3章 第74話H 突然の戦争
「くそっ、雪が降ってきやがったか。ヒデオ、負傷者の収容状況はどうなってる」
「大丈夫だ、撤退してきた兵士は全員テミロイに入った。あとは俺達だけだ」
感覚転移による上空からの俯瞰視点で周囲を探るが、この辺りには俺達の他にテミロイ防壁外にいる味方は見えない。どうやら無事に撤退できたようだ。
「エリーとシンディに負傷者の治療は任せて、俺達は元気な人から話を聞こう。敵の情報が少なすぎる」
小都市国家群の瘴気はナナが完全に吸収していたようで、俺達の調査は順調に進行した。
せいぜいが廃墟になっていた各都市に、ゴブリンが住み着いていた程度だ。
途中でオーウェンと二人でこっそりと抜け出し、甲羅が宝石になっている『ジュエル・タートル』という魔物の生息地に行って狩りをして、虹色に光る宝石を手にエリー・サラ・シンディの三人に、春になったら結婚して一緒になろうと正式にプロポーズした。
宝石の指輪への加工も帰ってからやることにし、オーウェンもジルへの土産を手に帰還を楽しみにしていた。
都市跡の確認を終える度にオーウェンが通信魔道具でアトリオンへ連絡を入れ、それを受けて待機している兵士が次々と各都市跡へ向けて移動する手筈になっていて、今年はまずティニオンに近いテミロイとセトン、そして北東のハーデラグに兵士を常駐させることになっている。
北西最奥のバイアロンとその周辺の確認を終えた俺達は、短距離転移を繰り返してセトンまで戻ってきた。
もうすぐで帰れる。何も問題なく調査が終わって良かったと、ここまではそう思っていた。
そこに負傷した兵士を乗せた騎馬が訪れた。兵士はハーデラグが襲撃されたという報せを伝えると、そのまま意識を失った。
俺達はすぐさま短距離転移を繰り返してハーデラグへ向かうと、途中で正体不明の兵士を相手に撤退戦をする兵士達を見つけて合流、敵兵士を撃退して味方の兵士を救い出しセトンへ誘導した。
しかし一度は撤退した敵兵士だが俺達と一定の距離を保ったまま、セトンまでついて来てしまった。
粗末な兜や頭巾に覆面など、敵の多くはまっとうな兵士には見えないが、少なくとも野党や盗賊の類だったら、兵士に正面から戦いを挑む馬鹿はいないと思う。
しかも相手の数は数百を超えていて、セトン常駐の兵士五十人とハーデラグからの撤退兵三十人ではどうにもならず、結局俺達は早々にセトン防衛も諦めて西のテミロイまで撤退してきたのだ。
「ヒデオ、こっち。敵の正体知ってる兵士がいた」
「でかしたサラ、案内してくれ」
「ん」
サラについて行った先は撤退してきたハーデラグとセトンの兵士の休憩所で、皆疲労困憊といった感じで項垂れていて、そのまま床に寝ているものまでいた。
そこにいた兵士長の鎧を着た男がこちらに気付き、慌てて立ち上がって敬礼してきた。
「これは公爵様に子爵様。お見苦しい姿をお見せしてしまい、大変申し訳ありません。それと先の救援、改めて感謝致します」
「ハーデラグの者か、気にするな、それより今は体を休めろ」
「みんなも敬礼とか良いから、まずは疲れを癒やして下さい」
兵士長に続いて立ち上がろうとした兵士達に作り笑顔を向けて、座るよう促しておく。本当は俺もここ数日転移術を使い過ぎたせいで結構疲れてるが、悟られないようにしないとな。
「こっち」
サラに促されて奥にいた兵士のところへ行くと、その兵士は挨拶の後握りしめていた布切れを俺に向かって差し出した。
「奴等の頭巾です。襲ってきた賊は、プロセニアの奴隷だと思います」
プロセニア、だと。これサラには聞かせないほうが良いかもしれないな。
「サラ、案内ありがとう。エリー達の手伝いに戻ってくれ」
「うん。ヒデオありがと」
意図はバレバレだったか。でもまあ良いや。
「すまない。それで、何でわかったんだ?」
「いえ。その頭巾の持ち主は、尖った耳の先を切り取られた森人族でした。プロセニアでは奴隷にした亜人の耳や尻尾を切り落としたり、森人族の尖った耳を丸く切るそうです。それに……地人族らしき、子供のように背の低い者もおりました……くっ」
兵士は悔しそうに拳を握っているが、何かプロセニアと因縁でもあるのだろうか。だがやっぱりサラを下がらせてよかった。シンディにも聞かせたくない話だ。
しかし奴隷だけが逃げてきたとも考え難いし、後ろにいるのはプロセニア軍だろうか。
「お前、プロセニアに詳しそうだな。他に何か気付いたことはねえか?」
「プロセニアの正規兵の鎧を着た者を見ました」
「「それを先に言え!」」
プロセニア軍の可能性とか考える必要なかったじゃないか! ったく、そんな事より敵はプロセニアで決まりか。だがどこから来たんだ、プロセニアは確かに隣国だが大河セドリューと険しい山脈で隔てられている。
山越えも川越えも考えにくいな。
「すみません、だって……悔しくて、悲しくて……プロセニアでは、今この瞬間も、綺麗な森人族や、ふわふわの獣人族や、小さな地人族が虐げられているんですよ? オーウェン様、どうか…どうか、プロセニアの奴隷を開放して、我が国で引き取ることをお考え頂けないでしょうか!!」
「うおっ!? く、国としては正式な国交はねえ、無理だ!」
兵士が突然物凄い勢いでオーウェンに迫ったので、ちょっと驚いた。それにしても熱い人だな、凄く共感でき……ん? あれ、何か兵士の台詞に違和感があるな。
「抗議はしちゃいるが、そんなことを申し入れれば戦争だ!」
「もう戦争じゃないですかぁ……何とかして、細身美人や獣耳獣尾や幼女体型だけでもティニオンで引き取れませんかねえ……」
「「ん?」」
ちょっと待て。やっぱりこの人の発言おかしいぞ、特に後半。聞き間違えだと思いたいが、確認しておくか。気が進まないなぁ。
「……えーと……今、細身美人や獣耳獣尾や幼女体型って言ったか?」
「はい。一語一句間違いなく」
彼がプロセニアと奴隷について詳しかったのは、自分の嫁探しが難航して行き着いた先の事だという。
つまり彼は、亜人種や森人族・地人族が好みだった。
そしてティニオンで唯一森人族が住む世界樹に近いアトリオンに来たが、森人族は閉鎖的で会うことすらもままならず、他に他種族が暮らしている地域が無いかと探しているうちに、プロセニアとそこに暮らす非野人族の奴隷について知ったらしい。
そして男性は労働力として、女性は性奴隷として安く売買されていると聞き、やりきれない怒りを感じたという。
よくプロセニアへの移住を考えなかったものだと呟いたら、自分は恋愛がしたいんです! と力説されてしまった。同時に、羨ましい妬ましい紹介して欲しいと縋りつかれた。
特に小さい娘が好みだが精神まで子供では恋愛にならないので、地人族の知り合いがいたら是非にと頼まれた。
よくわかった。こいつは絶対ナナに会わせちゃいけないタイプの人間だ。
それに本当に、サラを引っ込めて良かった。
ただサラを遠ざけた事については、彼としても女性に聞かせていい話ではないと理解していて、逆に感謝された。
変態だけど紳士だった。
「何だったんださっきの男は……一気に疲れたぜ……」
変態紳士からの聞き取りを終え、テミロイ常駐の兵士の案内で充てがわれた建物で一休みだ。エリー達も治療を終えてそろそろ戻る頃だろう。
それにしてもちょっと面白い人だったな、変態紳士。名前聞いてないけど。
「まあ気持ちはわからなくはないけどな。ティニオンにも犯罪奴隷と借金奴隷はいるけど、それすら一般的じゃないし。それに俺個人としても、プロセニアの奴隷の扱いは許せない」
「同感だ。さて、ちょっと親父に連絡入れてくるぜ。……あの兵士の言うとおり、これはもう、戦争だ」
オーウェンが隣の部屋に行ったので、一人になってしまった、
しかし戦争、か。二度目だけど、今度の相手は魔物じゃない。自分と同じ、人間だ。
出来る限り殺したくないけど……やらなきゃ自分が、仲間がやられる。
覚悟を決めないといけないかもしれないな。
なんて事を考えていたら、隣の部屋からどたばたとこっちに駆けて来る音が聞こえてきた。
『バタンッ!』
「ヒデオ、急いで全軍アトリオンまで撤退だ! プロセニアから宣戦布告を受けた、テミロイを放棄するぞ!」
扉を蹴破る気かオーウェン、って宣戦布告? 何があった?
テミロイ常駐兵の指令所へ走りながら話を聞くと、プロセニアからの書簡がティニオンに届き、その対応について国王から命令があったそうだ。
書簡の内容は要約すると『小都市国家群の跡地はプロセニアの領地だから、侵略を行ったティニオンによる宣戦布告とみなし開戦する』というものだという。
そのため全兵士を急いで撤退させ、アトリオンに兵を集結させろという命令だった。
プロセニアのあまりにも馬鹿げた言い分に呆れて言葉も出ないが、今はまず急いで退却しなければいけない。
だがどうやら、手遅れだったらしい。
「公爵様、子爵様。残念ですが、先程部下から報告がありました。テミロイは敵兵に包囲されています。その数およそ千五百。しかもまだ増えているそうです」
「突破は無理か?」
「二つある防壁の門前に敵兵が集中しています。包囲の薄いところを抜けるとなると全員徒歩になりますので、追い付かれたら一巻の終わりかと」
「じゃあたった百三十人の兵士で、千五百からの兵士相手に籠城戦か? 冗談じゃねえぞ」
俺の転移術も、一度に転移できるのは八人までだ。しかもそんなに距離が出るわけじゃない。竜車ごとや限界人数いっぱいで転移すれば、距離も短くなるし消費魔力も馬鹿にならない。それでも出来なくはないが駄目だろうな。
「一日四十人くらいが限界だが、兵士を転移させて撤退するという手もあるが……」
「子爵様は転移魔術を使えるのでしたな。しかしやめておいた方が良いでしょう。万が一移動し終わる前に襲撃があれば、残された兵がひとたまりもありません」
「だろうね……」
感覚転移で上空から敵兵の布陣を見る。確かに門前は厚く、他は防壁に沿ってちらほら人影が見える程度だ。
南の転移可能範囲ギリギリまで跳べば、今のところ付近に敵影は無さそうだ。
他に手はないか考えていたら、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。随分慌てているようだな。
「失礼します! プロセニアの使者を名乗る奴隷兵が一名、プロセニアからの書簡を持って西門前に来ています!」
「行こう、オーウェン」
「ああ」
オーウェンと一緒に西門に行き、使者を名乗る男性が門をくぐり終わるまで外の警戒を行う。敵兵は弓も魔術も届かないほど遠くから、じっとこちらの様子を見ている様子なのが不気味だった。
テミロイ内に入った使者はすぐに拘束されたが、その男には抵抗できるだけの力はなかった。その体はやせ細り、今にも餓死寸前だったのだ。
というか使者を拘束っておかしくないかと思ったが、明らかに正規兵でない者を使者にする時点で疑うのが当然だとオーウェンに言われた。
「公爵様、子爵様。どうやらプロセニアの狙いはお二人のようです」
「何だと?」
使者である奴隷兵が持ってきた書簡を読んでいた指揮官が、その書簡をこちらに見せてくれた。
『英雄レイアスとその一行に告ぐ。俺はプロセニアの英雄チェイニーだ。俺達は英雄レイアス一行との決闘を望む。三日後の正午、テミロイ西門前の平地にて五人対五人の決闘を行い、そちらが勝てばこちらは軍を引き上げる。もし来なければテミロイに火を放ち、皆殺しにする』
「罠だろ」
「罠だな」
「罠ですね」
全員一致だ。だが三日猶予がある、今から無理してでも転移を始めれば百二十人は転移させられる。残りはしばらく耐えてもらえれば、間に合う……ん? 何だこれ、何かおかしな感じが……?
魔力視起動……やられた。
「ヒデオ」
「ああ、気づいた? どうやっても俺達を逃したくないみたいだな」
「魔素の乱れか……厄介だな」
王宮等にも設置されている、術式阻害の魔道具だろうか。以前ドラゴンにやられた奴よりも相当出力は弱いから大抵の魔術は使えるが、転移のように扱いが繊細なやつは発動できないな。感覚転移も使えない。
とりあえず……奴隷兵にパンとスープでも食べさせるか。このままじゃこの人死んでしまいそうだ。
「あ……ありがとう、ございます……」
「良いよ、餓死されても大変だからな。それであなたは……獣系の亜人種ですね?」
頭巾と覆面を取った奴隷兵は丸坊主で、頭の上に痛々しい傷跡が二箇所残されていた。これが切り取られたという獣耳なのだろう。
「はい。奴隷狩りにあって、もう二十年になります」
「そうか……大変だったんだな。プロセニアに戻る意思はあるのか? なければこっちで面倒見るぞ。といっても、ここを切り抜けられたらの話だけどな」
「そうしたいのは山々なのですが、私が戻らないと仲間も妻子も殺されてしまいます……お願いします、私を開放して下さい……」
「なんだそれ……ちょっと詳しく話して貰えるかな?」
その人は狼系の獣人で、意外なことにこちらの問いかけに全て答えてくれた。
プロセニア正規兵はおよそ百人程度で、奴隷兵の数は約二千。奴隷たちは元々大河セドリュー上流の山脈にある鉱山で働かされていて、十年近く前に掘りすぎてこちら側と繋がるトンネルが開通してしまったそうだ。
プロセニアはそれをこれまで隠し続け、瘴気の消えた今になってそこから奴隷と兵士を送り込んだという。
しかも戦力にならない女子供も無理やり連れてこられ、ハーデラグで人質同然に扱われているそうだ。
歯向かおうにも英雄チェイニーとその仲間達は二千人程度でどうにか出来る相手でもなく、また正規兵は全員督戦隊とかいう兵士で、満足に食事も与えられないまま連れてこられたということを、その獣人は何の感情も見せずに淡々と話してくれた。
「督戦隊って何だ?」
「確か逃げたり命令に従わない兵士を後ろから弓で撃ち殺して、無理やり戦わせる部隊のことですね。あまりにも非道ということでティニオンにはいませんから、私も軍の資料で読んだことしかありません」
「ちっ、胸糞悪いぜ」
そうまでして無理やり戦わされる奴隷と、俺は戦いたくないな。いや……戦えない、だな。
チェイニーとかいう奴さえ倒せば、何とかなるか?
だが二千人でどうにも出来ないと言うほどの相手に、俺達は勝てるのか?
……ナナなら、こんな時どうする……?




