63.廃神殿の任務(4)
ゴーレムを倒してからの本殿の回廊は何の問題もなかった。アレクセイとはハナノは難なく神々しい祭壇に辿り着き、魔道具を交換して祭壇裏の出口の石を発動させると入り口の石の前に戻ってきた。
再びぐるぐると回され、足が地面に着き外の空気を感じる。
(…………?)
アレクセイは外の空気を感じてすぐに異質な匂いに気付いた。
(血の匂い?)
それは濃い血の匂いだ。ざわりと体は臨戦態勢に入った。
目を開けて、平和な廃神殿に横たわる異様な姿の魔物と、血溜まりに倒れているフジノを見つける。
(魔物? 死んでいるのか? 倒れてるのはフジノか?)
「フジノっ!」
状況を把握しようとしていると、隣のハナノが悲鳴をあげて駆け寄った。
「ハナノ、待って、」
何かの罠かも、何て言えるような様子ではなかった。
「やだやだ、フジノっ、フジノっ」
ハナノは血溜まりに突っ込むと、フジノの半身を起こす。
「やだあっ」
アレクセイは素早くまず魔物が確実に死んでいる事を確認した。
周囲には今のところ、他の魔物はいないのも確認してから、フジノの側に膝をつく。
血溜まりはまだ生温かかった。
すぐにフジノの様子を確認すると、まだかろうじて息はある。
ハナノはもう半狂乱で、やだやだと泣いている。話をするのは難しそうだ。アレクセイは泣き喚くハナノは置いておく事にしてフジノに集中した。
フジノは脇腹に傷を負っているようだ。
傷は深く内臓までいっていて、フジノの顔色や傷口の変色から毒も回っているのだと分かった。
アレクセイは眉を寄せた。
自分の治癒魔法では、血を止めて毒をこれ以上回らないようにするくらいしか出来ない。そしてそれだけでは――
「ハナノ!落ち着いて!僕の治癒魔法で現状維持するから伝書鳩を飛ばすんだ、カノンが間に合えば何とかなるかも」
(間に合う可能性………………低いな)
言いながらアレクセイは思う。フジノの傷は深すぎるし毒は致命的なものだ。
(でも、やるしかない)
やるしかないし、今のハナノに間に合わないかもとは言えない。
アレクセイはフジノの脇腹に手をかざした。
「ハナノ、聞いて。助けるから」
バンッ
その時、アレクセイは何かが砕ける大きな音を聞いた。新手の魔物かと身構えて、すぐに音の発生源がハナノだと気付く。
傍らのハナノを見ると、その右手の結界が壊れていた。
「えっ?」
アレクセイは目を見張った。
(壊したのかあれを。あの怨念の塊みたいな結界を?)
バンッ
バンッ
右手の結界が壊れたのに続いて、何重にもかけてあったハナノの全身の結界もすぐに壊れた。
理解が追い付かない中、アレクセイはハナノを拘束すべきかどうか迷う。
今ハナノから出てこようとしているのはフジノがあんなに必死に封じていた何かだ。
その何かでハナノは今、結界を全て壊したのだ。
(攻撃して止めるべきか?)
でも、フジノは一刻も早く何らかの治療が必要だ。
アレクセイの頭に笑顔の双子の様子が浮かぶ。
(……くそっ)
悪態をついてアレクセイはフジノを優先した。まずは、フジノの治療に集中しようと決める。
しかしアレクセイはそれ以上、治療を続けられなかった。ハナノから途方もない量の魔力が一気に噴き出したからだ。
アレクセイはハナノの右手の人差し指から墨のような魔力が勢いよく吹き出すのを見た。
それはあっという間に太くなって、ハナノの右手はその噴出に耐えられず人差し指から引き裂かれ、手首より先は粉々になった。
肉片が飛び散り鮮血がボタボタと滴り落ちるが、アレクセイはハナノを心配する余裕はなかった。
現れたのは圧倒的な量と質の魔力だった。
肌が粟立つ。体は震えることさえできなくて、息が止まった。
(何だこれは)
その存在感にただ畏怖する。
それがハナノの魔力なのだと気付くのには少し時間がかかった。
息が出来ない。
(僕はこれを拘束するつもりだったのか?)
ムリだ。バカみたいだ。
フジノはこれを畏れていたのか? これを封じる為の結界だった?
呆然とするアレクセイの横で、半狂乱のままのハナノの右手首からおびただしい量の眩しい光が溢れる。
アレクセイはフジノの毒が中和され、傷が治癒するのを見た。
そしてハナノの右手があっという間に再生するのも見た。
「…………」
(マジかよ)
心の中ではあったが、アレクセイは滅多に使わない俗語を使った。
それはとんでもない速度の治癒だった。
ハナノは一瞬で毒の中和と傷の治療を行っていた。おまけにフジノの傷付いた内臓もきっと完治させている。
しかも、己の右手に至っては再生させた。
(再生?)
おとぎ話の世界だ。再生なんて、それこそ数百年前の聖女でしか聞いた事がないし、アレクセイはそれは作り話だと思っていた。
(再生なんて……嘘だろ)
でも確かにハナノの右手は粉々だった。
圧倒的な魔力への畏怖を忘れて、アレクセイはその治癒に見入った。
それはほんの数秒の事だったが、それよりもずっと長く感じられた。
フジノの傷が完全に塞がると眩しい光が収まり、ハナノがぐらりと傾く。
アレクセイは慌ててハナノを抱き止めた。
「ハナノ」
呼び掛けるが返事はない。すぐに呼吸と脈を確認する。どちらも少し浅いが、問題はなさそうだ。
「気を失ったの?」
これだけの治癒を行った無理が体に返ってきたのだろう。
アレクセイはハナノの右手をもう一度確認してみる。
粉々だった右手は完全に再生されていた。
再生なんて初めて見た。こうなるともはや治癒ではない。
治癒魔法とは、本来人が持っている抵抗力や免疫力、治癒力を爆発的に高めるものだ。
だから治癒魔法では、無い物は治らない。
「ははは、再生かあ……」
今さらだが、思い出したように体が震えだす。
アレクセイは血溜まりを避けてそっとハナノを横たえた。
ハナノを横たえてからフジノの様子も確認する。
フジノも意識はないが呼吸と脈は正常だ。
出血が多かったから、出来るだけ早めの処置は必要だろうが命の危機は去っていた。
「はあ、とにかく、よかった」
アレクセイは自分もハナノの横にぺたんと座った。
こんな風に震えるのはどれくらいぶりだろう。小さな子供の時以来だ。
「よかったあ……」
しばらくすると、辺りには鳥のさえずりが聞こえてきた。
「よかったあ…………よかったけど」
昼下がりの平和な様子の廃神殿で、血まみれで気を失っている双子を見ながらアレクセイは一人、途方にくれた。
「なにこれ。どうしよー」
***
サワサワサワ…………
ピチチチチ、ピチチ。
風の音と鳥のさえずりをゆっくり堪能し、アレクセイは少し落ち着いてきた。
体の震えも無くなっている。
アレクセイは双子の横に座ったまま、まず死んでいる魔物を確認した。
(あれは夢魔? かな?)
すごく珍しい精神系の上級魔物だ。
(図鑑でしか見たことないなあ)
図鑑にも、精神系の上級魔物だってことしか書いてなくて、どんな攻撃してくるかとか不明の奴だ。
フジノが死にかけてたし、あれがきっと夢魔なのだろうと思う。
(フジノはどうやって倒したんだろう?)
「あとで聞くかあ。あれ?」
そこでアレクセイはハナノの巨大な魔力が消えている事に気付いた。
「消えてる」
気を失ったままのハナノを見る。
魔力を無意識に自分の中に閉じ込めてるんだ。
ハナノを見ながらアレクセイは思った。
「そうか、それで最初に会った時もフジノの張った結界は分かったけど、こっちには気付かなかったんだ。結界は万が一、あの魔力が出てきてしまった時のものだったんだ、砕け散ってたけど」
アレクセイはぶつぶつ呟いて納得した。
「……あ」
ここでアレクセイはハナノの右手の人差し指から出ている黒いものにも気付いた。
そっとハナノの右手を持ち上げてみる。
すうっ、すうっ。
と水に墨を落とすように何かが落ちていく。
「これ、さっきの魔力が漏れてるのか。うわあ、微量なのに濃いなあ」
すうっ、すうっ。
ハナノの人差し指からは等間隔でそれが漏れている。
アレクセイはふと思い出して、ハナノの右手でくるっと空中に円を描いてみた。
うっすらと薄いグレーの円が描かれてすうっと消えていく。
今度は素早く、星を描いてみた。
同じように薄いグレーの星が描かれて消えていく。
「これのことかあ……」
ハナノが第二団に配属された当初、アレクセイがハナノに右手について聞いて、ハナノが見せてくれようとしていたものの正体が今、分かった。
「ははは、確かにキレイだ…………はあ」
現実逃避している場合じゃない。
さて、とアレクセイは思った。
無駄だと思うが、ハナノに結界を張り直した方がいいだろうか。
(でも、魔力がすごくてもハナノが何もしないなら危険はないし、結界は不要かな。あ、でも手に負えなくて暴走したらあれだけの魔力、騎士団本部は消し飛ぶな)
そのように考えてから、果たしてあの量の魔力が暴走した時に騎士団本部が吹き飛ぶだけで済むだろうかという疑問が過る。
(最悪の場合、帝都壊滅するんじゃないかな……)
想像するとぞっとした。アレクセイは今、フジノの怨念のような結界の意味を知る。
「この右手の漏れてるやつ、暴走の防止なのかな」
ハナノの右手を見てアレクセイは呟く。
これだけで防止できるとは思えないが、しないよりはマシかもしれない。
(結界も、時間稼ぎくらいにはなるかあ。それと……)
アレクセイは廃神殿までの静かすぎた道中と、滅多にお目にかからないはずの夢魔が現れた事を考えた。ハナノはラッシュと精霊の森に行った時も同じようだったと話していたはずだ。
考えた末に立てた仮説は、どうやら魔物は敏感にハナノの魔力を感じているらしいという事だ。
低級の魔物は得体の知れない強い魔力を畏れて身を潜め、上級の魔物は自分の縄張りを侵すものとして排除しに来たのだろう。
「今、他の上級が来たら困るな」
もう一匹夢魔が出てきたりすれば困った事になる。無傷で倒す自信はない。
アレクセイはまずハナノにきっちりと魔力を封じる目的の結界を施した。フジノの雑なものとは違う正六角形を隙間なく並べた完璧な結界だ。これで魔物達が感じ取っていたハナノの魔力を遮断出来たと思う。
ハナノを結界できっちり囲んだ後に右手の人差し指だけそこから出してやる。イメージは難しかったが上手くいったようだ。ハナノの人差し指からは墨のような魔力がきちんと出ている。
この程度なら、微量だし問題ないだろう。
最後に疑似魔法もかけておく。
「これで上手くいったかな。一度セシルにも見てもらわないとなあ」
ハナノの状態を確認し、ここで出来る事は全部やれたと納得する。応援を呼んで二人を騎士団本部へ運んだ方がいいだろう。
「後で何とかして、ハナノ用の魔道具ももらおう」
アレクセイはそう言いながら騎士団本部へ伝書鳩を飛ばした。
お読みいただきありがとうございます。
改稿前はこちらで第一章終了となっていまして、改稿作業を少し休憩しようかと思っています。
一章だけで20万字を越えてしまった…ひたすら長くてすみません。こちら元々は三章まであるんです。二章と三章はあんまり字数増やさずでいけるかな?いけたらいいなと思っています。
改稿は二三ヶ月ほどお休みしてから再開しようと考えております。
のんびりお付き合いいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。




