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百三十一話 失敗した

 時刻は太陽が僅かに頭上を越えた頃、青く抜けた空には雲一つ無い。

 視界を遮る物の存在しない平野の向こう側で、緑色の軍服の集団が屯して此方を睨む。

 今から一時間程遡って、特に示し合わせた訳でも無いのに此方と彼方は同時に部隊を前進させ、そして、示し合わせたかの様に同時に止まった。

 両軍陣営の距離は凡そ400m、敵は装備している軽砲の射程にまで陣を進め、此方は歩兵部隊の攻撃の為に陣を進めた。

 我が方の戦列は歩兵部隊の横隊の右翼に親衛騎兵大隊とレンジャーを置き、左翼に義勇騎兵大隊を置いた。

 ここから見える限りの敵の戦列は、最右翼に砲兵を置き、中央の歩兵部隊は層の厚い縦隊で、此方の右翼に合わせる様に左翼にパイク兵を配置している。


「レンジャーは行動を開始しろ」


 初手、俺はリゼ大尉に任せたレンジャー大隊に戦闘の開始を指示した。

 戦闘の当初、ライフル散兵部隊であるレンジャーが敵部隊を射程に収める200m以内まで接近する。

 全く無防備な歩兵部隊の前進には、砲兵及び散兵による支援は欠かせず、砲兵の居ない此方はレンジャーに頼るしかない。


「敵砲!発砲!」


 此方の行動開始を見て、敵は迎撃行動に出る。

 4門の軽砲を此方に向けて放った。


「敵弾来る!!」


 弾速の遅い野砲の砲弾と言うのは、ある程度距離が離れていると、飛んで来るのが判る物で、だからと言って、避けようと思って避けられる物では無く、ゆっくりと近付いてくる砲弾がむしろ恐怖心を煽る。


「着弾!!」


 4発の砲弾は、その全てが此方の戦列の直ぐ側に落ちた。

 その内の1発は、第二大隊の直ぐ目の前に着弾し、バウンドした砲弾が数人の兵士を弾き飛ばしてしまう。


「ぎゃあああああ!!!」


 死傷者は三人。

 二人は命中した砲弾によって即死だったが、その後に居た一人が、足下に跳ねて来た砲弾を喰らって右脚が千切られてのたうち回る。


「衛生!!」


 第二大隊では死んだ兵士の死体と負傷者を後に引き摺って移動させると、直ぐに後の兵士が前に詰めて不動の姿勢を取る。

 負傷兵は、直ぐに応急処置として千切られた脚をキツく縛り、近くに来て居た衛生兵によって後送の準備が行われる。

 この後、彼は全身を抑えられた状態で脚の切断面を鋸で切り落とした後、止血と縫合が行われる。

 それでも、一週間後に生きていられるかは判らない。


「・・・」


 改めて、恐ろしい場所だと言う感想が浮かぶと同時に、そんな恐ろしい光景を目の当たりにしても尚、一切動じない兵達を心強く思う。


「着け剣」


 歩兵全隊に着剣を命じた。

 すると、兵達の顔立ちが一段と引き締まって、緊張と昂揚の雰囲気が流れ出す。


「歩兵部隊前進」


 努めて抑揚の無い様に、部隊に前進を命じた。

 右から順に、擲弾、第一、第二の三個大隊は四列縦隊で前進を開始、音楽隊の鼓笛のリズムに合わせて行進を始める。

 行進速度は毎分約50m、担え銃の構えで歩き出す。

 この時、俺はヘンリーを降りて、右手にはサーベルを持って、第一大隊の隊列の前に立って歩みを進めた。

 指揮官が前線に出ると言うのは、宜しくない事だと言うのは、頭では理解しているつもりだが、それでも、俺は出来る限りは兵達と一緒に泥と血と汗に塗れたいと思っている。

 そうでないと、俺は自分の事が許せなくなってしまって、何時か潰れてしまうのだと思う。

 俺は状況が許す限りは、自分も命を張って戦いたい。

 それが、先に逝った仲間達へのせめてもの償いと思っているし、コレから俺を置いて逝ってしまう仲間達への贖罪だ。

 それも、愚かな自己満足でしか無いのだとも理解している。


「レンジャーが攻撃を始めたぞ!!」


 直ぐ近くに居た第一大隊の一中隊の士官が叫んだ。

 レンジャー大隊は既に敵を射程内に収めて射撃を開始している。

 恐らく、現時点で世界一のライフル兵で在ろう彼等の射撃支援は、凄まじく心強いもので、この射撃によって敵の砲兵が被害を恐れて後に下がった。


「全隊攻撃前進」


 次いで、俺は部隊に対して攻撃前進の指示を出す。

 合図のためにラッパ手がラッパを吹くと、鼓笛のリズムが速さを増す。

 兵達は、即座に体勢を変え、大股で歩く脚を早め、肩に担っていた銃を、銃口を敵に向けた状態で腰に当てて保持した。

 毎分60mにまで加速した赤いコートの戦列は、敵前60mにまで接近する。


「構え!!」


 敵の士官が叫んだのが聞こえた。

 既に追い越したレンジャーは既に射撃を中止しており、ここからが俺達歩兵の本当の仕事の時間だ。


「狙え!!」


 敵の銃兵が射撃の準備を整えた。

 最前列が片膝を突いた姿勢を取り、その後ろの列が前列の兵の頭上から銃を構える。


「撃て!!」


 連続した乾いた破裂音が鳴り響き、直後に、俺の近くを歩いていた兵士が足下から崩れ落ちる。


「・・・」


 俺は倒れた兵士の事が気になりつつも、それでも前を向いたままで歩き続ける。


「第二射!!撃て!!」


 また直ぐに敵の方から銃撃を受けた。

 先程よりも距離の近づいた状態で受けた斉射は、更に多くの兵士を捉えて撃ち倒す。


「・・・っ!」


 右の脇腹が熱い。

 敵の弾が掠めた様だ。

 歯を食いしばって声を上げるのを我慢しながら、少し凹んできた腹を見ると、赤黒い染みが広がり始めていた。


「っ!俺に続け!!!」


「「「応っ!!!!!」」」


 俺が叫ぶと、直ぐに威勢の良い返事が返ってくる。

 その声が、俺の痛みを和らげて、力の抜け掛かっていた脚に再び活力が漲って背筋が伸びた。


「撃てっ!!!」


 上ずったような敵の士官の号令が俺の見物奥を揺さ振った。


「怯むな!!!」


 今度の射撃でも兵達がバタバタと倒れて地に伏す。

 だが、倒れた兵達を見ても、他の者は物怖じせずに前に詰め、撃たれた者も立ちあがれる者は直ぐに立ちあがって俺達の後に続こうとしていた。


「・・・っ」


 涙が溢れそうになる。

 これ程までに俺に尽くして、俺に従って、俺を信頼してくれているのだと思うと、溜まらなく涙が溢れそうになる。


「止まれ!!!」


 だから、自然と俺の指示を出す声も大きく成っていた。


「射撃用意!!!」


「射撃用意!!」


 俺の指示の後に直ぐ、復唱の号令が各隊から上がる。

 敵との距離は僅かに15m、敵の兵士の脅えた表情も、四方八方に游ぐ眼球も、確りと見える距離。

 これ程までに第一撃から接近したのは初めってかもしれない。


「構え!!!」


 最前列が片膝を突き、第二列が立ったままで射撃の姿勢を取った。

 敵戦列では、必死になって部下達に装填を急がせる士官達の焦りと恐怖を孕んだ声が上げられている。

 無駄だ。

 あの兵士達の装填までは後、20秒は掛かる。


「狙え!!!」


 この距離なら外す方が難しいだろう。

 ズラリと列んで、震えもしない銃口を前にした彼等は、一体どんな風に思うのだろうか。

 そんなどうでも良い事を考えながら、俺は見気手に握るサーベルを振り上げて、そして、サーベルを振り下ろすと同時に、怒鳴る様に号を発した。


「撃てぇっ!!!」


 一つに連なった重厚な銃声が木霊する。

 最初の射撃は立ち撃ちの第二列が行い。

 第二列は射撃後に第三列と交代する。

 その間に、第一列が射撃を行い。

 その後、第三列が射撃を行う。

 各列は射撃終了と同時に直ちに装填に入り、大凡20秒ほどで装填が完了し、それと同時に射撃に入る。

 何時も通りに、鍛えに鍛えた内の連中だけに許された最強の火力投射。

 余りにも強力な殺意の塊が、波の様に打ち寄せて敵を襲い。

 その度に、まるで草刈り機で薙ぎ倒す様に敵の戦列から兵士が倒れて行く。


「撃ち続けろ!!敵に反撃の隙を与えるな!!」


 敵も然る者だった。

 既に六度は斉射を浴びせているにも関わらず、頑強に耐えてその場に踏み止まってみせる。

 この至近距離で、コレだけ浴びせてやれば、波の連中ならとっくに潰走している所だが、それでも耐えて見せたのには、些か驚いた。


「っ!!パイク兵!!突っ込め!!!」


 動いたの敵の左翼だ。

 敵の左翼に居たパイク兵が此方目掛けて突っ込んできた。

 彼等パイク兵は、並々なら無い訓練と経験に裏打ちされた本物の兵士で有り、精鋭足る自負を持っている。

 あの長いパイクを扱うには高い練度が必要で有り、また、度重なる攻撃にも怯まない胆力も素晴らしい。

 彼らは、間違いなく精鋭だった。

 だが、彼らの穂先を揃えて殺到する先に居るのは、常に俺の無茶ぶりに従い、如何なる困難も、どの様な苦難も乗り越えてきた命知らずの兵共だ。


「擲弾大隊!!奴等を叩き返すぞ!!」


 エストがレイピアを抜き放った。

 擲弾の軍旗が翻って風に靡く。

 白兵戦ならばと、そんな淡い期待を懐いたのが、彼らの最大の過ちだ。


「擲弾!!突っ込め!!」


 擲弾は白兵戦は大の得意だ。


「射撃止め!!」


 俺は射撃中止の号令を出す。

 それから左手でベルトに挿したトマホークを抜いて続ける。


「全隊突撃に!!」


 俺の声に従って、突撃の体勢に入る。


「突っ込め!!!」


 叫ぶと共に、俺は駆け出す。

 サーベルを振り上げていの一番に走り出して敵に向かう。


「「「おおおおおおおおおおおお!!!!!」」」


 背後からは直ぐに鬨の声を上げた兵達が続いて来る。


 敵の戦列は最早、体を成して居らず。

 潰走していないのだけが奇跡だった。


「っ!!!」


「ひぃっ!!」


 一番手近な兵士に向かうと、悲鳴を上げて崩れた。


「!!」


 情け無く尻餅を着いたその兵士の眼の奥には、笑みを浮かべた形相の自分が写っている。

 そんな自分の姿を見ながら、俺はサーベルを振り下ろして、首を撫で切りにした。

 滑る様に、日焼けした首を刀身が切り裂き、動脈を切断して血飛沫が上がる。


「っつああああ!!!」


 その血飛沫の向こうから銃剣を構えた敵が突っ込んでくる。


「っ!!」


 突き出された銃剣をトマホークで払い。

 それから一歩踏み込んだ俺は、前蹴りを腹に喰らわせてやる。


「ぐっ!!!」


 仰向けに地面に倒れた兵士に留めを刺そうとすると、俺の脚を何かが掴んだ。


「ひ!ひがはが!!!」


 さっき斬った兵士は死んでいなかった。

 何を言っているのかも判らない様な声を上げて、俺の脚にしがみ付いて仲間を助けようとしている。


「死ね」


 俺は足下の其奴にもう一度サーベルを振り下ろした。

 もう一撃首を切り裂かれた男は、今度こそ息絶えて地に伏し、俺の脚を掴む腕からも力が抜けた。


「団長!!」


 数人の兵士が俺を囲んだ。

 仲間が追い付いたのだ。


「無事ですか!!」


「大事ない!!一気に突っ込め!!」


 案じる声に応えて、それから直ぐに攻撃を命じる。

 そうすると、仲間達は従って敵に掛かっていく。


「小隊長は部隊を掌握しろ!!集団で押し進め!!」


 敵の兵士が個人個人で戦うのに対して、此方の部隊は白兵戦になると、小隊毎に纏まって戦う。

 小隊では更に細かい分隊毎に別れて行動して相互に援助し、常に正面以外に敵が居ない様な状態を作る。

 ここまで教育するのは大変な事だったのだが、しかし、それ故に、兵団は白兵戦になっても数で押されると言う事が無い。


「各中隊は戦闘を継続!!相互に援助して押し進め!!」


 正直に言って、失敗したかもしれない。

 突撃に入るタイミングが早かった。

 もう少し射撃戦を続けるべきだったと、敵の兵士と切り結ぶ最中に感じる。


「ハンス!!第二大隊でラインを確保しろ!!」


「分かりました!!」


 敵の深い縦隊の所為で、思ったほどには射撃による打撃を与え切れていなかった。

 パイク兵の突撃に引き摺られる様に此方も白兵を挑んでしまったが、今の状況を見ると、アレは明らかに誤りだ。

 あの状況で俺はもう少し我慢強く辛抱して、射撃を続けるべきだった。


「っ!」


 戦闘の最中、目の前の一人をトマホークで仕留めると、急に視界が空き始めた。


「部隊前進!!!」


 それまで戦っていた敵の兵士が捌けていくと、隊伍を整えた敵部隊が、此方に向けて前進してくる。


「敵の逆襲だ!!各中隊!!射撃用意!!」


 今からでは戦列を整えるのは間に合わない。

 俺は中隊毎の迎撃を指示して、近くの中隊に入った。


「撃て!!」


 距離凡そ10m、敵の斉射は二度行われた。


「各隊長は隊を掌握しろ!!」


 ここまで全く怯む事を知らなかった俺の兵士達にも、大きな動揺が見られる。

 しかし、見渡す限りでは、部隊の被害は思ったほどでは無かった。

 至近距離とは言え、部隊毎の間隔が離れていた事が幸いしたのか、実質的な被害と言うのは想像を下回る。

 とは言え、敵の斉射に怯んでしまったのは確かだった。


「突撃!!!」


 射撃で崩された所に、敵による逆襲の突撃が敢行された。


「迎え撃て!!撃てる奴は撃て!!」


 疎らな銃声が敵の怒声に掻き消されて、部隊が分断されて乱戦に入る。

 数で劣る此方は、乱戦で各個に撃破されれば為す術は無くなる。


「っふう!!」


 俺は目の前に来た一人をサーベルで斬り殺す。

 突き出してきた銃剣を潜る様に躱してから、擦れ違い様に腹を一閃で薙いでやると、汚物を撒き散らしながら、膝を着いて崩れる。

 ベットリとした血と脂が刀身に張り付いていて、刀を振って血糊を払う。


「怯むな!!格の違いを見せ付けてやれ!!」


「「「応っ!!!」」」


 鼓舞するために声を上げて、それから俺は新たな敵に斬り掛かる。


「ハアアッ!!」


 上段からサーベルを振り下ろして脳天を割り、息絶えたソレを足蹴にして刀を抜く。


「死ねぇっ!!」


 直ぐ様、右側から突っ込んできた敵は、サーベルで銃剣を受け、下に切り払って懐に入る。


「フッ!!」


 トマホークを持ったままの左手で襟首を掴み、強引に背負い投げの要領で地面に叩き付ける。

 強く打ち付けられた敵は、頭を打ったのかそのまま気絶してしまい、俺は直ぐに離れて次に備える。


「ああああああ!!!」


 まるで休む暇が無い。

 次から次へと、まるで街灯に群がる羽虫の様に敵が殺到してきて、どれだけ殺しても切りが無い。


「つぇあ!!」


 襲い掛かって来た一人にトマホークを首の辺りに叩き付けてやると、其奴は最後の力と言わんばかりに、両手で俺の左腕を掴んだ。


「っ!?」


「貰ったぁあああ!!!」


 そこに別の兵士が向かってくる。

 完全に取った気で居る其奴は、確実に仕留めようとしてか、慎重に近付いて来て銃剣を構える。


「ニィイイ!!」


 ニヤついた顔の其奴は、勝利を確信して銃剣を俺に向けて突きだした。


「っ!!おおおおおおおお!!!!」


 俺は渾身の力を込めて掴んでいる兵士ごと左腕を持ち上げ、息絶えかけた敵の兵士を楯にして前に出す。


「ッフグ!!」


 背中に味方の銃剣を刺されて呻き声を上げると、俺の腕を掴む力が弱まった。


「ッフ!!」


 鋭く息を吐きながらサーベルで首を跳ね飛ばし、次いで、味方を刺した事で固まっていたもう一人に斬り掛かる。


「ハアッ!!」


「っ!?」


 あと少しで頭をたたき割っていたと言うところで、奴は銃を掲げてサーベルの刀身を受け止める。

 相当に力が入っていたのか、それともただ単に酷使しすぎたのか、銃身に当たった瞬間に、サーベルの刀身が中程から音を立てて折れた。


「っ!?」


 咄嗟の事だった。

 サーベルが折れた咄嗟に、俺は敵の兵士に覆い被さる様にして絡み付いて、折れたサーベルを無理矢理脇腹に突き刺して捻る。


「ッッッ!!!ガッ!!!」


 激痛に悲鳴を上げながら悶える敵のその首を押さえて、俺は力一杯に拳を振り下ろす。

 そうして五発ほど殴った当たりで、兵士は動かなくなり、俺は立ち上がって死体に刺さったままのトマホークを回収した。


「・・・」


 少し惚けた様に棒立ちになってしまった。

 その瞬間に、やけにスローモーションになった視界の中で、ハンスが俺に目掛けて怒鳴っているのが眼に入る。


「若様!!!」


 次の瞬間、妙に大きく一発の銃声が俺の耳を劈いて、俺は背中に酷い衝撃と痛みを受けた。

 心配そうに泣きそうなハンスの顔が見える。


「ハ、ハンス?」


 脚に力が入らない。

 バランスが保てない俺の身体が、重力に負けて地面に倒れ込んでいく。


「あ、ああ・・・?」


 口から漏れた溜息の様な声を最後に、俺は意識を手放してしまった。

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