85.お茶会にて(3)
水晶宮の温室はラグノアの言った通り素晴らしい温室だった。ガラス張りのドーム型の温室は建物3階分くらいの高さがあり、見たことのない木々や花が上手く配置されている。
「お仕事中だったのではないですか?」
温室を歩きながらハナノは聞いた。
「仕事と言っても趣味の薬草園の管理と陛下の話し相手だけだ。もちろん時々護衛もするがね。あとは判を押すくらいかな」
「判を押す?」
「ああ、不本意だが私の承認がいる書類があるんだ。近しい知り合いに判子を預けて好きに押せと言っているんだが、融通が利かない子でね。絶対に私に押させようとするから、押すだけ押している」
「つまり、中身を読んでないってことですか?」
それは、良くないのでは?
「ははは、読んだことはないね」
そう答えるラグノアの笑顔は真っ直ぐで何の後ろ暗さもない。
「……ラグノア、それは良くないですよ」
ハナノが控えめにそう伝えると、ラグノアは澄んだ瞳でハナノを見てきた。
「ハナノ、私はエルフだからそもそも帝国民ではない。友人のためにここに居るが望んだものではないよ。そしてエルフである私が人間のまつりごとに関与してはならない。そうなると私は平等に全ての承認を拒むか、通すかしかないんだ。それなら通す方がマシだろう?」
「うーむ……な、なるほど?」
相手は生粋のエルフである。確かにハナノ側の常識を押し付けるのは違う気がした。
「私が中身を把握していないことは知られているしね。それでも私の立場上、書類は回さざるをえないらしい。やれやれと思うが、そういうややこしさや煩雑さも含めて私は人がけっこう好きではある。だから判は押している」
「そうですか。でも大丈夫ですか? 変な濡れ衣とかきせられませんか? ラグノアが捕まったりしないかは心配です」
陰謀の首謀者とかにされたりしないだろうか。
そう言うと、ラグノアは可笑しそうに笑った。
「はは、捕まらないよ。私の身を守る為なら精霊達は喜んで無制限に私に力を貸してくれる。土の精霊に頼み皇居を一瞬で砂にして、水の精霊に水も足してもらって沼にして逃げよう」
笑顔で怖い事を言うエルフの女近衛騎士。
成熟したエルフは全ての属性の精霊を使えると聞く。きっと火の精霊も木の精霊もラグノアは使えるのだ。
「沼はやめましょうね?」
「もちろんしないよ。今の皇帝も前代も友人なんだ。友人を困らせようとは思わない。そして彼らが望む限り、私はここに居て彼らの話を聞き年長者としてのアドバイスをするつもりだ。昔、まだとても若かった頃、大切な友人が辛い時にそうと分かっていて側に居てやらなかった。それを後悔している」
ラグノアはほんの少しだけ眉を寄せた。
ハナノはそれは以前聞いた友人と同じ人物なのだろうな、と思った。死に目に会えなかったラグノアの大切な人。
「当時の私は彼が閉じ籠りたいならそっとしておくべきだと思ったんだ。私は若く、君たち人間の寿命の短さについて知識はあっても実感がなかった。君たちの力になれる機会は本当に限られた時間だけなのに、それを知らなかったんだ。だから今は友人の為に出来る限りの事はしようと思っている」
ハナノはそんな友人の中の一人だよ、とラグノアは言った。
それからは主に目に入る植物について話し、ハナノは十分に水晶宮の温室を堪能した。
その後、送ろうかというラグノアの申し出を辞退して、ハナノは一人でお茶会会場へと戻る。
そんな帰り道、ハナノは前方から三人のご令嬢がやって来るのに気付いた。お茶会に参加している令嬢達のようだ、気分転換に庭の散策に来たのだろう。
ちらりとこちらを見た気はしたのだが、おしゃべりに夢中でハナノなど眼中にないようだ。彼女達は気にせず道の真ん中を進んでくる。
ハナノはそっと道の脇にどいた。
騎士たるもの、レディに道を譲るのは当然である。ほんの少し俯いて不躾な視線を送らないようにも気を付ける。
すると、脇にどいたはずなのに一番端のレモンイエローのドレスを着た令嬢がわざわざこちらに向かって来て、どんっと強い勢いでハナノの肩にぶつかってきた。
「わっ」
驚いてバランスを崩しかけるがハナノだって帝国騎士団の騎士である。足腰や体幹は貴族の令嬢の比じゃないのだ、ぐっと踏み止まる。
だがハナノが踏み止まってしまったので、ぶつかってきたレモンイエローの令嬢は反動でバランスを崩した。
「きゃっ」
悲鳴が上がる。
ハナノはとっさに令嬢の腕をはっしと掴むとぐいっと引っ張って抱き寄せた。
ハナノの方が背が低いので令嬢に覆い被せられる格好になる。変な体勢と令嬢の重みに加えて、慣れないヒール。
「っ……!」
左足首に激痛が走るがこけるわけにはいかない。騎士たるものレディをお守りせねばならないのだ。ハナノは必死にこらえた。
「えっ?」
抱き寄せられたレモンイエローの令嬢は驚きの声を小さくあげた。
ハナノはそのままぎゅっと彼女を抱きとめてから、その腕をそっと押し戻してきちんと立たせてあげた。
そしてカノンのキラキラ笑顔を思い出して真似しながら優しくささやく。
「失礼しました。華やかなレディ達にぼんやりしていたようです。お怪我はありませんか? 美しいひと」
こちらのセリフはローラから借りた恋愛小説からの引用だ。
ハナノの思い描く凛々しい騎士がばっちり決まった瞬間である。
ぶつかってきたレモンイエローの令嬢は、見下ろすサイズのハナノにどぎまぎしていて、残りの二人の令嬢達も少し頬を赤らめている。
(よし!)
キラキラ笑顔を崩さないようにしながらハナノは心の中でガッツポーズを決めた。
「だ、大丈夫です。ぶつかってしまったのはこちらです。ありがとうございます」
レモンイエローの令嬢がどもりながらお礼を言ってくれた。そのお礼にハナノは笑みを深めてみせる。令嬢は真っ赤になった。
「いいえ、咄嗟の事とはいえあなたに触れてしまい、すみませんでした。では、私はこれで」
ハナノはカーテシーではなく、騎士のお辞儀をすると歩きだした。
挫いたらしい左足が痛いけど、ここで痛がってはカッコ悪いので我慢してスタスタ歩く。
振り返らずに颯爽と。
「カテリーナさん、大丈夫ですの?」
「ええ、大丈夫です」
後ろから令嬢達の話し声が聞こえてくる。
レモンイエローの令嬢の名前はカテリーナというようだ。カテリーナの視線を後頭部に感じながらハナノは意気揚々とその場を去った。
「ぐう……」
話し声が聞こえなくなり、角を曲がった所でハナノはやっと痛みにうずくまった。
「痛いぃ」
そっとドレスをたくしあげると左足首は真っ赤になって腫れていた
「くぅ」
腫れてるのを見るとますます痛い。
でも、ばっちりカッコ良く決められたはずだ。カテリーナは完全にドキドキしていたと思う。他の二人も頬を染めていた。
騎士服でなかったのが悔やまれる。騎士服ならもっと決まっただろうし、足も挫かなかったはずだ。
ハナノはよろよろと足を引きずりながら歩き、お茶会の会場からは離れて、庭の片隅の東屋に落ち着いた。
足も痛いし、ここで休憩してお茶会が終わる頃に戻ろう。そう決めて一息ついた。
「ふう」
目を閉じてぼんやりとこの半日を思い返す。朝からローラと身支度をするのはかなり楽しかったし、お茶会での令嬢達のドレスはどれも素敵だった。たまにはドレスもいいものだと思う。
お澄ましラッシュはちょっとカッコよかった。もちろんドラゴンアミー相手に圧巻の強さだった時には負けるが。
手違いで植えられていたらしい月下夢草を見つけた時は驚いたけれども、ホーランドが対処すると言ってくれたので大丈夫だろう。
それからラグノアとの温室デートにカテリーナとの遭遇。
なかなか濃ゆい半日だ。
フジノにいろいろ話そう。ラグノアについてはエルフであることを伏せて、知り合った近衛騎士とデートしたことにしようかな、と考えていると
「休憩中か?」
すぐ側からそう声をかけられた。
お読みいただきありがとうございます。
こちらのエピソードでめでたく30万字超えです。どんどん字数が増えている。
ここまで長いと新規では手を出しづらいだろうなあ……そんな中、だらりとお付き合いいただいている方々、本当にありがとうございます。
遅くなりましたが、第二章を再開した時の「待ってたよ!」という感想たち、とても嬉しかったです。読み返してはニヤニヤしております。




