六十五話 生と死と
背後でドサリと何かが倒れる音がした。
何かと思って振り返って見てみると、レッドがうつ伏せになって地面に倒れている。
「レッド!」
疲労があった所為で何が起きたのか一瞬追い付かなかった俺を余所に、いの一番に反応したリシェが走りより、レッドの身体を抱え起こした。
「レッド!レッド!」
リシェの悲痛な声を聞いて、漸く状況を理解する事が出来た俺は、直ぐにレッドの下へ走り、錯乱するリシェからレッドを無理矢理奪ってレッドの着ていた服を破って開けさせる。
「・・・」
泣きわめくリシェの声を背後に聞きながら、冷たくなった思考でレッドの身体を観察する俺の頭には、帝国でイヤという程見てきた光景が浮かび上がって来る。
「・・・リシェ・・・」
「喋るな・・・傷に障る」
弱々しい声を上げるレッドに黙るように言い、後を振り返って周りにいる男達に向かって指示を出す。
「医薬品を集めろ!良く切れるナイフとキツい酒もだ!早くしろ!!」
俺が怒鳴るように言うと、後で見守っていた連中が直ぐに動き出した。
慌てて使えそうな物を取りに四方へと散っていく連中を確認した俺は、今度はリシェに声を掛ける。
「リシェ!リシェ!!」
「っ!」
軽い錯乱状態だったリシェの肩を掴んで無理矢理に俺の方を向かせて呼び掛けると、グチャグチャになった顔で俺の顔を見た。
「リシェ先ずは落ち着け」
深呼吸をさせて落ち着く様に言い聞かせ、彼女が言う通りにしたのを見て、更に声を掛ける。
「良いか・・・レッドが助かるかどうかはお前に掛かってる。レッドを助けたかったら俺の言う事を聞くんだ。分かったな」
「レッド・・・」
リシェは錯乱していて俺の話を聞かず、埒があかないと判断した俺は、無理矢理にでも落ち着かせる為に、リシェの頬を平手で張った。
「っ!?」
突然の痛みに、頭が真っ白になって思考を止めたリシェに、俺は強い口調で言った。
「確りしろ!本当にレッドを死なせる気か!」
俺の言葉を聞いたリシェは震えながら小さく頷いた。
そんなリシェに俺は行動を指示する。
「良いか。先ずは服を着ろ。それから子供達を地下に移動させてくれ。院長はどうなっているんだ?」
俺が倒れている老女の事を聞くと、リシェはハッとした様に思い出して老女の方へと行った。
彼女が離れて直ぐ、俺はレッドに向いた。
「レッド・・・まだ生きてるか?」
そう訪ねると、レッドは眼を細めて笑いながら答える。
「・・・ああ・・・まだな」
「コレからお前を移動させるが、痛くても我慢してくれ」
そう言って俺はレッドの身体のしたに手を差し入れて持ち上げる。
矢張り痛みがあったらしく、顔を顰めるレッドに内心で済まないと思いながら俺は教会の方へと歩き出す。
「また・・・会いましたね・・・」
教会の入り口に近づいたところでリシェの肩を借りながら立っている老女に声を掛けられた。
老女は見たところでは流血等は無く、レッドよりは元気そうだった。
俺は老女に対して話し掛ける。
「院長、この教会には医薬品等はあるか?」
俺の問い掛けに対して、老女が直ぐに答えた。
「ええ・・・僅かですがあります・・・消毒もあるはずです」
「教会を含めてお借りする」
それだけ返して、俺はレッドを抱えたまま教会に入り、長机の上にレッドを寝かせた。
「リシェ!院長をここに置いていけ!お前は薬品を取りに行け!」
まだ混乱状態にあるリシェに対しては、少し強めの口調で行動を支持する。
そんな俺の言う事にリシェは確りと反応して、俺の側の椅子に老女を寝かせると、直ぐに奥へと駆けていった。
「・・・」
その間に俺はレッドの上着を脱がせて上半身を裸にし、傷の程度を見る。
「少し痛むぞ」
傷は二カ所にあり、一カ所は左腋の第二と第三の肋骨の間の刺し傷で出血も大した事は無く、どうやら骨に護られて深くまでは刃が入らなかった様だ。
「うっぐああ・・・!!」
傷口付近を触られて声を上げるレッドを努めて無視しながら傷を確認するが、もう一カ所は思っていたよりも酷かった。
「どう言う状態ですか・・・」
老女が俺にレッドの傷の様子を訪ねてきた。
その問い掛けに俺は直ぐに答える。
「かなり酷い・・・切れ味の悪い刃物で刺された後で捻られてる」
言いながら更に傷の確認を進めていると、何か違和感があった。
「コレは・・・」
傷口付近を指で触ると、明らかに骨とは違う固い物の感触が有り、少し力を入れると位置がズレた。
「グッ・・・!」
異物を触ると明らかにレッドの反応も大きく、俺は意を決して傷口に指を差し入れてみる。
「気を確り持てよ」
そう言ってから人差し指を傷口に入れると、最初僅かに身体が動いたかと思うと、一気に力が抜けてレッドが動かなくなってしまった。
「レッド?」
「・・・」
「如何したのですか・・・?」
心配になった老女の問い掛けに対して、俺はレッドの顔を見て、瞼を開けてから脈を取り、それから答えた。
「気絶してる。痛みが限界を超えたんだろう」
そう言って、気道だけは確保しようと自分のきている上着を脱いで枕代わりにレッドの首の下に敷いた。
「院長」
「何でしょうか・・・?」
「縫い物は得意か?」
俺の突然の問い掛けに対して、老女は怪訝に思いながらも答えた。
「え、ええ・・・人並みには・・・ですけど」
それを聞いて俺は安心する。
「一度レッドの脇腹を切らなければならなくなった」
レッドの脇腹の異物は、サーベルの刀身の先端部分で、刺された後に折れてしまい、体内に残ってしまったようだ。
幸いな事に、内臓などには当たってはいなかったが、完全に筋肉を突き抜けて身体の奥にまで入り込んでしまい、簡単には抜けなくなっている。
このまま放置すれば間違いなく内臓を傷つけ、或いは何処かの血管や神経を傷つける事になるだろう。
「・・・」
俺がレッドの脇腹を切ると行った瞬間、老女が絶句するのが分かった。
傷口は焼いて塞ぎ、麻酔は痛み止め代わりに使っているこの世界では、本格的な医術はまだ生まれていない。
魔法を使った治療は上級貴族や王族でしか行われて居らず、下級の貴族やある程度の金持ですら、利くか分からない医薬品で対応し、一般の庶民に至っては民間療法や祈祷するしか無いのだ。
それ故に、老女が受けた衝撃というのは凄まじい物だっただろう。
「持って来ました!」
そんは所へ、リシェが使えそうな物を持って来た。
持ってきた物は、ナイフと包帯、麻酔の入った瓶、良く分からない薬品類、消毒と言うなの酒だった。
「それで如何するんですか?」
そう問い掛けるリシェに対して、俺は次の指示を出す。
「裁縫道具を持ってきてくれ、それとお湯を沸かしてくれ」
「お湯?」
今一理由の分かっていないリシェだったが、素直に言う事を聞いて、再び奥へと走った。
その間に俺は行動を開始する。
まず、ナイフを手に取ると、刃に酒を掛けて祭壇に供えられている蝋燭の火で炙る。
それから傷口自体にも酒を掛けた。
正直言ってどれ程効果があるのか怪しい上に、さっき自分の手で触りまくった為に、今更感タップリだがやらないよりはマシと思う事にした。
「本当にやるのですか」
そう問い掛ける老女に対して、俺は何も答えず、精神を集中してレッドに向かう。
そんな俺を見て、老女も何も言わなくなり、ただ俺の手元を見詰めた。
「良し・・・」
一言呟いて、ナイフの刃先を傷口の側に当てて、ゆっくりと動かして皮膚を切り裂いた。
僅かな流血と共に切り開かれた皮膚の奥の皮下脂肪まで切り開く。
予想以上にグロテスクな見た目に、思わず気が引けてしまうが、それでも止めるわけには行かず、指で切り開いた部分を広げて次にナイフを入れる場所を見極める。
そこへリシェが入ってきた。
「お湯が沸きました!」
鉄の鍋に湧かした湯を持って此方に向かってくるリシェは、俺の方を見るや驚いて鍋を落として走り寄ってきた。
「何をやっているんですか!?」
噛み付かんばかりの勢いで俺に詰め寄るリシェだったが、それを老女が諫めた。
「リシェ・・・少し落ち着きなさい・・・」
「でも!」
「良いから落ち着きなさい・・・今はカイルさんに任せなさい」
「・・・」
老女に窘められたリシェはそれ以上は騒がず、落とした鍋を持って奥に下がった。
「助かりました」
俺が老女に礼を言うと、老女が返してきた。
「いいえ・・・貴方の為ではありません・・・貴方が助けようとしているレッドの為です・・・」
「そうか」
老女に短く返した俺は、再び集中してレッドに向いた。
再びナイフの刃先で慎重に切り込み、傷口を広げて体内に残されたサーベルの刃先を探す。
指を入れて探った時の感覚から、人差し指の第1関節と第2関節の間くらいの深さと考え、数回に分けて切り込みを入れる。
薄い皮下脂肪の更に奥に筋肉が有り、慎重に見極めながら筋肉の筋に沿ってナイフを入れた。
勿論、外科手術の知識も経験も持ち合わせている訳は無く、完全に自己流で進めているわけで、今の手順が合っているのか全く分からなかった。
それでも、異物を取り出すために作業を進めた。
「・・・!見えた・・・」
僅かな時間で神経をすり減らし、体力も消耗して眼が霞んできた時、遂に目的の折れたサーベルの刀身を見付けた。
かなり体格の良いレッドの腹の筋肉の更に奥まで刺さり、殆ど筋肉を突き抜けている状態で、内臓を傷つけずにいた事が本当に奇跡的な事だった。
「・・・!」
俺はリシェの持ってきた物の中に何か物を掴める様な物は無いかと探すが、使えそうな物は無かった。
下手に触ると滑ったりして更に奥まで入り込んでしまいそうで、中々手が出せない。
何か手は無いかと考える中、リシェが湯の入った鍋を持って現れた。
「お湯が沸きました」
「・・・包帯をその中に入れて暫く游がせろ」
包帯の煮沸消毒をする様に言いながら何か無いかと考えていた時、俺はある事に思い至ってリシェに訪ねた。
「リシェ・・・鍋つかみは有るか?」
「有りますよ?」
鍋掴み、もしくは、やっとこ等と呼ばれる金属製の物を挟む道具、要するにプライヤーとかペンチとか呼ばれる物。
以前にこの教会に来た時に薄い柄の無い鍋が有ったのを、湯が入った鍋を見た瞬間に思い出したのだ。
「リシェ!今すぐに鍋掴みを取ってきてくれ!」
慌ててリシェに言うと、リシェは直ぐに動き出し、再度奥へと走り、直ぐに戻ってきた。
「コレですか?」
そう言ってて渡してきた片手で扱う大きさのペンチの様な鍋掴みを直ぐに受け取ると、熱湯の入った鍋に暫く付けて消毒した。
「良し」
そして、異物の後端を鍋掴みで確り掴むと、ゆっくりと引き抜いた。
気を失っているとは言え、腹圧が掛かるために抜くのには結構な力が必要だったが、何とか異物を取り出す事に成功する。
「うわああ・・・」
血に染まったサーベルの刀身を見たリシェが声を上げる。
刺さっていたサーベルの刀身は、刃先の5cm程で、余り手入れをしていなかったのか、僅かな錆びと傷が目立った。
「後は塞ぐだけだ」
そう言って、老女に縫うように頼もうとすると、老女の異変に気が付いた。
「院長?」
俺が声を掛けても老女からは反応が返ってこず、肩を叩いてみても何も言わなかった。
「リシェ!レッドの傷を縫って塞げ!」
「ええっ!?」
俺は、明らかにおかしいと感じて、老女を抱え上げて机の上に寝かせると、リシェに指示を出しながら、老女の服をナイフで切って上半身を開けさせた。
今まで出血が無いのと意識がハッキリしているのとで異常は無いと思っていたのだが、それは間違いだった。
右の脇腹が紫色に変色していて酷い打撃痕が残っている。
顔が血色を失って蒼白く、異常な発汗と手足が冷たくなっている。
急いで脈を取るが既に脈は非常に弱く、口元に頬を近づけて呼吸の確認をするが、矢張り弱かった。
「・・・レ、レッドは・・・」
弱々しい声で老女がレッドの容態を聞いてくる。
「レッドは大丈夫だ。もう異物も取れて、リシェが傷口を塞いでる」
俺が答えると、老女は安心した様に微笑みを見せ、俺に言った。
「ごめんなさいね・・・少しキツい事を言ってしまって・・・」
「そんな事は良い、喋ると体力を消耗するぞ」
俺が言うと、老女は力無く首を振って言葉を返してきた。
「・・・もう、分かってます・・・助からないのでしょう?」
肝臓への強い衝撃による内出血、短時間での腹部の膨張や変色が見られる事からしてかなりの重傷のようだった。
何も打つ手は無い。
この世界のこの時代の医療技術ではどうにもならない。
俺の生きていた日本であっても、限りなく助かる確率は低いだろう。
「ごめんなさい・・・」
普通の人間ならば耐え難いほどの激痛が襲っている筈なのだが、老女は決して微笑みを崩さない。
「カイルさん・・・」
「・・・何だ?」
リシェがレッドの腹を縫い合わせているのを眺めていた老女が、俺に話し掛けてきた。
「少し・・・話を聞いて下さいね・・・」
「・・・」
「・・・貴方に初めて会った時・・・嬉しかったの・・・」
一体どういう事かと問い掛けたくなるのを我慢して、老女の話を黙って聞いた。
「貴方はあの人にそっくりで・・・あの人が帰ってきたと思ったの・・・」
「・・・」
「でも・・・やっぱりあの人と貴方は別人・・・だって、あの人は意気地の無い人だったから・・・」
あの人と言うのは、老女の恋人か夫か、それは分からなかったが、とても愛していたと言う事だけは伝わってくる。
最早、目が見えているのかも怪しい老女は、俺の方を向いて話を続けた。
「カイルさん・・・私の名前を呼んでくれませんか?」
そう言われた俺は、願いを叶えてやろうと口を開くが、それは最後まで達する事が出来なかった。
「カイル!!直ぐそこまで敵が来てる!!」
教会に飛び込んできた若い漁師の言葉を聞いて、俺は直ぐに外へと飛び出した。
「・・・頑張って・・・帰ってきて・・・」
そう呟く老女の言葉を聞く事は無かった。




