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七十六話 イイコト

 ランプに照らされた船室の中で、俺はリゼ大尉と向かい合って言葉を交わす。


「もう一度聞きますが・・・本気ですか?」


 普段よりも少しだけ声のトーンを落としたリゼ大尉は、緑色の大きな瞳で俺を見詰めながら尋ねてくる。


「勿論だ」


 俺は確りと首を縦に振りながら大尉の質問に答えた、彼女の眼を見詰め返した。

 揺らめく明かりに照らされた濃い銀色の髪と褐色の肌が艶めかしく見えて、妙に緊張してしまい、俺は何も言えなくなる。


「・・・」


「・・・」


 俺と大尉は無言で見つめ合い、自分の頬を大粒の汗が流れるのを感じると同時に、彼女の首元にも汗が伝って流れていくのが見えた。

 一体、二人の内のどちらの物だったか、ゴクリと言う生唾を呑み込む音がヤケに大きく室内に響き、俺の右手がアルコール以外の理由で微かに震え、それまで真っ直ぐに見詰めて来ていた彼女の視線も僅かに揺らいだ。


「・・・」


「・・・」


 沈黙は更に長く続き、俺も彼女も首や頬や額を汗で濡らして息を荒くさせ、それでも無言を貫いて見つめ合った。


「・・・分かった」


 永遠にも感じられた沈黙は俺が言葉を発する事で破られ、俺の一言の後にリゼ大尉が大きく息を吐いて肩から力を抜いた。

 俺は観念した様に身に着けていた皮のベストとシャツを脱いで半身を顕わにし、船室に備え付けられているベッドに寝そべった。


「今、準備をします」


 大尉は俺にそう言って背を向けると、俺の言い付けで採用されたレンジャーの濃い緑色のジャケットを脱ぎ、僅かに躊躇いながらジャケットと揃いのズボンも脱いだ。

 俺は彼女を視界から外す様に上を向き、天井のいたの節を眺めながら、ゴソゴソとヤケに大きく聞こえる彼女の準備の音を聞きながら彼女を待った。


「では・・・」


 準備を済ませたらしい大尉は、俺の側まで近付くと緊張した様子の声色で言い、俺のベルトのバックルに手を掛けた。


「は、外すのか?」


「ええ・・・そうしないと出来ないので・・・」


 俺が僅かに上ずった声で聞くと、彼女は少し恥ずかしそうに小さな声で返し、再び手を動かしてベルトを弛める。


「少し・・・腰を浮かして下さい」


 俺が彼女に言われた通りに腰を浮かせると、彼女は少し躊躇いがちに俺のズボンを降ろした。


「・・・っ!」


 ずっと上を向いたままの俺にも彼女が息をのむのが伝わり、俺は少し気まずい思いをしながら、コレから先の事を思って我慢する。


「跨がりますよ・・・」


「お、おう」


 彼女に言われ、緊張して返事を返す俺は、程なくして腰の辺りに柔らかく暖かな感触と彼女の重みを感じ、現実を意識した。


「お、重くは無いですか?大丈夫ですか?」


 彼女は俺を労ってか、俺に大丈夫かどうか訪ねてくるが、線の細いダークエルフの彼女と公国に来て体重を増やした俺とでは明らかに体重差があり、重みを感じはすれど、全く苦にならない程度の物だ。


「いや、問題ない。寧ろ軽すぎて心配な位だ」


「そうですか・・・良かったです」


 正直に俺が感想を伝えると、彼女は少しホッとした様な、僅かに喜色の混ざった声で返し、それから黙り込んでしまう。

 俺も何も言わずに彼女の体温を感じながら精神を統一して天井を見上げ、再びの沈黙に耐えた。


「・・・では」


「あ、ああ」


 幾ばくかの沈黙に耐えた後、彼女が声を出し、緊張が最高潮に達した俺は一杯一杯になりながら返事を返して身構えた。

 

「痛かったり、何か在ったら直ぐに言って下さいね?」


「・・・分かった」


 俺に確認するように言うと、彼女が俺を跨いだまま腰を浮かせた。

 それまで天井だけを移し込んでいた俺の視界に、腰を浮かせた事で彼女の顔が映り込み、彼女の緊張の度合いが見て取れる。

 ポタポタと胸に水滴が墜ちてくるのを感じ、それが彼女の緊張の汗だと分かると、俺も尚更に緊張して身を強張らせた。


「力を抜いて下さい」


 俺の顔を覗き込みながら、彼女は優しげに言い、俺は無言で頷いて答える。


「いきますよ」


 それまでに無い、真剣な声色で彼女が言った。

 俺は心臓が胸骨を突き破って出てくるのでは無いのかと言う程に鼓動を弾ませ、思わず上ずった声で言った。


「リゼ大尉」


「んっ!」


 俺が彼女の名を呼ぶと同時に彼女が声を上げ、俺の右脇に手を当てて腰を下ろした。

 その瞬間、俺はこの世の物とは思えない人生で初体験の感覚に陥った。


「うおおおあああああああ!!!!!」


「落ち着いて下さい!直ぐに治まりますから!!」


 俺は有らん限りの悲鳴を上げて身体を左右に動かし、この世の物とは思えない程の激痛から逃げようとベッドの上で暴れた。

 そんな俺を、リゼ大尉は両足で腰を挟み左手を俺の右脇に当てたままで抱き付くようにして押さえ込んだ。


「うああああ!!!っ!!ぬううううううううう!!!!」


 最早思考は定まらず、ひたすらに身体を揺らして暴れ悶え苦しみながら、全身を痙攣させて声を上げ続けた。


「畜生ぉぉぉ!!!!死ぬ!!死ぬ!!死ぬ!!あああああああああああ!!!!」


 まるで全身の全ての骨が赤熱した鋼にでも変わったかの様な、或いは身体の内側で大戦でも起きたのかの様な、筆舌にし難い苦しみが襲い掛かって来る。

 俺は余りの苦しみに、訳も分からず記憶に有る限りの言葉をただただ叫び続ける事しか出来なかった。


「っ!!!!!ああああああああ!!!止めてくれ!!ハンス!!エスト!!無理だ!!助けてくれ!!誰でも良いから助けてくれ!!!」


「っ!!落ち着いて下さい・・・っ!!」


「アンタらどんなハードコアプレイしてやがんだ!!」


 微かに残る理性が、誰かが部屋の中に入って来た事を伝えるが、そんな事より何よりも苦しみから逃れようと必死で誰が来たかなど、どうでも良かった。


「っ!!レッド殿!!抑えるのを手伝ってくれ!!」


「何だぁこりゃ!?旦那と大尉殿のお楽しみじゃぁ無かったんか!!?」


「馬鹿言ってる場合か!!取り敢えずカイルを抑えるぞ!!」


 兎に角暴れ回る俺は新たに脚と肩に重量を感じて動きを制限されるが、それでも身を捩って身体を動かし続けた。


「ッッッッッッッッ!!!!!!!」


 最早まともな声には成らない悲鳴を上げ続け、更に強くなる痛みに身体を捩って逃げようとした。


「なんて力だ・・・っ!!」


「不味いぞ!このままじゃ舌を噛む!!」


「何か咥えさせろ!!」


 声にならない声を上げながら口を開閉して歯を鳴らしていると、突如として口の中に布のような物が入って来た。


「それは私のジャケットだぞ!!」


「しゃあねぇだろ!!コレしか手元に無かったんだよ!!」


 ゴワゴワした固い布地を口の中に押し込まれ、咽頭を刺激すると胃の奥から込み上げてくる。


「っ!!うっぶおおおおお!!!!!」


「うあっ!!吐いた!!」


「私の軍服が・・・」


 吐瀉物と口の中の布地のせいで段々と息苦しくなってくるが、それでも襲ってくる激痛の所為で気絶する事もままならず、俺は拘束から逃れようとより一層身体を激しく動かした。


「っうううううううううう!!!!!!」


「っ!?まだ強くなるぞ!!」


「押さえ込め!!!」


 段々と意識が朦朧とし始め、身体から力が抜けて頭がボンヤリと気持ち良くなって来て、外の声が良く聞き取れなくなってきた。

 そんな状況で、辛うじで新たな人物が上げた声が聞こえる。


「貴様ら一体何をやっているんだ!!」


「ワルド!!団長を抑えるのを手伝ってくれ!!」


「馬鹿者めっ!!このままじゃ死んでしまうわ!!」


 突如として俺の口を塞いでいた布地が取り除かれ、身体から重みが消えると、肺の中に新鮮な空気が流れ込んできた。


「クハッ!!」


 朦朧とした意識が覚醒し、真っ暗になっていた視界が明かりを取り戻すと、俺の視界に毛むくじゃらのワルドの顔が映り込んできた。


「おい!!大丈夫か!!確りしろ!!」


 ワルドは呆けている俺の頬を両手で挟むようにして自分に向かせて声を掛けてきた。

 それに対して、俺は定まらない意識の中で思い浮かんだ言葉を口にする。


「・・・班長?・・・報告します・・・二班総員10名、事故無し集合終わり・・・」


「・・・何を言っているんだ?」


「さ、さあ・・・」


「半長靴が・・・制限点射機構さん御免なさい・・・」


「カイルの奴・・・どうしちまったんだ?」


「多分、意識が朦朧として訳が分からん事になったんで無いか?」


「弾抜け・・・銃武器格納・・・半ば右向け・・・右」


「基本教練か?」


「団長・・・」


「右向け・・・」


「まだ続くのか?」


「左・・・」


「コレはダメだな・・・」


「団長!確りして下さい!!団長!!」


 突然の事だった。

 いきなり肩を掴まれて強く揺さ振られると、目の前に涙目のリゼ大尉の顔が現れ、俺は驚いて声を上げる。


「た、大尉!?止めろ大尉!!」


 俺が大尉に揺するのを止めるように頼むと、大尉は素直に言う事を聞いて身体を揺らすのを止め、俺の眼を見詰めて訪ねてきた。


「団長?大丈夫なんですか?」


「あ?ああ・・・恐らく大丈夫だ・・・うん、大丈夫だ・・・」


 自分の身体を確認するように無事を伝えると、室内に安堵の溜息が響き、船室の扉の向こうからも声が聞こえた。


「酷い目に遭った・・・」


「それはコッチの台詞だ・・・一体二人して何をしていたんだ?」


「そうだ・・・俺っちは、テッキリ二人がいい仲なのかと思って、ワクワクしていたのに・・・」


 等と大尉に対してかなり失礼な事を言う二人には、扉の方を向いて大声で言った。


「お前ら!今日はお楽しみは無しだ!」


「解散~!解散~!」


 ゾロゾロと足音と共に不満げな声を上げながら、扉の向こうの連中が去って行くのが分かる。


「お前ら・・・覚えてろよ」


 俺は聞こえる様に言いながら二人を睨むが、逆に二人は不満げに言う。


「ったく・・・とんだ期待外れだ」


「全くだ・・・俺ぁ、旦那と大尉殿がハヤに入るのを見てテッキリそう言う事かと思ったのに」


「俺も、カイルとリゼはそう言う仲なんじゃって思ってたのに・・・がっかりだよ」


 等と勝手な事を言う二人に呆れ、俺はワルドの方を向いたが、当のワルドもまさかの反応を示した。


「・・・カイルとリゼならば或いは・・」


「ワルド!?」


「何を言っているんだ少尉!」


 突然のワルドの発言に、リゼ大尉も顔を赤くして抗議の声を上げた。

 しかし、レッドもジョルジュもワルドも全く気にした様子は無く、何食わぬ顔でレッドが訪ねてきた。


「それで・・・二人は一体何をしてたんだ?」


 誤解をする余地が無い様に確りと説明しないといけないのだが、疲労困憊の俺は口を開くのも億劫で、そんな俺を気遣ってリゼ大尉が説明を始める。


「団長の怪我を直していたのだ」


「怪我?」


「うむ」


 一月前の海戦で、俺は右の脇腹を強く打たれて肋骨を折っており、コレからの事を考えて大尉に何とかならないかと尋ねたのだ。

 そんな俺の意を汲んだ大尉は、俺の希望に添う返事を返して、俺の為に一肌脱いでくれたのだ。


「団長の骨折はまだ治って無い様子だったのでな・・・部族に伝わる秘薬を使う事を提案したのだ」


「秘薬?」


 リゼ大尉の説明に出て来た秘薬に反応を示したジョルジュが聞くと、リゼ大尉はそれに答える。


「うむ、詳しい材料は言えないが、効果は覿面で、特に外傷に対して良く聞くのだ」


 と説明するリゼ大尉にレッドが質問をする。


「その格好は?」


 レッドの質問したリゼ大尉の格好は、真っ白な繋ぎの様な服で、手足の指の先まで隠れた服は、露出しているのが首から上だけと言った姿だった。

 リゼ大尉は、自分の格好を見てから、レッド質問に答える。


「ああ、コレは秘薬を使う時の専用の服なのだ」


「専用?」


 リゼ大尉の説明にレッドは更に質問を重ね、それに大尉が答えた。


「この秘薬はとても強力な物なのだが、それに比例して副作用も強力なのだ」


「それがさっきの旦那の暴れようなのか?」


「ああ、この副作用の所為で過去には死人も出た程でな・・・使う時は暴れすぎて死なない様に押さえ込まなければいけないのだが、即効性が非常に強いから肌に付かない様に全身を隠さなければならないのだ」


 大尉曰く、痛みに耐える為に暴れた結果、頭や身体を強く打ち付けて死に至ったり、余りの苦しみに耐えかねて自らの命を絶つ者まで居たらしく、秘薬を使う時は必ず誰かが側に居て押さえ込むのだそうだ。

 秘薬は患部に塗り込むだけでは無く、全身に塗り込んで使うのだが、その時に身体を締め付けたりする物が有ると身体を傷める事になるらしく、それを予防する為にズボンを脱がせたらしい。


「まったく・・・皆で変な誤解をして・・・私と団長が・・・その・・・何だ?・・・男女の仲になるなどあり得ないだろう」


 説明の後に、顔を赤くしたリゼ大尉はそっぽを向いて三人に言った。

 分かり切った事では有るのだが、可能性が無いと本人から言われると割とショックなのだが、俺は顔には出さずにレッドに訪ねる。


「所で・・・状況は如何なんだ?」


 俺が尋ねると、レッドからは直ぐに返事が返ってくる。


「ああ、明日の朝にはグローに着くはずだ」


 レッドの返答を聞いた俺は、右脇に手を当てながら言う。


「分かっているのだろうな・・・俺達の行動に、公国の命運が掛かっているのだぞ?」


 俺がそう言えば、レッドは更に表情を引き締めて頷き、ジョルジュとリゼ大尉も緊張感を漂わせた。

 あのアレクト殿下からの手紙から三日、俺は合流していたレンジャー一個中隊を率いて、レッドに公国沿岸へ連れて行く様に頼み、民間から徴発した商業用のガレオン船を含めた8隻の艦隊で海を進んでいる。

 目指す目的地のグローは、ジョルジュの故郷にして商業港湾都市として有名で、俺の目的はグローに上陸後に共和国内での後方撹乱と、その後の王国軍のハンスとの合流で、出来る限り万全の状態で作戦に挑みたかったのだ。


「ちゃんと受け容れられるんだろうな?」


 俺がジョルジュに念を押すように尋ねると、ジョルジュは自信満々に頷き、取り敢えずジョルジュを信じるしかないと不安を押し殺した。


「さあ、俺はもう休みたいから、とっとと出てけ」


 既に体力は限界を迎えており、今すぐに眠りに落ちそうな俺は、レッド達に言うなりベッドに寝転がって瞳を閉じた。


「団長?」


「もう寝てるぞ・・・


「流石に疲れたのだろう・・・我々も休もう」


 朦朧とした意識でレッド達の声を聞きながら、俺は気絶する様に眠りに着いた。


「・・・別に・・・団長さえ良ければ、私だって・・・」


「リゼ?」


「イヤ・・・何でも無い・・・そうだ・・・何でも無い・・・」

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