(2)保護者兼学園長の少女
静まり返った放課後の廊下に、二度のノック音が響き渡る。
「はい~、どちらさま~?」と、ノックに反応して『学園長室』と書かれた部屋から随分と若い女性の声が帰って来た。扉の外に立っていれば生徒の声と勘違いしてしまいそうだが、声の人物はまさにこの部屋の主、学園長本人なのだ。
「ハルです。佐倉ハルです」
まるで、親兄弟に話しかけるような親しみを持った声でハルは名乗りを上げる。
傍からは学園のトップである学園長と一生徒のやり取りには到底見えなかったが、人前でさえなければ二人にとっては学園長室も『家の中』とあまり大差はないのだ。
「え、ハルちゃん? わわっ、もうそんな時間なんだ。ちょっと待ってて~!」
慌てた様子で学園長は仕事を片付けだす。一分後。
「やっほ~ハルちゃん。ささ、入って入って♪」
元気よく部屋から姿を現したのは、金髪の頭の上にメガネを乗せ、肩には白い子猫をぶら下げた、見るからにハルと同年代と思しき少女であった。
少女の名は一色美冬。驚くことに、この少女こそが涼月学園で最も偉い立場にある学園長様であり、彼女は現在のハルの保護者でもあるのだ。
自分と同年代の外見をした保護者とは長い付き合いではあるのだが、ハルは未だ美冬の実年齢を知らなかった。
物心付くころから美冬を見てきたが、当時から美冬は全く成長していない。失礼な言い方だが概ね間違っていないだろう。何故なら出会って十年以上は経っていると言うのに、美冬は学生服を着ていてもおかしくないほど、とにかく若いのだ。(一緒に食事をしに街に出た際に、店員に学生のカップルと間違われたこともあった)
もはや美冬の外見は詐欺の域に達しているのではと、この頃ハルは思わされていた。
そんな外見と実年齢が一致しない学園の長に手を引かれながら、ハルは学園長室の中へとお邪魔した。部屋は和風の作りとなっており、床には畳が敷かれてある。取り敢えずハルは美冬に促されるままに部屋の中心に設置されているコタツへと腰を下ろした。
「ジュース出しちゃうよ~、炭酸だよ~、体に悪いよ~、でも美味しいんだよ~♪」
「なぉ~」
鼻歌混じりに口ずさむ美冬。なかなかの上機嫌であることが窺える。肩にぶら下がる子猫も美冬に合わせて鳴き声を上げていた。
その子猫は少し以前に学園の生徒が拾ってきた捨て猫で、引き取り手が見つからなかったため美冬自らが飼うことにした経緯がある。付けられた名は美春。由来はハルと美冬二人の子、と言う事らしい。名づけに関してハルへの相談事は一切ない。
ちなみに美春も『はるちゃん』と呼ばれている。ハルは猫と同レベルなのだろうか?
美冬は部屋に置いてある冷蔵庫の中から、歌った通りに大き目のペットボトルに入った炭酸飲料水を取り出していた。
「珍しいですね、美冬さんが炭酸を買っているなんて」
「えへへ~、だって今日は祝賀会なんだもん♪」
まるで幼い子供のようにはしゃぐ美冬。そんな彼女はきっと精神年齢も若いのだろう。
美冬は食器棚に備えてあった二つのコップを取り出すと、ハルの向かい側へと座り込む。
「祝賀会って、結果が出てすぐに買いに行ったんですか?」
ふとハルは美冬の言葉が気になって尋ねてみる。
「ううん、昨日の内に買っておいたよ」
「え? じゃあ、もし結果が違っていたらどうするつもりだったんですか?」
「なに言ってるのー、ハルちゃんが負けるはずないじゃない」
これまた随分と言い切るなぁ、とハルは思わず感心させられてしまう。
「ハルちゃんは自信なかったの?」
「あるわけないじゃないですか。今だってあんまり実感ないんですから」
注いでもらったジュースに口を付けながら、ハルは思ったことを正直に口にする。
そんな『今年の優勝者』に対して、美冬は真面目な、それでいて明るい表情で告げた。
「でも、君は全校生徒によって我が涼月学園の《ミス涼月》に選ばれたんだ。だから自信を持っていいんだよ」
ハルの通う創立五十年を超える涼月学園には、何十年にも渡って行われている大きなイベントがあった。毎年九月の最終日。出場者が新入生に限定された、その学年の『美』を決める《ミス涼月学園コンテスト》いわゆるミスコンが涼月学園最大の行事である。
一見どこにでもある普通のミスコンのように思えるが、涼月学園のミスコンには入賞者となった者にある《特権》を与える特殊な制度が存在した。
それがまたとんでもない制度なのだ。
栄えある《ミス涼月》には『校則に縛られない』という、学び舎とは一体何なのかを問わずにはいれないようなとにかく極上な特権が与えられるのだ。
この特権さえあれば、それこそ学園に通わなくとも進級卒業は可能になる。しかも卒業後の進路は複数の芸能事務所と交渉可能となっており、卒業してからの五年間は学園が全面的にサポートするという徹底した力の入れようだ。
順位によって特権は異なるが、どの特権も是が非でも欲しくなるもので。その特権欲しさに全国各地から容姿に自信のある女子たちが毎年多く集まり、年を重ねるごとに涼月学園の女子のレベルは格段に上がっていた。
そしてそれこそが学園の狙いであり、涼月学園を『日本一美少女の集まる学園』と呼ばれることで翌年の受験者数を伸ばす計画だった。
ここ近年は毎年が当たり年と言われ続けて来ていたが、今年度の新入生はその中でも歴代最高クラスの質の高さだと言われ、既に一学期当初から期待の声が上がっていた。
そんな中、歴代最高と言われた今年度のミスコンの優勝者は――
「(女の娘じゃなくて、男の娘なんだよな……)」
ハルは校長室の角に置かれてある姿見に視線を向けて、鏡に映る涼月学園の女子制服を着た人物を眺めてみる。
ニコッと微笑めば花が咲きそうな美しい顔立ち。細くてしなやかな身体。一六〇後半の身長は女子に置き換えると高い方だが、それもモデルやアイドルも多く通う涼月学園の中でとなると平均的な高さとなるだろう。
そして何よりも目を引くのは、肩まで伸びた艶のある『白髪』だ。
愛乃が俳優とモデルの両親の遺伝子を受け継いでいるように、ハルにはロシア人である祖母の遺伝子が大きく受け継がれていた。昨日まで髪は黒く染めていたためハルも本来の色であり見慣れた髪を見たのは久々だが、誰にでも自慢できる一祖母から授かった宝物である。
「(それにしても……女だな、完璧に)」
我が事ながら思わず見入ってしまう鏡に映った白髪の美少女。
声変わりが訪れていなかったため、声を出しても男には全く見えない。
これでもハルは列記とした男性であり、今までも普通の男として生きてきた。
そんな人物が何故、女装をしてミスコンに参加していたのか。……それには当事者にしか決して分からない事情というものが存在していた。
決して誰かに強制させられているわけではなく、嫌々女装しているわけでもない。
ハルは自分の意思でミスコンに参加することを決断し、自ら女装を受け入れたのだ。
「《ミス涼月》か……」
溜息のように、ハルは言葉を吐き出す。
もう終わってしまったことだが、本当に自分でよかったかと考えてしまう。
そんなハルの心情を読み取ってか、美冬は美春を撫でながら言った。
「今年の《ミス涼月》はハルちゃんにこそふさわしいよ。他の娘も可愛かったけど、みんなハルちゃんに投票してくれたんだし」
「それは……まあ。俺としてはちゃんと女の子に見えているか、男に見えていないかが重要でしたし。それをクリアできないと何の意味もないですからね」
今回のイベントで重要だったのは一番を取ることの他に、投票する側である観客たちを『騙す』ことだった。一人にでも男だと見抜かれてはアウトだったが、女装したハルは完全に女にしか見えないということが今回のコンテストで証明されたのだ。
「最初に美冬さんに話を持ちかけられたときはかなり戸惑いましたよ」
「にゃはは~、確かにあの時のハルちゃん、かなり取り乱していたよね」
「そりゃ取り乱すでしょ。唐突に『涼月に入学してミスコンで一番を取らない?』って訊かれたら。冷静に考えたらそれが一番の方法だってことは分かりましたけど」
「私賢い~♪」
本当に賢い人はまず男をミスコンに参加させようとはしないだろう。
上機嫌な美冬を横目に、ハルは部屋に飾ってある壁に時計を確認する。
「あ、もうこんな時間か」
「もう帰っちゃうの?」
「はい。今日の所はこれで」
ハルは腰を上げ、穿いていたスカートの皺を伸ばす。
完璧な女装の為にこれまでも女性物の服に慣れる特訓はしていたのでスカートの感覚には随分と慣れている。スカートを穿くたびに涙を流した日々が今はどこか懐かし――
「(止そう、思い出すのは。そういう想い出は記憶の山に埋めておくべきだ……)」
ハルは、過去に生きるのではなく未来へ進むのだ、と自分に言い聞かせた。
「今日は帰って来ますか?」
部屋を出る直前、ハルは振り返って美冬に尋ねる。
現在一人で暮らしているハルは、家が隣同士の美冬と一緒に食事を取っているのだ。
「うゅ~ん、そのつもりだけど、夜中になっちゃうと思うから今日はご飯用意しなくて大丈夫だよ」
尤も料理を振る舞うのはいつも被保護者側のハル自身で、場所も佐倉家であることがほとんどである。
美冬と子猫の美春に見送られながら、ハルは学園長室を後にした。




