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百二十五話 五里霧中

言い訳。

仕事が忙しかったんです。

 時は秋も深まり始める頃、朝日が昇り林間の平野には薄く靄が掛かって何か厳かな雰囲気を漂わせている。

 我が兵団3200はレンジャーの偵察結果の下、敵軍捕捉のために夜を徹しての行軍を慣行、夜明け前に敵軍を捉えた。

 確認される敵戦力は凡そ8000と見られ、パイク兵と銃兵を中心としいる。


「臭うな・・・」


 朝靄の向こう側からは得も言われぬ悪臭が漂ってきていて、思わず眉間に皺が寄る。


「風呂に入りたい」


 大分泥にまみれたし汗も掻いた。

 兵達の中からも皮脂と汗と血と泥とが混じり合った饐えた臭いが漂う。

 この様子だと、恐らく俺もかなりの悪臭を放っているに違いない。

 こう考えると軍内部における戦闘間の公衆衛生に関しての研究も進める必要がありそうだ。

 直接的な戦死者よりも戦傷とそれに伴う破傷風等の病気による損失の方が遥かに多いし、感染症の流行も場合によっては軍の行動を大いに阻害する要因になり得る。

 入浴とは行かなくとも、少なくとも身体を清潔に保つように教育は行うべきかも知れない。


「・・・」


「如何したんだい?そんな難しい顔をして」


 衛生に着いて考えていると、エストが声を掛けてきた。


「いや・・・風呂に入りたいと思ってな」


 そう返すと、エストは笑って言った。


「君は・・・全く何時も通りなんだね」


「?」


「コレから命の遣り取りを・・・倍以上の敵に攻撃を仕掛けようと言うのに、風呂に入りたいなんて考えるなんて、随分と余裕だね」


「・・・そうかもな」


 言われてみて、確かに緊張感に欠けていたと自戒する。


「彼等も緊張感の欠片もないね」


 そう言ってエストは背後の兵達に視線を向けた。


「・・・」


 俺も倣って背後に顔を向けると、兵達は誰も彼もが全く恐れた様子も無く近くの者と話し合っており、また時折笑い声すらも聞こえてくる。


「まあ、今更倍以上程度の敵に緊張しろ何て言うのも無理も無いね」


「違いないな」


 今まで、これ以上に兵力差の開いた戦いも有った。

 これ以上に絶望的でどうしようも無い状況を切り抜けてきた。

 その度に俺達は部下を、戦友を失ってきた。

 今、この場に列ぶのは何奴も此奴もが百戦で練磨されてきた強者ばかりで、死線を潜り抜けた死に損ないだ。


「・・・もしかしたら」


「?」


「もしかしたら、死を恐れないのでは無くて、死に向かっているだけなのかも知れないな」


「それは・・・」


 俺の呟いた言葉に、エストは何も反論できずに言い淀む。

 俺達は随分と沢山の友を失ってきた。

 皆、明日を生きようと藻掻いて苦しんだ末に死んでいった。

 そんな彼等の生き様を見てきたからこそ、今、こうして生き残っている事を申し訳なく思っているのかも知れない。

 少なくとも俺はそう思っているつもりだ。


「若様」


 ハンスが近付いてきた。


「全部隊準備が整いました。我々は何時でも戦えます」


「・・・分かった」


 少しだけシンミリとして小さく返してから、俺はヘンリーに乗ろうと鞍に手を掛ける。


「若様」


 そんな俺にハンスが更に声を掛けて来た。


「私達は死を恐れていないのではありません。死に向かっているわけでもありません」


「・・・」


「若様が進み続けるから着いていくんです」


「・・・」


「貴方が碌でもない人なら誰も着いていきませんよ」


「そうか」


 何となく、胸が軽くなった気がした。

 ハンスにもエストにも見えない様に少し笑って、それから一息にヘンリーの背に跨がって胸を張る。


「ハンス!」


「はい!」


「エスト!」


「ああ!」


 強く呼び掛ければ、同じくらい強い返事が来る。


「さっさと終わらせるぞ!」


「「了解!!」」







 敵軍歩兵は、各大隊毎にパイク兵を銃兵で挟み込んだオランダ式大隊の様な編制を基本とし、大隊を構成する銃兵とパイク兵の比率は概ね半分ずつと成っている。

 大隊の隊列は縦深10列と成っており、高い防御力と火力を発揮しつつ、ある程度の機動力も確保している。

 現在、敵に本格的な騎兵や砲兵の類いは存在せず、それは、コレまでの戦闘によって俺達が喪失させた物であり、調べた限りでは、間違いなくそれらの兵科は間違いなく撃滅させている。

 敵はこの大隊を16個編制しており、5個大隊ずつを列べた三層から成る縦隊を形成、非常に重厚で堅固な野戦形態をもって此方の攻撃に対抗するつもりのようだ。

 対する此方側は、コレまで通りのオーソドックスな横隊を形成。

 最左翼にレンジャー大隊を置き、そこから第二大隊、第一大隊、擲弾大隊、騎兵大隊の順番で列べ、歩兵部隊は4列横隊で斉射の構えを取った。

 此方は敵に比べて長大な横隊全長を持ち、常に優勢な正面火力を持って攻勢に出続ける。

 コレまでの戦闘の経験から、此方の方が射撃間隔は遥かに短く、また斉射の練度や命中精度でも圧倒している事が分かっている。

 総兵力において此方は圧倒的に劣勢だが、敵は兵力の半数はパイク兵で在り、銃兵の数で言えば高々1.5倍程度でしか無く、隊列の正面火力は単純計算で此方の方が5倍程度圧倒している。

 このあたりに縦深深度の浅い長大な横隊で統制の取れる此方の練度と士気の高さ故の強みが見れる。

 だが、懸念もある。

 此方は本隊と離れての戦闘が続いており、また、常に劣勢を跳ね返すためにかなり濃密な弾幕を張り続けてきた。

 三段射撃は非常に高い火力と制圧力を有する代わりに弾薬の消費も非常に激しい。

 現在、歩兵部隊の弾薬の残数は基準の6割程度でしか無く、戦闘中に弾切れを起こす可能性が高い。

 白兵戦に成ればパイク兵を持っている敵の方が圧倒的に有利になる。

 此方とて、そう簡単に負けるとは思っていないし、例え相手が精鋭のパイク兵だったとしても、同程度の数ならば充分に勝ち目はあると自負している。

 だが、白兵戦は数が物を言う。

 圧倒的に数的劣勢の此方は白兵戦だけは避けなくては成らない。

 恐らく敵の隊列はそれを見越した上での物だと思われる。

 此方の優勢の射撃火力を深い縦隊で受け止めた後に、無傷の後列部隊による白兵戦で以て此方を圧倒し撃破しようと言うのが敵の取る作戦だろう。


「弾が尽きるか、命が尽きるか・・・か」


 陽が少し陰った。

 雲が厚さを増して光が少なくなると、朝靄の漂う平野は視界を更に狭く短くする。


「ジョーイ」


「なんで御座いましょう」


「楽器の音を少しずつ小さくしながら演奏は出来るか?」


 俺はジョーイに問い掛けた。

 ジョーイは俺の問い掛けに対して、訝しむように首を傾げ、弱々しく答える。


「え、ええ・・・可能か不可能かと言われれば・・・可能かと思いますが・・・」


「では、部隊の前進に合わせて音楽を小さくしていく事は出来るな?」


「・・・正確にと言うのはきわめて困難に思われますが・・・」


 歯切れの悪い、要領を得ないジョーイの答えに、俺は少しイラついて強い口調で再度尋ねる。


「敵の方から聴いて、移動していない様に演奏する事は出来るか」


「・・・」


「如何なんだ」


 ジョーイは、少し眉間に皺を寄せながら考え込んだ。

 それから、少しして顔を上げると、ジョーイは自信満々に答える。


「やってみましょう。大佐のお考えは分かりませんが、出来る限りの事をしてみましょう」


「よし」


 俺が頷くのを見て、ジョーイは早速音楽隊の下へと掛けると、音楽隊の楽団員達に概要を説明している。


「全隊気を付け!!」


 配下の兵達に向かって命じると、全員が言われた通りに直立不動の姿勢を取る。

 そして、その直ぐ後に音楽隊が演奏を開始した。

 普段よりも大きな音で楽器を吹き鳴らし、行進曲を奏でて威圧感を醸し出す。

 敵からすれば、朝靄の向こうで音楽が鳴らされただけで、此方の姿は見えないだろう。


「・・・」


 俺は黙ったままで暫くの間正面を睨み続けた。

 同じ旋律をループし続けるマーチを聴き続けて、ループが十回目を数えた頃にサーベルを抜いた。

 そのままサーベルを掲げてから敵の方へと鋒を向けて前進を指示する。

 普段ならば大声で号令を発する物だが、今回は無言のままに指示を出し、兵達は俺の意図を察して音も立てずに前進を開始した。

 音楽隊も俺の先程の指示の通り、器用に音量を調整して徐々に音を小さくしていく。



「・・・良いぞ、この調子だ」


 俺の頬を朝靄とは別の雫が流れて落ちる。

 果たして、俺の想像した通りに進んでくれるか不安だったのだ。

 もしも、コレで敵の銃声が一発でも聞こえて来よう物ならば、俺は最高に間抜けな指揮官と言う事に成る。

 だが、成功すれば無傷の戦列歩兵を超至近距離まで敵に接近させた上で先制攻撃を行える。


「・・・まだまだ」


 カチャカチャと音が鳴る度に心臓の鼓動が跳ね上がる。

 足音は大きすぎやしないか、音楽隊の演奏は敵にバレていないか、もしかしたら次の瞬間には敵のパイクの穂先が目の前に現れるのでは無いか、そんな不安が徐々に大きくなって重くのし掛かってくる。


「・・・もう少し」


 口の中が渇く。

 手足が震えて止まらない。

 胃が締め付けられる様に痛む。

 身体から力が抜けそうで、手にしたサーベルが何時もよりも重く感じる。


「・・・あと少し」


 彼我の距離は凡そ400m、感覚と音楽の進行から考えれば既に80mまで近付いている筈だ。

 後20m近づいた瞬間が全ての正念場、そこで敵の銃声が鳴れば全てが終わり。

 そこで銃声が鳴らなくても、それよりも近付いて行って撃たれればやはり終わりだし、下手をすればパイクが待ち構えている。


「・・・っ」


 もう少し、せめて30mまで近付きたい。

 出来る限り最初の斉射で打撃を与えたい。

 そんな思いが、あと少し、もう少しだけと気持ちが流行る。


「・・・後、三歩」


 敵は撃ってこない。


 「・・・後、二歩」


 槍の穂先は見えてこない。


 「・・・後、一歩」


 この瞬間に確信した。

 俺は賭けに勝った。


「っ!全隊撃ち方用意!!」


 鬱憤を晴らす様に、有らん限りの声で叫んだ。

 待ってましたとばかりに部隊は停止してお決まりの射撃姿勢に入る。


「撃て!!」


 幾許も経たない内に俺はさっさと射撃の号令を出す。

 その直後に、一つに連なった銃声が響き渡って魔弾の群れが靄を切り裂いて真っ直ぐに突き進んだ。


「ランニングファイア!!」


 最初の射撃の後、悲鳴と共に敵方からも銃声が聞こえると、射撃成功を確信して交互連続射撃を命じる。


「全隊怯むな!!奴等を一人残らず血祭りに上げてやれ!!」


 威勢の良い返事と共に、二度目の銃声が俺の耳の鼓膜を劈く。

 この刺激的な音が実に耳に心地良い。

 そして、この射撃の瞬間、視界を塞いでいた靄がサッと引いて目の前の風景を俺の瞳に写し出してくれる。


「反撃!!反撃!!」


 敵の目の黒眼も見えるほどの距離で、敵の指揮官の一人と思しき男が配下の将兵を鼓舞して叫ぶ。

 何とも素晴らしい。

 この奇襲に遭って尚、応戦しようと言う気概と胆力は称賛に値する。

 是非とも部下に欲しい人材だ。


「はんげ・・・!!」


 だが、その彼も三度目の射撃を浴びて崩れ落ちた。

 大口径の只管に破壊力の高いこの時代の頃の銃は、容易く骨を砕いて人体を引き裂いてみせる。

 手足などはいとも簡単に胴から離れ、その胴も引き千切られてミンチに作り替えられる。


「に、逃げろ!!」


 四度目の射撃は、敵の前線を崩壊させた。

 最前列の敵の各大隊は、僅か四度の斉射を浴びただけで多くの将兵を肉片と血溜まりに変えて大地の肥やしにしてしまう。

 それを間近に見ている者達が脅え竦んできびすを返すのも無理も無い事だ。

 時間にして一分にも満たない僅かな時の間に放たれた四度の斉射は、その全てが必殺の意志を持った死神として敵に襲い掛かる。


「怯むな!!迎え撃て!!」


 敵の第一列が崩れると、その後の第二列の大隊が前進してきた。

 僅かながらにも敵の銃兵からの応射を受けて此方にも被害が出始める。

 だが、一人二人が倒れた程度では俺達は止まらない。

 敵が一撃返してきたのならば、今度はその倍以上更に返してやれば良いだけの事だ。


「反撃を許すな!!ぶちのめしてやれ!!」


 俺に返事をするように七度目の銃声が響く。

 バタバタとドミノ倒しの如くに敵の前列が崩れ落ちる。

 銃声が鳴る度に敵の前線が溶けて行く。


「怯むな!!進め!進め!!」


 だが、敵も然る者だ。

 コレだけの射撃を浴びて尚、それでも前へと進み出てくるのは、成る程、並の者ばかりでは無いと言う事だろう。


「久し振りに骨のありそうな連中だ」


 この瞬間に、俺は当初の作戦に変更を加える。


「着け剣!!」


 直ちに全隊に着剣を命じると、ヘンリーの腹を踵で蹴った。


「突撃!!」


 空気を読んだジョーイが高らかにラッパを吹き鳴らす。

 何の違和感も無く兵達は俺の後に続いて走り出した。

 既に敵の第二列は戦力が半減している。

 ならば、この突撃で十二分に圧倒して撃破する事が出来るだろう。


「おおおおおおおおおお!!!」


 最初に目に付いたのは一人のパイク兵だった。

 壮年と言った風な見た目の逞しい長身の兵士で、腹や足に銃撃の後を付けながらも、眼を見開いて俺の方を睨んでいる。


「来いやああああ!!


 今すぐにでも倒れて悶えたい所であろう、その兵士は、パイクを構えて叫んで見せた。


「その意気や良し!!!」


 だが、長大で大重量のパイクは、ただでさえ扱いが難しく、満身創痍の身に有っては満足に構える事も出来ない。

 最早、俺に出来る事は、その痛みから彼を解放してやる事だけだ。


「っ!!」


 ヘンリーの走る勢いと共に、俺の振るったサーベルが彼の首筋にめり込むと、僅かに骨に当たる手応えを感じさせつつその首を跳ねて落とす。


「団長に続け!!」


「「「応っ!!!」」」


 誰が叫んだか、俺に続けと言えば、従う様に雄叫びを上げた兵達が敵の隊列に浸透して食い破る。

 特に擲弾大隊の攻撃力は凄まじく、他の大隊と比べて格段の勢いで敵の兵士を蹴散らしている。


「アラン!!援護しろ!!」


 近づいてきた一人を斬り伏せて、俺は後続のレンジャーに指示を出す。

 俺の指示を聞いたアダムスは、直ぐにレンジャーを動かして射線を確保すると、敵の最後列に対して射撃を始める。

 そもそも、銃剣を装備していないレンジャーは突撃には参加せず、こう言った場合には敵の増援を防ぐために援護に回るのが常だ。

 実際問題、レンジャーは近接戦に使う武器としてトマホークやハンドアックスを装備しているが、態々貴重な散兵を白兵戦に参加させて消耗させるのも馬鹿らしい。


「ハンス!!ソロモン!!エスト!!部隊を掌握しろ!!」


 戦いはコレで終わりでは無く、まだもう一列残っているのだ。

 俺は直ぐに大隊を纏めるように指示しつつ、敵の方を向いた。

 敵は既に此方を恐れて後退り始めている。

 敵の後には森林が広がっており、あそこに逃げ込まれれば厄介極まりない。


「フィオナ少佐!!敵に突っ込め!!」


 言うが早いか、騎兵大隊を指揮するフィオナ少佐は既に剣を振り上げて走り出している。

 タイミングが良かったと言えば聞こえが良いが、実際には命令違反であるのだが、今回は大目に見よう。


「歩兵隊整列!!整列!!」


 俺は騎兵から直ぐに歩兵に意識を移して周囲の兵達を纏める。

 そうしている間に敵に対しての突撃に成功したフィオナ少佐以下の騎兵大隊は、一撃を加えて直ぐに離脱していく。

 本当ならもっと確りと体勢を整えたいが、今は余り我が儘は言っていられない。


「各自射撃!!」


 斉射を諦めた俺は、兵士各自に判断を委ねて各自射撃の号令を出す。

 そうすると、直ぐに何発かの銃声が鳴って敵の隊列に向かって青白い閃光が走る。

 その銃声と閃光は徐々にその数を増やし、気が付けば間断なく銃撃が加えられて敵を撃ち抜く。


「フィオナ少佐!!もう一度突っ込め!!」


 俺は再度の突撃命令をフィオナ少佐に出した。


「射撃止め!!射撃止め!!」


 今度は俺の言葉の後に走り出した騎兵大隊を見届けて、全隊に射撃止めを指示した。


「部隊前進!!コレが最後だ!!」


 フィオナ少佐達が敵に突っ込むのを見届ける前に、歩兵部隊に前進を命じた。

 その直後に騎兵大隊の突撃を受けた敵軍は、一旦耐えて推し留まるが、そのまま白兵戦に入った騎兵に圧倒されると、士気を崩壊させて潰走を始める。


「全隊停止!!全隊停止!!」


 状況は決した。

 敵軍は完全に壊滅。

 我が方は損害きわめて軽微。

 敵の残党は多少残っているが、最早、組織的な行動が取れる状態では無く、脅威度は限りなく無に等しい。


「全隊!!行進隊形!!次だ!!次に行くぞ!!」


 時間が無い。

 休む間もなく兵達に移動を命じて、俺は焦る気持ちを何とか抑え込もうとする。

 だが、如何しても抑えきれる物では無く、俺の気持ちを察してヘンリーも鼻息を荒くして地面を蹴る。

 時刻は昼の少し前、空は晴れ渡って清々としている。

実際は、ただ単に話が思い付きませんでした。

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