百二十二話 おお、神よ
勝利は直ぐ目の前に有る。
走るヘンリーの馬上から手を伸ばせば直ぐに掴める場所に、完璧な勝利がぶら下がっている。
後は手を伸ばすだけだ。
そう、俺は思ってしまった。
この数奇な運命に俺を放り込んでくれた名も姿も知らぬ神様は、何時だって俺に教えてくれる。
人生、そう上手く行くものではない。
勝利も歓喜も、何時の間にかにするりと指の間を抜けて出て行くものだと、嗤いながら俺に教えてくれるのだ。
「「「グオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」」」
「っ!?」
今度もそうだ。
また、神様とやらが俺の邪魔をしてくれる。
ニタニタと嫌らしく意地の悪い笑みを浮かべて人に不幸を落とす。
「ゴ、ゴブリンだ!!」
誰が叫んだか、第一師団の方から現れた邪魔者の名を叫ぶ声が聞こえる。
数は如何ほどか、装備はどの程度か、必要な情報を寄越さない単なる恐怖に満ちた悲鳴を上げて列を乱す。
何とも情けの無い兵の声が幾つも上がった。
「クソがぁ!!」
俺は苛立ち叫んでヘンリーの首を新たに現れた敵の方に向けて走らせる。
「ハンス!!一師団を援護しろ!!」
一番手近な位置に居た第二大隊のハンスに叫んで、俺はサーベルを片手に愛馬を走らせた。
「ミハイル!!」
ここからミハイルまでは距離があって聞こえたか分からないが、それでも叫んだ。
別にアイツがどうなろうが知った事では無い。
だが、今、ミハイルが戦死などしてしまえば師団は壊滅する。
士気を失い統制を失い武器をかなぐり捨てて潰乱する。
そんな事になるのだけは避けなければならなかった。
今、ミハイルの側に居るのは師団本部の本部付中隊と直ぐ右の軽装歩兵中隊だけだ。
師団本部と第一師団の戦列の間には距離があり、例え一番近くの第十一連隊が奇跡的に柔軟な自己判断を見せたとしても合流には十分程度は掛かる。
最右翼の騎兵大隊はそもそも距離が離れていて気付いているか怪しい所だ。
「第二大隊攻撃止め!!右向け右!!」
ハンスは直ぐに反応した。
流石に戦闘続きだっただけに直ぐに俺の意を汲んで攻撃を止めさせると、大隊に方向転換を命じた。
しかし、それでも移動には時間が掛かる。
駈け足で移動してもやはり十分は掛かる。
せめてミハイルだけでもと、俺は本部へと急いだ。
「っ!?け、軽装歩兵!!」
流石にミハイルも学んでいた。
自分達の直ぐ後に現れたゴブリンに驚愕しながらも、動かせる部隊に迎撃の動きを取らせた。
だが、軽装歩兵は散兵で、しかも多少は練度と士気が高いとは言え、とても多勢の突撃w受け止められる様な能力は無い。
「クッソ!!」
不幸はコレで終わりでは無かった。
突如として、ハンスの第二大隊が動きを止めて隊列を整えさせ始めた。
「第二大隊射撃用意!!」
「っ!?ハンスっ!!・・・っ!?」
何事かと思って、ハンスに叱責しようとヘンリーの脚を止めて首だけ向くと、移動中の第二大隊の直ぐ側にもゴブリンが姿を現した。
「クソっ!!」
アレでは第二大隊は動かせない。
ここで第二大隊を無理に動かせば大隊の壊滅のみならず、既に崩れかけている此方の戦列にアレが雪崩れ込む。
そうなれば此方の方が一転して押し込まれる。
俺は新たな敵をハンスにまかせて再びミハイルの下へと急いだ。
完成していた半包囲は崩れ、此方の軍に動揺が広がっている。
辛うじて持っているのは支隊の戦列が苛烈に敵を攻めているのと、師団の戦列の右翼側が崩れて居ないからだ。
もしも、そのどちらかが崩れれば、それも全て終わる。
遠い。
戦列の左翼よりの後方に陣取っていたミハイルが異常に遠く感じられる。
「間に合え・・・!!」
ヘンリーは良く走ってくれている。
息を荒げ、眼を血走らせて一心に俺の求めに応じて走ってくれている。
だが、それでも今の俺には遅く感じられる。
今日に限ってヘンリーの俊足がなりを潜めた様に感じられる。
まさか、間違って駄馬にでも跨がってしまったのかとすら思える程に遠く遅く感じた。
「れ、連隊!!師団長を救え!!」
奇跡が起きた。
名も知らない連隊長が部下達に反転を命じてミハイルの救助に動いたのだ。
突然の上、ザックリとしすぎる命令に未熟な兵達は振り向いて我武者羅に走って向かうだけだったが、しかし、今は兎に角助けが必要だった。
隊列を無視した行動だったが、それ故に隊列を維持して走るよりも速く、俺の予想に反して、十一連隊は早急に師団本部の下に辿り着いた。
「団長を死守しろ!!」
「ミハイルを死なせるな!!」
彼等は勇敢だった。
未熟な弱卒ではあったが、ミハイルを救うためにと命を投げ打って敵に突撃した。
その甲斐あって、ゴブリンが師団本部を襲うのとほぼ同時に、第十一連隊はゴブリンの集団と激突し、ほぼ敵の勢いを相殺した。
「っ・・・」
前方の十一連隊とゴブリンの集団から激しい戦いの喧騒と悲鳴が木霊してくる。
その瞬間に、さっきまでのゆっくりとした感覚が嘘の様に戦いの現場が近づいて来る。
「良いぞヘンリー!!」
走るヘンリーの背で俺が叫ぶと、それに答えるようにヘンリーが更に速度を速め、そして漸くゴブリン共に肉迫すると、前脚を使って一匹目を蹴り上げた。
「はあっ!!」
俺もヘンリーに負けじと右手のサーベルを振るって手近な一匹の首を斬り飛ばす。
ヘンリーの最も戦いに優れている点は、勇敢な事でも体格の良い事でも、まして脚の速い事でも無い。
それらの事も重要ではあるのだが、この俺の黒鹿毛の愛馬の真に優れているのは、積極的に敵を襲う所にある。
ヘンリーはまるで俺の意志を読み取っているかの如く、目の前に現れる敵を踏み潰し、後に立てば蹴り飛ばし、首を振るって薙ぎ払うのだ。
こんな行動を取れる馬は捜しても見付かるものでは無い。
長きに渡って乗りやすいように気性の穏やかな馬を交配させてきたこの世界の馬にあって、こんな野生馬の如き気性を持った馬は、例え訓練を施した所で得られない。
俺とヘンリーは阿吽の呼吸で、人馬一体となってゴブリンを蹴散らした。
「ミハイル!!ミハイルは何処だ!!」
「ここだ!!」
俺の呼び掛けに、あの憎たらしい声が応えた。
その方向に向くと、ミハイルはぎこちなく剣を構えながら、数人の歩兵に護られていた。
「っ!おい!!」
「へっ!?俺っすか!?」
俺はミハイルを見付けてから、辺りを見回して手近な所に居た1人の小隊長に声を掛ける。
歩兵連隊の小隊長は銃では無くハーフパイクと言う2.5m程度の槍を持っており、中隊に属する部下をある程度、取りまとめる役目を担っている。
「そうだ!お前だ小隊長!!あそこにミハイルが居る!!」
「!?」
「今すぐに小隊を掌握してミハイルの下に行け!!俺が先導してやる!!」
「えっ!?はっ!?」
「急げ!!ぶっ殺すぞ!!」
「りょっ、了解!!」
本来ならば俺には他の連隊に所属する兵士に対して命令する権限は無いのだが、何分、緊急故、多少強引に脅してでも兵を動かしたかった。
「しょ、掌握しました!!」
中々に気骨のある優秀な小隊長だった。
俺が言って直ぐに周囲の兵を纏めて小隊の掌握完了を知らせてきた。
「よし!着いてこい!!」
俺は、その小隊長に言うと、ミハイルの居る方にヘンリーの首を向けて進み出す。
横から跳んでくるゴブリンを斬り捨て、正面のゴブリンは蛆虫の如く踏み潰し、その後に小隊が着いてくる。
こうして、一緒になって戦ってみると、弱い弱いと思っていた北部人の十一連隊も中々見所が有る。
如何せん練度が低いのは問題だが、それを抜きにすれば、コレが如何して粘り強く戦っている。
「小隊長!!あそこだ!!あそこにミハイルが居る!!」
「師団長!!」
「あそこに突っ込め!!ミハイルを救うのはお前達だ!!」
そう言うと、小隊長は小隊員を束ねてミハイルの下へと走って行く。
続く隊員達も銃剣を構えて道中のゴブリンを刺殺し、味方のために血路を開いて、ミハイルを救おうとしている。
「・・・」
周囲では十一連隊がゴブリンを圧倒し始めた。
十一連隊の将兵は、最初の衝突から徐々に体勢を立て直し始めており、各中隊や小隊毎に相互に連携してゴブリンを押し込んで行く。
更に漸く事態に気が付いた騎兵大隊が十一連隊に夢中になっているゴブリンに横から突撃を掛けた。
ほんの一瞬のゴブリンの出現に浮き足立って混乱した師団は、十一連隊の果敢な行動によって統制を取り戻し、拙いながらも奇襲を押し退けた。
「・・・」
最早、ここまで来れば俺の指示は要らない。
敢えて俺自身が動き回る必要も無い。
この師団は山を乗り越えたのだ。
「・・・」
「若様!」
何時の間にか取り残されていた俺の側にハンスがやって来て声を掛けた。
「来たか・・・そっちは?」
「ゴブリン共はたたき返しました・・・が」
「・・・逃げられたな」
十一連隊が抜け、第二大隊が抜け、更には騎兵大隊が抜けて、包囲は完全に失敗している。
「追い掛けてみます?」
「いや・・・無駄だろう」
逃げる敵の背と、黄昏れる味方の背とを見比べて、俺は首を振ってハンスの言葉を否定した。
「如何してこうなった・・・」
「・・・」
部下たちには縁起の良い言葉だそうだが、本当にそうならば、何度でも言おう。
「如何してこうなった」
すまないリゼ大尉。
君達には今暫く待っていて貰いたい。
それこそ、死して屍を晒すまで




