73.生贄を捧げる湖(5)
ブルードラゴンが去り、サーシャが眠ったままの生贄だった少女を抱き上げて岸に降り立つ。フジノもそれに続いた。
「その子、どうなるんですか?」
フジノは少女を見ながら聞いた。
少女はまだ十代前半くらいに見える。豊かな亜麻色の髪を三つ編みにしていて、鼻と頬にはそばかすが散っていた。
「明日には第十四団がこちらに来るので、とりあえずは十四団預りになるでしょうね。一度孤児院を出ているのに戻す訳にもいかないですから、おっと」
ここでうっすらと少女の目が開いた。
覚醒まではしていないようで、その目つきはぼんやりしている。
「こんばんは、お嬢さん。何も心配いりませんよ。まだゆっくり眠っていてください。安全な場所にお運びします」
サーシャが幼い子どもに言い聞かせるように優しく言って微笑むと、少女は安心したように息を吐き、また眠りに落ちた。
「よかった。眠ってくれましたね」
「そうですね、真夜中に見知らぬ男の腕の中はびっくりしますしね」
そうして星空の下、フジノはサーシャと村の宿までの道を歩きだした。
後方ではショックから立ち直った村人達がざわつきだしているが放っておく。
明日、第十四団の騎士達が到着したら、この少女と村の主だった者達に事情聴取をして、処理はそれからだ。
「彼らは罪に問われますか?」
フジノは後方をちらりと見ながら聞いた。
「うーん。生贄を使った儀式自体は咎められるでしょうが、罪を問えるのは村長くらいでしょうか」
「それは、ちょっと納得いきませんね」
「そういうものですよ。村ごと潰すわけにはいかないし、信仰も奪えるものではありません。十年前もそうでした。ただ、今回はドラゴンに生贄を断られたので大きく変わると思います。残った方々にはドラゴンの言葉を語り継いでもらいましょう」
サーシャが穏やかに答えて、フジノは少し黙ってから再び問うてみた。
「……サーシャさんはドラゴンとの混血だったんですね、って聞いた方がいいですか? それともこのままスルーがいいですか?」
「もう聞いてますよねー」
「だってあれを見てこのまま無視は不自然ですよね。ばっちり息子って言ってましたしね。そういえばそれで竜馬も乗れるんですね」
ドラゴンは竜馬の上位種にあたる。竜馬達はサーシャの中のドラゴンの血を感じ取って従っているのだ。
ちょっと羨ましい。
あの歯の浮くような台詞での褒め殺しをしなくてもいいなんて。
「そういう事です」
「あいつが言ってた、イレーナさんとは?」
「母です。生贄にされた少女の一人でした」
「そうでしたか」
「母はなぜかアレに気に入られました。そして本当になぜか私を宿しました。かなり稀な事のようです」
ドラゴンは通常、交配で子は成さない。子孫は自身の死が近い時に分身のような卵を生んで残す。だからサーシャはドラゴンの血を引いてはいるが、どちらかというと人に近いはずだ。
「ドラゴンの血を宿せる稀有な素質を持ってたんですね」
「そのようです」
サーシャの母、イレーナは平凡な魔力量の娘だったのだがドラゴンにいたく気に入られて寵を受けた。そして一年後にその子供を宿して村に帰ってきた。
イレーナが言うにはブルードラゴンとは同意の元で帰ってきたらしいが、帰ってきたイレーナを村人達は歓迎しなかった。村人からすればドラゴンの子供を人間が産むなんて許される事ではなかったのだ。それはドラゴンへの冒涜だと受け止められた。
しかしドラゴンの寵を受けたイレーナを無下に扱う事は出来なかった。
結果、イレーナは村から少し離れた森の中の小屋で暮らす事になる。食べ物は届けられたが、それ以外の関わりは絶たれていたようだ。
彼女はそこで一人でサーシャを産み育てた。
「ドラゴンの血が入っている私を産むのはかなりの負担だったようで母は体を壊しました。その後も十分な治療を受けないまま無理を続けて、私が六才の時に亡くなりました。母が亡くなると村は私を近くの町のサーカスへ売りました。私の存在そのものがドラゴン信仰の汚点と考えられたようですね」
「そんな、勝手な……」
じんわりと怒りを滲ませるフジノにサーシャは気にするなと首を横に振った。
「見た目も良くなかったですしね。私は小さい頃は右手と瞳の異形を隠すことができなかったんです。人ではない、かといってドラゴンの神聖さもない変な生き物でした。サーカスでは念のために魔力を封じる首輪を付けられて見せ物として過ごしました」
フジノは険しい顔になった。
「そんな顔しないでください。子供の頃は人間半分、蜥蜴半分みたいな状態だったのでそんなに苦痛では」
「蜥蜴じゃないです。ドラゴンです。最高位の魔獣ですよ。知恵深く誇り高い生き物です」
サーシャの穏やかな口調をフジノは遮った。
「褒めていただいてるんですかね?」
「褒めるというか……まあ、褒めているでいいです」
「ありがとうございます。あなたは魔獣や魔物を過度に畏れないし、蔑みもしませんね。あんな風にブルードラゴンに口をきくのには驚きました」
「あいつらにはきっちり主張しないとダメですよ」
そうしないと全部あちらに都合のよいように解釈されてしまう。
ドラゴンはそういう生き物だ。なまじ長く生きているだけに考えを押し付けがちだし、その考えは偏っている。そして向こうからこちらの都合を気遣ったりはしてくれない。
「正直、あなたとやり取りするアレにも驚きました。もっと話が通じない嗜虐的な生き物かと思っていましたので」
「あいつらは偏屈で話は通じにくいし、気まぐれで優しくもないけど、アホでも獰猛でも残虐でもないです」
「そのようでしたね。今なら母はアレに悪くはされなかったのかもしれないな、と思えます。母はアレを恨んではいませんでしたから」
「かなり気に入っているようだったし、優しくしたと思いますよ」
「何かしらの情はあったんですかねー」
少し晴れ晴れとしながらそう言ったサーシャにフジノはぴくりと眉を上げた。
「情どころか……未練たらたらだったじゃないですか」
「え?」
「あいつらは人間の名前なんて覚えません。それを覚えてたなんてよっぽどです」
ラグノアのことは“エルフの娘”だったのにサーシャの母親は“イレーナ”だった。かなり入れ込んだに違いない。
「言い切りますね」
「間違いないです。僕たちの考える愛かどうかは分かりませんけどね」
「ふふっ、ではアレが引きずっていたと母のお墓に報告しておきましょう」
サーシャは笑いながら言って、話を戻した。
「……サーカスからは、私が十才くらいの時に団長が連れ出してくれたんです」
「アレクセイ団長が?」
「当事はまだ騎士ではなく、魔法学校の生徒でした。夏の休暇を利用して帰省していたんですよ。そして祭りの見世物小屋の私を見つけた。ものすごく怒っていましたね。当時の私には団長の怒りは理解できなかったんですが、今なら分かります」
サーシャは懐かしそうに目を細めた。大切な思い出なんだなとフジノは思う。
「私の保護がきっかけで村で生贄の儀式を続けていたのも発覚し、十年前の騎士団による摘発にも繋がりました。その後は私はこちらの公爵家の屋敷で団長のお祖父さんに面倒を見てもらい、団長が団長になった時に騎士団に入りました」
「こっちの公爵家の屋敷……ここら辺ってアレクセイ団長の家の領地なんですよね」
「ええ、この辺り一帯がそうです。知りませんか? ローズウィッド家ですよ」
家名を聞いてフジノは、ああやっぱりと納得する。
それは大賢者ユリアンが賜った家名だ。
「アレクセイ団長って、大賢者の子孫だったんですね」
「おや、知らなかったんですか? 有名な話ですよ」
「…………知らなかったなあ」
フジノは前世での同志であり師でもあったユリアンを思い出す。
ユリアンはルドルフに魔法の使い方を教えてくれた人だ。金色猫目の偉大で小柄な魔法使い。ドラゴン付きの湖を気に入って所望していた魔法使い。領地は変わらず受け継がれているようだ。
そんな魔法使いの血を受け継ぐアレクセイにフジノは今魔法を習っている。
「僕は団長に大きな恩があるみたいです」
「なら私と同じですね」
二人はしばらく無言で歩いた。湖畔のざわめきが遠くなり虫の音だけが聞こえる。
フジノは前世と今世の不思議な縁をかみしめた。
村が見えてきた頃、ふと思い出してフジノはサーシャに聞いた。
「サーシャさんが混血っていうのは、騎士団の皆は知ってるんですか?」
「隠してる訳ではないです。言いふらしてもいませんけどね。ブレア総監と各団長、あと第二団の方達は知っています。魔力を使う時はどうしても右手と目はドラゴン仕様になっちゃうので」
「ふーん。ところであの右手、カッコいいですね。そこらの剣なら斬れなかったりしますか?」
フジノはサーシャの右手の様子を思い出す。あの鱗が簡単に切れるとは思えない。
「最初の着眼点がサーバルさんと同じですねー。ええ、通常の刃では斬れないですよ」
「もしかして剣は左利きです?」
「ご名答です。普段は右利きですが剣は左で振れるようにしました」
「あの右手が使えるなら僕もそうしますね」
深く頷くフジノ。
「気持ち悪いとかないんですか?」
「え? ないですよ、何でですか?」
「鱗ですよ?」
「最高位の魔獣の鱗ですよ。何ならきっと鱗は売れます」
「売れます、は初めて言われました」
「昔は時々売ってたんですけどね、ドラゴンの鱗。あ、」
そこで、フジノは思い付く。
「もしかして、半分ドラゴンならサーシャさんって魔獣の従属契約出来ます?」
以前、ハナノの膨大な魔力を使う方法として幻獣の召喚について調べていた時、アレクセイから提案された魔獣との従属契約。契約をするとその魔獣の呼び出しも出来るし、何よりも魔力の共有が出来る。
ハナノの魔力を共有するならドラゴンのレベルの魔獣でないと耐えられないがドラゴンと従属契約を結ぶのは難しいからその案は却下だった。でも今、フジノの前にそのドラゴンの混血であるサーシャがいる。
サーシャなら、もしかしたらハナノの無駄に膨大な魔力を多少は引き受けられるかもしれない。
「出来ますよ」
「ほんとですか!? じゃあ、」
「でも私は既に団長と従属契約を結んでいます。」
「契約済みかあ……」
フジノはがっかりした。
だがサーシャと契約してるからこそ、アレクセイから魔獣との従属契約の話が出てきたんだな、と納得もした。
「…………ハナノの魔力の使い途ですか?」
少し間をおいてサーシャが聞いてきた。
「…………そうです」
フジノはサーシャがハナノの魔力のことを知っていることには驚かなかった。サーシャがドラゴンとの混血であると知ると、アレクセイがフジノにこの任務を命じた意図が分かる。
尋常ではない魔力を持つハナノ、魔獣との混血のサーシャ、どちらも異端の者だ。
「サーシャさんはアレクセイ団長から僕の説得を頼まれたんですか?」
フジノがそう聞くとサーシャは困った顔をした。
「うーん、説得というか……ハナノの魔力のことと、あなたがそれを隠していたことや騎士団を出ていくかもしれないことは確かに聞きました。団長からは“ゆっくり話してあげて”とは言われていますが、騎士団に残るように説得しろとか、混血の事を告白してあなたに取り入れ、とかは言われてません」
「そうですか」
「団長は何らかの期待をしているとは思いますけどね」
「…………」
「参考になるかは分かりませんが、特異な力を持っているなら巨大で長いものに巻かれておいた方がいいと私は思いますよ。ドラゴン達のように縄張りに籠れるなら別ですが人間はそうもいかないでしょう? どうしたって関わり合いが必要になる。そして少なくとも、今の騎士団は私にとって悪い所ではありません。異端や異能によって不当な扱いは受けませんし、私の力が第二団の役に立つのは嬉しいです。私が騎士団にいるのは団長の存在が一番大きいところではありますがね」
「そうですか」
「何より、ハナノの目標は凛々しい騎士なんですよね?」
サーシャは優しい笑顔をフジノに向けた。珍しく眼鏡の奥の瞳もしっかり優しく笑っている。
「そうですね」
「まずは二人でそちらを目指してはいかがですか?」
「それもひとつですねー」
フジノはサーシャの言い方を真似してそう返した。
❋❋❋
翌日、村には第十四団の騎士達が到着して村長やその他、今回の生贄の儀式に関わった主な人達が明らかにされた。
村長は村から追放され労働や奉仕に従事する罰が与えられる見込みだ。
新しい村長はとりあえずシャーマンだった男がなることになった。
昨夜現れたドラゴンがシャーマンと言葉を交わしていたので、彼は村人達の尊敬を一身に受けており上手くまとめることが出来るだろう。
ブルードラゴンは人間の小娘など欲しくないことをちゃんと伝えてくれていた。湖周辺を美しく保ってくれているだけで十分だとも言っていたらしい。村人達の湖の清掃に熱が入りそうだが、清掃なら害はない。
「何だか、牧歌的に解決しましたねー」
サーシャが言い、フジノ達は帰途へとついた。




