七十一話 愛
戦いと言う物には常に犠牲が付きものだ。
単に戦場で戦って、その末に戦死した者よりも、寧ろ望まぬ内に戦いの中に巻き込まれて命を落としてしまう者の方が多いかも知れないと、俺は思う。
そして、それは平原の開戦よりも街での防衛戦の方が顕著であり、その様を見る度に俺は無力感に打ち拉がれる。
「・・・」
この街での戦いで死んだ住民の数は、それ程多いものでは無いだろう。
戦いの規模からすれば断然被害は少なく、無機質なデータとして見れば、俺の戦いと言うのは恐らく褒められる物の筈なのだが、人の命と言うのは、そう容易く語れる物では無いのだ。
軍人の仕事は国のために働き、国民の命を守る事にあり、それは戦争の時に最大限に発揮される物であるが、究極的に言えばただ1人でも民を死なせてしまえば、任務を果たせなかったと言う事も出来るのだ。
生き残った人の数を見て喜ぶか、それとも死んだ人の数を見て嘆くのかは人によるが、人の命というのはたった一つでも余りにも重すぎると俺は思う。
「・・・カイル」
「何だ?」
「院長は・・・助けられなかったのか?」
「・・・俺にはどうしようも無かった」
「本当か?本当にどうしようも無かったのか?」
「・・・」
ベッドに横たわるレッドは俺を責めるでも無く、ただ淡々と質問を投げ掛けてくる。
どうにもならなかったのかと俺に聞いてくる。
頭ではどうにもならないと分かっていながらも、それでも訪ねずには居られなかったレッドの気持ちを思うと、いっその事殴り掛かられて罵倒された方がマシに思えて来る。
「すまない・・・」
思わず、俺の口から謝罪の言葉が漏れ出てしまった。
そんな俺にレッドが言う。
「・・・しょうが無い・・・院長は運が無かったんだ・・・」
「・・・」
「それに、カイルには命を助けて貰ったからな・・・これ以上は良いよ」
そう言って笑みを浮かべるレッドの姿が、とても痛々しくて、俺は眼を背けてしまいそうになるが、必死に堪えてレッドを見詰め続けた。
「コレから如何するんだ?」
俺の事を気遣ったレッドが話題を変えようと質問してきた。
そんな風に気を遣わせてしまった事が余計に重くのし掛かるが、俺はレッドの質問に答える。
「敵の艦がまだ一隻残っている。先ずはソイツを倒さなければ始まらん」
「どうやって倒すんだ?」
レッドが投げ掛けてきた問い掛けは、単純であったが、その答えは途方も無く難しい物だった。
俺が言う答えというのは、この街の人々に更なる出血を強要するものであり、要するに死ねと言うも同然な物なのだ。
それ故に、俺の口は途端に重くなり、唇が固く閉ざされてしまう。
「・・・まあ、答えられないか・・・当然だよな」
俺は何もかもを見透かされている気分になった。
俺は迷っているのだ。
本当にこれ以上戦って良いのか、これ以上この街の人達を振り回して良いのか、迷っていた。
「よっ・・・!」
突然の事だった。
レッドはいきなり上体を起こすとベッドに座るような形で床に足を着け、フラつきながら立ち上がった。
「レッド!?ダメだ!まだ起きるな!」
勿論、彼の傷はまだ癒えておらず、安静にしていなければならないのだが、そんな事もお構いなしにレッドは部屋から出ようと歩き出した。
「レッド!?」
騒ぎを聞きつけたリシェが部屋の扉を開けて入ってくると、悲鳴の様な声でレッドの名を叫んだ。
「ダメですよレッド!まだ安静にしなくちゃ!」
「退いてくれリシェ・・・やらなきゃいけない事があるんだ」
そう言ってレッドはリシェを押し退けようとするが、リシェは少し下がると両手を広げて通せんぼをする。
「リシェ・・・」
「ダメだから!!絶対にダメだから!!」
「通してくれリシェ」
「絶対にダメ!!」
断固としてレッドを止めようとするリシェは、涙を浮かべて声を張り上げた。
「レッドは何時も自分勝手で・・・何時も私を心配させて・・・」
段々と語気が弱くなるリシェの言葉は、しかし、勢いに反比例するように強く響いた。
「私が・・・私がこんなに心配してるのに・・・大怪我をして、危ない目にあってるのに・・・なんで・・・なんで分かってくれないの・・・?」
「・・・レッド、安静にしよう・・・お前はまだ・・・」
「うるさい!!黙ってくれ!!」
流石に俺もレッドは安静にするべきだと考えて声を掛けるが、それに対して、レッドが声を張って遮った。
「・・・!!」
驚く俺を余所に、レッドとリシェの攻防は続いた。
「私は絶対に通さないから・・・」
「リシェ分かってくれ」
「私は!街の事なんてどうでも良いの!レッドが無事で居てくれていればそれで良いの・・・!」
「・・・」
リシェの悲痛な叫びは、俺がコレまでに聞いてきたどんな言葉よりも鋭く、それでいてレッドに対する愛に満ちていた。
それまで通せんぼをしていたリシェは段々と足に力が入らなくなり、床にへたり込んでしまうが、それでもレッドを見上げながら言葉を続けた。
「レッドは・・・レッドまで・・・私を置いていくの・・・?」
「・・・」
「お母さんも・・・お父さんも・・・院長先生も・・・皆、居なくなっちゃって・・・レッドまで居なくなるの?・・・そんなの耐えられないよ・・・」
震えながら、涙を流しながら、弱々しく、儚く、それでいてよく響くリシェの言葉にレッドは彼女を抱き締めながら囁いた。
「大丈夫・・・俺はどこにも行かない・・・お前を護るから・・・」
「れっどぉ・・・」
「だけど、今は行かせてくれ・・・じゃないとリシェを護れないから、俺が帰ってくる場所を護れないから・・・だから行かせてくれ。俺にお前を護らせてくれ」
一体何と言っていたのかは俺には聞こえなかったが、レッドの言葉を聞いたリシェは大粒の涙を流しながら笑みを浮かべていた。
そんなリシェの頬にレッドはキスを落とすと立ち上がって俺に向いた。
「さあ、行こうぜ・・・カイル」
正直、レッドの傷の具合は心配だったが、ここでダメだと言うのは流石に野暮と言う物で、仕方なしに、溜息をつきながら言った。
「仕様が無い・・・後悔しても知らないからな?」
「おう!」
そうして、2人で部屋を出て教会の外に出ると、港に向けて歩き始めた。
その道すがら、俺は思わず隣を歩くレッドに言葉を漏らしてしまった。
「・・・お前が羨ましいよ」
「?・・・何がだ?」
俺の言う事が分からないと言う風な反応を示すレッドに、俺は更に言葉を続ける。
「言ったかどうか忘れたが、俺には婚約者がいる」
「ああ」
「ただ、お前とリシェみたいに仲が良い訳では無くてな・・・彼女は俺の事が殊更に嫌いな様だ」
レッドは軽く相槌を打つ以外は、無言で俺の話を聞いた。
「何が悪いのか俺には分からないが、彼女は俺の事が兎に角気にくわないらしく、プレゼントや手紙を送ってみても何も返事は無い」
「美人か?」
不意にレッドが俺に訪ねてきた。
俺は、レッドの質問を聞くと同時に頭に彼女の姿を思い浮かべるが、それは二年以上前の姿だった。
「恐らく美人だろう」
「?何だ?その恐らくって」
「もう二年以上会っていなくてな・・・最後に見たのは共和国との戦争の後の戦勝パーティーだ。それ以来一目たりとも見てはいない」
「好きなのか?」
「分からん・・・親に決められた婚約者でしか無いし、その、親も対して本気では無い。好きか嫌いかと言う感情が良く分からんのだ」
多分、俺は既に狂ってしまっているのだろう。
俺には愛という感情が無いのではないかと思う。
それは、俺が生まれてから今まで、誰かに好かれると言う事も無く、顧みられると言う事も無く、人の愛と言う物に触れずに過ごしてきた日々が長すぎた故の事なのだと思う。
だから、未だに俺は人からの好意と言う物が良く分からず、人に対する愛と言う物も分からないのだ。
そう言う俺に、レッドが言った。
「じゃあ・・・少し想像してみたらどうだ?」
「何をだ?」
「その婚約者が他の男に取られる・・・例えばデートしてるとか、キスしてるとか・・・そう言う場面を思い浮かべてみたらどうだ?」
「彼女が他の男と・・・」
言われた俺は、直ぐにそれを実行する。
想像の中で彼女の姿を思い浮かべ、その隣に弟の姿を映してみる。
2人は仲睦まじそうに笑い合い、語らいを楽しんで、それからアルフレッドの唇が彼女の唇を塞いで、2人の身体が重なり合う。
その光景を思い浮かべた瞬間、俺は言い知れぬ恐怖や絶望や、何よりも強い怒りを感じた。
「・・・」
「今のお前の感情が全ての答えだよ・・・今のお前、凄い顔になってるぞ?」
そう言われて顔に手を当てると、眉間には皺が寄っていて、眼も何時も以上に細く鋭くなっているのが分かった。
何でこんな表情になるのか、なんでこんな感情になるのか、俺には分からず、段々と腹が立ってきた。
そんな俺にレッドが答えを示す。
「カイル・・・今お前がイラついてるのは、その婚約者の事が好きだからじゃないか?」
「好き?コレが?」
「ああ・・・好きでもない女の事なんてどうでも良い筈だろ?」
「ああ」
「なのに、お前は婚約者が他の男に取られるのを想像しただけでそんなんになってんだ・・・それは婚約者が好きだからじゃないのか?」
何となく、理論としては正しく、論理的に考えればレッドの言う事は最もな事なのだろう。
しかし、こんな気持ちが恋だとか愛だと言われると、俺は何だか微妙な気持ちになった。
「・・・コレが好きって言う気持ちなら、こんなのの何が良いんだ?」
そう呟いた俺に、レッドが言った。
「それは誰にも分からないな・・・多分、永遠に」
「苦しいだけなら、愛なんて要らないな・・・俺は」
そう言って俺は足を速めた。
後のレッドがニヤニヤと笑っている事にも気付かずに。
某漫画の様な事を言ってしまいましたが、オマージュやパロディと言う訳ではありません。




