第36話 魔法と本の召喚と
「それだと発動しないのよ。ここはこうなるのよ」
そう言って眼鏡を掛けて若干先生風の格好をしているミリアは私が魔力で空中に作り上げた魔法陣の作りの間違いを細長い棒で指し示しながら指摘した。
特訓がどうとか言ってたからさぞかし厳しい修行の日々が始まるのだろうと思っていたのだが、ミリアの特訓は意外と優しかった。
というより、セーラのそれが厳しすぎただけでこれでも結構きついと言えばきついのかもしれない。
ミリアの特訓はまず魔法陣の丸暗記から始まった。
“読み願う魔法”とはいうものの、それはそもそも“描き顕す魔法”の基礎を知らなければ個人で発動させることは出来ないものだという。
なぜならまず魔法使いは“読み願う魔法”を発動させる媒体たる“本”を創り出さなければならず、そのためには“描き顕す魔法”と使うしかないからである。
他人の“本”を読めば使えばするのだが、それはあくまで魔法が使えるかどうか試すくらいの意味しかなく、魔法使いを名乗るためには自分の“本”を創り出せなければならない。
慣れれば、というか“本”に記述してある文章を暗記すれば最終的には“本”を呼ばなくても“読み願う魔法”は発動する。最終的にそこまで至って“読み願う魔法”の使い手は完成するのだという。
ちなみにミリアは“本”を呼ばなくても問題なく“読み願う魔法”を行使することが出来る。
彼女の学友であるグラーレンも出来るらしく、彼もなかなか優秀なこと、それに魔族に限らずやろうと思えばそこまで至れるということがわかる。
そういうわけで、私はいま自分の“本”を創りだすための特訓をしているわけで、魔法陣の丸暗記を頑張っているところだ。
ただ図形だけ見ていても覚えられないので、魔法陣を描く練習をしながら覚える特訓をしている。
頭の中に図形を浮かべ、魔力を集めるとそれが正しい図形なら魔法は発動する。
なので正しくない図形を思い浮かべているとそもそも魔法は発動しない。
描き顕す魔法は図形自体に力があり、それが思い浮かべられた時点でそれなりの力を発揮する。
魔法陣は術者の魔力を吸収し、外部へと勝手に発現するのだ。
描き顕す魔法の使い手は魔法陣を空中に描けても、それは魔力を自分で操り描けている訳ではないのである。
あくまでも魔法陣それ自体の力なのだ。
したがって描き顕す魔法の使い手は多くの図形を正確に記憶し思い浮かべることに長けている必要があり、覚えている陣の数が多ければ多いほど強力な使い手とされる。
ただ私はそこまで描き顕す魔法を極める必要はない。
ただ一つ、“本”を創る陣だけ覚えていればいいのだ。
「……こうかな?」
先ほど描いた陣を消し、少し変えてまた思い浮かべる。
正しくない私の陣が空中に浮かんでいるのは、私の力ではなくミリアが可視化してくれているからだ。魔力による黒板みたいなものをつくる魔法があり、今はミリアにそれを使ってもらって訓練している。
「うん。いい感じなのよ。この部分にもう一本直線を足せば完成なのよ。もう一回」
「うん……わかった」
そうして、ミリアの指示通りの陣を思い浮かべたところ、今までとは異なる反応が空気の中に満ちた。
「これは!?」
「よくできましたなのよ。キリハの魔力で陣が発現しようとしているのよ」
見ていると、先ほどまでうすぼんやりとしか集まらなかった可視化した魔力が徐々に光を放ちながら明確な図形を形作っていく。
柔らかな燐光を放つそれは、集まるにつれて徐々にどす黒い色へと変わっていく。
それを見ながら私は言う。
「……なんか黒いんだけど……」
「……人によって色は違うのよ」
どう見ても暗黒魔法使いっぽい色だ。
私はそういう方向の魔法使いになるのだろうか……。
「ミリアのはピンク色で見るからに女の子っぽい感じだったよね……」
「私はピンク、魔王様は深い紺色、セーラは白色、お兄様は黒なのよ」
「……フェラード様と同じですか」
「黒は尊敬される色なのよ。強い魔力は黒く染まるものなのよ。魔法陣の発動色まで黒なのはかなり珍しいのよ」
そうこう言っている間に、陣は完成し、中心に何かが現れようとしていた。
「そろそろ出てくるのよ……」
「ずいぶんゆっくりですね」
「初めての時はこんなものなのよ。慣れればすぐ出せるようになるのよ」
なるほど、そういうものか。
しばらくすると、陣の中心に真っ黒い装丁の本が出現していた。
ミリアの本は青い雷光を帯びていたが、私の本は黒い霧を纏っている。
「本まで黒……」
「真ん中に赤い宝石が嵌っているのよ……綺麗な本なのよ」
確かに見てみると結構しっかりとした装丁の本だった。
材質は皮のように見えるが、本そのものも縁取りも、そして中のページすらすべて真っ黒である。
ただ本の中心に嵌っている宝石だけが色合いをそれに与えていて、どことなく見ているだけで不安になるような感じがしてくる。
「ここまで真っ黒なのは珍しいを通り越して凄いのよ。お兄様が本を創ったら、こうなるかもしれないけど……」
「フェラード様は創らないの?」
「魔族はふつうあんまり体系魔法は使わないのよ。面倒くさいし」
「ふーん……」
手に取ってぱらぱらページをめくると、中にはしっかりと文章が書いてある。
黒地の頁に、白い文字や赤い文字でいろいろ書いてある。実に見にくい。
私の横から本の内容を見ていたミリアが言う。
「……結構書いてあるのよ。やっぱり珍しいのよ」
「そうなの?」
「言ったのよ。初めてのときは、ほとんど文字は書いてないって。普通は最初の頁に二、三行くらいなのよ。それで、百回くらい使って次の文章が出てくる、という感じなのよ。そしてだんだんと新しい文章は出にくくなっていくのよ」
「へぇー……」
「まぁ、試しに一つ使ってみるといいのよ」
「あ、そうだね。じゃあまずは……これにしようかな」
本の中ほどに書いてあるそれなりに長めの文章を試しに読んでみることにする。
「ええと……“いざ問いやらん滅びの音を運びし天の御使いよ今こそその役目を果たし地に遍くその音色を届けたまえ”」
ちょっと試しに、と思ったのが間違いだった。
唱えると同時に何か嫌な予感がしたのだ。
そしてその予感は的中する。
強力な魔力の流れを感じたミリアの顔色が変わった。
「ま、まずいのよ!!館が!!!」
私が唱えると同時にミリアがそう叫んで強力な結界を張り始めた。
しかし私の周りに存在した空気はなぜか強力に震え初め、巨大な音を鳴らしながらあたりに存在する調度品のすべてを破壊していく。
ミリアは無傷だが、このままでは確かに館が壊れそうな気がする。
焦った私は風の吹きすさぶ部屋の中でミリアに大声で尋ねてみる。
「どうすれば止まるの!これ!」
「……魔力の放出を止めればいいのよ!」
「それってどうやるの!」
「心から漏れる力の弁を閉める感じ……ってそんなのまだ教えてないのよ!ええと……そうなのよ!“火よ、灯れ”って唱えるのよ!
「え、なんで!?」
「いいから!」
「わ、わかった。……“火よ、灯れ”!!」
そうすると、私の指先からぽっ、と小さな火が噴き出た。
それと同時に、風は徐々に静かに止まっていき、空気もその揺らめきを停止させて、静かになった。
しかし周りを見ると大惨事である。
これは、セーラとフェラード氏にどう言い訳をすれば……。
そう思った私は、髪をぼさぼさにしてしまっているミリアと顔を見合わせ、二人でため息をついたのだった。




