第46話 妖魔
ミュレイン王国の端、隣国から延びる街道から遙かに外れた森の中に、私は乗ってきた精霊馬車を降ろした。
アルトフォルテで目立つ分には全く構わないのだが、ここミュレインで目立つのは得策ではないからだ。
もちろん、国境を無断で越境することも本来なら当然、犯罪行為でありやってはいけないのだが、今回に限っては許してもらおう。
何せ私はこの国にお仕事に来たのであって、その中には誰にも気づかれずにこの国に進入する、というおよそ一般人でしかない私にはこなせないと感じさせる任務まで含まれているのだから。
とはいえ、私にはもう、"読み願う魔法"があるし、魔法符もある以上、人に見つからない、という点に関してはまず問題なくこなせるだけの力があった。
実際、アルトフォルテから飛び立った精霊馬車は、それからしばらくして人目に付かないところに一度降りたあと、私の"読み願う魔法"によりその存在が認識されないように属性付けされ、それによって何の問題もなくミュレイン王国への侵入を果たしてしまったのだから。
地球においては何も出来ない就活敗北者であるところの私であるが、この世界では理不尽が歩いているようなものになりつつあり、深いため息が漏れる。
ただ、それはあくまでこの世界に呼ばれ、魔族という世界最強種族に拾われたという幸運に基づくものでしかなく、これを自分自身の力だとか勘違いをしてはいけないと自らを戒め、精霊馬車に念入りな認識阻害をかけてから歩き出した。
魔族の秘密裏の技術提供により、精霊馬車は非常に便利かつ快適な乗り物へと進化したが、未だ一般には普及していない試作型であるため、これが空を飛んでいると非常に目立つ。
この世界で空を飛ぶものといったら、そういう動物か、魔族、それに一部の魔法使いだけである。
それ以外のものが飛んでいると、目立つのだ。
気球のようなものはなくはないが、任意に、しかもそれなりに高速で飛ぶことのできる精霊馬車は、そのようなものとは一線を画する。
そのため、私はミュレイン王国においては精霊馬車の使用は控えなければならないと判断した。
実際、読み願う魔法にしても完全に万能、というわけではなく、持続時間もあるし、そのたびにいちいち地上に降りてかけ直さなければならない以上、少し持続時間の計算を間違えれば飛んでいる状態で目撃されてしまう可能性もないではない。
そのような危険を背負いながら飛び続ける、というのも私としては気疲れしそうで嫌だった。
だから、私は歩く。
目標は王都であり、結構な遠距離なので時間はかかりそうだが、魔族は殆ど時間に縛られない種族であるからして、そんなことは気にしなくてもさほど問題がないのだ。
半年も五年も十年も同じスパンでとらえかねない彼ら。
そんな中でしばらく生活していれば、いかに元は人間である私とは言え、意識を引っ張られるというものだろう。
それに、ほぼ睡眠が必要なくなった関係で、時間の感覚もずれ始めている。
体質に精神が引っ張られるとはこういうことかと新鮮な気持ちで過ごせている最近であった。
森をしばらく歩くと、街道に出る。
魔国が大陸を統一する前から存在する、ミュレイン王国が長い年月をかけて整備してきたもので、馬車が二台並んで通れる程度には広く、よく踏みしめられていて歩きやすいものだ。
私はそんな街道を発見すると同時に、ミュレイン王国の王都が存在する方へと歩き出した。
目的地はそこだからだ。
そこで、情報を収集し、任務に沿った結果を出して、さっさと魔国に帰り、そして出来るだけだらだらと過ごす。
これが私の目標だ。
なにせ最近、私は妙に忙しい。
魔国宰相フェラード氏に色々と任せられて、激務も激務。
しかも身体がほぼ魔族と化したことが明らかになったお陰で、振られる量が人間向けではなく魔族向けへと変化した。
いくら睡眠が必要ないとは言え、余暇は精神衛生のために必要なのだと言うことをフェラード氏に何度と無く説明したのだが、彼は分かってくれなかった。
それどころか、
「君は根性あるからね。大丈夫だよ、二、三日休みゼロでもさ」
などとのたまう始末。
下手にセーラの授業に耐えきってしまったことが無駄な影響をフェラード氏の判断に与えてしまっているようだった。
まぁ、とはいえ、グチり続けても仕方がない。
こんな面倒な仕事はさっさと終わらせるに限る。
そうして心を切り替えた私は、そのまま王都へとずんずん進んでいくのだった。
◆◇◆◇◆
「……?」
しばらく街道を歩いていると、目の前にそれを塞いでいる何かが目に入った。
よく見れば、それは横転している馬車である。
さらに注視すれば、その周辺には腰に帯びた剣を抜き、何かと交戦しているらしい数人の集団が見つかった。
どうしたものかとゆっくりと近づいてみる。
ここで急がないのは、魔国は人間の争いには極力不介入であり、私としてもあまり介入しようと思わないからである。
それはつまり何人、人が死のうとどうでもよろしいという魔族のかなり冷たい感覚によるものだが、人間だって他国の人間に対する感情は割と冷淡であることを考えれば別段奇妙なことではないだろう。
ただ、そうは言っても例外というのはあるもので……。
「……くそっ! ついてねぇ! こんなところで魔物に襲われるなんてなっ!」
「……厳密には、妖魔と言うべき。……魔物は、人を襲わないのが通常」
大剣を振り回している黒髪の屈強そうな男性と、十代半ば、大体日本で言うと中学生くらいのショートカットのレイピアで突きを繰り出し続けている女の子が、魔物っぽい何かと戦っていた。
魔物、それは闇の眷属であるが、魔族が大陸を統一した影響もあり、人を襲うことはなくなっていた。
ただ、全体の方針に従わない存在というのはどんな社会にもいるもので、魔物社会においてもそれは例外ではなかった。
大体、全体の六割方の魔物は人を襲わず、平和にここ人の世界とは異なる空間、魔界で暮らすことを選んだのだが、そうではない魔物は、この人の世界で今まで通り人を襲い続けて暮らすことを選び、未だにこういった街道などに出現しては人を襲う。
彼等、人に敵対的な魔物は従来の魔物と区別する意味で、"妖魔"と呼ばれるようになったが、その知識は魔族が広めているものなのでいまいち定着してはいない。
人間としては、今まで通り、魔物から襲われているだけ、という状況認識になる以上、それも仕方のない話だが、話を聞いている以上、今交戦中の少女の方はきっちり妖魔について認識しているようである。
それは魔族の意識改革というか、融和政策というか、そういうものが微妙にでも効果を発揮しているのだなと感じさせるもので、なんとなくうれしい感じがした。
だからだろう。
私は彼等の元に近寄り、助太刀を申し出ることにした。
彼等は突如現れ、近寄ってきた私を一瞬警戒したが、人間にしか見えない私の様子に安心し、そして話しかけてきた。
「おう、姉ちゃん! ここは危険だぜ! 逃げた方がいいんじゃねぇか!?」
「全くその通り。私たちは今ここで妖魔の餌になる予定。おねーさんは私たちがもぐもぐされている間に逃げるといい。たぶん、逃げられる」
二人そろってかなりとぼけた性格をしているらしい。
そんなことをのたまった。
けれど私は逃げる必要などない。
魔族となったことで得た強力な身体能力と魔力は、この程度の妖魔相手に敗北することなどないと告げている。
私は腰に下げていた長剣を抜き取り、そして言った。
「助太刀します!」
それだけで伝わったのか、二人は私と背中合わせになり、それぞれ妖魔と対峙しながら言う。
「へっ。物好きもいるもんだな! 餌が増えたところで、いっちょやるか!」
「馬鹿は嫌いじゃない。一緒にもぐもぐされようね」
ふざけた物言いをしながらも、その構えには隙があまり見られない。
襲いかかっている魔物は、全部で六体いた。
すでに倒されているものが数体いるので、それは彼等が倒したのだろう。
もしかしたら、助太刀などする必要もなかったかもしれないが、念のためというやつである。
そもそもそういうことしちゃだめ、とか特に言われてないし、自由に過ごせばいいと魔国の人々は言うに決まっているのだから何をしようと私の勝手なのである。
それから、私たちは襲いかかってくる魔物に向かっていった。




