百二十四話 困ったときの
戦闘は俺の予想を上回るほど長引いた。
河岸に新たに布陣し直した此方に対して、ゴブリン側は此方の意図を察してか、攻撃の手を止めて距離を取った。
「予想外だね」
一転して暇になった空か、エストが俺の下に来て言った。
確かに予想外だ。
ゴブリン達の今までの動きから考えれば、何も考えずに攻撃してくる物と思っていたのだが、その予想が外れてしまって、若干、拍子抜けする。
「若様。奴等は日が落ちるのを待っているのでは?」
「・・・夜戦狙いか」
人間よりも鼻の聞くゴブリンは、確かに夜戦の方が分が有るだろう。
連中の狩猟の方法も夜間に行われる事が多く、夜行性と言うほどでは無いが、ゴブリンも夜間行動の多い種族だ。
ハンスの指摘する可能性というのは充分に高い。
「ソロモンは如何思う?」
ここで俺は、もう一人の大隊長に意見を求めた。
ソロモンは少し考えるような素振りを見せて答える。
「良く分かりません・・・ですが・・・何だか、帝国の時の事を思い出しますね」
「・・・確かにな」
あの時、帝国のシャウスク駐屯地での戦いの際も、オーガ達は、此方の予想から外れた行動が多かった。
コレまでの蛮族の行動常識から離れ、ある程度統制された軍隊らしい動きを見せた。
言われてみれば、今のゴブリンの動きも、あの時と符合する部分が有る。
「ロイド・・・か」
何が狙いなのかは分からないが、ロイドが俺を害したがっていると言う事と、第二王子を王位につけたがっていると言うのは分かっている。
奴がこの場でゴブリンを直接指揮している可能性は、充分に考えられるだろう。
「歩兵だけと言うのは、存外に辛いものだな」
「ですね・・・せめて、レンジャーが一個小隊くらいは居れば、違うんですが・・・」
「それは言っても仕方が無い事だよ。僕らは常に、足りない状況で戦ってきたじゃないか。・・・今日も同じ事さ」
エストの言うとおり、俺達は常に満足な戦いと言うのは、してこなかった。
何時も何かが足りずに、その場その時の持ち物だけで戦ってきた。
無い物ねだりは、幾らしても無駄だと知り尽くしている。
「・・・若様」
「何だ?」
「第二大隊は何時でも攻撃に出れます。ここは、第二大隊で攻撃に出て、それから敵を誘い出すのはどうでしょうか」
「却下だ」
俺はハンスの具申を突っぱねる。
ここで第二大隊を出す意味が薄すぎる。
「この先の事を考えれば、ここで大きな損失の出る方法を敢えて取る必要性は薄いですね」
「ハンス君の気持ちも分かるけど・・・まあ、少し無謀すぎるかな」
俺に続き、ソロモンとエストからも反対の言葉が出る。
「・・・なら、限定的に・・・それこそ、接近して二斉射だけでも・・・」
だが、ハンスは非常に不満げにして、尚も縋って進言を続ける。
「ダメだ。そんな中途半端な攻撃こそ意味が無い」
ハンスは焦っている様に見える。
普段、余りこういう風な素振りを見せた事の無いハンスが、らしくない位に動揺している。
部下の死に涙し、俺の身を按じて俺の無事に笑ってくれる彼にしては、本当にらしくない。
特に、一番らしくないのは、積極的に意見具申すると言う所だろう。
ハンスは良くも悪くも落ち着いて、それでいて自身の能力と言うものを客観的に把握して、その上で常に堅実な手法砲を取ろうとする。
また、従うべき相手が居るときは、その支持に全面的に従って、思考を放棄する所もある。
「・・・如何したんだハンス。らしくないぞ?」
「・・・」
「ハンス?」
何だかハンスの様子がおかしい。
それは、俺だけでは無く、ソロモンもエストも感じたようで、二人とも黙ってハンスを真剣に見詰めた。
「ダメなんです・・・」
「ハンス?」
「ダメなんです・・・急がなければダメなんです!」
ハンスが大声を出して言った。
「ここで時間を取られる訳には行かないんです!」
「それは分かって・・・」
「分かっていません!!若様!!貴方は・・・お前は今、リゼ大尉を諦めようとしている!!」
「っ!」
ハンスは尚も続けて言い続ける。
誰もが口出しの出来る雰囲気では無かった。
「アンタはリゼ大尉を諦めている!!」
「・・・」
「今に始まった事じゃない。この戦いが始まった時から・・・いや、彼女に出撃を命じたときから!!アンタは諦めている!!」
何も言い返せなかった。
「おかしいんだ!!アンタなら、何時ものアンタならあの時に小賢しい事をするはずが無いんだ!!」
「あの時って?」
エストが尋ねた。
「昨日の戦いですよ。あの程度の連中ならあんな小難しい小賢しい事なんてしなくても良かった。通常通りに正面攻勢を掛けただけで充分に全滅せしめた。それはカイル・メディシアならそうしていたはずだ」
「・・・」
「だが、あの時、アンタはそうしなかった」
兵力差はほぼ無く、練度においても一師団は特に問題は無く、支隊は装備と練度において隔絶した物を持っている。
霧の中だったと言う事を踏まえても、十二分に押し潰せたはずだし、一師団の兵力から一個連隊程度の予備兵力も捻出できた。
その状態の戦いなら、最右翼に支隊を配置すれば、敵左翼を早急に打ち崩せたし、ゴブリンの出現にも予備兵力で直ぐに対応できて、撤退する敵に対しても追撃戦を仕掛けられた。
「アンタは最もらしい事を言っていたけど・・・けど、それはただの言い訳に過ぎない!今だってそう。アンタは何時もなら言っていた筈だ」
「・・・」
「敵を殺せ。皆殺しにしろ。俺に着いてこい。そして全員地獄に行けと・・・そう言うはずだ。アンタは、確かに部下を・・・俺達を大事に思っているけど、でも、そう考えた上で、俺達を地獄に送り込む。今までずっとそうだった」
「・・・」
何も言えない。
ハンスの顔を見られない。
俺は、ただ顔を伏せて地面を見詰めることしか出来ない。
「今のアンタはアンタらしくない。カイル・メディシアらしくない!」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「「「・・・・」」」
戦場に似付かわしくない静けさが、辺りを支配して、その全てが俺にのし掛かって来る。
ハンスが、ソロモンが、エストが、そして何よりも、この場の部下達の全ての視線が俺に向かって降り注いでいる。
それなのに俺は、何も言えなかった。
「・・・!」
慌てて顔を上げて口を開こうとした。
だが、何も言えない。
何の言葉も出てこない。
何を言えというのか、何を言えば良いのか、何も分からない。
「・・・」
「・・・何も言わないんですか?」
ソロモンが尋ねてきた。
それでも、俺は何も言えない。
言えるはずが無い。
「・・・」
ハンスの言った事が、言われた事の全てが図星だなんて言えるはずが無い。
リゼ大尉を見殺しにしようとしていたと、彼等を死なせるつもりだと言えるわけが無かった。
「何が有ったんです?アンタの中で何が有ったんだですか」
「・・・!・・・っ・・・」
何と言えば良いんだ。
如何すれば良い。
俺は、彼等に向かって何を言えばいい。
「・・・」
「何も言えないようだね」
平坦なエストの声が自棄に大きく響いた。
「その様ですね・・・」
ソロモンも後に続く。
「・・・」
俺の耳に、音にならない失望を伝える溜息が聞こえた気がした。
俺は見棄てられた。
俺は仲間を失った。
再び家族を失った。
俺は一人になってしまった。
「・・・っ!」
膝が自然に折れる。
身体から力が抜けて、目の前が真っ暗になって、何処までも落ちていく気がした。
「・・・ああ」
情け無い声を出しながら地面に倒れ込んだ俺は、衝撃を受ける寸前に何かに受け止められた。
「・・・あ?」
「大丈夫ですか?」
ハンスが直ぐ側に居る。
「・・・」
「大丈夫かい?」
エストが俺を支えている。
「確りして下さい大佐」
ソロモンが笑っている。
「立てますか?」
「ああ」
ハンストエストに支えられながら、俺は自分の脚で立って、辺りを見回す。
そこには、整然として精悍な兵士達が列んで、俺を見詰めていた。
誰も、俺の事を見限ってなどいない。
誰も俺を嫌っていない。
ここにはまだ、俺の仲間がいる。
ここには俺の家族しかいない。
「・・・」
「きっと・・・怖かったんじゃ無いですか?」
「・・・ああ、そうだな」
「貴方は・・・こう言っちゃ何ですが、家族に嫌われていました」
「ああ」
「領民の俺達から見ても若様は嫌われていたし、俺達も近づきたがらなかったですよ・・・領主にならないボンボンにおべっか使ってもしょうが無いですからね」
そうだ。
俺には誰も味方など居なかった。
あの領は、俺の故郷などでは無く、あの時の俺には家族なんて物も無かった。
だから、あの日、ハンスを初めとした連中を気にせずにこき使えたし、死んでも何とも思わなかった。
「貴方は本当は優しい人だ。だから、俺達の事が大事になった瞬間に・・・俺達を失うのを怖がったんだ」
「その通りだ・・・俺は、怖かった・・・目の前にいるお前らが死ぬのを・・・見たくなかった」
リゼ大尉と話した時に、きっと、あの時に自覚してしまったんだと思う。
「リゼ大尉もお前らも・・・同じくらい大事だ。だから・・・」
「近くの物を優先したんだね」
「・・・」
俺は無言で頷く。
「大佐。我々は貴方がそこまで思って下さっている事に対して、とても嬉しく思います」
ソロモンが口を開いた。
俺はそのソロモンの言葉を黙って聞く。
「ですが・・・我々は軍人で、兵士です。戦場で死ぬのは当たり前のことです。大事にされるのは良いですが・・・我々はただ箱にしまわれている様な物ではありません」
「・・・」
「貴方の行動は我々にとっては最大の侮辱です」
その通りだろう。
兵士の役目は常に備え、そして、事に際してはその全霊を持って己の役目を果たす物だ。
俺は彼等の信頼を裏切ったのだ。
「すまない・・・」
「謝る必要は有りません。まだ、戦いは終わっていませんから」
「・・・」
「まだ・・・始まってもいないよね」
「そうだな」
「君らしくないよ。こんな簡単な事で悩むなんて、本当にらしくない」
「そうですよ」
「ええ」
エストの言葉に、ソロモンとハンスが頷いて同調する。
「僕らも、リゼ大尉達も大事なら簡単じゃ無いか」
「?」
「今、目の前にいるゴミ共をさっさと片付けて、それからリゼ大尉達の所に行ってそこで、クズ共を蹴散らせば良い。何時もそうしてきただろう?」
単純明快な答えだった。
実に簡単で、俺好みで、何よりも、何時も通りの答えだった。
「・・・」
一つ溜息を吐く。
「・・・」
それから辺りを見回す。
そして、両手で自分の頬を叩いて空を見上げた。
「・・・情け無い。俺は何時も何時も情け無い。お前達に助けて貰ってばかりだな」
言いながら周りの顔ぶれを見回すと、笑いながら見返してくれた。
前にもこんな事が有った気がする。
「俺が成長しないって事だな・・・情け無い。・・・ハンス」
「何ですか若様」
「ありがとよ」
取り敢えず、方針が決まった。
「ソロモン!」
「はい!」
「第一大隊は直ちに敵正面に対して攻勢を掛けろ!何が何でも敵を食い破れ!!」
「了解!!」
「ハンス!」
「はっ!
「第二大隊には第一大隊の支援を命じる!第一大隊の側面を防御し、第一大隊の攻勢を支えろ!!」
「了解しました!!」
「ハンス!」
「なんだい?」
「敵を右翼から叩け!!徹底的に叩け!!完膚なきまでに叩き潰せ!!」
「了解したよ」
「お前ら!!」
「「「!!!」」」
「敵を殺しまくれ!!弾は気にするな!!存分に撃ちまくれ!!それと・・・絶対に死ぬな!!死んだら俺が地獄まで追い掛ける!!先に逝った奴等にも伝えておけ!!」
「「「応っ!!!」」」
準備は出来た。
コイツらの準備は既に出来ていたが、俺の準備が出来ていなかった。
だが、その準備が終わった。
簡単な事だった。
要するに、仲間が死ぬ前に敵を皆殺しにすれば良い。
簡単な事に、今漸く気がつけた。
「ジョーイ!!ラッパを吹け!!高らかに吹け!!突撃ラッパを吹け!!ラッパが鳴ったら全員突撃だ!!」
そして、ジョーイは俺の言う通りにラッパを吹いた。
もう止まらない。
俺は、叫んだ。
「突撃!!!」
ソロモンが第一大隊に命じる。
「前進開始!!
号令と共に第一大隊は前進を開始、縦8列の縦隊を組んで進み、敵ゴブリンに対して距離30mから漸進射撃を開始して、敵集団に穴を穿つ。
「第二大隊!!第一大隊を援護!!」
敵の逆襲に対しては第二大隊が対応する。
第二大隊は漸進射撃を行う第一大隊とは違い、敵集団に対して2列横隊での全力での斉射を浴びせ、第一大隊の前進を援護した。
両大隊は常に10m程度の前後間隔を取りつつ、ゴブリン軍正面中央を蹂躙し始めた。
「全員僕に続け!!」
この第一第二大隊の動きに合わせ、エスト率いる擲弾大隊はゴブリン軍右翼に突撃を敢行。
身体の小さなゴブリンを弾き飛ばしながら深くまで突き進むと、その場で擲弾を使って隙間を空けると、敵中で早急に大隊の戦列を形成、そのまま右翼を食い散らかした。
「ジョーイ!!マーチだ!!マーチを鳴らし続けろ!!」
音楽隊には演奏を続けさせた。
味方の士気高揚も有るが、何よりも敵に対する威圧効果が意外と高い。
「ハンス!!第三中隊を左翼に回せ!!」
ゴブリン軍は未だ粘り強く抵抗を続けているが、士気を崩したゴブリンが右翼に流れ始めている。
折角怖じけているのだから、更に恐怖を与えてやれば潰走するかもしれない。
崩れかけているなら中隊で十分だと判断した。
「エスト!!もっと敵に圧力を掛けろ!!」
このまま行けば、第一大隊と擲弾大隊が敵中で合流を果たす。
そうなれば、第二大隊も合わせて大きく弧を描く様な戦列を形成できる。
そうなれば、敵に対して火力を集中しやすくなる。
「敵を叩き潰せ!!恐れるな!!だが死ぬな!!」
僅か20分足らずで、ゴブリン側は完全に崩壊している。
戦うよりもうじうじとしていた時間の方が長く感じるほどに容易く戦いが進む。
早々に左翼を潰されたゴブリンに対して、右翼と中央を合流させて片翼包囲の形になった此方は、全火力を敵に向けて投射して圧倒している。
既に戦いの趨勢は決していると言えるだろう。
後は最後の一押しだけだ。
「総員突撃!!」
戦闘の最後の決を決する為の銃剣突撃による白兵戦。
最早、慣れたる物のこの最後の突撃で敵の意気を挫き、圧倒して制圧する。
「・・・」
ゴブリンに決起して対抗すると言う動きは見られなかった。
あっと言う間に全面で潰走を始めたゴブリンは我先にと背を向けて逃げ出すと、林の方へと走っていく。
奴等は逃げ足だけは速く、追撃を命じても流石にコレでは大して成果は上げられないだろう。
今一決定打に欠ける事にがっくりとする。
だが、どうやら神様はたまには粋な計らいをしてくれるらしい。
「突撃!!私に続けぇ!!」
逃げ惑うゴブリンの正面、向かう先の林から、突如として騎兵が飛び出してきた。
赤備えの軍服に、陽光に煌めく湾曲したサーベル。
そして、戦闘を走る馬の上には、赤毛を振り乱す女性が一人だけ長剣を構えて叫んでいる。
「待たせてしまったな」
背後から声が掛けられた。
「・・・お互い様だ」
振り向かずに返した。
「そうだな・・・漸くだ」
「ああ、漸くだ」
隣に列んだ男と言い合って、それから同時に互いの方を向いた。
「お帰りなさい。カイル・メディシア大佐」
「ああ、久し振りだなアダムス・オルグレン」
そう言うと、背後から続々と緑色の軍服を着た兵士が馬に乗って姿を現す。
「アラン・スミス以下、親衛兵団はただ今を以て、カイル・メディシア大佐の指揮下に入る。・・・漸く部隊を返せる」
「ああ、確かに返して貰ったぞ。早速だが仕事だ」
「何をすれば良い?」
「コッチの方に流れてきている敵の部隊の位置を探れ」
レンジャーの本隊。
リゼ大尉達の居ない分の残りの四個中隊が漸く使える。
あそこで暴れている御転婆娘の騎兵大隊が漸く手に入る。
兵団が揃った。
「明日の朝には敵に攻撃を仕掛ける」
「・・・相変わらず人使いが荒いな・・・」
「それが終わったら」
「リゼ君を助けに行くんだろ?」
「ああ」
「積もる話は有るが・・・まあ、仕様がないか」
そう言うと、アダムスが近く馬に跨がってレンジャーに命じる。
「レンジャー!!兵団長の最初の命令だ!!今夜中に敵を捕捉!!攻撃の準備を整える!!」
「「レンジャ!!」」
さて、目の前のゴブリンももういない。
俺の兵士達も無事の様で、やっと調子が出て来た。
「お前ら!!次が待ってるぞ!!明日の朝に攻撃だ!!」
今こそ言おう。
如何してこうなった。




