Dreamf-14 皇、再臨(A)
1
日没――
宿泊する旅館の個室で、海が見える窓から夕日が沈むところを友里はずっと見ていた。
――気を付けなよ。嘘つきは君の傍にいる。
(嘘つき……)
言葉の意味は、誰でも知っている。
椅子に両足を乗せて三角座りをして両膝の間に頬を乗せて目を瞑る。
嘘つきは誰だろう、と、考える。
疑っているわけではない。誰かが嘘つきであったとしても、それに相応の理由があるのならば、当然友里は非難するつもりは無い。だが、もしそうじゃないとしたら、とその時の自分を考えてしまう。
(ああ、きっと嫌な奴になるんだろうな、私)
思い浮かべてつい目元が熱くなる。
嘘つきだと言われた人物をすげさむ自分の姿が思い浮かんできた。そんな自分自身を、友里自身が今にも泣きそうになって見上げているのだ。
「友っ里ー!」
「……ッ!?」
部屋のふすまが勢いよく開けられそこから浴衣を持つ里桜が飛び入るように友里の名前を大声で呼びながら部屋に入ってきた。
「お風呂はいろー! ――って、どうしたの、友里。泣きそうな顔して」
「え、ああ、ううん。なんでもないよ?」
遠目で見てもよく分かってくれているようだ、里桜には。これでは嘘などつきようがない。それでも友里は泣きそうな声も顔も抑えて笑顔を取り繕う。
「ああ、そう? ならいいんだけどさ?」
里桜だってそれぐらい分かっているはず。だが、里桜は深く踏み込むことは無かった。
「で、友里?」
「お風呂? じゃあちょっと待ってて用意してくるから」
「うん、分かった。先行ってるから。あ、沙希ちゃんと恵里衣ちゃんも一緒だよー」
と、里桜は手を振って旅館にある大浴場の方へと向かっていった。
「沙希ちゃんって……」
自分の知らぬ間に里桜は着々とSSCの人たちと仲良くなっていっているようだ。
2
そして大浴場――
スピリットである円自身でも、体についた汚れは気になるもの。
特に、風で運ばれる海の潮なんてものは肌がべたつくので落としておきたい物だった。例えシャワールームで落としたとしても、それだけでは心許ない。
お湯が流れ出るシャワーに頭を入れて髪を濡らしながら、円は思い返していた。
(天の精霊か……)
* * * * *
研究所での出来事――
「天の精霊?」
本木が桜子が口にした言葉を聞き返す。
「ええ、そうよ」
「精霊……。それってまさかやないか?」
「はい、コマンダー。この石板に記録されていた精霊を指すもの。おそらくそれは円君のようなスピリットの事だと思います。つまり、スピリットは3000万年前からすでに存在していた」
「そもそもどうやって、その石板に描かれてた事が解読できたんや。3000万年前の文字なんてもん」
「それは、この石板に刻まれていた文字が楔形文字だったからです」
「何やと……」
楔形文字。
それは人類最古の文明、メソポタミア文明の中で主に使用された文字であるという。恐らくそれと同時に人類史最古の文字であるともいえるだろう。
「確証はありませんが、何らかの形でこの文字が人類の文明に流れ着き使用された可能性があります」
「遠い深宇宙から、どうやって」
「それは分からないわ、本木キャップ。もしかしたら、この石板を調べて行けばもしかしたら分かるかも」
「さっきから気にはなっていたが、記録なんてもの、どこに描いてあるんだ? 俺の目には見た通り石の板のようにしか見えないが」
「それは、これを使えば見えました」
そうして桜子が取り出したのは、円がもっていた小さな化石。
「まさか……」
「ええ、この3000万年前の石板とこの、円君が女の子から貰った化石が同じ物質で出来ていること。これは偶然じゃなくて、必然」
「だがどうやって使うんだ」
「それを、これから見せます」
と、桜子は台上のセットされている石板の前にあるもう一つの小さな台に化石を立て、コントロールパネルで操作。
そして化石を挟んで石板に向けられる小さなライト。
光が発せられ、化石、石板が照らされた。
「…………ッ!」
すると、光に照らされた箇所に文字――否文献が浮かんできた。それは世界史の授業でもたまに目にすることがある楔形文字であった。
「これは……」
「魔鏡や」
本木が言葉を漏らしたそれに続くように吉宗が見たまま思い浮かべた物を口にした。
「マキョウ?」
ケイスが吉宗の言葉をなぞるように慣れない口調で復唱した。ケイスにはパッと思い浮かばなかったようだ。
「そうや。江戸時代、キリスト教が禁止されとった頃に隠れキリシタンがろうそくで鏡を挟んで壁を照らし、映し出された十字架やマリア像を崇拝してたんは有名な話や」
「そう、まさにこれは魔鏡」
「よう見つけたな、こんなもんを」
「ええ。ビーストが出現した際、この石板が霊周波を発したのでまさかと思って色々試してみたんです」
「霊周波やと?」
「ええ。正直私もちょっと驚きました。このライトの光も、霊周波を帯びています。つまり、今我々が戦っているこの状況は既に3000万年前も昔から予測されていたということになります。恐らく、我々がスピリットたちと出会い、ビーストと戦いビーストに対抗するためにスピリット達のエネルギーを利用した技術を手に入れるところまで。
円君が貸してくれた化石はその長い時間の中で宇宙を漂い地球へとたどり着いたんだと思います。この文献にはこう書かれています。
『闇は出でて光は目覚める。
闇は飲み込み、光は祓い、その果てに聖なる泉の雫が波紋となって世界を作る。
幾重もの神話を重ね現を作り上げ、果てしなき混沌を作り上げ、
巡れよ巡れ相克よ。
果てに辿り着け真源よ。
そして眠れ精霊の魂よ、夢幻の中で』」
「真源……。それがスピリットの戦う理由ちゅう訳か」
ようやく、戦いのゴールが見えた。
それだけで、円の心に今まで巣食っていた靄がほんの少し晴れた。
途方も無く長い。
だが同時に、人の想像など遥かに追いつかぬほどの長い時間の先を、予測。そんな事出来るものなのかという疑問が生まれた。
否、可能性があるならば、
「もしかして、未来視の特性を持っているスピリットがいたのか?」
「可能性は極めて高いわね。精霊を指す者が、スピリットであるとするなら」
「3000万年も前から、スピリットが居て……でも何で――」
この文献の中に書かれている闇とは何だと円が思案している所、吉宗が口を挟む。
「精霊の事は、その天の精霊っちゅう奴のことだけか?」
「はい。現在我々が確認しているスピリットの数は10人。その内、8人目の映像の入手ができていませんでしたね」
「それはどうでもええねん。そもそも今でさえ10人が見つかってるのに、何でその一人だけなんや? それか、天の精霊ってやつが何人もいたんか?」
「いえ、文献によれば一人であることには違いないようです」
「じゃあ何でや」
「天の精霊と呼ばれるその存在が、ある存在との戦いを終わらせたからです」
「ある存在」
「それは、この記録の中ではこう呼ばれています」
何となく、円は予想できた。スピリットがいるのだ、何故居たのか。それはきっと――
そして石板に記録されていた、精霊達が戦っていたある存在の呼び名を――
「魔獣」
「ビースト……ッ」
やはりというか、思った通りと言うべきか。
円と同様に、ほかのメンバーも驚嘆することはなかったが、その代わりしんと静まり返った。
「皆も、予想できてたみたいね」
「それで、天の精霊の事についてほかには?」
「ええ、当然。天の精霊の事については、むしろここからが本題よ」
そうして一拍置かれ――
「数多光現れ極まりし時、天の者は銀の光と共に遣われる。
邪悪な者あれば、天の者、強き赤い光を身に纏い、恒星のごとき力を放ちて敵を討つ。
その心一つあらば、天の者、清き青い光を身に纏い、海流の如き穿ちて敵を飲み込む。
目指すものあらば、天の者、静けき緑の光を身に纏い、疾風の間に遠き彼方の敵を射抜く。
その意志堅めたるや、天の者、硬き鋼の光を身に纏い、いかなる悪意をも通さぬ鎧と共に敵を斬る。
邪神現れたるや、光極めて金色の光纏いて闇を祓う勇者となる。
祖の力、全ての光と闇の相克抱いて聖なる輪を放ちその手は真源へとたどり着く」
「…………ッ!」
思い当たる。円――そしてここにいる全員には。
銀色の光。
纏われる赤い光――青い光。
「円君、あなたの戦闘記録はもう何度も見てる」
「……………」
「察してるでしょうけど。天の精霊とはつまり、あなたの事よ……円君」
* * * * *
思い出し、考え込んでいる中で体も洗い終わり湯船に浸かる円。
ぼうと考え込む――
「赤、青、緑、鋼。そして金か……」
天の精霊が指す者が自分自身だとするのならば、あと最低三つの力が覚醒するわけだ。だが、ノーブルモードやストレンジモードが発現した時のように新しい形態の兆候は未だない。
邪悪な者あらば――
その心一つあらば――
目指すものあらば――
その意志堅めたるや――
それぞれの形態の文の一番最初に書かれていたもの。きっとこれらが発現の条件。どれも意識していたものではない。気づいたら発現させていたのだ。それにどの形態を発現させたとしても初めての場合は使い方も分からず危機に陥る事が多い。
ノーブルモードの時などは、パワーが足りなさ過ぎて敵にまともなダメージを与えることも出来なかった。
あと三つ、目覚めた時に冷静にいられるようにしなければならない。
そしてもう一つ気がかりな事が――
「邪神ってなんだ……?」
金色の光の力の文の頭にあった者、邪神。それが一体何なのか。わざわざ邪悪な者と分けている辺り、ただのビーストであるとは思えない。
いつか、その邪神が現れる前に円は金色の力を得ていなければならないという訳なのか、もしくは邪神の出現と共に円の新しい力が発現するのか。
いよいよ、自分自身が世界の命運とやらに関わっているかもしれないと思い始めた円は溜め息すらも漏らすことも出来ず湯船の縁にもたれ掛かって物憂げに天井を見上げる。
その時、ガラッと大浴場の引き戸が開いた。
「ん、なんだ、先に入っていたのか円」
「本木キャップ……」
風呂場で一糸も纏わない本木を見ていると彼の岩を積み上げたような筋肉、そして刻み込まれているかのような多数の傷跡に目がつられていく。
本木はため息をはきながらシャワーの前に座ってお湯を浴び、備え付けられているシャンプーで頭を、洗顔料で顔を、ボディソープで体を洗い始めた。
「ほかの皆はどうしたんですか?」
「あいつらはまだ筋トレ中だ。研究所で話を聞いてあいつらもスイッチが入ったみたいでな。当然といえば当然か。何せこの戦いの終わりの形が見えたんだからな。体を動かしていないとやってられないんだろ」
「そうなんですか」
「おまえはどうなんだ」
「え?」
「見ていれば分かる。3000万年前の戦いを終結させた、天の精霊。それが今自分自身であると知って、少し怖じ気付いていたんだろ」
「別に怖じ気付いてなんかいないですよ。ただ、それが何で僕なんだって思ってて。今更変わってもらいたいなんて思ってないですし……でも、考えれば考えるほど背負っているものがどんどん大きくなっている気がして……」
「どんなでかい岩でも、砕いたらただの石っころだ」
「え……?」
本木が体を洗い終わって全身の泡を流し終わった後、円の方へと歩み寄ってくる。
「今日はきれいな星が見えるそうだ。露天風呂にでも浸かりながら話さないか」
「…………」
さすがに全身裸であると夏の夜であっても肌寒いものだった。
おかげで、温泉がよりいっそう気持ちよく感じた。
本木の隣に座ってみるといかに筋肉で引き締まった細身の体型であっても自分の体が少し乏しく見えてしまう円。
仁舞区よりも圧倒的に光量が少ないためか、本木の言うとおりたしかに星がきれいに見える。
「今でも信じられないな」
「何をです?」
「おまえ達スピリットとビーストの戦いが、人類が生まれるはるか過去から続いていたなんてことがだ」
「それは……僕もですよ」
この手にした光が、あまりにも重い。
3000万年前もの間継がれてきた光。戦いを終結に導く力。これは参ったなどではもはや済ませられない程に、円は追い詰められていた。
「だが結局はやる事は変わらないんだろうさ、俺達は」
「やる事?」
「ああ、悪い奴を倒して世界を少しだけ平和にする。それは、今に始まったことじゃないさ。そして今悪い奴らはビースト。アイツらを倒してその街をちょっとだけ平和にしてやるんだ」
「でも、その繰り返し……」
「繰り返すのさ、時が来るまで何度でも。そして必ず辿り着かせる」
円と共に星を見上げていた本木はドンッと円の背中を叩く。
「心配するな、お前ひとりに背負わせはしない。世界なんて主語、デカすぎて人の心一つじゃ背負えるわけがない。そのために俺達仲間がいるんだ」
「キャップ……」
「まあ、俺達も頼りにしてるからな、スピリットヘブン」
「スピリット……ヘブンか……」
天の精霊。
精霊をそのまま英語にしてスピリットと言ったのならば、天も英語に変えられる。
故に――スピリットヘブン、という訳だ。
中学生ぐらいの少年がパッと思いつきそうなものであったが、何分今まで半分オヤジギャグの様な形でスピリットコード、Xとつけられたものでもあるので、ちゃんとした理由の下でつけられた、本木が即興で考えたこの名前は気持ちの良い物であった。
その時、露天風呂の出入口が開いた。
「おお! 久しぶりの露天風呂!!」
「はしゃぐなよ、ケイス――」
露天風呂に入ってきたのはチーム・エイトの他のメンバー。
雲川が止める間もなく、そして年甲斐もなく、はしゃぐケイスは助走を付け、温泉に勢いよく跳び込んだ。
バジャアンッと強烈な音とと水しぶき。
おかげで円と本木の顔面にお湯が直撃する羽目に。
「んぶぅ……」
とんだ迷惑なものだ。円、本木ともに溜め息。顔にかかったお湯を切り――
「湯船に……跳び込むなあ!!」
本木の怒号が、露天風呂内に響き渡った。
3
「隣の男が騒がしいわねぇ」
せっかく静かに風呂に浸かっていた所で、隣から本木の怒号が飛んできたおかげで満喫することができなくなってきた。差し詰め、ケイスかそこらが温泉に飛び込んだからだろう。風呂のマナーに厳しいので怒るのは当然といえば当然である。
「おーい、隣うるさいぞー」
そんな気の抜けたような感じで指摘するのは、チーム・ゴールドの狙撃手の小緑舞彩である。だが、言うならもう少し本気で言ってほしかった志吹であった。
そのとき、露天風呂の引き戸が開けられ、
「おー、これはなかなか」
出てきたのは友里と里桜、そして恵里衣と沙希の若い女子衆四人であった。
「あ、志吹さんたち先に入ってたんですか」
「ええ。まだ入ってるから、沙希達も入りなさいよ」
そうして、「おじゃましまーす」と里桜が先に風呂に足を付けその後に続くように他の三人も浸かった――
「もう、友里ったら何でそんな遠く逃げるのさ」
「………………」
園宮友里と鈴樹里桜は親友だと聞いたが、何故か友里は里桜から遠ざかって小緑の隣へ。そして里桜をじっと見つめながら野良猫のように警戒している。
「……? ――ッ!?」
そんな友里は気づいていたのだろうか。
すぐ隣にいる、チーム・ゴールド最年少で、絶句してガックリと落ち込んでいる小緑の存在を。
「ね、ねえ、友里ちゃん? 何でそんな怖い顔してるの?」
「…………」
志吹がそれとなく聞いても、友里は一向に答えてくれない。
「もう、聞いてくださいよ志吹さん」
その友里の代わりに、彼女を指さしながらまるで抗議するかのような口ぶりで事の次第を言った。曰く――
4
お風呂に入ったところで、友里の胸の中にあるモヤモヤは消えることが無かった。
どうせならシャワーを頭に浴びて下に滴るお湯に流れ落ちて行ってくれたらいいのにと思っていたが――
「友里ー。背中流そっか?」
「え?」
考え込んでいるところ、突然里桜がそんな事を言うので、友里は呆気を取られてしまう。そのときには里桜はボディーソープ用のスポンジを泡立てて後ろに立っていた。
「ちょっと、里桜?」
「ほら、向こう向いてって」
「ん、うん……」
里桜に言われるがまま、友里は鏡と向き合うようになり、里桜が友里の背中をゴシゴシと洗って泡を付けていく。
友里の桜白色の肌がどんどん泡に包まれていく。
「前もやるよー」
「うん。……ん?」
何か、うなずいていけなかったような気がした。
「じゃあ、お言葉に甘えてっ」
「ちょっと里桜――、
うあっ!」
「甘えて」などと返ってきたものなので、すぐに里桜を振り払おうとする友里。
しかし手遅れ。
里桜が後ろから友里に抱きついてホールド、
しつつ、両手一つずつで友里の胸の膨らみを掴んできた。
「ふやぁぁぁあああっ!」
「友里さーん? また大きくしてけしからん体を!」
「やめて! やめてよー!!」
「けしからんなー、けしからん」
痛い、という訳ではない。
そうならないようもみしだき、その絶妙な力の入れようと指使いが妙に心地よく体中にくすぐるような快感がほとばしってしまう。
それがむしろ、嫌だった。
「いやだぁああ!!」
友里の喘ぎが二割ほど入った悲鳴が風呂場に響いた。
5
以上、報告終了。一〇割、里桜が悪いと見た。
だが今こうして友里の体型を見てみると、
(ああ……なるほど。確かに触ってみたいわね)
そういう事をしたがる里桜の気持ちも、分からないではない。
まず、スポーツをやっているゆえの筋肉で引き締まった身体つき、そしてグラマスでスレンダーな体型は女性である志吹でさえ憧れてしまうものだった。
バストは海で見た水着姿でさえたぷっと揺れていたのを覚えているが、実際完全に脱衣してお椀型の綺麗な乳房が露わになっている。さぞ触り心地は気持ちの良い物だろう。ウェストラインから下るヒップライン。少々小振りなのがより一層愛らしさを際立たせている。
円が執心する理由が本当に友里が家族同然であると思っているからなのか、少し疑うところであった。
「あ……」
ふと、友里が何かに気付いたようで友里は不意に自分の胸を両手で覆い隠す。
「ああ、もう! そんな嫌がる必要だって無いのに……」
確かに、これ以上のセクハラを警戒してかと思われる。きっとそれはウソではないが、ならば先ほどの何か気づいたような表情にはならないはず。
「皆女なんだし、そんな照れ隠しなんかしなくてもいいんじゃないの? 友里ちゃん」
「あぁ……そう、ですね」
そうして、友里は自分の胸から両手を離す。
「……………………」
両房、湯に浮かび上がってきた。
これには志吹どころか他のメンバーも絶句。そして羨ましそうに眺める恵里衣と、いいものを見たと感嘆の表情を浮かべる里桜。
「う、浮かんできちゃって……」
「あぁ……」
見ればわかる。
これが、隣にいる小柄な体型である小緑に止めを刺すことになった。
湯の中に口元まで浸かってぶくぶくとあぶくを吹きだして拗ねてしまった。
自覚があるからこそ、友里の体型はしっかりと整えられているのだろう。日々、鍛錬を絶やさず、自分の身体も大事に思っていなければこうして女性ですら憧れるような体つきなることはなかっただろう。
「私も若い頃もう少ししっかりやっておけばよかったわね」
「え、何言ってるんですか、志吹さん」
ぼそりと、志吹は呟いた。
何か嫌な予感を察したのか、友里はさらに里桜――風呂に使っている他の女性陣から離れていく。
「ちょっとムカつき。里桜ちゃんやっておしまい」
志吹から里桜へのゴーサイン。
「アラホラサッサー!」
「えええええっ!?」
結局、女風呂の方も男風呂以上の騒がしさになるのであった。
6
里桜が存分に友里の身体を堪能した後、ようやく静かになった。
そして今度は色々なことを聞かれた。
学校ではどんな事をしているとか、普段はどうしているのか、部活は楽しいのかといったありふれた事で充分に時間をつぶせるぐらい。
その後、里桜がのぼせそうだからと先に風呂から上がっていき、その後でチーム・ゴールドのメンバーも上がっていき、最後に残ったのは沙希と恵里衣、そして友里の三人となった。
「ねえ、円って生前どんなだったの?」
「生前、ですか?」
「そうそう」
「………………」
里桜が居なくなったところでこういう話が出来ると、沙希がそんな事を聞いてきた。
生前の円と言うのは、おそらく今の円では無くて人間であった頃だろう。その時の円の事を生前と言われるのは居心地の良いものでは無かった。それが表情に出ていたらしく、慌てて、
「あ、ごめん! 生前って言い方悪かった……。えと、スピリットになる前の円ってどんなだったのかなぁって」
「スピリットになる前……」
「今じゃ私たちの仲間だし、SSCの戦力の中では一番上だし……。それになんか正義の味方って感じもするし――」
「じゃあ、昔も今もあんまり変わってませんよそれは」
「そうなの?」
「ええ。昔っから、円は自分よりも他人優先でしたから」
「自己犠牲、的な?」
「いいえ、そうじゃなくって。自分の事は自分で何とかいつもできるから、自然と自分をギリギリのところまで後回しにして他人を優先してましたから。自分も大事だけどそれ以上に他人を大事にしてたのが円でしたから」
「してた?」
「今の円は……何って言うか自分を守るセーフティラインが無くなりそうだなって」
それは、以前、円の戦いを見た時の円から思い浮かぶこと。
やはりそれは仁舞大路通りでのビーストの襲撃にあった頃であった。
今までの円は自分の安息を守るために他人を守る。彼が人のために動くことには自分への安息が深層的な理由となっているのだ。
だが、あの時の円は自分の安息を守るなどと考えていなかった。友里ですら恐れをなすような表情をしていた。あれはきっと、円は自分自身の何かを削っている――きっと、心を削っている。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、円からは失われていっているものがある。
なんだろうと考えても上手くたどり着けない。
答えは既に出かかっているというのに。
「それって、やっぱり自己犠牲的な?」
「でも、私、円の戦いなんて全然見たことないし……」
そもそも見えないという。
普通の人間には、ビーストの一挙手一投足すらも視認しきれない。SSCのメンバーたちが何故ビースト相手に立ち回れるのか。
友里が予想するに、それは卓球と同じ原理であると考えられる。初動で全てを予測して動きを誘導させているのだ。見えない攻撃を仕掛けている敵と戦うのならばそれ以外予想がつけられなかった。
円はそれらビースト以上の速度を以って且つそれを上回らんばかりのパワーでビーストを捻じ伏せている。友里の目には、円の戦っている姿など、見えはしない。
「あれが自己犠牲的って言うのね……」
「え?」
ぼそりと、恵里衣が呟いたようだ。何か、恵里衣から見れば今の円が友里とは違うように映っているようだ。
「友里には何にも見えてないのね、あれが……」
「あれ……?」
尚、恵里衣は友里と目を合わせようとせず天を仰いで、何かを思い返すかの様にゆっくりと呼吸しながら瞼を閉じていた。
自然と、恵里衣の小柄ながらも流麗な身体をうかがい知ることができた。あざとい脂肪を極限までそぎ落として作られた美術品の様な体つきは、確かに人間ではない何かを思い起こさせるものだった。
「あれって、何?」
「円はホントに何にも変わってない。昔も今も」
「昔……も?」
気になった。
それはまるで、恵里衣が以前の円を知っているかのような口ぶり。だがそこで挟まず恵里衣の言葉を続けさせる友里。
「ただ順番が少し変わっただけなのよ」
「順番……?」
「…………」
うっすらと目を開け、赤い瞳を友里に向け、じっと見据える。
何故こちらを見るのか、よりも、友里は湯の中で自分の体が金縛りにあったかのように動けなくなった。
ごくりと固唾を呑み、恵里衣の口が何を言い出すのか、何が来ても良い様に待ち構える。
だがその後で、恵里衣は風呂の縁にもたれ掛かり、空を見上げ、「そう」と一言漏らして小さく頷いた。
「円は強くなった。それで、これからどんどん強くなって、いろんな事が出来る。いつの間にか、自分の事すらも度外視しても余裕が出来るぐらいに。だから円はいつも以上に他人のために立ち上がる。それがいつの間にか、自分を犠牲にしていることにも気づかないうちに……」
「何で……」
「……?」
「何で、そんなことまで分かるの?」
「いたのよ、そんなバカが。強さと引き換えに自分自身を砕いて行った奴が」
これ以上はいけない。聞いてはいけない気がした。友里の直感がそれ以上踏み入ると後戻りすら出来ないようになると告げているのだ。
「上がるわ、私。ごゆっくり」
恵里衣は立ち上がり、露天風呂から立ち去っていく。残されたのは友里と先の二人。
「あの、沙希さん」
「ん?」
「円って、私の事、何って言ってました?」
「円が?」
「ええ」
話のネタが見つからずなんとなく今気になっていたことを聞いてみた。
友里に聞かれ、考える事少々、
「まあ、幼なじみってぐらいかしらね」
「…………」
口から出された事はそれだけだった。
それ以外は無いのかと、黙り込んで次の言葉を待つ友里。
「まあ、人の事だしあんまり適当に言いたくなかったんじゃないのかな?」
「…………」
だがそれ以外何かを言っていたのかという答えは来ず、本当に円は友里の事を「幼馴染」という以外で紹介していなかったようだ。
友里は湯の中に口を付け目を伏せて思いふける。
(それ以外なんかあるでしょ、バーカ)
心中で、円を毒づいた。
露天風呂の後は豪華な料理が用意され、宴会が開かれるような状態となった。
その後はそれぞれ個室へと戻り就寝の時間まで時間つぶし。他の人達の部屋にいってカードゲームをしたり、テレビを見たり、ひとり部屋で読書やネットをしていたり。
そうして、最初の一日の夜は過ぎて行った。




