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八十六話 クソッタレ

「・・・」


 王国軍の状態は、それは酷い有様だった。

 日が落ちた暗闇の中、立って歩く者の顔は暗く澱んで疲れ切った物で、そこら中に力尽きて座り込む者、泥の中に倒れて動かない者、頭を抱えて何かを呟き続ける者、誰も彼もがボロボロの敗残兵と言った様相を現していた。

 耳に聞こえるのは呻き声と悲鳴ばかりで、鼻腔をくすぐるのは腐臭と汚物の酷い悪臭ばかりで、そこに広がるのは見慣れた地獄の様な光景だった。


「敗軍とはまさにこの事だな」


 思わず口を吐いた呟きに反応する者は無く、俺とレンジャーに興味を持つ者も居なかった。

 そんな状況で、俺に声を掛ける者が現れた。


「団長!団長で無いですか!?」


 声を掛けてきた男は、見窄らしいボロボロの赤いチュニック姿の青年で、その手には一挺の小銃が握られていた。


「所属と階級」


「第二歩兵大隊小銃中隊第三小隊、トーマス伍長であります!」


 トーマスと名乗った青年は、やはり兵団の元兵士だった。

 恐らく兵団解体の後にハンスと共に移動したのだろう、今は無き所属部隊を名乗った。


「よく頑張った伍長。ハンスは無事か?」


「はい!ハンス中佐もエド中尉も無事であります!」


 驚いた事に、ハンスだけで無くエド少尉もとい中尉もハンスの兵団に組み込まれて居るらしく、伍長の話によると弾薬は余分に持ち込んでいたそうだ。


「ありがとう伍長、俺はハンスの下へと行くから、伍長はレンジャーを弾薬の補給に連れて行ってくれないか」


「了解しました!」


 元気良く返事を返した伍長は、後にいたリゼ大尉達に案内をすると言ってレンジャーを連れて行った。

 それ見送った俺は、軍団の中央に居るであろうハンスとペイズリー卿の下へと向かう。

 向かう途中で眼を覆いたくなるような光景が幾つも見られたのだが、夜で無ければ、その有様は余計に酷いものだと容易に想像が着く。

 そうして自分の眼で軍団の詳しい状況を見ながら奥へと進み、遂に再会を果たす事が出来た。


「ハンス」


 疲労困憊と言う様子の背中を見せる立ち姿に声を掛けると、男は振り向いて驚愕し、それから恐る恐る言葉を返した。


「・・・若・・・様・・・?」


「おう、俺だ」


 次の瞬間、ハンスは俺の下に駆け寄って俺の両腕を掴んで言った。


「若様!・・・どうして・・・どうして・・・」


「落ち着け!ハンス」


 驚きの余りに声が出てこないハンスを落ち着かせようと宥める俺に、ハンスはとうとう続きの言葉を吐き出した。


「如何してこんなに太ってしまって!!」


「ハッ倒すぞこの野郎」


 少し気にしていた事を言われて、思わず殴り掛かりそうになるが、顔を綻ばせるハンスの様子を見て、仕方が無いと殴るのは勘弁してやった。


「大丈夫か?」


「・・・ええ、今、大丈夫に成りましたよ・・・若様」


 口では大丈夫などと言うハンスだが、2年前に比べると明らかに痩せていて、頬は痩けて眼の周りが黒く窪んでいて、俺と同じ16歳の筈の愛嬌のある見た目が今では随分荒んで見る影が無い。

 ここ最近だけで無く、兵団が解体されてから随分と苦労した様子だった。


「若様・・・」


「如何した?」


 不意にハンスが神妙な面持ちで話し始める。


「・・・俺は・・・随分部下を死なせてしまいました・・・」


「・・・」


「あんたの大事な兵士を・・・俺の所為で・・・」


「ハンス・・・」


 俺は何と言ってやれば良いのか、何と言葉を掛ければ良いのか分からなかった。

 部下を死なせる辛さは、俺も痛い程に良く分かるし、今でも尚、俺をこうして慕ってくれているハンスを励ましたいのは山々だったが、それでも掛ける言葉が見付からなかった。

 気にするなと言われても絶対に気にするし、忘れろと言っても忘れられる筈など無い。

 指揮官は部下に対して死んで来いと言うに等しい命令を発さなければ成らず、その命令の果てに幾人もの部下が命を落とす事になる。

 そして、その事が分かっていても命令を出さない訳にも行かないのだ。

 部下が死んだのは自分が命令をしたからなのだから、誰に何と言われようとも、多かれ少なかれ自分にも責任が有るのだ。

 それを生半可な言葉で慰める事など、到底出来る物では無い。


「・・・ハンス・・・」


 俺は、かつて彼に言われた事を思い出して、背筋を伸ばし胸を張って息を深く吸い込んだ。

 そして、吸い込んだ息を吐き出すように大きな声で言う。


「ハンス!!」


「!!」


「胸を張れ!ハンス!!」


「若様・・・」


「馬鹿のクセに小難しい事を考えるな!ウダウダと悩んでいる暇が有るなら今生きている奴等を生かして返す事を考えろ!!」


「はいっ・・・!!」


「帝国でお前は言ったな!俺に着いてきたと。ならコレからも俺に着いて来い!!あの時言った通りに地獄の底まで連れてってやる!!だから俺の背中に着いて来い!!」


「応っ!!」


 心なしか、顔色が少し良くなった様な気がするハンスは、泥だらけの笑顔を浮かべて俺を見詰めた。


「全く暑苦しい奴だな」


 そう声を掛けてきたのは、俺以上に丸々とした身体の持ち主だった。


「ペイズリー卿・・・御無事でしたか」


「大事無い・・・君の助力に感謝しよう大佐・・・しかし」


「?」


「また、命令違反と独断専行だ。軍規と言う物をもっと尊重したまえ」


 笑顔を浮かべて嫌味な事を言う卿に、俺も言葉を返す。


「状況を判断した独断専行は士官の義務で有ります。アーサー・ペイズリー陸軍卿」


「・・・口の減らない男だ」


「閣下、この軍団はもう終わりです」


 ここに来るまでに見た状況から判断した俺の意見を言うと、卿は自嘲気味に笑って返した。


「そんな事は分かっておる・・・だがな・・・どうしようも無いのだ大佐」


「閣下・・・」


「オメオメと生きて帰って見た所でワシも将兵も先は知れておる・・・それに最早帰れるだけの力も残っておらん」


「軍団の現在の兵力は10000程ですが負傷者が多く、戦うどころか移動もままならない状態です」


「聞いての通りだ大佐。我々はもう終わっているのだ」


 寧ろ未だに軍としての体裁を辛うじて残している事の方が驚異的と言えるだろう。

 第三王子後退後の残存の内5000以上が死に、残った10000の3割は負傷者、食料は底を着き敵中で孤立した現状では援軍も期待は出来そうに無い。


「大佐は早く逃げると良い・・・少数ならば逃げ切れるだろう」


「閣下は分かっていたのですか?」


「・・・兵の者達には悪いと思っておる・・・何の慰めにも成らんがな」


「何故・・・何故、そこまでしてあんな男に・・・」


 思わず口を吐いたのは、卿と兵達を殺すために送り込んだ張本人である第三王子に対する批判と取れる言葉で、卿は俺の言葉を制するように言った。


「王家に対する批判は軍人として見過ごせんぞ・・・」


「しかし・・・」


「・・・ワシは古い人間だ。例えどんな凡愚で在ろうとも王と王家は絶対なのだ。それが国に取って良くない事だと理解しているが・・・早晩変えられる様な事でも無いのだ」


「・・・」


「ハンス中佐も済まない・・・」


「いえ、閣下の麾下で戦えた事を光栄に思います」


 卿は完全に諦めてしまっていた。

 それは、決して責められる事では無く、恐らく如何なる名将で在ろうとも、同じ状況に陥れば同じように諦めるだろう。

 寧ろ、優れた人物で在れば在るほど、その傾向は強くなるはずだ。


「閣下・・・生憎ですが、私にはこの現状は理解できず、未だ手段は途絶えていないと愚考します」


「何を?」


「兵は皆傷つき、今にも倒れそうな有様で在りますが、それもまた結構。生きているのならばまだ戦えます」


「・・・大佐。現実を見ろ。君も一人の指揮官なのならば・・・」


「いいえ、まだ戦えます。たかが瀕死の状態に成っただけです。虫の息に成っても生きているのです」


「・・・」


「俺は物わかりの悪い男なので、頭の悪い男なので、だから、貴方の言う現実とやらが分かりません。軍団はまだ戦える様に俺には思えます」


 前後左右を敵に囲まれ、味方は無く孤立無援、疲れ切った指揮官と死に損なった兵達しか居ないこの状況は最悪と言えるが、それでも俺は言う。


「状況は最低最悪のクソッタレ。死ぬまで戦うには丁度良いじゃ無いですか」


「・・・フッ・・・」


 俺が笑顔で卿に言うと、卿は小さく笑いを零して言った。


「状況はクソッタレか・・・そうだな・・・カタツムリを食うような蛮族に降服するのも癪に障る。嬲り殺しに成るくらいならば、一矢報いるか」


 そうして俺達は決意を固めて笑い合った。

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