外伝 わたくしの婚約者様が出征してから、全く不通な件に着いて
また外伝です。
「はあ・・・」
授業終わりの放課後に、教室の窓辺の席から外を眺めると、溜息が漏れた。
既に暑さは山場を越えて晩夏と呼べる時期に差し掛かり、爽やかな風が頬を撫でる。
学園に来て初めての夏の終わる直前、日も高く良く晴れた過ごしやすい日だと言うのに、わたくしの気分は一向に晴れなかった。
「はあ・・・」
「どうかなさいましたか?」
そんな靄の掛かった様な気分のわたくしは、声を掛けられると、直ぐに笑顔を作って返事をする。
「いえ、少し疲れてしまっただけですわ」
そう答えて顔を上げると、声の主の灰色の瞳と目が合った。
「エスペリア様・・・!」
予想外の人物の登場に驚いたわたくしは、急いで立ち上がって礼をする。
「申し訳御座いません。殿下に対してご無礼を働きました」
謝罪の言葉を述べながら、軽く頭を下げると、エスペリア皇女殿下から許しの言葉が出た。
「いいえ、気にしていません・・・顔を上げて下さい」
わたくしは顔を上げる様に言われて、ゆっくりと顔を上げて、皇女の顔を見る。
改めてよく見た皇女は、くすんだ銀色の髪に灰色の眼で、長い前髪に隠されていて目立たないが、鼻が高く眼も大きい美しい顔立ちをしていると感じた。
「何か?」
わたくしがマジマジと見詰めていると、皇女殿下が訝しんで声を掛ける。
「も、申し訳御座いません」
不躾な行動を再び侘びたわたくしは、何故殿下が声を掛けてきたのか分からず、混乱してしまう。
「わたくしに御用でしょうか?」
そう、皇女殿下に訪ねると、殿下は少し考える様な仕草をしてから答えた。
「・・・何か、悩んでいるみたいだから」
「・・・」
わたくしがどう答えるべきかと悩んでいると、殿下が続けて話す。
「答え難かったら答えなくてもいい」
「・・・申し訳御座いません」
「謝る必要は無いです」
その後、少しだけ殿下と言葉を交わしていると、一人の男子生徒が教室に入って来た。
「ここに居たのですか殿下」
「クリス」
殿下が名前を呼び返した生徒は、殿下と一緒に学園に来た帝国騎士のクリストフ様だった。
年齢はわたくしの一つ上、髪は短く切られた濃い茶色で、逞しい長身に鋭い目付きと鉤鼻が特徴的な美丈夫で、女生徒の間では屡々話題に上がる。
「・・・貴女は?」
クリストフ様は、一度その鋭い目線をわたくしに向けると名前を聞いてきた。
「初めましてクリストフ様。わたくしはリリアナ・ホークスですわ」
名を訪ねられて、スカートを少し摘まみながら名前を言うわたくしに対して、クリストフ様の表情が少し険しい物になった。
「・・・貴女がリリアナ嬢か」
呟く様に言ったクリストフ様の言葉は少し低く、何か無作法を働いてしまったのかと不安になる。
そこへ、新たな人物が教室に現れた。
「クリス、殿下は見付かったかい?」
「ああ、大丈夫だ」
新たに現れた人物は、わたくしも知る人物で、笑みを浮かべながら近付いて来て、わたくしを見るなりにその表情を敵意で染めた。
「・・・何故ここに?」
嫌悪感を些かも隠さない表情と声色で訪ねてきた、その方にわたくしは、努めて涼しい表情で言葉を返す。
「あら、わたくしのクラスなのですから、何か問題がおありですか?エスト・ローゼン様?」
「相も変わらず口の減らない方だな・・・何故、貴女などが団長の婚約者になってしまったのか・・・」
そう言うエスト様はブツブツとわたくしの悪口を言いながら、わたくしの婚約者様に思いを馳せる。
「・・・」
そんな、エスト様を見て、騎士クリストフの態度に合点がいった。
クリストフ様も帝国で蛮族との戦いに参加なされていたそうで、エスト様とも親しい様子から、カイル様とも親しかったのでは無いかと思う。
本当に、あの方は男性に良くおモテになる。
そんな事を思いながら、エスト様に向かって言い放つ。
「別にわたくしが望んで婚約した訳では御座いませんわ」
それから、わたくしは皇女殿下に向いて一言挨拶をする。
「それでは殿下、御前を失礼いたします」
そう言って一度お辞儀をして、教室を後にした。
後の教室からは、エスト様のわたくしに対する言葉が聞こえてきたが、それを無視して、校門へと歩みを進める。
「お久しぶりです」
校舎から出て、校門へと向かうわたくしに再び声が掛けられた。
「・・・あら」
誰かと思って振り向くと、そこには久方ぶりに見る友人の姿が有った。
「お久しぶりですわね、ライノ」
チェスター侯爵家の次女であるライノとは、歳は離れていたが、昔から家同士の付き合いで良く合う間柄で、何時の間にか敬称も付けずに名前で呼び合う様になっていた。
わたくしは声を弾ませて友人に話し掛けた。
「何時から戻っていたの?確か東部の方へ赴任すると聞いていたけれど」
彼女は騎士団に所属していて、既に一隊を率いる立場になっていた。
そんな彼女が何故いるのかと尋ねると、ライノは笑いながら答えた。
「いや、詳しい事は言えないが、近々私の初陣となるとだけ言っておこう」
嬉しそうに笑う彼女に対して、わたくしは不安を感じる。
知り合いが戦地へと向かうと聞けば、わたくしは一番に思う事は、無事に帰ってきて欲しいと言う事で、手柄や名声などはどうでも良いと思っていた。
「くれぐれも気を付けてらっしゃいね?」
わたくしが身を案じる様に言葉を掛けると、ライノはやはり笑いながら答えた。
「安心しろ。私はそう簡単には死なんさ・・・アイツとは違ってな」
小さく付け加えられた言葉のアイツと言う部分にわたくしは、過敏に反応してしまう。
それを見たライノは、わたくしに気にしないようにと声を掛けた。
「お前が気に病む事では無い。それに戦場に立ったからには、死は付きものだ」
ライノの言うアイツとは、彼女の学友で、共和国の侵攻で命を落としてしまったアダムス・オルグレン様の事で、そのアダムス様の命を奪ったのが、わたくしの婚約者であるカイル様だった。
「そう言えば、二年前の祝賀会で、お前の婚約者に会ったぞ」
「ええ!?聞いてませんわよ!?」
突然証される衝撃の言葉に、思わず声を荒げてしまった、わたくしは、ハッとして周囲を見回して、一つ咳をする。
「ハハハッ!すまんすまん・・・つい、言い忘れてしまってな」
全く悪びれもせずに言う、ライノにわたくしは溜息を吐きながら言う。
「まったく・・・それで、何を話したの?」
「アイツの最期だ・・・」
「・・・」
「お前の婚約者が言うには、最期まで落ち着き払っていたらしい・・・逆に、私は奴が慌てている所が想像出来ないがな」
「・・・そう」
少し、湿っぽい空気になってしまうが、それを嫌ったライノは、態とらしく声を出した。
「なに、奴の最期が分かればそれだけで十分だ!私はアイツの分まで国の為に尽くす。それだけだ」
そう言う、ライノの横顔は少しだけ寂しそうに見えた。
ライノと別れた後、何だか少しフラつきたい思いに駆られて、学園の中を彷徨いていた。
ライノは気にしなくて良いと言っていたけれど、やはり、そう簡単に割り切れる物では無く、如何しても思ってしまう事が在る。
何故、カイル様なのかと、他の方ならばと、そう言う風に思ってしまう。
そして、そんな浅ましい考えが浮かんでしまう自分が嫌になって、近くのベンチに座ると、一人の男子生徒が声を掛けてきた。
「やあ、何か悩み事かい?」
そう言って、勝手に隣に座る方に、わたくしはウンザリしながら言葉を返す。
「わたくしには婚約者がいるので」
しかし、この手の男と言うのは兎に角しつこくて、この程度では全く気にせずに話を続ける。
「君のような可憐な花を、ここで一人にする様な男なんて、気にしなくても大丈夫さ」
「・・・わたくしを花と言うのなら、そっと咲かせて頂けませんか?」
「いいや、美しい花に触れてみたいと言うのは男の性なのでね。どうか、私に摘まれてはくれませんか?リリアナ・ホークス嬢?」
初対面だと言うのに、随分と歯の浮くような言葉を言い続ける物だと、思って聞いていれば、どうやら相手はわたくしの事を知っている様だ。
だから、わたくしは彼に言った。
「わたくしを知っておいででしたら、当然わたくしの婚約者が誰かも知っているはずですわよね?」
わたくしがカイル様を出して、脅しを掛けると、彼は鼻で嗤って言った。
「あんな、醜男・・・もしも私の前に出てくれば、直ぐにでも地に伏す事になりますよ。あんな男に貴女の様な可憐な花は似合いません」
そこまで言われて、もっとキツく言い返そうとした瞬間、目の前に有った彼の顔が視界から消えた。。
「えっ?」
思わず、間が抜けた声を出すと、先程まで隣に座って居た彼が、ベンチから突き放された。
「僕の敬愛する団長の悪口が聞こえたが、覚悟は出来ているだろうな」
そう言って、ベンチの後から乗り越える様に姿を現したのは、エスト・ローゼン様だった。
エスト様は、明らかに怒りを顕わにしていて、普段の柔和な印象とは程遠い様子だ。
「何だ貴様!一体何をする!」
突き飛ばされた男子生徒は、立ち上がるなり、エスト様に剣幕を向けて、抗議の声を上げる
それに対してエスト様は、先程よりも尚一層に怒りを強めた、口調で言い返す。
「何をするでは無い!!良くも団長を虚仮にするような言動を取ってくれたな!!その行いは万死に値するぞ!!」
エスト様の剣幕に圧されたのか、男子生徒は少し身をのけぞらせるが、男子としての矜持か、ぐっと後退るのを堪えて、エスト様に向かって言い放った。
「貴様・・・っ!決闘だ!!」
そう言って、男子生徒は腰の剣を右手で抜いて構えた。
刃渡りは80cm程で、ライノや騎士の方が使う剣と比べて半分程の幅の細身の剣は、十字の鍔に宝石などの装飾がされていて、とても豪華な見た目だった。
「・・・フンッ」
男子生徒が剣を抜いたのを見るや、エスト様は先程までの憤怒はどこえやら、涼しげな表情でレイピアを抜いた。
刃渡りは長めの90cm程と、男子生徒の物よりも長く、しかし、刃の幅はわたくしの人差し指と中指を合わせた程度の細身の物で、飾りの無い特徴的な鍔は随分使い込まれた様で傷だらけだ。
「ローゼン公爵の孫とも有ろう方が、何とも見窄らしい剣をお使いだ。それとも、次男には兄上のお下がりしか回ってこないのですか?」
男子生徒が、エスト様を挑発するように言葉を発するが、エスト様は一切表情を崩さず、剣を持った右手を前にして半身になり、腰に左手を当てて膝を僅かに曲げて立っている。
見れば、まるで絵画の様な優美な出で立ちで有るにも関わらず、エスト様からは言い知れぬ凄味がにじみ出ていて、少し息苦しく感じる程だった。
「・・・」
「・・・っつ!」
先に動き出したのは、男子生徒の方だった。
右手で持った剣を、外から大振りに振って襲い掛かるが、エスト様はまったく意に返さず、ピクリとも動かない。
わたくしは、怖くなって眼を瞑ってしまい、少ししてから恐る恐る見てみると、エスト様には傷一つ無く、剣はエスト様の足下に鋒が吐いていた。
「・・・如何したのかな?」
「っ!うえああああ!!」
エスト様が首を傾げて聞くと、男子生徒は、顔を真っ赤にして剣を振った。
もの凄い勢いの剣をエスト様は、涼しい表情で躱し続け、男子生徒の息が少し乱れた瞬間に、突きを放った。
「っなあ!?」
男子生徒の物とは比べ物にならない程の鋭さを持った突きは、剣の鍔に当たると装飾の多い鍔を砕いた。
エスト様は一度突き出した剣を引くと、今度は男子生徒の首下に鋒を突きつけた。
「まだやるかい?」
「ひぃ!」
腰を抜かした男子生徒は、エスト様の言葉を聞くなり走って逃げて行った。
「・・・ふう」
逃げていく男子生徒を見送りながら、エスト様は一息着いて剣を納めて、わたくしの方を向いた。
「・・・」
「・・・流石にあの程度の男に靡くほど落ちぶれてはいなかった様ですね」
そう一言わたくしに投げ掛けて去って行った。
「別に・・・どれ程の人でも靡くつもりはありませんわよ・・・」
そう呟いた言葉が聞こえたかは、わたくしには分からず、ただ、去って行く背中を見送るだけだった。




