抜けて雪を赤く染めていく。
ずれた覆面から覗く顔に、見覚えがある。テミロイに、書簡を届けに来た、狼獣人――
「オラアアッ!」
チェイニーの前蹴りを受け、胃液が溢れ出した。ヒリヒリする喉の不快感に耐えながら顔を上げると、狼獣人が飛び出してきた辺りにプロセニア正規兵の鎧を着た男が見えた。
あいつが狼獣人を、チェイニーの前に突き飛ばしたのか?
「てめえ、よくも! よくも! やってくれた、なあっ!!」
チェイニーの拳が、蹴りが、何度も何度も何度も俺の体にめり込んだ。剣と盾を握り直そうと思ったが、両手には何も握っていなかった。俺は、いつ、剣と盾を落としたんだろう。
人を殺す、その覚悟はできてたはずだった。でもそれは戦いの中で、敵を殺す覚悟だ。人質同然の奴隷達を殺す覚悟なんて、無かったんだ。
いつの間にか俺を殴るのを止めていたチェイニーが、遠くに落ちていた俺の剣を拾って戻ってきた。
「ハッ! 随分頑丈な野郎だな、だがお前の剣は随分と切れ味良さそうだなぁ?」
手にした俺の剣を品定めするように見ていたチェイニーが、その切っ先を俺に向け無造作に突き立てた。
「うああああああ!」
左腕に、焼けるような痛みが走った。俺の剣が突き刺さっている左腕から、赤くて熱いものが流れて行くのが見える。狼獣人の胸から流れ出したのと同じ、赤い、血。
「ヒデオ!!」
エリーの声が、やけに遠くに聞こえる。サラもシンディもオーウェンも、目の前の敵を放り出してこちらに駆け寄ってこようとしているみたいだ。
……駄目だ。
……駄目だ!
そんな事をしたら、みんなの方が危ないじゃないか!!
俺は何をしているんだ!!
ナナが作ってくれた剣を、返せ!!
俺が伸ばした手を避けたチェイニーは飛び退き、そこから俺の胸に目掛けて突きを――しまった、身体強化術も切れている。
切っ先が、俺に迫ってくる。
スローモーションのような感覚の中で、ナナの笑顔が目に浮かんだ。
そうだ。俺はまだ、ナナに想いを伝えていない。
まだだ、まだ死ねない!!
魔石と心臓にさえ当たらなければいい、少しでも良いから避けて、生きる!
そう決意した瞬間想像の中のナナの笑顔に重なるように、今度はナナのニヤついたニヤついた顔がはっきりと浮かび、迫る剣の切っ先をかき消した。
くっ、切っ先が見え……ん? ニヤついたナナの顔が、はっきり見えて?
『ゴチン!』
「ぴぎゃっ!?」
……え?
『トサッ』
俺の胸にはチェイニーの突きではなく、いつもナナの頭上にいたスライムが飛び込んできた。反射的に抱き締めてしまったが、これ何で翼生えてるの。
それにチェイニーの突きを後頭部に受けたナナが、手に持っていた何かをひっくり返してしまい、それを呆然と見て……え。
本物? 転移してきたのか? いやそれより今剣で刺されたよな!? それも頭!!
「ナ、ナナ!?」
ナナの目に、徐々に涙が溢れてきた。怪我は無いようだけど……いやいや、普通は致命傷……あ、ナナはスライムか。いやでも確か核の魔石が頭に入ってるって言ってたよな?
「ヒデオ……ごめんなのじゃ、驚かせようと思って持ってきた料理、ひっくり返してしもうた……」
いやいやいやいや問題はそこじゃないだろ!?
涙目のナナの足元には雪の上にひっくり返った二つの器と、白い塊が雪に紛れて転がって……は? まさか、これ。
「おに……ぎり……?」
静かになった戦場に、俺の声が随分と大きく響いた気がした。




