三十六話 家族
今、目の前のホールの真ん中では、落ち着いたグリーンの衣装に身を包んだリヒトと赤い騎士の制服姿のカリス殿の二人が、煌びやかなブルーのドレスを纏ったダリア皇女から勲章を受けている。
俺はと言えば、以前と同じ赤い詰め襟のジャケットと黒いズボンに拳銃の納められたホルスターとサーベルを提げて、ワイングラスを傾けながら、その光景を見ていた。
「残念ですね・・・」
「何がだ」
「本来なら君もあそこに立っている筈だったんですがね・・・」
不意に隣に立っていたエストが俺に話しかけてきた。
彼は、真ん中の三人に視線をやりながら、過ぎてしまった事を悔やむかの様な事を言う。
「まあ、しょうがない・・・それに、俺は寧ろここで良かったと思ってる」
エストの言っているのは、本来ならば俺も二人と一緒に叙勲を受ける筈だったと言う事だ。
実際、昨日までは俺も叙勲を受ける予定で式典の準備が進んでいたらしく、俺もその様に聞いていたのだが、今日になっていきなり予定が変更になってしまった。
俺としては、余り目立ちたくはなかったので何も思うところは無いのだが、エストを初めとする兵団の皆は不満があるらしく、あのアダムスも珍しく声を荒げていた。
今回の事についての、説明なども未だに成されていない事などもエストが不満の理由で、コレについては何があったか位は俺も知りたいと思っている。
「まあ、今は余り顔には出すな。俺達は一応国の代表として見られているんだ」
「・・・まあ、分かりました」
因みに、今回はアダムスとハンスは留守番で、兵団からは、俺とエストだけが参加している。
「おお・・・!」
ハンスト話し込んでいる間に叙勲が終わったかと思えば、周囲から感嘆の声が上がった。
一体何かと思って、周りが注目するその先に視線をやると、そこにはこの間会ったばかりの二人の皇女と、見慣れない長身の美丈夫がいた。
アイリス皇女はフリルの着いたやや青みがかった白いドレスに身を包み、エスペリア皇女は飾り気の無いシンプルな青いドレスで、どうやら姉妹でドレスの色を揃えたようだった。
二人の隣に立ち、エスペリア皇女をエスコートしている美丈夫は、赤みがかった髪と揃えた朱色のコート姿で、腰には豪奢なドレスソードを佩いていた。
「如何しますか?」
俺が皇女達を眺めていると、エストが少しニヤけた顔で訪ねた来た。
「どうもしない」
極短く、そう言うと、エストは、あからさまに残念そうな表情を見せてきて、俺の顔をジッと見詰めてくる。
「・・・」
「・・・挨拶に行かないんですか?」
尚も表情を崩さないままでいると、エストが俺に挨拶に行くように促してきた。
「特に必要なかろう。俺達の順位では挨拶所では無い。それに、俺達は外交官でも無い」
そうして、エストとのやり取りを続けていると、段々と周囲がざわつき始める。
何事かと思いながら持っていたワインをあおると、そのざわめきが段々と近付いて来ていることに気がついた。
「ここにいたのかカイル」
そして、気が付けば目の前にダリア皇女が現れて、声を掛けてきた。
俺は、余りの事に軽く意識を失いそうになりながらも、何とか持ち直すと、仕方が無く皇女に礼をしようとしたのだが、それを皇女自身が遮った。
「カイル、私達の仲にその様な堅苦しい挨拶などいらん」
そう言って、膝を折ろうとした俺の肩を掴んで無理矢理立たせると、今度は手を掴んでホールの真ん中まで引っ張っていった。
「カイル殿」
連れて行かれた先では、申し訳なさそうな表情のカリス殿とリヒトがいて、更に二人の皇女と美丈夫が近づいてきていた。
「すまないカイル殿、私では殿下は止めることが出来なかった」
そう口にするカリス殿に対して俺は答える。
「いえ、仕方がありません。ダリア皇女がこう言う方なのは知っています」
最早、ダリア皇女のなすことに対しては、抵抗する気すらも失せてしまい、ただ、無力感に包まれるだけだった。
「カイル殿先日は・・・」
「言うな、先日の事はもう良い。もう、終わったことだ」
次に声を掛けてきたのはリヒトだった。
俺は、リヒトが何かを言おうとした瞬間に先んじて声を被せて、彼の言おうとした事を聞かない様にした。
「俺はこれ以上蒸し返すつもりは無い。お前もこれ以上は何も言うな」
「・・・分かりました」
リヒトとのやり取りを見て、ダリア皇女は何があったのかと聞きたそうにしているが、流石にこの事は話すつもりは無い。
リヒトとも皇女には言わないと暗黙の内に取り決めて、皇女に向いた。
「それで、一体何の御用でしょうか」
俺が聞くと、皇女はニヤリと笑って答えた。
「何、親友と妹の為に一肌脱ごうと思ってな」
ダリア皇女が、そう言ったタイミングでエスペリア皇女達が俺達の所に到着し、エスペリア皇女が先頭となって淑女の礼を取った。
俺はリヒトとカリス殿と一緒に返礼をして、召使いの運んできたワインを受け取った。
「さて、ここで紹介をしなければならない者がいるな」
口火を切ったのは、ダリア皇女だった。
皇女は、美丈夫の近くに寄ると、その紹介を始めた。
「カイル、この男はミーシャだ」
皇女が、そう言ったのに続いて男が名乗りを上げる。
「お初にお目に掛かります。リトビャク侯爵家が長子、ミーシャ・リトビャクと申します」
「コレは挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。私はアウレリア王国中佐、カイル・メディシアと申します」
俺は、この挨拶を躱している際、ミーシャ・リトビャクの顔を見て、僅かな既視感を覚えていた。
しかし、その既視感の正体は直ぐに判明することとなる。
「先日はどうも、我が妹がお世話になった様ですね」
爽やかな笑みを浮かべながら言う、彼の言葉を聞いて、俺はこの男の妹が誰なのか思い至り、何となく、この男の事が好きになれそうに無いと感じた。
取り敢えず知らんぷりでもしておこうと思って口を開くが、それを遮る声が掛けられた。
「ここにいらっしゃったのですかお兄様」
「ああ、ミカエラ来たのか」
「ええ、たった今着いた所です」
ミーシャの妹ミカエラは、兄と言葉を交わした後、ダリア皇女達に向き直り、とても優雅な所作で挨拶をする。
これだけを見れば、とても先日と同じ人物とは思えない様子であるが、俺の顔を見た途端に、明らかに不満そうな顔で俺に礼をした。
「・・・どうも」
本当に礼なのか疑わしい様な態度を取る彼女に対し、俺も相応に礼を返す。
「おう」
その瞬間、場の空気が一瞬にして凍り付いた様な、張り詰めた空気が漂いだした。
「そ、そうだ!カイル、兵団の様子はどうなんだ?」
慌ててダリア皇女が俺に話を振ってきたのだが、その話題は不味かった。
「そうですね・・・やはり練度不足だと感じる事が、ままあります。コレまでは基本教練中心の訓練でしたが、これからは体力錬成を中心に部隊の練度の向上を狙っていくつもりです」
「そうか・・・アレでもまだ不十分なのか?」
「ええ、まだまだです。それに、これから新たに新人の募集を掛ける事も考えると、より一層厳しくしていかなければいけません」
「そう言えば、たまに街の外で訓練をしている様だな」
「はい・・・その事なのですが、最近我々の訓練の見学に来ている方々が近くに来すぎているのですが、如何したものかと思っているのです」
俺がそう言うと、ミカエラ嬢が言葉を発した。
「そもそも、訓練などやらなければよろしいのでは無いですか?」
そう言った、彼女の眼には俺に対する憎悪の様な物が見て取れた。
「私としては、あの様な野蛮な行為は控えて頂きたい物です」
けんか腰な彼女の態度に内心でイラつきを覚えた俺は、それを隠しもせずに反論する。
「いえ、軍人たるとしては日々の訓練を厳かにする訳にはいかないのですよ・・・まあ、頭の中にお花畑が存在している方には分からないと思いますが」
「・・・っ!誰がっ!」
彼女は俺の言葉に即座に反応して噛み付いてくるが、俺は彼女が何かを発する前に、更なる攻撃を仕掛けた。
「何ですか?私は別に、貴女に言った訳ではありませんよ?それとも自覚があるのですか?」
「っ~!!」
「まあ、言われ無くても察せる程の頭が無くては本当に困るのですがね」
遂に彼女は顔を真っ赤に染めて怒りを露わにし、身体を震わせながら両手でスカートを握りしめていた。
この状況にダリア皇女は珍しく冷や汗を流し、リヒトが何とかミカエラ嬢をなだめようとしている。
アイリス皇女はカリス殿が空気を読んで、場から離し、エスペリア皇女もそれに着いていった。
そして、ミーシャ殿はと言えば、ノホホンとして静観しているだけだった。
「何なんですの!貴方はっ!!先日と言い今日と言い、私に対して無礼な態度ばかり取って!!何故、貴方のような野蛮な無能が・・・!!」
そこまで言った後、彼女は自分の口にした事に気が付いて、それ以上の言葉を続ける事無く、視線をそらした。
見れば、ダリア皇女も気まずそうにしていて、リヒトやカリス殿も何か含みのある様子だった。
俺は、彼等の様子を見て、ある考えが思い浮かんだ。
「無能の俺が・・・何ですか?」
「・・・」
一歩近づいて、ミカエラ嬢に訪ねると、彼女は視線をそらし、俺の方を見ないようにした。
そこへ、俺が最期の一言を言う。
「何故、俺が叙勲されるのか・・・ですか?」
「っ!!」
驚いて、俺の方を向いてしまったミカエラ嬢と視線を下に向けて俯くリヒト。
コレが決定打だった。
彼女は俺が叙勲から外された原因を知っている。
もしくは、彼女自身が俺が叙勲から外された原因そのものなのでは無いかという確信が持てた。
その時、今まで黙っていたミーシャ殿が口を開いた。
「カイル殿を叙勲から除外したのは僕たちの父だ。そして、そうするように頼んだのが妹だ」
ミーシャ殿はそう言うと、深々と腰を折って頭を下げて謝罪の言葉を述べる。
「貴方には大変申し訳の無い事をしてしまいました。残念ながらリトビャク家としての公式の謝罪は出来ませんが、せめて、私の自己満足の為に謝罪する事を許して頂きたい」
そう言って頭を下げ続けるミーシャ殿に俺は近づいて行き、彼の両手を取って、その掌を広げさせて確認した。
「頭を上げて下さい」
「・・・しかし」
俺が頭を上げる様に言っても彼は聞かなかった。
だから、俺は彼の方を掴んで無理矢理に頭を上げさせた。
「謝罪の言葉は受け取りました。だから、これ以上は止めて下さい。でないと、私の方が申し訳なくなります」
「カイル殿・・・」
「ミーシャ殿、貴方は戦いに参加したかったのではありませんか?」
「何故?」
「貴方の掌の皮は、とても厚く硬く、それでいて血豆の痕が沢山ある。にも関わらず、今の貴方の掌には真新しい血豆の潰れた痕が残っています。コレは、随分無理をして剣を振るわなければ到底出来ない物だ」
ミーシャ殿は俺の話を黙って聞き、周りも同じく何も言わずにいた。
そんな中で俺は更に言葉を続ける。
「しかし、貴方の様子からして戦闘に参加した気配は無い。これ程の修練を積んだ方だ、その力を使う事が出来なかったと言うのは実に悔しかったでしょう」
「・・・」
「だから、貴方はこんなに成るまで剣を振るい続けた・・・悔しさを抱きながら」
俺の言葉を黙って聞く内に、段々とミーシャ殿の方が震えだした。
そして、彼は、それまで何も言わずに閉じていた口を開いて自身の思いを口にし始めた。
「私も貴方の様に戦いたかった・・・鍛えたこの力を存分に振るいたかった・・・っ!!」
絞り出すように、悲痛な思いの籠もった彼の言葉には、途轍もない重みがあった。
「今、振るわずして、一体何時、この力を使うのかと・・・何のために鍛えてきたのかと・・・ずっと思っていた・・・!!」
「・・・」
「私は戦いたかった!!戦って!敵を殺して!武功を上げて!・・・そして、私は英雄になりたかった・・・」
「ミーシャさん・・・」
思いの丈を叫ぶように吐き出したミーシャ殿の肩にリヒトが手を置いて、彼に声を掛けるが、その跡の言葉が続かなかった。
そんなリヒトにミーシャ殿が言う。
「リヒトくん、私は、君のことが憎かった・・・」
「え・・・?」
「君は何時も、私のやりたかった事をしてきた。君は常に成し遂げた事で賞賛を浴びてきた・・・そんな君の事が、私は嫌いだった・・・」
驚いて固まるリヒトを余所に、ミーシャ殿は言葉を続け、一瞬、間をおいて再び口を開いた。
「だけど・・・あの日、カイル殿が泥だらけになって帰ってきたのを見た時、私は、自分の小ささを思い知らされた」
「それは・・・どう言う?」
リヒトが、震える声でミーシャ殿に訪ねた。
そのリヒトの問い掛けに、ミーシャ殿は一度リヒトに微笑みかけてから答えた。
「思ったんだ・・・きっと、リヒトもカリスも・・・そしてカイル殿も、私のを有象する以上に苦労したのだろうと。それと同時に、私は自分には覚悟が足りていなかったとも実感したんだ・・・死の覚悟を・・・ね」
「・・・」
「・・・」
多くの人達が、勘違いしていると俺は思っている。
俺達の胸に輝いている勲章は、決して栄光とか希望とかそんな、カッコイイ物を象徴しているんじゃ無い。
何故ならば、俺は勲章を貰うために、何人も敵を殺して、何人も部下を死なせて、自分自身も何度も死にかけて、泥まみれの傷だらけになって、それでやっと渡された、ただの石が付いたバッジでしか無い。
きっと、皆が勘違いしている。
ここの勲章は、沢山の死や絶望を吸い込んで輝いているのだと、俺は思っている。
俺は、何となく今までの戦いの事を思い出して、勲章を胸に受けた時の事を思い出していた。
その時、ミーシャ殿が俺に向かって話しかけてきた。
「カイル殿・・・御願いがあります」
「何か?」
「どうか、妹を責めないでやって頂きたい」
「・・・」
「何を言うかと思うでしょうが、どうか御願いします。妹は、まだ子供なのです。優しい子なのです・・・どうか・・・」
彼は、そう言って再び頭を下げた。
「お兄様!」
俺が何も答えずに、ミーシャ殿の言葉を聞いていると、ミカエラ嬢が割って入ってきた。
彼女は、ミーシャ殿と俺の間に立ち、俺の方を向いて、確りと俺の眼を見据えてから言った。
「大変、申し訳御座いませんでした」
そう言って彼女は、深々と頭を下げて、コレまでの無礼を詫びた。
「この程度の事で許される事では無いと分かっていますが、私にはこれくらいの事しか出来ません」
「・・・」
「本当に申し訳御座いませんでした」
「カイル殿・・・妹は私の為に・・・」
「ミーシャ殿」
俺は、ミーシャ殿の言葉を遮って、頭を下げ続ける兄妹を見下ろした。
そして、言葉を続ける。
「ミーシャ殿・・・貴方の家族はとても貴方を大事に想っていますね」
俺がそう言うと、二人が揃って頭を上げて俺を見詰めてきた。
「私は、仲の良い家族と言う物が良く分からないのですが・・・今、貴方の家族を羨ましく思います」
「カイル殿・・・」
「これ以上、私に頭を下げるのは止めて下さい。私は勲章の事については大して思うところもありませんし、これ以上あなた方に頭を下げさせていたら、私の方が悪者になってしまいます」
二人とも忘れているかもしれないが、今はパーティーの真っ最中なのだ。
さっきから、周りの視線が痛いほどに付き刺さってきていて、この空気でこれ以上の事を言う度胸は俺には無かった。
「ミーシャ!ミカエラ!」
人混みの中から、兄妹の名を呼びながら向かってくる男がいた。
上品な紫のコート姿の丸々とした中年の男は、二人の下へと歩いてくると、二人の前に立って俺に向かい、言葉を掛けてきた。
「リトビャク家当主イーゴリー・リトビャクだ。この事については後日改めて機会を設けさせて頂きたい」
彼は俺の眼を確りと見据えて、そう言った。
それに対して、俺も手早く答える。
「私はそれでかまいません。直近の予定を空けておく事にします」
「感謝する」
短いやり取りを交わして、イーゴリー侯爵は二人の手を掴んで、足早に会場を去って行く。
俺も、空気に耐えられなく成ってきて、楽団が演奏を始めたタイミングで、ダリア皇女に申し出て会場を立ち去った。
「どうなるんだろうね」
帰り道、馬の背で揺られながら、エストがそう呟いた。
「さてな・・・まあ、悪い事にはならないだろう」
俺がそう言うと、エストが返してきた。
「それは、考えが甘過ぎじゃ無いかい?」
「そうかもしれん・・・だが、余り悪い事は今は考えたく無い気分なんだ」
「そうかい」
あの時の、侯爵の眼は印象深かった。
二人を護る様に立ちはだかり、鋭い眼光で威嚇してきた侯爵は、正に父親と言う存在を表している様で、俺はそんな父親を持つ二人が羨ましく想ってしまった。
「・・・俺もまだまだガキなのだな」
「何か言ったかい?」
口を吐いてしまった呟きを、エストは聞き返してきたが、俺は何も答えずに、暗い夜道をヘンリーの背で揺られながら帰った。




