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魔国文官物語  作者: 丘/丘野 優
第2章
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第44話 アルトフォルテ王国

 古い、建物だ。

 その構造の殆どを精密に切り出された石で組み上げられているその建物は、伝えられているだけでもおよそ千年の月日を経ている。

 なのに、柱は未だ建築当初の化粧石をその表面に纏い、壁面も輝かんばかりの白一色に敷き詰められていて、時間の経過から逃れたかの如く美しいのだ。

 しかし、広大な面積を誇るその建物の内部には太陽の光は届かない。

 それは、この建物が地上にではなく、薄暗い土の下に存在することを示していた。

 この建物の存在を知る者は、少ない。

 人の身であれば気の遠くなるような年月も、この建物の建設者にとっては一生よりもなお短く、作られてから今に至るまで、現役で使われ続け、他の者の手に移ることが一切なかったからだ。

 長命で、理知と合理を持つその存在。

 それはこの大陸を統一した――

 

 そんな建物の中心には、薄く水の張られた泉があった。

 建物の中である。風もない。

 にもかかわらず、ゆらゆらと揺れる水面の輝きは、泉の前に立った者の姿をぼんやりと映し出す。

 ただ、泉の用途は鏡になるためにあるわけではなかった。

 これは、装置なのである。

 人知を超えた存在が作り上げた、まさに人の力の及ばないもの。


 泉の前には、いま、幾人もの人が跪いて、その装置の稼働を待っていた。

 膝を固い大理石の床につけるローブ姿のその者たちの中には、誰一人として真実、人間と呼べる存在がいない。


 一人は、尋常ではないほど美しい顔立ちをしているが、耳が人間にしては長く尖っている。

 一人は、誰よりも頑強で屈強な肉体を持ってはいるが、その顔にある眼の数は通常の人間と比べ一つ少ない。

 一人は、その身体の全体のバランスを見ればおかしな所は無いが、その大きさが普通人の十分の一程しかなく、また背中には虫のような羽が生えている。


 今ここに、正しく人類と呼べる者がいれば、その者は彼らを“亜人”と呼んだことだろう。

 まさに、ここにいるのは、人類が亜人と呼ぶ者のみであった。

 そして、彼らは何かを待ちながら、ここに膝をついて佇んでいる。


 静謐な空気だ。

 石造りの建物の内部は、まるで神殿のようであり、誰一人として声を出さないために、沈黙が耳に痛いほどである。


 だから、その場にいる者全てが、ほぼ同時にその現象(・・・・)が起こったことに気づいた。


 空間に満ちる静謐な空気に、闇が混じった。

 濃密な魔力がそこに宿っていることを、その場にいる者は感じた。


「……来るぞ!」


 一つ目の男が、緊張に身を震わせながらそう言った。

 他の者も同じようなもので、畏れと興奮の両方を示す表情をその顔に張り付けている。


 泉を見ると、ゆらゆらと揺れる泉の水面が、その揺蕩(たゆた)いを(おもむろ)に静めていくのが見えた。

 先ほどまで、何も移していなかった筈のその水面には、今や何者かの姿が像を結んでいることを、その場にいる者たちは確認する。

 そうして、透き通った水を湛えたその泉は、一瞬、その水を完全に静止させると、直後、ぼんやりと映っていた像をまるで鏡に映したかのようにはっきりと結んだ。

 それから、さわさわとした緑色の光が、泉から漏れ出し、そしてどんどんその光が大きくなっていく。


 気づいた時には、その人は立っていた。

 悠然とした佇まい、闇よりも黒い髪、そしてそれと反するように白く肌理(きめ)細やかな肌。

 微笑みが、その華やかな口元から零れ落ちている。


 まるで泉の女神が現世に姿を現したかのような美しさである。


 しかし、そこにいる亜人たちは、人類とは異なる極めて高い魔力感知能力によって、その泉に立つ者が清らかなるものではないということを理解していた。


 信じられないほど、強大な魔力を持っていることに、まず気づく。

 そしてその魔力があらゆる色を混ぜたような混沌であることに呆然とするのだ。

 暗黒、と言うべきその魔力の質は、その人には似つかわしくはない。

 あの美しい人には、決して似つかわしくない。


 そう感じるのだが、改めてその美しい人を眺めてみれば、先ほどまではどこまでも清らかに見えたその姿が、邪な、まるで地獄の底へと人々を引きずり込む悪魔のようにすら見えてくるのだ。


 なぜなのだろう。

 不思議に思いつつも、亜人たちは目を離せない。

 聖であれ、邪であれ、その人が魅力的であることは間違いないからだ。


 恐れつつ、けれども望んでいたその人の再臨に、亜人たちは平伏す。


 そして亜人たちの代表と思しき、一つ目の巨人が、恭しく礼をとってその人に言った。


「……ようこそ、アルトフォルテ王国へ。キリハ様。ミンス宰相がお待ちです」


 すると、その人は――キリハは鈴のなるような声で、妖艶に、けれども少女のような無邪気さを感じさせるような楽しそうな声で言った。


「ありがとう」


 たった一言。

 それなのに、その場にいた亜人たちは心を掴まれた。

 言葉一つにも、匂い立つような魔力が込められている。

 その場の誰もが思った。

 流石は、魔力持つ者の頂点。

 何よりも、誰よりも強い力を持つその存在。


 そして、その場にいる亜人たちは、千年の昔から、その存在に忠誠を誓ってきた者の子孫たちであった。


◇◆◇◆◇

 

 目の前に可哀想なくらいに怯えている不思議な見た目の人たちがいる。

 魔族の人間形態に近いが、持っている魔力量を見ればその貧弱さから魔族ではないことが分かる。

 彼らは、亜人と呼ばれる人たちで、かなり昔からこの世界、この大陸で人類から隠れつつ、ひっそりと暮らしてきた人々である。

 実のところ、魔族も亜人の一種族に換算されるのだが、なんだかあまりそういう風には見られないのがこの世界の人間、及び目の前にいる亜人たちの常識らしい。


 しかし、どうしてここまでこの人たちは私に対しておどおどしているのか。

 魔国から転移して、この施設にやってきてみれば、毎回この歓迎である。

 フェラード氏やセーラに対してはここまでのことはないのだが……。


 そんなことを亜人たちに尋ねてみれば、魔力の量が違うから、との答えが返ってきた。


 ……あれか。わかったぞ。

 フェラード氏やセーラ、それに他の生粋の魔族たちは自分の魔力を抑える術を身に着けている。それが当然の嗜みであり、周囲に危険を及ぼさないために必要な技術だからだ。

 けれど、この間、魔族になったばかりの私にはそのような技術はない。

 練習はしているが、まだまだ身についてないのだ。

 だから魔力が駄々漏れなのだ……それが怖いと言うわけだ。


 申し訳ないと謝ると、とんでもないと言われた。

 一つ目の大きな人だが、なんだか頬が少し赤く染まっている。

 なぜだ。怒っているのか。


 まぁ、しかし。いいか。

 ともかく、出張はここから始まるのだ。

 魔法符で転移は出来るのだが、人間国家で活動する以上、そういうのは自粛する方向でいる。

 そのため、まずはアルトフォルテで馬車なりなんなりの移動手段を確保し、それから他国に向かうと言うのが我が国魔国の外交時の作法である。


 だから、毎回このような歓待をされるわけだが……。

 いいのかな。


 私、もとはただの人間なんだけど。

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