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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第二話 (二)

「頼んでいた物は完成しましたか?」

 額に浮かぶ汗を手の甲で拭いながら問うたのは、淡い金色の髪を腰まで伸ばした少女。聖王国の姫、イリフィリア・ストレインである。

 彼女の頬はあまりの熱さに火照り、立っているだけでも辛そうなのは一目で分かってしまう。実際にイリスはお出かけ用の法衣が汗で必要以上に湿ってはいないかと心配である。

 しかし、滝のような汗が出る事は、ここ鍛冶屋セドリックに来る前から覚悟していたために文句は言えない。

 セドリックとは鍛冶屋の主の名前であり、城塞都市シェリティアにおいて他の鍛冶師では作れないような特注品を製作している男だ。普段は無口で淡々としているためなのか、いい噂は聞かない。だが、腕だけは賞賛に値するとも聞いている。

 イリスはその腕を信じて、とある武器の製作を頼んだのである。それが実に三週間前。カナデと始めて出会った、その日である。

 初めて声を掛けた時は、イリスの頭二つ分は背が高い、セドリックに見下ろされたため気後れしたものだった。筋肉質なアイザックに比べれば、ほっそりとした体躯の人物ではあったが元騎士である彼の迫力は、小娘一人黙らせるには十分だったのだ。

 それでもイリスは何とか一つの言葉を絞り出した。その後の鍛冶師は驚きに目を見開き、あっさりと了承してくれたのである。

 イリスが口に出した言葉は氷装具。氷雪種によって汚された者のみが扱える凍てついた刃である。当然、渡す相手は決まっている。

「それ以上は前に来るな」

 しばらく言葉を待っていると、眼前で岩に腰掛けているセドリックが低い声で呟いた。

 しかし、振り向く気配はなく、腰まで届いた銀髪は揺れる事はない。では、何をしているのかと言えば、鍛冶師は息をする事も忘れたように手にした結晶を見つめていた。

 おそらく、あれが氷装具と言われる物なのだろう。

 依頼した物をこの目で確かめたい。そんな欲求が内から溢れ出たイリスは一瞬だけ先ほど受けた警告を忘れさせ、一歩を進ませる。

 その瞬間――

「つぅ――!」

 右足の脛辺りに痛みを感じてイリスは声を上げる。

(な……なんなの!)

 素早く視線を足元に向けると積まれた大楯の上に、一本の金属槍が載せられていた。どうやら柄の部分に脛をぶつけたらしい。

 痛みによって平常心を取り戻したイリスは一度安全のために周囲を見渡す。

 灰色の岩を組んだだけの簡素な作りの鍛冶屋セドリックの広さは、三部屋程度の広さか。その半分を占めているのは鉄を熔解せしめる窯であり、そしてもう半分を占めているのは完成品と言っても遜色はない騎士剣、大楯、そして槍が無造作に転がっていた。

(だからなのね……)

 痛みを伴う事で彼の言葉の意味を理解したイリスは、一歩後ずさった後に鍛冶師の背を見つめる。

「九割方は完成だ。今日の夜にでも取りに来てくれ」

 イリスの向ける視線に耐えかねたのか、セドリックはまるで独り言のように呟いた。どうやら依頼者たるイリスの姿は視界に収めるつもりはないらしい。なぜ彼がイリスを、他人を見ずに熱を伴う窯と一緒に暮らしているのか。

 その理由は簡単だ。彼がカナデと同じ汚染者だからである。

 もう二度と笑顔を伴う日常には帰れないと彼は諦めているのだ。イリスが説得する以前のカナデのように。まるで人外の力を手に入れた代償に、心まで凍ってしまったかのように。

 説得をしようと試みた事も当然あるが、彼は頭を振るだけだった。

 しかし、イリスは諦めてはいない。

 セドリックの氷装具を見つめる瞳には確かな光が宿っているからだ。まるで自身が出来なかった事をカナデへと託そうとしている、そんな様子にも見えるのである。

「ありがとうございます」

 イリスはとりあえず会話を続けるために、感謝の言葉を掛けると共に頭を下げる。本日は注意をする者がいないために下げ放題だ。

「構わん。同じ汚染者の力になれるのであればな。それに……氷装具は汚染者にしか作れない。これも何かの巡り合わせだろうな」

 イリスの下げた頭を見る事なくセドリックはいつも通りに淡々と語る。

 触れた物を氷の結晶へと変える汚染者の力。そんな彼らの専用の武器に触れれば凍りついてしまう事は初めから分かりきっている。だからこそ氷装具を作れるのは汚染者の鍛冶師のみなのである。世界は広いとはいえ、汚染者の鍛冶師となれば彼の他に一人か二人いる程度なのではないだろうか。

 そんな貴重な人材である彼ですら世界は認めようとはしない。ただ異物として除外しようとするだけなのである。

 それでもイリスだけは諦めてはいないのだと伝えるために――

「いつかあなたにも光を届けて見せます。カナデと一緒に」

 語り掛ける。まるで希望を見つめるかのように氷装具を眺めるセドリックに向けて。伝わらないかもしれないけれど。でも、言葉を掛けずにはいられなかったから。

「カナデ……それが汚染者の名か?」

「はい。風に揺られる事で歌う様な音色を響かせる、白き花と同じ名ですね。花言葉は浄化です」

 問う鍛冶師に向けて、イリスは家族を自慢するかのような笑みを浮かべて述べる。

 素直に興味を持ってくれた事が嬉しかったのだ。そして、差別という人の業によって穢れた彼の心も浄化出来ればいいと思う。それはどこか傲慢な考えなのかもしれない。

 だが、彼をこのまま放置する事はイリスには出来ないのである。

「そうか。俺の心にも届くといいな。希望の音色が」

 想いが通じたのかセドリックは振り向くと共に一度表情を和らげた。しかし、それは一瞬の事で彼はすぐに表情を引き締めて作業へと戻ってしまう。もうこれ以上は、言葉は届かない事だろう。

「必ず届けます。あなたの心にも」

 イリスは鍛冶師の浮かべた優しげな表情を瞳に焼き付けて言葉を紡ぐ。今は届かずともいつかは届くと信じて。

 そして思う。こうして心を通わせていけばいずれは分かり合えるのだと。

 汚染者とも、隣国とも。

 それがこの冷たき世界に光を燈す事が出来る唯一の道だとイリスは信じている。戦い、奪い、統治する。それだけが全てではないと思っているのだ。

 秘めた想いを、さらに強固な想いへと変えたイリスは彼へと背を向けて、自身の戻るべき場所へと戻っていった。


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