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百二十六話 正直、恥ずかしくなってきた。

 戦闘終了直後、移動を開始した俺と兵団だったが、部隊の消耗は俺の予想以上の物だった。


「カイル・・・もう限界だ」


「・・・チッ」


 移動開始から1時間もしないうちに、駈け足で移動させていた兵達から落伍者が続出し始め、中には限界を迎えて倒れて眠り込んでしまう者もいた。

 精強を誇るレンジャーでさえも皆一様にフラフラと覚束無い様子で、兵団の全兵士に一連の行動と戦闘によって消耗された体力の限界が、遂に今に成って襲い掛かってきたのだ。


「これ以上は戦えません。せめて6時間程度の休息が必要です」


「・・・」


「御自身ももう限界でしょう」


 確かに、先程から頭が働かなく成ってきている。

 耳が遠退き、眼が霞んで先が見えない。

 鐙に掛けた足の感覚も感じられず、果たして今、自分自身が馬に乗っているのかどうかすらも怪しい程だ。


「カイル。例え、全員がレンジャー並の体力でもこれ以上は行動は出来ない。それに、このままじゃ馬の足が折れてしまう」


 アダムスに言われて漸く気が付いた。

 馬の事にまで気が回らなくなっていた。


「・・・部隊は行動不能だ」


 ここに来て漸く、俺は行動不能の判定を自らの部隊に下す。

 余りにも遅すぎる判断だったと悔やまれる所だ。


「部隊の状況を・・・より詳しい現状を報告してくれ」


「了解しました」


 ソロモンに言った後、俺はヘンリーから降りた。

 力を振り絞って足に力を込め、右脚を上げて地面に降りて、左足を鐙から抜いて両の足で地面に立つ。

 その瞬間に俺の脚から力が抜け、俺は無様に地面に尻餅を着いてしまった。


「カイル!」


「若様!」


 エストとハンスの二人が心配そうに声を掛けてくる。


「・・・いや、大丈夫だ・・・少し疲れているみたいだ」


 手を出して来るのを制して、俺は自力で立ち上がって見せた。


「君もやはり限界みたいだね」


「・・・かもしれん」


 アダムスに対して強がって見ようとするが、口を吐いたのは到底、はったりにも成りもしない言葉で、若干掠れた様な声だ。


「・・・ごめんなヘンリー」


 謝りながら首を撫でてやると、ヘンリーは気にするなと言う様に小さく鳴いて顔を擦り寄せてくる。


「・・・」


 現在地とリゼ大尉達の戦闘地域までの距離は、部隊の移動を考慮した時間にして20時間程度、当初の予定では戦闘終了後に歩兵部隊を駈け足で移動させれば9時間で到着する予定だった。

 ハッキリ言って、端から無理があった。

 何処の世界に半日近くランニングしてから戦闘に入れる部隊があると言うのか。


「それこそ本物のレンジャー隊でも無理だったな・・・」


 こうして諦めが付いてみると、驚くほどに冷静に振り返られる物だ。


「まだ・・・諦めていなかったって事かな・・・」


 何だかんだ言って、今の今まで、仄かにでも可能性がある内の俺は、諦め切れていなくて、諦めた風な事を言いって無理矢理納得させようとしていたと言う事だ。


「・・・無様だな」


 もしも、最初から奇をてらった事をしなければ、もしも、あの時に直ぐに行動に移していたならば、何の意味も無い妄想が頭を過る。

 今、兵達が限界を迎えていなければ、俺は止まらずに走り続けていた。

 そして、その果てに馬は倒れて、兵は絶えて、兵団は全滅していた事だろう。

 間違いなく世界一我慢強い俺の部下達が耐えられなかったのだから、俺の予定を完遂できる部隊は過去にも、未来にも存在しないだろう。


「ハンス」


「何ですか?」


「少し寝るぞ」


「・・・はい」


 ハンスにそう言って、俺は直ぐに崩れ落ちるように眠りに着いた。

 重い瞼が閉じれば、もう二度と開かないほどに強く閉じられ、意識は一瞬にして暗闇の中へと落ちて行った。







「・・・」


 目が覚めた瞬間、直ぐに夢だと思った。

 見慣れない天井、ふかふかの羽毛の布団、窓からは柔らかい朝日が差し込んできている。


「・・・」


 ふと隣に死線を移すと、ダブルサイズのベッドの右側が空いているのが見えた。

 布団を頭まで被ると柔軟剤のフローラルな香りが鼻腔を擽り、その香りに混じって妙に引きつけられる匂いを感じた。

 その匂いの正体を探る内にベッドの誰かが寝ていた場所に近付いていく。


「・・・」


 俺はこの匂いを知っている。

 深緑の森の中の澄んだ泉の様な、深く沈み込む様な、それでいて何処か爽やかさを感じさせる匂い。

 何処か嗅ぎ慣れず、しかし、嗅いだ事のある落ち着く匂い。

 よくよく嗅いで見ると、仄かに感じる汗と血と、土の様匂い。

 新鮮でありながら懐かしい匂い。


「・・・」


 目が微睡んできた。

 柔らかいベッドの上で温かい布団にくるまれて、安心する匂いを感じていると精神が落ち着いて瞼が重く成ってくる。

 もう一眠りと、二度寝の世界に誘われる俺は、一切の抵抗なく意識を手放そうとした。


「起きて下さい」


 誰かが呼び掛けてきた。

 聞き覚えのある低く、それでいて良く通る声だ。


「・・・あと五分」


 思わず口を吐いた。

 学生時代に母親に言っていた言葉、最後の抵抗の言葉だ。


「ダメです。起きて下さい」


「・・・」


 起きる事は出来ない。

 俺はこの微睡みの中の心地好さに打ち勝つ事は出来ないのだ。


「もう・・・」


 諦めた様な、呆れた様な声が聞こえた。

 俺の勝ちかと安心していると、布団が剥ぎ取られて日光が顔面に直撃した。


「っつ~~~!」


「起きて下さい。もう朝です」


「うんんんん~~~~」


 まだまだ、俺の抵抗は止まない。

 何としてでも二度寝をすると言う固い意志が俺を突き動かす。

 そんな俺に、彼女は最後の攻勢に出た。


「起きて下さい。アナタ」


 そう言った瞬間、俺の唇に何か柔らかく温かい物が押し付けられた。


「っ!?」


 突然の事に驚いて眼を見開くと、目を閉じたリゼ大尉の顔が眼前に映り込んだ。


「ん・・・」


 一つ、彼女は息を漏らして態勢を変えると、俺の後頭部を包み込む様に抱きすくめて、更に口内にまで舌を差し入れて来た。


「・・・っ」


「ふ・・・ん・・・」


 俺は何となく気恥ずかしくて彼女の手の中から逃れようと身を捩る。

 しかし、彼女は俺に跨がって両脚で身体を固定して、両手で顔を固定して、鋭い眼光で俺を見下ろした。

 銃を構えて獲物を狙う時の様な彼女の視線は、その鋭さだけで射貫かれて狩り取られると言う錯覚に陥る程の物で、俺は身体を硬直させて抵抗を諦める。

 恰もプラタイアの丘でスパルタ軍に対するペルシア軍の如き様相となった俺は、勿論の事、両軍の戦いの結果と同じ様に、抵抗も虚しく蹂躙されてしまった。


「起きましたか?アナタ」


「・・・ああ」


 そう言って、頬を高揚させたダークエルフが勝ち誇って俺を見下ろした。


「おはよう。リゼ」


「おはようございます。カイル」


 自然と彼女の名前が口を吐いた。

 階級も何も着かず、彼女の名前だけを呼べた。


「さあ、朝ご飯が出来ています。今日は久し振りのデートなんですから、確りして下さい」


「・・・ああ」


 部屋を出て行く彼女の後ろ姿を見送って、俺はベッドから這い出て寝巻きを脱いだ。

 ネイビーブルーのチノパンと白い七分袖のシャツを着て、寝室から出る。

 見覚えの無いはずの家の間取りは、何故か俺の頭の中に確りと入っていて、慣れた足取りで階段を降りてダイニングに入る。


「先に顔を洗ってきて下さい」


 キッチンで準備をしているリゼ大尉に言われて、俺は洗面所に移動して冷水で顔を洗う。


「・・・夢・・・だよな?」


 少し寝惚けた頭で、今の状況を判断しようとするが、本当に夢なのか段々と自身が無くなってきている。

 もしかしたら、今までの王国での日々の方が夢だったのでは無いかと思い始めていて、今の状況の方が現実なのでは無いだろうか。


「リゼ・・・大尉」


 むしろ大尉と呼ぶ方に違和感を感じている俺が居る。


「・・・」


「朝食の準備が出来ましたよ」


 背後からリゼ大尉が声を掛けてきた。


「今行くよ」


 俺は掛けてあったタオルで乱暴に顔を拭い、ダイニングに向かった。


「美味そうだ」


 ダイニングのテーブルに着いて、目の前の朝食を見るなり、思わず言ってしまった。


「フフフ・・・ありがとう御座います」


 嬉しそうに微笑むリゼ大尉を見ると、言って良かったと、そう思う。


「いただきます・・・」


 照れ臭くて、少しぶっきら棒な風に言うと、リゼ大尉は笑いながら俺を見詰めた。

 何ともむず痒い。


「・・・」


 焼き鮭、卵焼き、ホウレンソウのお浸し、キンピラゴボウ、白米と味噌汁。

 魅力的な俺の追い求め続けてきた日本の朝の光景が目の前に広がっている。

 こんなのを前にして我慢など出来る筈が無い。

 俺は茶碗と箸を取り、最初に味噌汁を啜った。


「・・・」


「どうですか?」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたリゼ大尉が問い掛けてくる。


「決まってるだろ・・・美味い」


「ありがとう御座います」


 本当に美味い。

 赤味噌仕立ての濃いめの味噌汁は、豆腐と葱とワカメが入っていて、実に俺好みの味だ。


「・・・」


 次いで、白米を口にほおばって噛みしめると、独特の香りが鼻腔を突き抜け、舌に感じる甘みが心地良い。

 二、三、米を噛んでから、僅かに味噌汁を啜ってやると、これぞ正に俺の求めていた物だと確信する。

 後はもう、止まらない。

 卵焼きは塩っぱめに味付けされていてやはり俺の好みで、鮭は逆に薄めの味付けが、コレも俺の好みだった。


「おかわりは?」


 気付けば茶碗の米が空になっていて、タイミング良くリゼ大尉が聞いてきた。


「頼む」


 そう言って茶碗を渡すと、彼女は嬉しそうにキッチンの方へと向かった。


「・・・」


 もう、コレが現実でも良いような気がしてきた。

十割方、作者の恥ずかしい理想という名の妄想です

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