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スピリットヘブン  作者: 嵩宮 シド
Infinite Hope(1st Season)Ⅲ
67/70

Dreamf-16 取り戻せ、笑顔(B)

       6




 森林の奥へ、円から逃げた。

 会いたくないからそうしただけ。

 まさか本当にいつも自分が隠れていたところを捜し当てるとは思わなかった。

 やはり、すぐにこんな所から離れてどこか遠くへ逃げておくべきだった。

「…………」

 そう思うことなど、何回だってある。

 だが今までそうしてこなかった。理由は分からない。その分からない理由がために恵里衣はまだこの敷地内にいる。

「円……。……ッ!?」

 思わず、彼の名をつぶやき頭に思い浮かべつつある円の顔を振り払うように首を振る。

(これじゃ、私がまるで円に会いたいみたいじゃない!)

 先ほどから思っていることと行動が合わない。

「ああ、くそ……っ」

 イラつき、何度も地団太を踏む。

 その時視界の外から足音――

「やっと見つけた」

「…………ッ!?」

 それは望まぬこと――望んでいたこと。

 その少年の声が耳に入るだけで胸が強く締め付けられる。息苦しくなる。

 もやは間違えるまでもない。

 彼の顔を見ようとそちらを見る――

「ずっと探してたんだぞ」

 その、彼――円の口から発せられた言葉を聞いてそして彼の顔を見て、恵里衣は心底から驚き、揺らいだ。

「何で……」

「ん?」

「私は……だって……ッ」

「とにかく、早く戻るぞ」

 恵里衣があっけを取られて動きをとれないところで、円は歩み寄り恵里衣の手首を掴み――

「……ッ」

 その手は、血まみれであった。

「いやッ!」

「……うわっ」

 つい、乱暴に円の手を振りほどいた。

 震える自分の手を掴み、恐怖で呼吸が荒くなっている。

 そして今の円は間違いなく現実の円であると自覚する。自分の手を掴んだ円の手は血にまみれてなどいない。手の震えも、今止まった。

「恵里衣ちゃん?」

「……」

 そんな恵里衣の様子をおかしく思った円は恵里衣の機嫌をうかがうように名前を呼ぶ。

 大丈夫だ、と。恵里衣は気持ちを落ち着かせ、

「なに? 私に何か用なの?」

「さっきも言っただろ。君を連れ戻しに来たんだ」

「連れ戻しに? どこに」

「そりゃ、皆のところに決まってるだろ」

「……何よ、それ」

 やはり、円だ。

 このお人好しは、相手が誰であろうとこうなるのだろう。円が死んだ理由、スピリットになったのは恵里衣のせいであるというのも知っているくせに、それでも手を差し伸べてくる。そんなこと、望んですらいない。

「バカなの、アンタは……」

「なに?」

「私がアンタの仲間たちと仲良くなったと思ってるの? そんなのあるわけないじゃない」

「じゃあ、あれか? 君も鍵が欲しかったってわけか?」

「…………そうよ。アンタぐらいよ、真源の雫のためじゃなくて人を守るために戦うなんて言ってるのは。私にだって、叶えたい願いがあるのよ。そのために、絶対雫を手に入れる。そのために、アンタたちはうってつけだったのよ。ついていけば何か手に入るんじゃないかって思ったんだけど、とんだ――」

 ただ思い浮かんだ言葉を口から吐き出して、

 ただ、円や円たちを蔑んで――その時、

「恵里衣ちゃん」

 円が恵里衣の名前を呼び、切らせた。

「そんな風に言っても、僕は君を嫌ったりしないぞ」

「…………」

 もはや、何言っても本心が解られてしまっているのでは意味がない。

 円は決して恵里衣の本心を逃さんと、まっすぐと見つめてくる。

「何よそれ……」

 そんな円の様子に、

「勘違い、してんじゃないわよ……っ」

 安堵してしまった。

 会いたくない――会いたい。

 そばにいたくない――そばにいたい。

 数多い自分の中に存在している、矛盾。

 それを享受してしまっている、そんな自分が許せない。

「勘違いってやつじゃ――」

「じゃあ何なのよ!!」

 そんな自分の心にも向けられる怒りや苛立ち。

 言葉に――罵声にして円にぶつけた。

「恵里衣ちゃん……?」

「はぁ……ッ、はあ……っ」

 吐き出す息が震え、喉奥がぐっと詰まっている感覚がする。

 もうこれ以上言葉を吐き出したくない。感情が爆発してしまいそうだった。

「なんにも知らないくせに好き勝手いうなッ!!!!」

 そんな、心の悲鳴を大にして叫びながら円の鳩尾を殴り――突き刺した。

 円ならばそれを寸で捌ける。

「ぐぁッ――!」

 それを受け止めなかったのは、相手が恵里衣だからか、それとも恵里衣の気持ちをその拳と一緒に受け止める意図があったのか。

「――ッ!?」

「うっ……ぐっ……!」

 そんな思ってもみなかったことをしてきた円の行動を予測しえなかった恵里衣は戸惑い、円の腹から拳を離し数歩後ずさり。

 円は膝を突き、地面にうつ伏せ苦悶とし、それでもなお何度も立ち上がろうとしていた。

「あ……あっ……!」

 恵里衣は震え声を漏らし、その場から逃げ出した。




       7




「くっ、あっ……!」

 本気で殴られた。

 まさか殴ってくるとは思っていなかったが、反応は出来た。

 恵里衣の拳を捌いてダメージを最小限にすることだって出来た。だが、それはダメだと、自然と円はむしろ恵里衣の拳を受けることにした。

 今まで恵里衣には何度か痛い目を合わせられているが、今回のパンチは今までのよりも痛かった。ただ痛いだけではなく、心にズシンとのしかかる重石すら感じられる。

「――ッ」

 しばらくしてようやくダメージが抜け、立ち上がる事ができるには恵里衣がもうどこに行ったのか分からなくなっていた。

「くそ……っ」

 もうすぐ日が暮れる。

 恵里衣ほどの感知能力があるわけではない円に、今の恵里衣をみつける事は出来ない。

 立ち上がることもなく、円はその場で座り込んでしまった。

「なんにも知らないくせに、か……」

 恵里衣が浴びせてきたその言葉が刺さる。

 知らないのは当然の話である。それを知りたいがためにも恵里衣を探していたのだから。心の内にたまったそのしこりを取り除くことが出来るまで、

「恵里衣ちゃん、僕は……」

 諦めることは出来るはずもなかった。




       8




 こちらから円の姿が見えなくなるのはすぐの事。

 思えば、円と再会してからずっとこうであった。円に嫌われたいがために、円にキツイ言葉を浴びせたり文字通り傷つけたり。望んでやってきていることなのにそのたびに罪悪感と自分に対する嫌悪感にさいなまれる。

 そして今、差し伸ばされた手を弾き飛ばしてしまった。恵里衣のその手にはもはや何もない――。





       9




「――――ッ!?」

 早朝に目覚め、飛び起きた

 感じ取れる、その悪意の本流を。

 円はすぐさま部屋から飛び出しその悪意の流れをたどる。

 悪意とは即ち、ファントムヘッダー。

 ビーストが出現する。が、境域が出る気配はない。つまり出現することがそのまま甚大な被害につながるという事だ。

 SSCのメンバーたちも連日の襲撃に厳戒態勢であるだろうが、円が出た方が断然早い。それに、円がすぐに感じ取れるほどの強い悪意だ。間違いなく恵里衣も感じ取っているはず。

 昨日、彼女と遭遇した。あの様子だといつこの周囲から飛去っていくか。そうなったらまず二度と会えない。近づいたところでこちらを感知されて逃げられる。そうなるのも時間の問題だ。これが恵里衣を説得する最後の機会でもあるのだ。




       10




「――ッ!」

 それは、あらゆる悪意を結集したようなどす黒いものであった。

 海岸側から森林の中へと駆けるそれは、背中を通り過ぎる悪寒となり、節々を突き刺すほどの刺激となっている。

 恵里衣自身ですら恐怖を感じるほど――

 ファントムヘッダーとはそういう存在なのだ。スピリットという存在すらも葬りえるほどに。だが恐れるからといって引いていいわけではない。ここで立ち向かわなければ破壊の限りを尽くすだろう、新たなるビーストの器を求めて。だから戦う――。

 そう恵里衣の足を悪意の本体へと――

「…………」

 と、いつもならばここですぐさま飛び向かうところだろう。だが、なぜかその足が重い。これほどの大きな悪意を、彼――天ヶ瀬円が感知できないわけがない。IAの防衛軍のセンサーよりもはやく感知し、すぐさま向かうはずだ。つまりこの悪意を感じる方へと向かえば、間違いなく円と出会う。

 ただでさえ円と遭遇することが嫌であるというのに、昨日の事があってからずっと罪悪感に(さいな)まれていた。何も知らないくせに、と言い、円を殴った。今の恵里衣なら分かる。きっと円はそういう知らなかったことを確かめるために探していたのだと。

 昨日もこんな事を考えていたはず。だが、それは時間が経つにつれて徐々に大きくなっていく。

 自分の慢心のせいで、円をスピリットにした。円と友里の、二年半という時間を奪った。そんな自分にも手を差し伸べてくれた円の手を振り払った恵里衣は、またもう一度円と出会うのが怖かった。

 どんな目で見られるのだろうか、今度こそ円に罵声を浴びさせられるのだろうか、どんな罵声を浴びさせられてしまうのか。それは受けなくてはいけないものであるものであるのにも関わらずに、拒んでいる。

 迷いを振り切れない。

 そんな時、

「グアッ!――」

 遙か上空から撃たれた一本の針。

 それが恵里衣の片方の肩を穿ち――貫いた。

 ドスッと地面に小さな穴が出来ている。

「くっ……ぅッ!」

 あまりの痛さで地面に膝を突いてしまった。

 第二撃が来る。ダメージに呻いている場合ではない。どこから狙ってきているのか。

 と、立ち上がると、ダメージのせいなのか少しよろめく――と、ちょうど恵里衣の頭があったところにまた一撃――地面に穴をあける。

「チッ……!」

 鈴果の差し金か。こんどこそ決着をつけようと言うわけか。自分の手で倒しにこない所、抜かりがない。念には念をという所か。だがそれは幸運と思うべきか。ならば余計な被害は無いはず。

 第三撃――が来る。

「――ッ」

 ジッとしていては完全に的にされる。ここまで上空から視界の悪いところにいるのだ。どこにいても同じである。だからと、すでに制空権を取ってきている相手に飛び立つのは自殺行為。相手を視認して光線をぶつけて撃ち落とす。

 すぐさまその場を離れ、恵里衣は木々の間を駆け抜ける。その間に数発ほど攻撃がはずれたり恵里衣を掠めたり――

 ようやく森林を抜けて海岸へと出られた。

 どこから撃たれているのか、

 さすがに常に同じ地点にいるわけもない。

 わざわざこちらから頭を出したのだから、

 どこからでも狙えるのだから動きながらでも恵里衣を狙えるはずだ。

 二発――それで見る。

 ウリエルを出現させ、構える。ウリエルの刀身に赤い光が宿り、火の粉を散らせる。

 一発目が、恵里衣のふくらはぎを掠め、

「…………ッ」

 顔をしかめる。

 そして別角度から撃たれる、二発目。

 頬を掠め――

「――ッ!」

 捉えた。

「ハアッ!」

 ウリエルを薙ぐ。

 薙ぎ、巨大な三日月の光刃を襲撃者へと放つ。

 直撃すれば瞬間にして爆炎が見えるはずだが光刃は彼方へ――

「くそっ」

 外したようだ。

 第三発がどこから撃たれるのか、

「――っ」

 刹那、恵里衣の脇腹をドスリッと穿つ一撃。

 今までの一撃よりも明らかに重い。

「グッ!」

 毒でも撃ち込まれたかのようにエネルギーが徐々になくなっていく。

 数秒の内にして、ドクンドクンと恵里衣の体全体に赤い光の波紋が走り始める。

「早く……っ」

 追撃が来ないうちに反撃の体勢にならなければならない。わかってはいるものの、エネルギーが削り取られているせいで膝を突き、立ち上がる力すらも失ってしまった。

 もう一撃、今度こそ恵里衣を仕留める、と、眉間へと針が撃たれ――

「――ッ、ハアッ!!」

 その針と恵里衣の間に割って入る青い閃光。

 瞬間、その閃光とともに現れた彼はその手に持つ武器(トンファー)で空間を殴り、強烈な振動で針を弾き――

「ゼアアッ!」

 もう一方の手に持つ武器でのもう一撃。空を突くと引っ込んでいたピストンが射出され、空気を大きく震わせ姿の捉えられない襲撃者を空間伝いで穿った。

 一撃で倒せるほどの威力ではないにしろ、怯ませることは出来たようで、反撃を撃ってこない。そしておそらく今度はこちらからは容易に反撃が届かない所まで上昇している所だろう。

「何で……」

 訳が分からない。

 昨日、あれほどのことをされたくせに何故まだそうして、手を差し伸べるのか。

「何でってそりゃさ、最初っから君を探してたからじゃないか、恵里衣ちゃん」

 ――天ヶ瀬円は。

「何よそれ……」

 円は青い光の形態を解除。

 両手のトンファーは二つの警棒へと姿を戻した。それらを一本に連結させて小型化し腰のホルスターへ、

 そしてすぐさましゃがみ込み、毒針を撃ち込まれたであろう恵里衣の脇腹を触る。

「んぐっ……!」

 じんわりと、抉れた傷口に消毒液を垂らしたときに感じる痛み――

 ボウと青い光が円の手から漏れ出す。

 すると、毒におかされていた体が徐々に楽になり傷口もふさがった。

 力の使い方が上手くなっているのだ。スピリット同士のダメージの修復ならばさほどエネルギーを使わなくても済むということを知っているのだ。

「よかった、間に合って」

「円……」

 ダメージは回復したが怒鳴り散らしたり立ち上がる気力がない。

 むしろ、円が恵里衣の無事を見て安堵の表情を見せている。そんな円の顔をまっすぐと見ることが出来ない。

「何で……っ、私は――ッ」

「そんな事は関係ない」

「…………ッ」

 なぜ、そんなことを言う。

 恵里衣は天ヶ瀬円の時間を奪った。円と友里の過ごす時間を奪った。今ここにいるということなど結果論に過ぎない。失った時間は、絶対に取り戻せない。

 そんなこと、一番円が解っているはずなのに――

「今僕がここにいることで、そして僕が今こうして君を探していたことで君はもう苦しむ必要はないだろ。僕を――天ヶ瀬円という人間を死なせた君の事を、僕は知らない。僕が知っている桐谷恵里衣は強くて僕と同じ視点に立って肩を並べてくれる子だ! これからだってそうしてくれるって信じてる!」

 なぜ、恵里衣の気持ちをわかってやれないのか。昨日の事など全然気にしていないとでも言いたいのか。どちらにしても円の、恵里衣に投げかけられてきた言葉は嫌だった。

「そんなの……無理……ッ」

「何で?」

「私は、円を見れない――。アンタにとっての私がどんなってのは関係ないの。私にとっての円は私が初めて、殺した人間なの。アンタは私にとって――」

「なら――ッ」

 と、突然円が両手で恵里衣の頭を持ち自分と目を合わさせる。

「……ッ!?」

「本当にそう思ってるなら、僕の目を見て、もう一度同じこと言ってみろ!」

 今まで、円が恵里衣に向けて来た語調よりも強い語調である。その凄みに圧されてか――否、それだけでは無い。

 円に昨日言ったこと――その言葉が今、そのまま返ってきている。恵里衣のように抑えきれず暴力などに入ることなどなく、円はただ目を合わせさせることで自分の心を見せ、恵里衣の心を見ようとしてきている。今の状態では嘘をついたとしてもすぐばれる。ただ、怯えて震えるような呼吸をしながら円とずっと目を合わせ、黙り込む。

「君は今誰を見てるんだ。君が死なせた、天ヶ瀬円か?」

「いや……ッ」

「君を責める天ヶ瀬円か!」

「そんなの……ッ」

「わかってるなら今は、この俺を見ろ!!」

「――――ッ」

 その必死の円からの訴え。

 今まで恵里衣から見ていた円とは思えないほどに強い表情――心。

 それが恵里衣の心にたまりこんでいた鉄のように固い膿を消し飛ばした。ぼぅと目元が厚くなって、喉から物がせり上がるような感覚があった。

「今僕がここにいるのは君がいたから。君が初めて会ったスピリットだから、僕は今ここにいる。君のせいで人間だった僕が死んだことだとしても、それ以上に君は僕を助けてくれた。だからもう良いんだ。例え友里が君を許すことがなくても、僕は君の味方をする。僕が許す。それ以上に……ありがとう、恵里衣ちゃん」

「円……私は――ッ!」

 もはや、感情を抑えきれない。重石を乗せた蓋の隙間からあふれ出た感情はやがて石と蓋を押しのけてあふれ出てくる。

 自分の頬に触れる円の手に触れ、そのぬくもりを感じとる。

 ビーストをいつも殴る拳となっているこの手。だが、今この使い方が円に似合っている。

 表情を崩し今まさに泣き出しそうな恵里衣に微笑みを向けて円はするりと恵里衣の手から離れさせ彼女の手を掴む。

「君の笑顔を取り戻す。どれだけかかっても、必ず」

 と残し、立ち上がり敵がいるであろう上空を見上げる。

 恵里衣の感知能力ですらもはやどこにいるかなど捉えることはできない。

 敵が一撃を加えてこなければ位置の特定が難しいということだ。

 その時不運に、強い風が起きる。これでは敵の攻撃の軌道から位置の特定が難しく――

「これって……ッ」

 今、気づいた。この風は円を目の中心として起きている。ところどころから緑色の光が辻となって見えていた。

 今までとは、違う。

 円の霊周波もエネルギーがいつもと違う。まったく別のものだった。円の特性であるモードチェンジ。だが、これは今まで見たものと全然違う。まったく新しい。

 吹き荒れる風は竜巻となって円を囲む。その中に見える緑色の光の辻――

「ハッ――!」

 その緑色の光の辻に触れる円。瞬間、緑色の光が円の中に取り込まれるように消滅。

 その身には新緑のように鮮やかな緑色の光が纏われ、瞳も同様、纏う光と同じ色に変わっていた。

 

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