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七十三話 チキンレース

「見えた・・・」


 艦首に立った俺の眼に大きな黒い船体が映り込んだ。

 三本のマストに帆を一杯に広げ、二段の砲甲板は全ての砲門を開け放ち、上甲板を含めた片舷四十門、両舷合わせて八十門の砲は攻撃の瞬間を待ち構えている。


「敵が来たぞ!!戦闘用意だ!!」


 レッドの言葉と共に、甲板上の男達は慌ただしく動いて所定の位置に着く。

 俺はリゼ大尉達を連れて後甲板に移り、射撃の用意をさせた。


「この船は圧倒的に劣っている!!俺達の勝利はお前達レンジャーの腕に掛かってる!!」


「了解!!」


「リゼ大尉!」


「はい!!」


「言うことは何時も通りだ!一発たりとも外すな!一撃必中だ!」


「はい!!」


 レンジャーの士気は、二年前の頃から全く変わらず旺盛なままだ。

 俺が今言った通り、船の大きさと火力、船員の練度で劣っている以上、正攻法での勝利は望める物では無い。

 レッドがどう言う戦いをするのかは分からないが、俺とレンジャーに出来る事は一発でも多く弾を撃ち、1人でも多くの敵の士官を撃ち殺す事だけだった。


「そのまま!そのままぁ!!」


 レッドの指示は進路をそのままに前進し続ける事だった。

 風は向かい風で波は穏やか、縦帆を使って緩やかな速度で敵艦に真っ直ぐに進む。

 対する敵艦は追い風を目一杯に受けて増速し、迷う事無くコチラに真っ直ぐ向かって来た。


「ビビるな!!クソ度胸を見せてやれ!!」


 どちらかが避けるまで続くチキンレースは、先に動いた方が負けとなる。

 もしも敵よりも先に回避を始めれば、それが隙となり、敵の砲撃を完全な形で受ける事になる。

 船の大きさで圧倒的に負けるコチラは、先手を取れるまで何度でもチキンレースを挑み続け、敵の一瞬の隙を見極め無ければなら無いのだ。


「・・・」


「・・・」


 敵艦の艦影が大きくなって目の前に迫ると、甲板上が静まり返り、全員が息をのんだ。


「・・・っ」


 俺も大粒の汗を流して声を上げたくなるが、必死の思いで出しそうになる声を呑み込んだ。

 そして、舳先がぶつかり合いそうになった瞬間、敵の舳先が僅かに左に振れた。


「面舵一杯!!急げぇ!!」


 レッドが言うのが早いか、敵が向かって左に艦首を向けると、コチラも大きく船体を傾かせながら右に艦首を向けた。

 僅かに数センチのぶつかる寸前で同時に舵を切って擦れ違い、敵艦と背中合わせになると、レッドが叫んだ。


「取り舵一杯!!」


 その言葉に反応して、操舵手が舵輪を反時計回りに目一杯に回す。

 甲板の船員は直ぐに動き出して、帆の調整をして、艦の動きに合わせた。


「おお・・・」


 俺がレッドの判断と、船員の反応に驚きの声を上げるが、後方の敵艦もまた然る者で、既に舵を切ってコチラの動きに対応していた。

 大きな船体を巧みに動かして再びヘッドオンの形を作る敵艦だったが、旋回半径の関係上、コチラの方が一枚上手だった。


「もっぺん行くぞぉ!!」


 今度は追い風になったコチラは旋回の途中から一気に増速すると、今だ旋回を終えていない敵艦に一気に近づいた。


「取り舵!!」


 そして、敵が旋回を終えてコチラに艦首を向けた時にはコチラは既に右舷を敵に向けて、砲撃の準備を終えていた。


「撃てぇっ!!」


 無防備な敵の艦首に向けて、十五門が一斉に火を吹いた。

 比較的至近距離から放たれた砲弾は、大部分が敵艦の艦首に吸い込まれて行き、長く伸びたバウスプリットを根元からへし折った。

 しかし、元々大して人員が配置されていなかった事と特に武装が無かった事から、それ以上の被害は無いようだ。

 ジブを使えなくした事自体は、戦いを有利に進める上でプラスに働くかも知れないが、ジブが無いからと言って戦えなくなる訳でも無かった。


「取り舵一杯!!一端離れるぞ!!」


 艦は回頭した勢いをそのままに、更に左に舵を取り続け、敵に背を見せて追い風の方向に向かう。

 フリゲートと三等戦列艦とでは帆の数の関係から追い風の中では僅かに不利になってしまうが、向かい風に対する速力ではフリゲートの方が優勢でその上、敵艦は先程ジブを失ったばかりであるために余計にコチラが有利だった。


「よっしゃ!!このまま距離を取るぞ!!」


 やや右前からの風を感じ、少しずつ敵艦との距離を開け始めてレッドが歓喜の声を上げた矢先、それまで南から吹いていた風が、いきなり真逆に吹いた。

 急激な追い風を受けたフリゲートに僅かな動揺が走ると、背後の敵艦が一気に速力を上げて迫ってくる。


「帆を張れ!!急げ!!」


 操艦のし易さを優先して横帆を半分ほど畳んで居たのが裏目に出てしまう。

 追い風で加速したと言っても、それは敵も同じ事で、ともすれば全ての帆を張っていた敵艦の方が劇的に速力を増していて、彼我の距離は縮まるばかりだった。

 レッドも焦りながら帆を張るように叫ぶが、余りにも動きが遅すぎた。


「並ぶぞ!!左舷だ!!」


 気が付けば、あっという間に差を詰められて敵艦の舳先が直ぐ隣に見えていた。


「左舷砲戦用意!!皆はよしろ!!」


 ジョルジュが叫ぶ声が聞こえるが、砲手の動きは明らかに悪く、特に上甲板では慌ただしく動く船員とぶつかって混乱している様子だ。


「来るぞ!!」


 敵艦が完全に左に並んだ瞬間、俺は思わず叫んで近くに居たリゼ大尉を押し倒すように伏せた。


「カイル団長!?」


 大尉の抗議するような声が聞こえるが、その直ぐ後に轟音が響いた。

 耳鳴りがして、頭がクラクラと揺れる様な感覚に陥り、視線を僅かに上げれば木片が宙を舞っている。


「ぐああああ!!」


「お、俺の脚が!!俺の脚がぁあ!?」


 血塗れで叫ぶ帆を操っていた逞しい男や、無くなった自分の足を探す男が眼に入り、ふと隣を見れば、先程まで舵輪を握っていた男が、倒れていた。


「おい!大丈夫か!?」


 男に声を掛けたが返事は無く、そっぽを向いた状態の男を引き寄せてみると、顔面の半分が千切れ飛んでいて、見るからにダメだった。


「・・・っち!」


 俺は思わず舌打ちをしながら立ち上がって、下に組付していた大尉を引き起こした。


「大丈夫か大尉!怪我は無いか!?」


 俺が声を掛けると、大尉は直ぐに手を取って立ち上がり、ライフルを手に取って返事をした。


「問題ありません!指示を下さい!」


 そのリゼ大尉の返事に気を良くした俺は、直ぐに彼女に指示を出した。


「分隊を掌握して敵に反撃だ!左舷に集めろ!」


「了解!」


 言うや否や、リゼ大尉はレンジャーを集め始め、俺はライフルを構えて敵艦に向けた。


「っ!」


 波で揺れる船の上から、やはり波で揺れる敵艦の敵兵を狙うのは決して容易な事では無かったが、だからと言って出来ない事と言う程でも無かった。

 出来る限り偉そうな奴を見付けると、二度三度と続けて射撃を行うと、一発目は外してしまった物の、残りの二発は胸と頭に当たって、間違いなく命を刈り取った。


「カイル団長!全員異常ありません!」


 後からのリゼ大尉のレンジャーの欠員無しの報告を聞いた俺は、内心で胸を撫で下ろし、銃を構えたままの姿勢で言う。


「全員戦闘開始!敵を撃ち殺せ!」


「「了解!!」」


 返事と共に各員が銃を構え、それから直ぐに銃声が連続して俺の鼓膜を震わせた。

 その心地良くなってきた銃声を聞きながら、俺もまた、敵を狙撃する事に集中した。

 レンジャーによる狙撃は直ぐにその効果を現して、敵の士官を次々と射殺し、それと同時に敵の動きを一時的に麻痺させた。


「っ!」


 その間隙をレッドは見逃さなかった。

 縫ったばかりの傷が開いて、出血しているにも関わらず、彼は自ら舵輪に飛び付いて時計回りに目一杯に回した。


「ぶつかるぞ!!」


 誰が叫んだかは知らないが、その叫び声の直後に、大きな衝撃が俺を襲い、とても立っていられる様な状況では無かった。

 それでも船体は右に回頭して行き、完全に敵艦とは逆向きになる。

 その瞬間にレッドが叫んだ。


「右舷砲戦用意だ!!」


 その言葉にいの一番に反応したのは、他でも無いジョルジュだった。


「右砲戦だ!!急げ!!グズグズするな!!」


 ジョルジュは周りに居る男達の尻を叩きながら、率先して右舷の砲に取り付くと、装填を始めた。

 その姿を見た男達は、直ぐに我に返って自分の役割を果たすために定位置に着いた。

 その間にも、船は最小の旋回半径でぐるりと一回りして、敵艦の左側に回り込む。


「大尉!!」


 俺は叫びながら右舷に走ると、直ぐに弾を込めて、その瞬間を待った。

 ゆっくりと、しかし確実にフリゲートは敵艦の左側に移動して遂に真横に並んだ。


「っ!撃てぇ!!」


 言うが早いか、右舷の十五門が同時に火を吹いて、敵艦の土手っ腹に砲弾を叩き込んだ。

 その直ぐ後に敵も砲撃を行うが、先手を取られる形で砲甲板に攻撃を受けたためか、先程と比べると明らかに精彩を欠く物だった。


「衝撃に備えろ!!」


 レッドは声を張り上げるなりに舵輪を時計回りに回して、フリゲートを敵艦にぶつけた。

 再びの強烈な衝撃が俺を襲い、倒れ込んでしまいそうになるが、それを懸命に耐え、動揺が治まった時を見計らってレンジャーに向かって叫んだ。


「撃て!!」


 そう言って俺が引き金を引くのと同時に、12人のレンジャーも引き金を引き、直ぐ側に居た敵の兵士を物言わぬ亡骸に作り替えた。


「白兵戦用意!!」


 次の敵を探していた俺は、サーベルや手斧を構えた敵兵が走ってくるのを見るなり、良く聞こえる様に叫ぶ。

 その次の瞬間には20人ばかりの敵兵が乗り込んできて、船員に向かって攻撃を始める。

 レッドは急いで舵輪を反時計回りに回すと船は敵艦から離れ、敵艦も自分から距離を取り始めた。


「近接戦闘!!」


 リゼ大尉の声と共に、レンジャーはライフルを背負ってサーベルとトマホークを手に取って敵に向かって行った。

 俺も同じようにライフルを背負って右手にサーベルを持ち、左手で拳銃を抜いて狙いを付ける。


「あああああああ!!」


 我武者羅になって俺に向かってくる1人の兵士に、俺は冷静に銃口を向けると引き金を引いた。

 銃声と共に放たれた光弾は敵兵の顎の辺りに当たって後頭部から抜け、崩れる様に倒れた。


「冷静に対処しろ!敵は素人だ!」


 そう言って次の敵に狙いを付けると、的を撃つ様に射殺した。

 特に顕著な働きをしたのがライカン達で、半分以上を彼等が始末したお陰で、ごく僅かな被害で敵を始末する事が出来た。


「カイル!!」


 敵を全員殺して一息着けるかと思えば、レッドが俺の名を呼んだ。


「如何した!」


 俺がレッドの声に応じると、彼は随分な無茶ぶりを言ってきた。


「カイル、敵の船に乗り込んで勝負を付けてくれ」


 レッドはもう一度敵艦に体当たりをするから、直接乗り込んで制圧してこいと言う。

 随分な頼みに対して、俺が答え倦ねていると、レッドはニヤリと笑みを浮かべて言い放つ。


「コレは艦長命令だ」


 その言葉で俺の腹は決まった。


「リゼ大尉!!」


 俺はリゼ大尉を呼ぶと、彼女が返事をする前に言った。


「俺の合図と共に敵艦に突入する!!覚悟を決めておけ!!」


 俺が言うと、リゼ大尉は敬礼をしながら言い返してきた。


「カイル団長!お言葉ですが、覚悟なら二年前から既に出来ています!!貴方が命じるのなら我々は何処までも着いて行きます!!」


「良い返事だ!!なら地獄まで着いてこい!!」


 ハッキリ言って久し振りの頼れる仲間との戦いに、俺もテンションが上がっていたのだ。

 何時の間にか、俺の思考は二年前の帝国での戦いの頃の物に限りなく近づいていた。


「ワルド!!グリム!!橋頭堡を確保しろ!!お前らに続いてレンジャーが突入する!!」


「応っ!!」


「分かった!!」


「他のレンジャーは2人の突入直前に斉射!!狙いは適当で構わん!!敵を怯ませろ!!」


「「了解!!」」


「ジョルジュ!」


 配下のレンジャーに向かって行動を指示した後、俺はジョルジュの名を呼んだ。


「あんだ旦那」


「砲撃をギリギリまで我慢してくれ。砲撃のタイミングは俺達の突入の直前に合わせてくれ」


 俺がジョルジュに依頼をすると、彼は恐る恐る聞いてくる。


「良いのか・・・?当たっかもしんねぇよ?」


「大丈夫だ。あんなのに当たるほど間抜けじゃない」


 俺が言葉を返すと、ジョルジュは少しだけ間抜けな表情で唖然とした後に、笑いながら言った。


「・・・アンタが言うと、その通りに聞こえるから恐ろしいな・・・わぁった!アンタの言うタイミングで撃とう!」


 互いに行動のタイミングを確認し終えたころ、レッドが声を上げた。


「行くぞテメェら!!気張れぇ!!」


 そう言ってレッドが舵を切ると、船は再び敵艦に近づいて行く。


「・・・」


 俺は船縁で近づく敵艦の砲口を見詰めながら無言でサーベルを抜いた。

 自分でも分かるほどに身体が震えているが、果たしてそれが、恐怖から来る物か、武者震いの様な物なのかは分からないが、妙な懐かしさが込み上げてきていた。







「・・・なあ、ワルドのおっさん・・・」


「・・・如何した?グリム・・・」


「カイル・・・笑ってるぞ?」


「何時もの事だ・・・」

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