3章 第61話N 初めての最大火力のはずだったのじゃ
岩壁に空いた巨大な横穴を塞ぐようにして地に伏せる古竜は、美しい細身のフォルムをしており、深い緑色の鱗が夕日を受けて茜色を映していた。
巨大な石柱が立ち並ぶ周囲の環境もあって幻想的な度合いを増し、ついつい見蕩れてしまいそうになる。
しかし待たせるのも悪いので木々の生い茂る森を抜けて岩場に出て、古竜と言葉を交わせる距離まで普通に歩いて近付いていく。古竜は決してこちらから目を離そうとせず、睨みつけているようだった。
「突然押しかけてしまってすまんのう、わしはナナ。こっちのでかいがダグ、ちっこいのがリオじゃ。言葉は通じるのじゃろう?」
「ワレカラミレバ、スベテチイサキモノ。ナニヨウカ」
「おぬしが昔、人助けをしたと聞いてのう。話が通じるなら、ちょっと話をしてみたいと思ったのじゃ。それに古竜というのも一度見てみたかったからのう」
威厳すら感じられる低く響く声を発しながら、古竜が立ち上がり長い首をもたげてこちらを見下ろした。隣でダグの息を呑む音が聞こえてきたが古竜の頭まで20メートルはあるかな、確かにこれは圧倒されるのも無理はない大きさだ。
「ツバサモツチイサキモノヨ、キサマ、ワレガコワクナイノカ」
「怖いのう、じゃからもし戦闘になったら逃げるのじゃ」
「ウソヲツクナ。キサマノメニハ、ワレニタイスルオソレガナイ。ワレノメハゴマカセヌゾ」
そう言った古竜の鼻から、バフッ! という音とともに暴風が放たれた。古竜としては鼻で笑っただけかもしれないが、それだけで周りに転がる岩がゴロゴロと音を立てて転がっていった。
障壁を張っていなかったら、今の鼻息だけで三人共飛んでいったかもしれない。
それに怖いか怖くないかで言ったら、怖い。もし戦闘になってしまったら、ダグとリオが逃げるまで守りきれる自信がない。それでもそうなったら、何としてでも守りきるつもりだ。
「オモシロイ、タイクツシテイタトコロダ。ワレニキサマノチカラヲミセテミヨ。ウロコノイチマイデモ、キズヲツケルコトガデキタナラ、キサマノハナシヲキイテヤロウ」
「なんじゃ、それだけでよいのか?」
「なっ! ちょっと待てナナやる気かよ、引くんじゃなかったのか!」
慌てたようなダグが肩を掴んで来ようとしたので、ひらりとすり抜ける。手汗ぐっちょりのダグに掴まれたくない。それに力を見せろというのなら何とかなる。
「ダグ、汗を拭かぬか。それにリオを見習って少し落ち着かんか。殺し合いをするわけではなさそうじゃ、安心せい」
「大丈夫なんだよね、姉御?」
「ふふふ、もちろんじゃよ」
リオは今の言葉で安心したのか、僅かに落としていた重心を元に戻した。落ち着いているように見えたが、いつでも動けるような体勢を取っていたのか。
「それではダグ、リオ。少し下がっておるのじゃ」
「……ちっ。油断すんじゃねぇぞ!」
「姉御、頑張って!」
魔狼ゴーレムに乗ってダグとリオが下がったのを見届け、トンファーを取り出して構える。
いきなり戦闘になっていればかなり危ないことになっていただろうが、最初から自分一人ならどうにでもなる。
「古竜よ、おぬしの鱗を一枚傷つけたらわしの勝ちで、間違いないの?」
「ソウダ、チイサキモノ。キサマノチカラヲミセテミロ。ワレハ、ヒャク、カゾエルアイダ、ウゴカヌ。ソノアイダニキズヲツケルコトガデキタラ、キサマノカチダ。サア、クルガイイ」
「ではお言葉に甘えて、遠慮なく行くのじゃ」
まずスライム体を全部放出、古竜より大きくなっちゃった。それとノーマル義体も出して援護させよう。複数のスライムを同時に動かせるというのは、つまり複数の義体を同時に動かせるのと同じなのだよ、ふふん。
さらにぶぞーととーごーも出す。とーごーはもちろんハチを装備、スイッチはレールガンにセット。そしてカメタンクとくまキャノンを三組出して一列に並べる。
スライム体は地の中級ドラゴンのブレス器官を、剣山のように生やした三十本の筒の中にそれぞれ複製して古竜へと向け魔素を集める。
ノーマル義体では土属性の魔素を集めて下級竜ぐらいある巨大な錐を作り、さらにドリルのように高速で回転させる。
ぶぞーが身体強化術でおよそ三倍近くまで戦闘値を上げた状態で、土の魔素を纏わせて5メートルほどに伸びた刀を上段に構える。
とーごーが軍用ゴーレムを指揮し、くまキャノンが砲身を古竜に向け、カメタンクは手足を踏ん張り口を大きく開ける。
さて、キューによると自分の『全力戦闘継続可能時間』は四倍強化で六秒もあるとのこと。安全マージンも考えて、三秒で終わらせよう。
両拳をトンファーごと土の魔素で覆い、巨大な岩の拳を作り出して準備完了だ。
これが現在可能な最大火力! 一斉攻撃準備! 身体強化術、発動!!
「撃「マテ!!!!」」
おっといきなりどうした古竜。反射的に身体強化術を解除してしまったが、これで一秒使っちゃったじゃないか。
「キ、キガカワッタ。キサマガツヨイノハ、ヨクワカッタ。スアナヲコワサレテハ、タマラヌ」
戦わなくても良いということだろうか。だが古竜から「ゴゴゴゴゴ」という地鳴りのような音が聞こえてきているため警戒は続けよう。
「わしの勝ちということでよいのじゃな?」
ぶんぶんと風を切る音を立てて首を縦に振る古竜の様子から、どうやらもう戦う気は無さそうだ。さっきまでのぴりぴりしたプレッシャー的な感じも無くなっているが、代わりに緊張感のようなものを感じる。
初めて最大火力を試せると思ったが、残念だけど戦わずに済むのならそれに越したことはないか。
スライムをいつものサイズに戻し、ノーマル義体と軍用ゴーレムを空間庫へと戻す。ここで古竜から聞こえる地鳴りのような音が小さくなってきたので、ぶぞーととーごーも空間庫に戻してみる。すると地鳴り音は完全に消え、穏やかな空気に一転したのがわかる。あれは古竜の放つ警戒音のようなものだったのだろうか。
「ソウイウコトニ、シテオイテヤロウ。ソレデ、イッタイナンノヨウダ」
「五百年ほど前かのう、おぬし人間を助けたことは無いかの? 怪我をした女冒険者が、言葉を話すドラゴンに助けられたらしいのじゃが」
「オボエテイルゾ、アノウソツキメ!」
嘘つき? 一体古竜と女冒険者との間に何があったんだろう。
「アノニンゲン、マタクルトヤクソクシタ! ウマイリョウリ、ヤクソクシタ! ダガニンゲン、コナカッタ! ウソツキ!!」
「そういうことじゃったか。しかし料理のう、おぬしの大きさでは味もわからんのでは無いか?」
空間庫からハンバーガーを一つ出してみる。それに気付いた古竜は顎が地面につく寸前まで身を伏せて目を見開き、じーっとこちらを、いやハンバーガーを凝視している。
よだれで地面に水たまりができるとか、どんだけ飢えてんだこの古竜。
「……食べてみるかの?」
「ヨイノカ?」
「おぬしが満足できるだけの量は無いが、それでも良ければ構わんのじゃ」
とりあえずダグとリオも終わったことに気付いてこっちに向かっているし、二人も腹が減る時間だろう。一緒に飯でも食べながら少し話をしようかと、ダグとリオに声をかけるため振り返ったその瞬間、古竜の巨大な存在感が消失した。
「っ!」
慌てて古竜のいた方へ顔を向けると、緑髪の綺麗な全裸のお姉さんがぶるんぶるんと乳を揺らしながら、至近距離でハンバーガーに釘付けになっていた。
「リオ!」
「うん!」
「ぐっはあ!!」
正に阿吽の呼吸。リオは即座にこちらの意図を察して、隣を歩くダグの腹に回し蹴りを叩き込んだ。
うずくまるダグを視界の端に捉えつつ、突然現れた緑髪の露出狂に着せるため空間庫から外套を出す。てーかでかくて綺麗なおっぱいが、だらしなく開いた口元から垂れるよだれでベチャベチャに……ああ。こいつ、古竜だ。
「ねえ、食べていいかしら? 食べていいわよね??」
「ダグはしばらく後ろを向いておれ、よいと言うまでこちらを見てはいかんぞ。古竜、じゃな? 待たせてすまんのう。どうぞ召し上がれ、なのじゃ」
言うが早いか露出狂改め古竜は、ハンバーガーをひったくり一心不乱に貪り付いた。まずは何か食べさせてよだれの滝を止めないと、何を着せてもベチャベチャになってしまう。外套を着せるのは落ち着いてから、いやもう外套だけじゃなく全部着せるか。
「美味しい、美味しいわ! ねえこれ、地竜の肉よね? 何百年ぶりかしら、私これ大好物なのよ!!」
「そ、そうか、喜んでもらえて何よりじゃ」
完全に口調も変わってるけど、本当にさっきの古竜と同一個体かこれ。それに竜の肉なの忘れてたけど、共食いじゃないのか。あっという間に食べ終わって手に垂れたソースをぺろぺろと舐め取っている姿には、さっきまでの威厳の欠片も感じられないぞ。
「美味しかったわ! ねえ、他には無いのかしら!?」
「まず服を着てもらえんかの? このままではダグが可哀想なのじゃ」
「不意打ちで蹴られた現状が、既に可哀想だとは思わねえのか……」
哀愁漂う背中越しに呟くダグをスルーして、緑色の目を輝かせる古竜に着せる服をせっせと用意する。よく見ると尻尾はあるし耳の上に角が二本あるしと、ドラゴンっぽい特徴が見られる。
だが尻尾持ちが履ける下着は持ち合わせがないので、とりあえずノーパンで過ごしてもらおう。
古竜の胸のよだれと両手をタオルで丁寧に拭き取り、ブラを付けワイシャツを着せ、くるぶしまであるスカートを履かせてコートを着せる。身長はヴァルキリーと同じくらいだが、胸のサイズはマリエル級だ。
古竜はどうやらこういった服を着ることが初めてのようで、何やらスカートやフリルを摘んだりブラに包まれた胸を持ち上げてみたりしながら、時折ニヤニヤと嬉しそうに笑ってる。
「とりあえずこれでいいじゃろ、ダグーもうよいぞー。リオも監視ありがとうなのじゃ」
「監視なんざ無くても覗いたりしねえよ……」
「ダグは前科があるもんね!」
そう言えば昔ダグと初めて戦った日、リオと二人で着替えをしている部屋に入ってこようとしたっけ。
確かに前科だ。だが肩を落としてしょんぼりしながら隣に並んだダグは置いといて、とりあえず古竜だ。
「人の姿をとれるからこそ、以前おぬしが助けた冒険者と寝食を共にできたというわけかのう」
「ええ、その時彼女が作った料理がとても美味しくて、彼女が山を降りた後も『また作りに来る』という言葉を信じて待ち続けたわ。でも彼女がこの山に来ることは、二度と無かったわ。だから嘘つきなのよ。ねえ貴女、彼女の知り合いかしら?」
「直接は知らぬよ、なんせその者が生きておったのは五百年も前の事じゃ。光人族や魔人族でない限り、人はそんなに長生きできぬ。それにの、彼女は恐らく『来なかった』のではなく『来られなかった』のじゃ。」
文献で読んだ内容によるとその女冒険者は幼い子供を残し、古竜の鱗目当ての強盗に殺されている。
そのことを古竜に話すと、悲しげな表情を浮かべてうつむいてしまった。
「うそ、レイナが死んだっていうの? ……そう、子供が……。それに嘘つきじゃなかった。でも私の渡した鱗のせいでなんて……」
「レイナというのは、その女冒険者の名かのう? 今その女性の子孫が、わしの元に身を寄せておる。レーネハイトという名じゃ、良かったら一度会ってみぬか? それに悪いのは強盗じゃ、おぬしが悪いわけではない」
「おう、何だかよくわかんねえけど、死者を弔うなら酒飲んで全部吐き出しちまうのが一番だぜ」
さっきまで泣きそうな顔をしていた古竜の目がくわっ! と開かれ、一瞬にしてダグへと間合いを詰めた。びっくりし過ぎて全く反応できなかったよ。
「お酒もあるのね!」
「お、おう、あるし、やるからもう少し離れてくれ!」
うわー、あと数センチって距離まで顔を近づけられて、ダグの顔が真っ赤に染まってるー。確かに古竜のスタイルはヒルダに近いし、顔つきはヒルダというよりエリーをより野生的にした感じだが、ダグの好みではないだろうか。
これはもしかしたら楽しいことになりそうだ、ニヤニヤ。
「ではわしらも飯にしようかの」
間もなく太陽も完全に沈み、夜の帳が下りてくる。この辺りは道中と違い魔素が安定しているから長距離転移もできそうだが、様子見がてら一泊して夜が明けてから帰るとしよう。
「料理? 料理なのね!?」
「ぬお、慌てずとも酒も料理もたくさんあるのじゃ、じゃから少し離れぬか」
ぐいっと顔をこちらに向けて近寄ってきた古竜は、眼前数センチという距離でキラキラ輝く目を向けてきた。とりあえず古竜の顎を伝うよだれをハンカチで拭きながら、その身体を押し返して距離を取る。
「そういえば何も考えずにドラゴン肉を出してしまったのじゃが、まず食べられんものを教えてくれんかのう?」
「同じ属性竜の肉でなければ何でも食べるわ!」
古竜によると下級であろうと同属性の竜は全て血縁関係のようなものらしく、殺すことはあっても流石に食べることはしないのだそうだ。
ここに来るまで何体か風竜を殺していることを正直に話すと、狩り尽くすつもりなら敵対するが、自己防衛やたまたま遭遇した結果であれば自然の理の内だと言う。
そんなことより早く酒と料理を出せとせっつかれたので、空中に光の魔素を集めて明かりを作り、地の魔素で作った椅子とテーブルを並べ、そこへ空間庫からどんどん料理を並べていく。
根菜のスープに葉物野菜のサラダ、ドラゴンステーキに焼いたキノコ、殻ごと揚げた小エビとフライドポテト、そして苦くないビールもどきとりんご酒を並べ終わる頃には、リオがせっせと拭いてくれている古竜のよだれが、三枚目のタオルをびちゃびちゃにしていた。
自分達がいただきますの言葉を言い終わるが早いか、古竜はステーキを素手で掴んでかぶりついた。ああもう、服がべちゃべちゃじゃないか。
でもこの嬉しそうな顔を見ていると怒るに怒れないな。
いろいろ聞きたいことは山積みだけど、まずは食事を楽しもう。




