百十九話 初恋
「貴女の団長に対する態度は目に余る!彼をどれ程愚弄すれば気が済むのか!!」
珍しく語気を荒げたリゼ大尉がホークス嬢に詰め寄って非難を浴びせている。
どうやら、彼女はホークス嬢の俺に対する対応に関して糾弾している様だ。
「彼がどんな思いで戦ってきたか!どれ程の苦労を重ねて来たか!貴女はほんの少しでもそれを考えた事があるのですか!!」
長い髪を振り乱して怒りに満ちた形相の大尉は、戦場ですら見たことが無い程に激昂している。
そんな彼女は、ホークス嬢と触れ合う程に近づいて人指し指で首元を突きながら言葉を続ける。
「団長が何も言わないからと我慢してきましたが、もう我慢なりません!!直ちに団長との関係を断ち切りなさい!!一分一秒たりとも貴女と彼が関係のあると言う事が腹立たしい!!貴女の様な人間は彼には相応しく無い!!」
「・・・黙って聞いていれば、随分な物言いですわね」
一息に圧倒するように言葉を投げ掛けたリゼ大尉に対して、ホークス嬢が反撃に出た。
「苦労してきた?頑張った?それが如何したと言うのですか?」
「なに!?」
「彼は貴族で軍人です。国のために戦うのは義務であり当然の事です。そんな些末な事を一々気にして褒めそやして如何するのですか、陛下から恩賞を頂いているのならそれで充分ですわ」
静かに、しかし、重々しく反論を始めるホークス嬢に、リゼ大尉が気圧されて後退る。
ホークス嬢もかなり迫力の有る顔立ちだし、言っている事も決して間違いでは無かった。
「相応しくない?多いに結構ですわ!あんな醜男とお似合いだなんて思われては、それこそ屈辱で倒れてしまいそうですわ」
「貴女と言う人は・・・!!」
「良いですこと?貴族の結婚というのは、本人の意志など意味の無い事、家同士の繁栄と国の政の為だけにあるのですわ。相応しいとか相応しくないとか・・・そんな事は些末な事なのです。貴女にどうこう言われる筋合いは一切有りはしません」
とても女性らしからぬ、嫋やかさの欠片もない様子で、ホークス嬢とリゼ大尉は互いの言葉に青筋を浮かべて反応し、今にも額を突き付けそうなほどに顔を近付けて睨み合っている。
中庭には既に騒ぎを聞きつけた人が集まっており、二人の様子を遠巻きに眺めて騒ぎが大きくなり始めた。
「・・・」
もう、これ以上は見ていられない。
俺は足早に二人の下に近付いていった。
俺が無言だったと言うこともあるが、それでも直ぐ側まで近寄っても二人とも気付かずに睨み合ったままだ。
「大尉」
俺が一言声を掛けると、弾かれたように大尉が俺の方に顔を向けて驚いた表情をする。
「カイル大佐」
「大尉・・・今すぐに下がれ」
リゼ大尉に対して、俺は努めて無表情に声色を冷淡にして命じた。
「大佐!この女は・・・」
「今すぐに下がれ大尉!!」
大尉がこれ以上何かを言う前に、俺は掻き消すように怒鳴った。
「っ!?」
「・・・もう一度言うぞ大尉。今すぐに黙って下がれ」
「・・・っ!」
三度目に大尉に命じると大尉は中庭から走り去って行った。
周囲の人混みは彼女の様子に、直ぐに道を空けて見送り、それから今度は俺とホークス嬢の方を注視する。
「・・・何か?」
実に不機嫌そうに、ホークス嬢は俺を睨めつける。
そんなホークス嬢に対して、俺は身体毎彼女に向いて正対し、腰を折って頭を下げた。
「大変申し訳なかった」
「・・・」
「部下が随分な無礼を働いてしまい。私の監督不行き届きを恥じるばかりであり、恥じ入るばかりです」
「・・・それで?」
声色から、相当に怒っている事が察せられる。
当然だ。
あんなに無礼な真似をされて、家柄や自分自身を軽んじられる発言を許すなど、到底許容の及ぶところでは無いだろう。
俺は頭を下げたままホークス嬢に謝罪の言葉を述べて、助命の嘆願をする。
この俺の行動も、かなり非常識だろうが、それでもやらない訳にもいかなかった。
「今後この様な事が無いよう。指導を徹底する所存であり・・・どうか寛大な処置を願います」
リゼ大尉は只の軍人で、しかも異種族だ。
侯爵家の息女であるホークス嬢とは立場が余りにも違いすぎる。
「・・・状況を分かっておいでですこと?大佐?」
名前では無く階級で呼び掛ける所に、ホークス嬢の意志が現れている。
曲がりなりの婚約者という関係では無く、公的な身分の、侯爵家の令嬢と一人の軍人としての立場での話だと、言う事が直ぐに察せられた。
「・・・充分に理解しているつもりです」
「では、わたくしに・・・貴族に楯突いた平民がどうなるか・・・それもお分かりですわね?」
俺とて一応は貴族の立場にあるのだ、そう言う人物がどんな風な扱いを受けるかなんて、嫌と言うほど分かっている。
「・・・はい」
例え、相手が下級の男爵の三男以下の子であったとしても、それでも貴族と平民の、それも異民との立場の違いと言うのは明確だ。
リゼ大尉は、ハッキリと言えば死刑を宣告されても一切の文句も申し開きも許されないのだ。
それも、ただ処刑されると言うだけで無く、恐らく刑が執行されるとすれば極刑が相応しいだろう。
何なら、あの場で私刑で殺しても誰も文句は言えないし、寧ろそれが当然の事だと、ホークス嬢が称賛すらされただろう。
貴族と平民の間には、それ程に大きく深い隔たりが有るのだ。
「彼女は非常に希有な・・・今後の戦いに置いて重大な能力を持っています」
俺はそれでも一人の軍人、リゼ大尉の上官として、一部隊を率いる指揮者として口を開いた。
「それがどうかしまして?その事とわたくしと我が家が軽んじられる事とどう言う因果がお有りですか?」
貴族に取って、家の名前とプライドは命よりも重く大事な物だ。
それを傷付けておいて、尚、更に汚すような事を求めているのだから、俺も随分と無礼を働いている。
「仰る事は重々承知しているつもりです。しかし・・・どうか、彼女の命を奪い、軍務に支障の出る様な事だけは、どうか許して頂けないでしょうか」
本当に随分と無茶苦茶な事を言っている自覚はある。
リゼ大尉を無罪放免にして家のプライドをねじ曲げて欲しいと要求しているのだ。
それこそ、普通ならば俺と彼女の家とで戦争が起きかねない発言だった。
だが、それでもリゼ大尉をむざむざと喪うような事は出来なかった。
「どうか・・・」
俺は地面に膝を着き、更に深く頭を垂れて請うた。
「・・・何故、そこまでしてあの女に・・・」
ホークス嬢が何かを呟いた。
「は?」
何を呟いたのかは良く聞き取れ無かったが、それに対して俺は思わず声を上げてしまった。
「何でも御座いませんわ」
不用意だった。
俺は余計に彼女の機嫌を損ねてしまった。
「・・・」
「・・・大佐とあの女は随分と仲がよろしい様ですわね。一体どう言うご関係なのかしら」
唐突に、ホークス嬢が俺と大尉の仲を聞いてきた。
それに対して、俺は簡潔に答える。
「彼女と私は部下と上官の関係であります」
「それ以上の関係では無いと?」
「部下と上官に以上も以下もありません」
「男女の仲でも無いと?」
随分と俺とリゼ大尉の関係を追求して来る。
いっそしつこい位に尋ねてくるが、やはり女と言うのは色恋話が好きなのか、それとも、婚約者として、俺の様な抜け作でも奪われるのは腹立たしいと言う事なのだろうか。
良く分からないが、ホークス嬢は俺とリゼ大尉の事をかなり気にしている様子だった。
「愚問であります。彼女とは・・・大尉とはそう言った関係ではありませんし、そうなるつもりもありません」
俺はきっぱりと応えて否定した。
大尉と俺が上官と部下以外の関係になるはずが無い。
俺と彼女はありとあらゆる意味で相応しくない。
そんな幻想を抱く程、自惚れ屋では無いつもりだ。
「・・・良いでしょう」
ホークス嬢の口から俺の引き出したかった言葉が出た。
「本当ですか?」
「ええ・・・ただし、全くの無罪放免と言う訳にも行きませんわ」
「それは勿論です」
一体何を求められるのか、この期に及んでリゼ大尉が戦列から離れてしまうような事にならなければ、そんな事ばかりが俺の頭に渦巻いた。
「今回の事を父に伝えます」
「それは・・・」
婚約を破棄すると言う事だろう。
俺とホークス嬢との間の婚約関係を破棄し、それでいて、俺に対して借りを作った形にして優位に立ち、今後事ある毎にイニシアティブを取るだろう。
今回の事で俺は間違いなく他の貴族から非難を浴びるだろうし、俺の生涯独身と廃嫡と今後の進退が決定した。
「勿論、この言葉の意味はお分かりですわね?」
「はい」
「それでもよろしくて?大佐?」
「構いません。この程度で大尉が護れるのならば、一切の後悔はありません」
果たして次の左遷先は何処だろうか、一体何階級降格するだろうか、そんな事を考えつつ、俺はホークス嬢に答えた。
「・・・そうですか」
「・・・」
「なら、コレで終わりですわね」
そう言って、ホークス嬢は俺に背を向けて去って行く。
ホークス嬢の後に続いて一人のメイドが歩き出すが、そのメイドが一瞬、俺の方に眼を向けた。
「・・・」
「・・・」
一体、どう言うつもりで俺の方を見たのかは知らないが、メイドは直ぐに向き直ってホークス嬢の後に付いた。
「終わりか・・・」
この話が終わりと言う事では無いだろう。
俺とホークス嬢との婚約関係や、コレまでの遣り取り、全ての関係が断ち切られて終わったと言う事。
そして、俺の今後の進退も終わったと言うことだろう。
「如何してこうなるんだろうな・・・」
思わず口を吐いた口癖は、部下達曰くでは縁起が良いそうだが、全くそんな気がしない。
「兄さん!」
未だに膝を着いて座り込んだままの俺に、人混みの中から声を掛けて駆け寄って来た弟は、随分と顔色が悪い。
「如何した?」
「如何したじゃありませんよ!リリーを行かせて良いんですか!?」
何を頓珍漢な事を言うのか。
そう思いながら、俺はアルフレッドに言葉を掛ける。
「・・・今なら、彼女と結婚できるぞ?」
「なっ!?」
「今、彼女を口説き落とせば、少なくとも家の状況がこれ以上は悪くはならないだろう」
もう、関係の無くなると言うのに、何故だか俺は家の今後を心配する様な事を言っていた。
「何故、そんな事しか言えないんですか」
「何故だろうな・・・」
「兄さんは、リリーの事が嫌いだったんですか?」
そう言われると何と答えて良いか分からなくなる。
「如何だろうな・・・彼女は・・・ホークス嬢はとても美しい人だよ。美しくて、俺以外には分け隔て無く優しくて、気高くて・・・完璧な淑女って感じだな。彼女と結婚できたなら幸福だろうな」
「なら・・・」
「だが、そうなっていたならば、彼女に取っては最大の不幸だっただろう」
「・・・」
「さあ、行け・・・彼女を幸福にするのは・・・少なくとも俺では無い。願わくば、お前がそうであれば良いと思うよ」
そう言いながら、俺は立ち上がって膝の辺りをはらい、彼女が向かったのとは真逆の方に向いた。
「俺は、コレから責任を取らなければいけないんだ」
「責任?」
「ああ・・・軍人として、貴族として、取らなければならない責任だ」
ここまでやったんだ。
もう、敗北は許されない。
コレで俺が負けてしまえば、それこそ、ホークス嬢に対しても殿下に対しても、誰に対しても面目が立たない。
俺はもう、敗北は許されない。
「責任って・・・なら、リリーに対する責任はどうなるんですか!」
「・・・リリー、リリーと・・・」
「え?」
「もう関係ないが、そもそも兄の婚約者を本人を差し置いて渾名で呼ぶお前に言われる筋合いは無い!!良いか!?俺とホークス嬢はもう終わった!!彼女は自由だ!!お前も自由だ!!」
「・・・っ!」
「ここからの責任はお前にある!!お前も責任を取れ!!」
「・・・」
「じゃあな。俺はもう行く」
そう言って、俺は歩き出した。
アルフレッドはもう、何も言って来ない。
割と支離滅裂で無茶苦茶な事を言った気がするが、ここまで言えばアルフレッドも動くだろう。
アルフレッドとホークス嬢が結婚すれば、全員が幸せになれる。
彼女が幸せになれる。
「・・・ふ」
考えていて自然と笑いが零れた。
「・・・そうか、そう言う事だったのか」
今更になって気が付いて、俺は自分が可笑しくて仕方が無い。
「俺は彼女の事が好きだったんだな」
本当に今更になってだが、どう言う訳だか、俺は彼女の事が好きだった。
でも無ければ、態々プレゼントを贈ったり一喜一憂したりなどしなかった。
斜に構えたような事を考えておいて、自分も随分と単純で馬鹿な男だ。
関係が終わって漸く、素直に認める気になるとは、俺も大概な人間だ。
「・・・若いな・・・俺も」
老け込んでいたのは、ただのつもりだった。
「如何してこうなったか・・・か」
言いながら、俺は今後のことに頭を巡らせた。
視界が冴えて、何でも出来る様な気がする。
「さあ、もう一仕事だな」
改めて見返すと顔から火が噴き出しそうです。




