3章 第37話H やっぱり俺は
王都アイオンで国王と謁見し、アトリオンのドルツ伯爵の一件やら何やらの報告など忙しい日々を過ごし、近いうちにアトリオンへ戻ることが決まった日の夜、エリーからザイゼンを借り受けた。
ナナに魔道通信を行うためである。
というかナナの別れ際の態度が気になっていた事をエリー達に気付かれ「気になるなら直接連絡しなさい」「友達に何故気兼ねしてるの」「連絡できない理由があるのかな?」等と言われ、事あるごとに連絡しろと言われていたのだ。
今夜はオーウェンが王城に戻っているため部屋で一人、意を決してザイゼンに魔導通信を繋いでもらう。
前回は忙しいととーごーに言われたまま折り返しも無かったことから、なけなしの勇気を振り絞ってのかけ直しであった。
『ふえ……ふえええええええぇぇぇ……』
なのにどうしてこうなった。何があったか聞いてもナナは泣くばかりで、なかなか要領を得ない。
「ナナ、今どこ? アトリオン? 今すぐそっちに行くから待ってて?」
『ぐすっ、ぐすっ。ばかものぉ、わしはいま異界じゃぁ……ぐすっ。おぬしが来るのを待っておったら、もう一度日が暮れるわい、ふふ……ぐすっ』
確かに一人で転移すればアトリオンまで半日で行ける、夜通し跳べば……早くても、明日の昼か……くそう。ナナのゲートゴーレムがないと、俺は異界に転移できないんだ。異界ということは恐らく魔王都市、地図上ではアイオンの目と鼻の先だというのに、近くて遠い距離をどうにもできない自分に苛々する。
『ありがとう、ヒデオ……ぐすっ。笑わせてもらったおかげで、少し楽になったのじゃ。ぐすっ』
「笑わせるつもりは無かったんだけどな……泣き止んだならいいけどさ。それで、何があったんだ?」
『わし……生きた人を、スライムで喰ったのじゃ……』
そうしてナナから聞いた話は、ナナに新しい命に作り変えて欲しい、ナナの一部としてこれからも一緒にいたい、そんな願いを叶えた一人の老人の話だった。相槌をうちながら、ナナの話に真剣に耳を傾ける。
『そんなわけで、わしはバービーを喰ったのじゃ……』
「ナナ、バービーさんに愛されてたんだな。そしてナナもバービーさんのこと、大切に思ってたんだな」
『そう、じゃな……なのにわしは、そんなバービーを……』
違う。
「ナナはバービーさんが亡くなって、悲しいんだね。でもそれはナナのせいじゃない。ナナはバービーさんの願いを叶えただけだ。バービーさんの最期の顔は思い出せる? どんな顔だった? 幸せそうじゃなかった?」
『とても穏やかな、笑顔じゃった……』
「だろ? ナナは悪くない。もちろんバービーさんも悪くない。誰も悪くないから、自分を責めないで? ナナがしたのは、良い事なんだ。胸を張って良いと思う」
ナナはバービーを失った悲しさと、自分を責める気持ちを混同している。バービーが亡くなった事すら自分のせいだと思っているようだがが、それは違う。
『わしは……バービーを、笑って送ることもできんかったのじゃ……』
「バービーさんはナナの中にいるんだろ? これから笑顔を見せてやればいい。それに、もっとたくさんの猫を作ってやればいいんじゃないか? バービーさんの毛で作ったサビ猫が寂しがらないようにさ」
『わしは……』
「ナナは何も悪くない」
そう断言すると、またナナから泣き声と、鼻をすする音が聞こえてきた。
落ち着いた頃を見計らい、ナナにバービーの事を聞く。どんな出会いで、どんなことをした人なのか聞いているうちに、何度かナナの鳴き声が聞こえたがやがてそれも収まり、徐々に笑い声も増えてきて安心する。
『ふふ。ヒデオ、おぬしのおかげで気が楽になったわ。正直に言うとじゃな、わしがスライムでなければバービーを喰うことも無かったのに、なんてことも考えておったのじゃ。じゃが逆なのじゃな……スライムであるからこそ、バービーの願いを叶えられたのじゃ。それに気付かせてくれたのはヒデオじゃ。ふふふ……ありがとう、ヒデオ』
「どういたしまして。少しでもナナの力になれたなら、俺も嬉しいよ」
言葉とは裏腹に、嬉しさよりも、泣いているナナの側へ即座に転移することができない自分に腹が立つ。
規格外の力を持つくせに、とっても泣き虫な女の子。
前のように細くて小さい身体を抱きしめて、ナナは悪くないって言ってやりたい。
……ああ、そうだ。今はっきりと自覚した。
俺、ナナのこと好きだ。
でももっと鍛錬しなければナナの隣には立てないし、以前のように抱きしめることもできない。
それに、俺にはエリーとサラとシンディがいる。彼女達の想いに応える責任も有るし、何より俺自身も彼女たちを大事に想っている。
だからナナに、俺の気持ちを気付かれたら……絶対嫌われてしまう。
アトリオンの領主をオーウェンと一緒にぶっ飛ばした後、ナナはオーウェンから酒も受け取らずに帰ってしまった。
なんか俺がアトリオンに残ることになった、って話をしてから目も合わせてくれなかった。
頭の上のスライムは潰れてるし、一体何なんだって、ずっと気になってた。
もしかしたらナナも俺のことを? なんて自意識過剰なことを考えもした。
ナナから見たら、きっと俺はただの女たらしだっていうのに。
だからナナにこの気持ちは……絶対に知られるわけにはいかない。
『そうじゃ、ヒデオ聞くのじゃ! 仔猫じゃ、仔猫が産まれたのじゃ!!』
「な、なんだってー……って、マジか! あれってゴーレムじゃなかったのか!?」
『ふふーん、完全生体部品のみで作ったせいじゃろうの。これからどんどん猫を増やして種族を繁栄させるのじゃ!』
って、何してんのこの人。真剣に決意を固めて少し落ち込んでた気持ちが吹っ飛んだぞ。
「は、はははっ……ほんっと出鱈目だな、ナナ。いっそホルスタインとか作ったらどうだ? 牛乳があればいろんなお菓子作れるだろ?」
『……よいな、それ。採用じゃ! 都市の移転が落ち着いたら、早速作るのじゃ!』
「うええ!? いや、冗談のつもりで言って……って、やらないわけがないよな。ナナだし」
『なんじゃとー。どういう意味じゃー』
「ぷっ……ははは」『ぷっ……ふふふ』
ああ、もっと話していたい。出鱈目可愛いなあ。
『ふふふ。ああ、それと異界からの引越しはほぼ終わっておるのじゃ。もう異界はほぼ無人じゃからのう、そう遠くないうちに新都市をお披露目できるかもしれんのじゃ』
「……早くね?」
『わしも驚いたのじゃ……魔道建築恐るべし、じゃな。ふふん』
「ナナのドヤ顔が目に浮かぶよ」
『なんでわかったのじゃー』
これオーウェンに報告しておかないとな。パーティー解散も早まりそうだな。
『それとな、わしの仲間が増えたのじゃー。といってもまだ予定じゃがのう、皇国の英雄を覚えておるか? ヴァンとの戦闘を邪魔した者達じゃ』
「いたねーそんな奴ら。会えたのか?」
『うむ、少々縁があってのう。悪い者ではなかったのじゃ』
そこからプロセニアでのミーシャ・ジル・ペトラという人達との出会いや、森人族を助けたこと、ペトラの傷を治したこと、三人に忠誠を誓われたが保留にしていることなどを聞かせてもらう。
そして助けた森人族の子供に仔猫をあげる約束をしたと言ったナナの、きっと微妙な表情をしているだろう声についつい笑い声が漏れたりもした。
『何を笑っておるのじゃー』
「はは、ごめんごめん。それにしてもコナンがお母さんか。仔猫も三毛猫だった?」
『ん? 仔猫を産んだのはナオじゃよ。コナンはお父さんなのじゃ』
あれ。おかしいな。
「確か三毛猫ってメスしかいかなったはずじゃ……」
『ごく稀にオスの三毛猫もおるのじゃよ、ふふん』
「よりによって最初に作った猫がレア物……」
『……ところでヒデオ、何か用があったのではないかのう?』
あ、話変えやがった。まあ良いか、何か問題があるわけでもないし。
「ああ、近いうち旧小都市国家群の都市跡を調査しに行く依頼を受けたんだ。ナナが瘴気の浄化をしてくれたんだろ? その調査の準備に一度アトリオンに戻るから、ナナに会えるかなーって思って……」
『……あ、会えるかどうかは、わからんのう……わしも新都市の件で行ったり来たりで、その、忙しいのじゃ……』
「そっか、アトリオンについたら一度顔出すよ。良かったらまた稽古つけてくれよ」
そうすりゃ一緒に居ても不自然じゃない口実になる。気持ちを知られたくないけど近くに居たいとは、我ながら無茶な考えだとは思う。
『う、うむ、わかったのじゃ。タイミングが合えばの』
「ああ、頼むよ。そういやアトリオンでナナが行ったあと大変だったんだよ」
ドルツ伯爵の不正の証拠を集めに走り回ったことや、ドルツが懐に入れていた金の中に本来孤児院に回すべきものがあったこと、ガッソーと孤児院の子供達に帰還を喜ばれたが少ししか話す時間がなかったこと、オーウェンがポンコツ過ぎたことなどを、ナナの年寄り臭くも可愛らしい相槌を聞きながら話して聞かせる。
そうして一通りこちらの状況を話し終えて一息ついたときである。
『……』
「……」
不意に沈黙が訪れた。
もっとナナと話していたい。でも既に結構長い時間話しているはずだ。それにあまり長く話していると、言ってはいけないことを口に出してしまいそうだ。
『……ヒデオ』「……ナナ」
『なんじゃ?』「なに?」
『……』
「……」
会いたい。その一言が口から出そうになるのを、ぐっとこらえて飲み込む。
「それじゃあ、そろそろ……」
『そう、じゃな……。ヒデオ。今回は本当に助かったのじゃ。いや……今回も、かのう……。連絡をしてくれて、ありがとうなのじゃ』
「たまたまタイミングが良かっただけだよ。それにいつも助けられてるからな、お互い様だよ」
『ふふ……そうじゃのう……』
「それじゃ……またな、ナナ」
『ああ……またのう、ヒデオ』
こうしてナナとの初めての通話が終わった。脳裏に浮かぶのは、きっところころと変わっていたであろうナナの表情と、ナナから全てを打ち明けられた夜の、ナナの泣き顔だ。
いつかナナにふさわしい相手が見つかるまでの間でも良い。それまではせめて、ナナの悲しみを和らげる事ができる存在でありたい。ナナが涙を流さなくても良いように、守ることが出来る存在でありたい。
「って……何考えてんだ、俺は……」
深い溜め息を吐いた時、廊下に僅かな気配を感じて魔力視を発動する。
……扉越しに聞き耳を立てる三人の人影が見えるんですけど……どこから聞かれてたんでしょうねえ……。
少し時間を置いて素知らぬ顔でエリーにザイゼンを返しに行くと、何故か嬉しそうな三人の姿があった。全く意味がわからない。
嫉妬されるよりマシかもしれないけど、三人の意図が全く読めない。
翌朝、宿屋一階の食堂で合流したオーウェンに、ナナの新都市完成が間近らしい事を教えてやると顔を青くして頭を抱えていた。
「ってことは、下手すりゃ今回の旧小都市国家群調査が、オレの最後の冒険かもしれねえってことか」
「ナナの国が正式に発表されれたら、オーウェンが外交使節団団長だもんな。ていうか準備とかしなくていいのか?」
「ああ? 今更外交のあれこれ教わったところでオレが何の役に立つんだよ。ただの飾りだからな!」
「威張るところじゃないだろ……」
アトリオンの領主代行やってた時もオーウェンの仕事は承認のサインだけで、内容の吟味も精査もほとんど俺に丸投げだったからな。
ただし中長期的な数字に関することはほぼ全て保留にしたので、後任の領主が頭を抱えていたのは申し訳ないと思う。
「ちょっと親父達に報告してくるわ……アトリオンに行けば嬢ちゃんと話できんのか?」
「ナナも新都市の移転関連で飛び回ってるらしいよ。一度顔を出すとは伝えたけど、会えるかどうかはわからないな」
「そうか、せめてアルトでもいいから連絡できるようになりゃいいんだがな」
全力で嫌そうな顔をしているオーウェンの顔を見て、思わず吹き出しそうになった。相当苦手らしい。
その時俺とオーウェンの正面に座っていたエリー達の顔が引き攣った。何事だ。
「ただでさえひどい顔が一層醜くなっていますよ、オーウェン。僕に何か用ですか?」
「ああ、嬢ちゃんとこの国との外交ルートについて……あ?」
振り返るとそこに、満面の笑みを浮かべたアルトが立っていた。
「な、ええ! アルトさんどうしてここにいるんだ!?」
「少し聞きたいことがありまして。昨夜どなたかナナさんと通信した方はいますか?」
「……俺だ。ナナがどうかしたのか?」
何だろう、元気になったと思ったけど、ナナに何かあったんだろうか。
「ヒデオでしたか。いえ、元気づけてくれてありがとうございます。あと、近々アトリエンへ戻る予定は?」
「え、ああ、近いうち戻る予定だけど……」
「ではオーウェンにこの魔導通信機を預けます。これは僕にしか連絡ができないので、そのつもりで。アトリオンに着く日が決まったら連絡して下さい」
振り向いて固まったままのオーウェンの手にアルトが置いたものは、片手サイズの長方形の箱のようなものだ。それが魔導通信機なんだろうけど、ナナの持っている物より大きいな。
「ああ、これですか? 僕が作った魔道具ですよ。そもそもナナさんに魔道具作りを教えたのは僕ですよ? あっという間に追い抜かれれしまいましたけどね」
そして一度話し出すと滅茶苦茶長いアルトの話によると、ここアイオンにもアルトの部下が情報収集のために潜んでいて、そのお陰で俺達の場所がわかったという。しかもアルトもゲートゴーレムを自由に使えるから、何度かアイオンにも来ていたそうだ。
何でもゲートゴーレム自身がある程度自由に転移できるため、各都市や他国にも既に部下が潜んでいるという。
固まっていたオーウェンは、現実から逃避するように、遠い目で明後日の方向を見ていた。
「それと国家名は『プディング魔王国』そして都市名は『ブランシェ』に決まりました」
ナナは最高権力者の魔王だが政治や都市運営に口を出す気はないらしく、実権は都市長のリューン、副都市長のイライザ、そしてアルトが総合アドバイザー的な立ち位置で国家運営をするそうだ。
まだ城も迎賓館も建設されていないが、完成したらオーウェンを繋ぎにティニオン王家を招待したいそうで、そのためにオーウェンに通信機を渡したらしい。
「では僕はそろそろ戻ります。アトリオンに戻る日程が決まったら連絡して下さい」
「ええ、わかったわ。必ず連絡させるわ」
何でエリーがドヤ顔で返事しているんですかね? どうしてサラは口の端を上げ、シンディはニコニコしてるんですかね?
何か企んでませんかね?




