97.悪魔の襲来(3)
フジノは全力で女子寮へと走っていた。男子寮を出てすぐに炎で燃やした豚のような悪魔は中級の悪魔だ。
目玉の悪魔と同じように奴らも羽を持ち空を飛ぶ。向かっていた方向は女子寮のようだった。
やはり狙いはハナノなんじゃないかと考えると気持ちばかりが焦る。
走りながら上空に意識は向けているが、あれ以降悪魔の気配は感じられない。炎で一掃できていたならいいのだが、フジノを警戒してより高い所を飛んでいる可能性もある。
(くそ、あそこで大袈裟に燃やしたのはマズかったよな)
もっと慎重にするべきだった。自分はかなり動転しているらしい。
(何のための前世の記憶だよ。こういう時にこそ、落ち着けよ)
自分に苛つきながらフジノは女子寮へと向かっていた。
女子寮に向かって半分ほど走った所で、フジノは向こうから来る二つの人影に気付いた。
「フジノ!」
こちらへ向かって走って来たのはアレクセイとセシルだ。団長用宿舎から男子寮に向かっているのだろう。二人はフジノを見て足を止めた。
「何かあったね? 変な気配を感じてそっちに向かってたんだ。他の団長達は城に向かってる」
「さっき男子寮に悪魔が召喚されました。昨日交換したカーテンに魔方陣が組み込まれていたようです。全てのカーテンから召喚されているなら、部屋の数分の悪魔が来てる可能性があります。悪魔と戦ったことはありますか?」
フジノは極めて簡潔に説明してから聞いた。
「ないよ。セシルは?」
「ないね」
アレクセイとセシルはすぐにフジノの話に納得したようだ。余計な質問は挟まずに真面目な顔で答えてくれる。
フジノの前世が勇者だと知っているのもあるだろうが、男子寮からの禍々しい気配を感じているせいだろう。あれは魔物の気配じゃない。
「悪魔に物理攻撃はほとんど効きません。ある程度の魔力を込めてた武器か、魔法を使ってなら倒せます。寮の皆は起こしておきました、では」
フジノはそれだけ言うと再び走り出そうとした。
「ちょっと、待って! フジノはどこに向かってるの?」
走り出そうとしたフジノをアレクセイは慌てて止めた。
「ハナの所です。何となくですけど狙いはハナのような予感がしてるんです」
それだけ言うとフジノは走り出した。後ろからアレクセイの声が聞こえるがもう無視だ。
だが走り出してすぐに隣に誰かの気配が並ぶ。
プラチナブロンドがさらりと揺れた。セシルだ。
「私は君と行こう。男子寮はアレクセイ一人で何とかなる」
「ありがとうございます」
フジノは礼を言い、セシルと共に女子寮を目指した。
❋❋❋
ばんっ。
ハナノは大きな音で目を覚ました。
目を覚ました途端に気味の悪い気配がして、背すじがぞくぞくする。
(なに? 外?)
寝ぼけながらも起き上がったハナノは、音がしたと思われる窓のカーテンを開けてみた。
「ひっ!」
カーテンを開けて、ハナノは小さく悲鳴をあげた。
窓には気持ち悪い豚のような顔が張り付いていたからだ。ハナノの部屋は二階である。窓に豚が張り付いているなんておかしい。
ガラスに押し付けられている豚の顔と目が合うと、豚はニヤリと笑った。
「!」
全身が恐怖で粟立つ。
(悪魔だ)
ハナノはこれの正体を一瞬で理解した。
見たことはないはずだが知っている。これは悪魔だ。
「ロ、ローラっ!」
寝ている友人を起こさなくてはとその名前を呼んだのと、窓が破られたのはほぼ同時だった。
バリンッとガラスが割られ窓を開けた悪魔が部屋へと入って来る。
大人の男性くらいのスレンダーな豚のような悪魔だ。背中には羽もある。
≪大いなるマナを持つ者よ、迎えに来たぞ≫
ハナノの頭の中に直接悪魔の声が響いた。
気持ち悪い声だ。ぞわぞわする。声に意思は感じられない。この悪魔は命令されたことを忠実にこなしているだけなのだ。
≪さあ、おいで≫
悪魔はハナノに手を差し出した。手は豚ではなく人の形をしていた。
もちろんその手は取りたくない。
でも、どうする?
悪魔に物理攻撃は効かないのだ。しかしハナノに魔法は使えない。
≪おいで≫
悪魔はニヤリと笑い、片方の手をローラへとかざした。ローラは先ほどの物音で起きたらしい。上半身を起こして信じられないものを見る目で悪魔を見ている。
ハナノの全身は恐怖に染まった。
「だめっ、行くから止めて」
ハナノは慌てて悪魔へと歩み寄った。
悪魔はローラに構えた手を降ろし、ハナノの脇の下にその手を回してハナノを荷物のように抱えると窓に向かった。
そして身を乗り出すと、ばさりと羽を羽ばたかせて飛び立つ。
「馬鹿っ!」
飛び立つ瞬間、寝間着のまま剣だけ手にしたローラがハナノの腰にしがみつく。
「ローラ!?」
「何してるのよ! いっちょ前に庇ってんじゃないわよ! これ何? 馬鹿っっ!」
豚の悪魔はハナノとそれにしがみつくローラの二人を抱えても問題ないようだ。少しふらついて高度は落ちたがローラが増えたことは気にしてないようで、そのまま羽を羽ばたかせる。
「とりあえず、落とすわよ」
ローラがそう言うと、途端にみるみる悪魔の高度が落ちた。
ふらふらと少し飛んでから、女子寮から少し離れた地面にずざざっと落ちる形で着地した。薄い寝間着ごしに砂利が当たって痛い。
着地と同時に悪魔の手が緩む。ローラはハナノを引っ張り出すと手を引いて走り出した。
ハナノが悪魔を振り返ると、豚の悪魔は地面に縫い付けられるようにへばりついたままだ。感情のない暗い瞳がハナノを見ているが追ってはこない。
「あれは、ローラの重力の魔法?」
「そうよ、あの豚は何?」
「悪魔。しかも中級以上だと思う」
ハナノがそう言う間に悪魔は口から黒いどろっとした塊を出し、勢いよくローラに向けて放った。
「ローラっ!」
ハナノはぐいっとローラを引き倒して庇う。
「!」
二人でぐっと衝撃に備えたのだが、ばあんっと音がして黒い塊は二人の手前で消失した。
「えっ?」
ハナノとローラの周りには青白く光る半円形のシールドのような物が出現していた。
地面に縫い付けられたままの悪魔は、さらに続けて黒い塊を放つが全てそのシールドに阻まれる。
「なにこれ? ハナがやってるの?」
「ううん、何もしてない…………これ、もしかしたら精霊の加護じゃないかな、前に会った精霊の気配がする」
ハナノは青白い輝きを見ながらそう言った。
「加護!?」
「ラッシュ団長と帝都の精霊の森に行った時にもらったの」
もらったことはすっかり忘れていたのだが、ひんやりした感じもあの時と同じだ。
「精霊に加護なんて滅多にもらえないのよ、どうやって………………まあいいわ、今はその事情を聞いてる場合じゃないわね。とにかく逃げましょう。私ではあれを倒すのは難しそうよ、もうしばらくなら私の魔力も持つし本部に行けば宿直の騎士達がいるわ。本部まで走るわよ、ハナ?」
「……」
ハナノはローラの言うことを途中から聞いていなかった。
ローラが反応のないハナノを見ると、ハナノは顔を強ばらせて前方を見ていた。
ローラはその視線の先を追う。
「っ……」
二人の前に背後の地面にひれ伏す豚の悪魔とは別の、もう一体の豚の悪魔が現れていた。




