百二十七話 投稿するか迷った奴
「覚めないな・・・」
「どうかしましたか?」
ふと呟いた俺に、隣を歩くリゼ大尉が覗き込むように声を掛ける。
「いや、何でも無いよ」
首を振って答えた俺は、視線を前に戻して歩く。
今日はデートの日だそうで、俺の記憶とリゼ大尉の発言に寄れば、今日のデートは一ヶ月ぶりなのだそうだ。
未だ覚めない夢の中に居ると、本当に、今が現実の様な気がしてくる。
むしろ、そう有って欲しいと願う自分がいる事に気が付く。
随分と久し振りの着心地の良い服に歩きやすく履き心地の良い靴、平らに慣らされたアスファルトの歩道。
耳煩わしい程の喧騒と噎せ返る様な排気ガスの悪臭が何とも懐かしい。
「・・・」
何と言うことは無い日常的な日本の休日と言う風な光景の中、周りは誰もリゼ大尉を不信に思ったりはせず、周囲から浮いている筈なのに馴染んでいた。
自然と合う歩調が、俺と彼女のこの世界で歩んできた時間の密度をありありと教えてくれる様だ。
「楽しみですね」
「そうだな」
隣を何気なく見ると、タイミング良くリゼ大尉も俺の方を見て、それから笑いかけてくれる。
俺の返事は、もしかしたら少し素っ気ない物だったのかも知れないが、彼女はそれでも楽しそうに笑みを浮かべた。
きっと、この夢の中の世界の過去の俺は、彼女の事を深く愛しているのだろう。
一緒に歩いた事も僅かな俺と違って、無意識の内に歩幅と歩調を合わせる程なのだから、よっぽどだ。
実に幸せそうな彼女を見ていると、俺も嬉しくなる。
「・・・」
俺とリゼ大尉は暫く歩いて移動し、それからバスに乗った。
座席に座って、直ぐ隣にリゼ大尉を感じながらの移動は、本当に過ぎ去るのが早く、気が付けば目的地に着いていた。
「着きました!」
快活に燥ぐリゼ大尉は、俺からすれば見慣れない物だが、しかし、その笑顔だけで来て良かったと思える。
「さあ!行きましょう!」
張り切って俺の手を引くリゼ大尉に、俺は少し苦笑して着いて行く。
「ああ」
今日来たのは牧場だった。
何でも、以前からここの牧場のソフトクリームにリゼ大尉が興味が有ったらしく、時間が取れたら一緒に来ようと約束していたらしい。
リゼ大尉が甘い物が好きなのは、正直意外だった。
「待てリゼ、アイスは逃げない」
「ソフトクリームです!」
どうやら並々ならぬこだわりがある様だ。
「・・・ソフトクリームは逃げないよリゼ」
そう言って、逆にリゼ大尉を引き寄せると、途端に彼女は大人しくなる。
「ゆっくり行こう」
「はい・・・」
右側に並んだリゼ大尉は、俺とつないでいた手を握り直して、俺の方を見て笑う。
この夢の世界の彼女は本当に良く笑うの物だ。
「・・・」
彼女は膝ほどの丈のサイドにスリットの着いた白いワンピースに濃い色のタイトなジーンズを合わせていて、小さめのショルダーバッグを掛けている。
今日は少し緩い風が凪がれていて、彼女の銀色の髪が揺らめく。
「気持ちの良い風ですね」
「少し臭いがな」
「それは言わないで下さい。我慢しているんですから」
正直、牧場というのは場所にもよるが臭い。
特に養豚場を持っていると、その臭いは中々に凄い。
だと言うのに、彼女と笑い合って言葉を交わすと気にならなくなるのだから不思議だ。
「最初は何処に行きますか?」
そう言われて見れば、俺は何処に行くかと言うのは考えていなかった。
「馬が見たいな」
何気なく、どうしようかと思うと、自然と馬を見たいと口を吐いてしまう。
「馬ですか」
「・・・ああ」
ただ何となく、自然と馬が見たいと思った。
「じゃあ、行きましょうか」
そう言うと、彼女が指を指して厩の方を指示してくれた。
彼女の指示に従って道を歩くと、直ぐに馬の嘶きが聞こえてきて、何故だか分からないが胸が高鳴る。
そうして、近づいてみると、柵に囲まれた場所に何頭かの馬が放たれている。
「大きいですね」
と彼女が言うが、俺からすれば少し小さいくらいだった。
俺や部下達の乗る軍馬に比べて、筋肉の発達の度合いは弱く、毛並みは確かに良いが、少しだらしのない様に思える。
「あっ」
眺めていると、一頭の若い鹿毛の馬が近づいてきた。
「・・・」
少し驚く彼女に新鮮に思いつつ、俺は馬の首を撫でさする。
近くで見れば分かるが、毛艶が良く身体にも傷が無い綺麗な身体をしている。
だが、やはり、筋肉は少し少なく、また性格も随分と大人しい。
所詮は牧場で飼われているだけの馬で、軍馬とは違うのだと思い知らされる。
「可愛いですね」
「そうだな」
首を撫でてやると嬉しそうに小さく嘶いて、顔を擦り寄せて来て、何というか、馬の相手をしているよりも愛玩動物を愛でている様な気がしてくる。
「アッチで乗馬体験が出来るそうですよ?」
彼女の指差す方を見ると、確かに乗馬体験の文字が書かれた看板がある。
「行ってみましょう」
促されて、俺は彼女と連れたって厩の方へと向かう。
そして、着いてみれば、幾人かの子供連れやカップルが集まっており、受付の担当に話すと直ぐに了承を得られた。
「楽しみですね」
「・・・」
目の前で子供達がポニーに乗って燥ぐのを見ながら、彼女が小声でそう言った。
どうやら子供や希望する女性などはポニーに乗る様で、大人は基本的に大きな馬に乗る様だ。
大きいと言っても軽量種のアングロアラブは、馬全体で見ればまだ小さい方だ。
周りの大人から見れば逞しい様に見えている様だが、俺からすれば貧弱極まりない。
それから暫く、あたふたと覚束無い乗馬体験を眺めていると、漸く俺の番になるが、俺の直前で馬が交代になる。
連れて来られた馬は、同じくアングロアラブの様ではあるが、些か体格のガッシリとした物で、目付きも今までの馬と比べって鋭く険がある。
「どうぞ此方へ」
係員の誘導に従って、俺は用意された馬に近づく。
「乗馬の経験は御座いますか?」
恐らく有ると答えるのは少数派だろうが、俺は軽く答えた。
「ある」
「そうですか」
有るから何だと言うのか分からないが、さっさと近付いて行って鐙に足を掛けた。
「よっ」
身体を勢い良く持ち上げて馬の背に跨がり、右足を鐙に掛ける。
「お上手ですね」
「・・・どうも」
流石に何時も通りに走らせるような事はせず、係員の誘導に従いながらゆっくりと馬を歩かせた。
何とも詰まらん。
馬は走らせてこそと思うが、こうして歩かせるだけと言うのも、それはそれで良いのかも知れない。
「・・・」
この夢は一体何なのだろうか。
本当にただの夢なのだろうか。
俺の深層意識の願望が夢という形に成って表れているだけなのか。
それとも、別の何らかの力が働いているのか。
思い返してみれば、俺は幾つかの岐路に立った時、危機的な状況に陥った時、何時も似たような夢を見てきた。
今までの夢では、決まってリリアナ嬢が出て来て、夢の中では俺は家族とも仲が良く、正に理想の生活を現していたと思う。
だが、今のこの状況は、今までの夢とは明らかに違っている。
「・・・」
ふと、リゼ大尉の方を向いた。
彼女は俺が向いたのに気が付くと手を振って笑う。
「手を振り替えしてあげないんですか?」
側を歩いて誘導する係員が言った。
「・・・まあ」
少し気恥ずかしい俺は、彼女に返してやる事は出来なかった。
「仲が宜しいですね」
「そう見えますか?」
言葉を返すと、係員は笑って頷く。
それから何事も無く一蹴して下の場所に戻り、リゼ大尉の前で馬から降りる。
「お疲れ様です」
「ああ・・・まあ、そんなに疲れなかったけどな」
とは言うものの実際には予想以上に疲労感が出ている。
恐らくこの夢の中での俺の身体が乗馬に慣れていない身体と思うが、そもそも、今の状況に気が張り詰めている所為もあるのだろう。
「少し休みますか?」
「・・・そうだな。そろそろ君の目当てのアイスを食べに行こう」
「ソフトクリームです」
「・・・そうだったな」
何となく、素直にソフトクリームと言わずにアイスと言い続けてみる。
その度に訂正する彼女の仕草が実に愛らしくて、止められなくなってしまった。
それからも他愛も無い話をしながら二人並んで歩き、目的のカフェの様な場所でソフトクリームと珈琲を頼んだ。
ベランダの二人掛けの席に向かい合って座った俺とリゼ大尉は、それぞれ注文の品を手に取る。
「ソフトクリームは頼まなくて良かったんですか?」
「何となくな」
そう言って、俺は珈琲を一口啜る。
苦味の強いブレンドは目も冴える様な気分になるが、それでも夢は覚めなかった。
「・・・」
「一口如何ですか?」
そう言って彼女は手にしたソフトクリームを差し出してくる。
「・・・」
差し出されたソフトクリームを前にして、俺は一口頂こうとして身を乗り出すと、視界にリゼ大尉の赤い唇が移る。
「・・・」
一瞬逡巡して、俺はそのまま彼女にキスをする。
「ん!?」
軽く一度啄む様に唇を重ね合わせて、彼女の柔らかな感触を愉しむ。
「ど、如何したのですか?」
頬を染めた彼女が、驚いて尋ねてくる。
「・・・コレが最後だから」
「え?」
そう言って、俺はもう一度キスをした。
今度は身体を引き寄せて、貪る様に少し乱暴にキスをした。
「・・・」
「ん・・・」
十秒か、一分か、それとも一時間か、長い間つながり続けたキスを終えて唇を放し、俺は席を立った。
「如何したんですか?いきなり」
問い掛ける彼女に、俺は背を向けて答える。
「夢なら、少しくらい我が儘でも良いかと思ってな」
「・・・」
「なあ・・・大尉」
彼女は何も答えない。
「貴女にはずっと助けて貰っていて。コレまでちゃんと御礼を言う機会が無くて、待たせてしまって」
「・・・いえ」
「貴女が本当のリゼ大尉なのか、それとも夢の中だけの存在なのかは分からないけど、でも言うよ」
ここで大きく息を吸い込んだ。
足が震えて今にも倒れてしまいそうだ。
如何なる大軍の前に立った時でもこれ程緊張はしなかった。
本当に情け無い限りだ。
「ありがとう。好きだよ。大好きだ」
「・・・っ!」
背後から息を呑む気配が感じられた。
それだけで、俺の心は満たされた気がした。
「それじゃ・・・もしも勇気があったら、起きてから続きを言いに行くよ」
らしくない歯の浮く様な言葉を吐いた。
今すぐにでも自分を殴り付けてやりたい気分で、耳まで真っ赤になっているのがアリアリと分かる。
そんな気分を振り払う様に俺は走り出した。
既に周囲には何も存在していない。
ただ真っ白な世界が永遠と続いているだけだ。
その白銀の世界を走り抜けて行くにつれて、俺の意識が遠退いていく。
それが意識の覚醒だと察するのに時間は必要としなかった。
「若様」
「ハンス・・・?」
「珍しく心地よさそうに寝ていましたよ?」
「・・・拳銃を取ってくれ・・・今すぐに頭を吹き飛ばしたい気分だ」
何故あんな事を。
今からでも顔から炎が出そうな気分だ。
「そんな事よりも仕事ですよ」
「・・・はあ」
仕方が無い。
俺は腹を決めた。
勇気が出るかは置いておくとして、取り敢えずは行かなければならない。
「行くって言ったからな・・・」
「?」
如何してこうなったかな。




